新たな物語2
しばらくの間、無言で歩き続けるアリスたち。さっきまで騒がしかったレヴィも今では静かに、何かを考えるように黙り込んでいる。
(やっぱり……前とは変わってる……)
アリスは目線だけを周りに向ける。
変わった……といっても、景色自体は変わっていない。
アリスが目に映している世界は以前と同じ――何度も繰り返された世界のままである。
しかし、なんというのだろうか。景色は変わっていない。雰囲気が変わったと言うべきなのだろうか。
どことなく不気味な感じ……先程から肌に感じる嫌な感覚が消えないのだ。まるで何かに見られているような……
「ねえ、レヴィ? 私はこれから、どうしたらいいの?」
今度はアリスから話しかける。レヴィもアリスに話しかけられたことに気づき、意識を現実に戻す。
「うーん、それは僕もわからないなぁ。元の君の物語は知ってるけど、新しくなった今、どうなるか……」
「ん? 私の物語について知ってるの?」
「もちろん。これでも僕はいろいろな物語を旅してるからね。なんなら聞いてみる?」
アリスも自分の物語については気になる。内容は知っているが、他者から見れば、自分たちの姿はどのように映っているのだろうと。
アリスはレヴィの言葉に耳を傾ける。
「まず、君の物語は『不思議の国のアリス』と呼ばれる。いうまでもなく、君が主役の世界だ。基本的に、この世界には理屈がない。すべてが自由なんだ。『深く考えるな。何故なら、ここは不思議の国なのだから』。地面とぶつかっても痛くなかっただろう? 普通は痛い。なら何故? 答えは簡単。ここが不思議の国だから。それだけで片付くのさ。常識が通用しない世界……まさに物語の名にふさわしい世界だろう?」
レヴィは流れるように、『不思議の国のアリス』の世界観を述べる。
(しかし、不思議の国か……確かにそうだけど、物語の時点で不思議よね)
アリスの物語に限ったことではない。レヴィは他の物語と言った。つまりは、この世界以外の物語もあるわけで……
「そして、この物語の終わりもなんともいえない。ちゃんとした終わり方ではない。すべて夢でしたと、それだけですべての物語のつじづまを合わせる……なんとも強引。だが、それが面白い。他の物語にはない終わり方。だから、『不思議の国のアリス』は面白い。だから、物語は面白い!」
感極まったかのように、レヴィは叫ぶ。手を大きく広げ、感情を豊かに表現する。
レヴィは話すことをやめない。アリスはレヴィに訊いてはいけないことを訊いてしまったようだ。
アリスもこれでもかと言うほど、顔を引きつらせていた。よく見ると所々、顔の筋肉が痙攣しているのがわかる。
(と、とりあえずは私の物語を終わらせないとね。でないと、レヴィの目的も聞けないし……)
肝心のレヴィの目的については、レヴィはアリスに何も教えてくれなかった。
つまり、自分の物語を終わらせることができなければ、レヴィの目的も解決することができないのであろう。
もし、アリスが物語を終わらせることができなければ、レヴィはアリスの代わりを探しに行くと。アリスは理解していた。
(そんなことはさせない。私はこの物語を終わらせて、本当の自分を見つけるんだ……)
ようやく見つけた自分の希望。こんなところで捨ててたまるかとアリスは意気込む。
(確かこの先は小さな扉があって、隣にある瓶の中身を飲んで小さくなる……はずだけど。多分、物語が変わっているなら、違うことになっているはず!)
アリスは経験した。この物語はアリスのものであってアリスのものではない。
以前と同じ感覚でいけば、先程の二の舞だ。ここで冷静な判断をして――
「あっ、あそこに瓶があるね。あれを飲むと体が小さくなるんだっけ? 早速いこうよ!」
レヴィが指をさしながら、アリスを誘う。レヴィが指さす先には、なんの変哲もない一本の瓶――アリスが見たことがあるものであった。
(……なんで? ここは、何か違う展開になっているはずでしょ? なのに何? 変わってないじゃない――ッ!)
顔には出していないが、アリスはイライラしていた。自分の時は変わってたくせに――
「んー、飲んだら小さくなって扉に入れるはずだけど……はたして、このまま飲んでもいいのか? この物語もすでに変わり始めている。以前と同じはずは……」
レヴィはブツブツと何か呟いているが、アリスの耳には入らない。
何故なら、アリスも心の中で愚痴を言っているからだ。他人の言葉など聞こえるはずがない。
「もしかしたら、毒の可能性も? いや、流石にないはず。仮にも『不思議の国のアリス』だ。そんな危険な物語に変わっているはずは……いや、今までにも、そんな物語はあった。油断は――」
「あ――ッ! 面倒くさい! さっさと飲めばいいのよ!」
「あっ、ちょ――」
真剣に考えているレヴィの手から、アリスは瓶を奪い取る。
「こんなもの、さっさと飲んだらいいのよ! どうせ小さくなるだけだし!」
「で、でも、君の物語はすでに――」
「ええーい、うるさい!」
レヴィの制止を聞かずに、アリスは瓶の中身を一飲みする。瞬間、アリスの体は小さく――
「まず――ッ!」
なることなく、アリスは勢いよく、口に含んだものを吐き出す。
「うわっ! 汚いなあっ!」
慌てて飛び退くレヴィ。いくらアリスの顔がよくても、吐き出したものにかかるのはキツい。
アリスはその場にうずくまって咳き込む。
「うぇ――ッ、何よこれ……」
涙目になりながら、アリスは恨めしそうに中身が空となった瓶をにらみつける。
「ふむ、毒ではなさそうか。そして、体にも変化は見られない。見たところ、ただ不味いだけか……ふふっ。さっきから酷い目にあってばかりだね」
レヴィは小馬鹿にするようにアリスを見つめる。その目は哀れな小動物を見るようなものだ。
「なんで私だけ、こんな目に……」
「油断してるからじゃないの?」
「油断は――」
してた。途中までは油断していなかったが、冷静さを失った結果がこれだ。アリスは黙り込むしかできなかった。
「ま、無事で何よりだよ。下手をすれば、あれが毒の可能性もあったからね。君が体を張ってくれたおかげで、その心配はなくなったけど」
「うぐ――ッ!」
アリスはこれ以上ない屈辱を味わっている。出会って間もない人間にどれほどの醜態をさらしただろうか。
「でも、アリスの体に変化はない。本来は小さくなってあの扉に入るはず。でも小さくなっていない。あの扉に入らないと、物語は始まらないよね?」
「……うん。あの扉に入って、こっちとは違う世界に行く。そして、私はウサギを追いかける。それが私の物語よ」
「うーん。じゃあ、違う方法を探さないといけないけど……そう都合よくはいかないかな?」
レヴィは辺りを見渡すが、目に映るのは小さな扉と無限に続く廊下だけ。土の中のはずなのに、不思議な光景だ。
「あの廊下を歩くのは流石に嫌だなぁ。終わりがあるとも限らないし……ここは不正しちゃおっか」
レヴィは服のポケットに手を入れ、あるものを取り出す。
「それは……」
アリスもそれの正体に気づいたようだ。レヴィの――〈法則破りの切符〉だ。
しかし何故、このタイミングで?
「どうして、〈法則破りの切符〉を出してるの?」
「あぁ、ちゃんと言ってなかったね。これは物語を自由に行き来できる。それは聞いたよね? 正確には、これは物語と物語を繋ぐものじゃない。物語を自由に移動できるんだ」
「ええーと、それはつまり……」
アリスは大体の予想が出来た。この予想が正しければ……
レヴィはアリスが理解したことを確認して、ニヤリと笑い――
「そう、これは物語の好きな場面に飛ぶことができる。その気になれば、物語の最後まで飛ぶことも可能だ」
「じゃ、じゃあ――」
「もちろん、弱点もある。まず前提として、物語を知っていること。そうじゃないと、好きな場面に飛ぶということ自体できないからね。だから物語が変わった今、これが機能するとは限らない。でも、あの小さな扉の先の物語くらいは飛べるはずだよ」
終わりまで飛べるかと思っていたが、現実はそう甘くなかった。もし、飛べるならすでにレヴィが試しているだろうとアリスは冷静に考える。
「とりあえず、やることは決まった。〈法則破りの切符〉を使って、この先に行く。多分、飛べると思うけど、そこまでだと思う。そこからは未知の世界。何が起こるかわからない。準備はいい、アリス?」
レヴィはアリスに手を差し出す。準備ができたら手を握れということだろう。
(迷うことはない。覚悟はとっくにできてる――ッ!)
レヴィと出会ったときから感じていた期待。今更、迷う必要はない。
「……いつでもいいわ」
アリスはレヴィの手を取る。するとレヴィは微笑み――
「――じゃあ、行くよ」
レヴィが〈法則破りの切符〉を強く握りしめる。
瞬間、アリスたちは虹色に輝く光に包まれる。
(私はこの物語を終わらせる……ッ!)
そして――
決意と同時に、アリスたちは光に包まれ、その場から姿を消した。