新たな物語
前置きもなくレヴィに突き落とされたアリス。
「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――!」
今まさにアリスは絶叫していた。
穴に落ちる感覚――身を放り出されるなんともいえない不思議な感覚には何度も経験して慣れていたはずだった。
しかし、それは間違っていたようだ。実際に慣れていたわけではない。
穴に飛び込む前、アリスは無意識に落下に対する準備をしていた。そして、いざ飛び込む――だから気づかなかった。
気持ちを落ち着かせずに落下するのは、これほど恐怖するものかと。
「何考えてるの! あの馬鹿! 普通、何も言わないで落とさないでしょ!」
アリスの口から不満が漏れる。しかし、誰もアリスの言葉に返事をしてくれない。
当然だ。アリス一人なのだから。
「……駄目よ。落ち着きなさいアリス。そう、これは何度も経験してること。落ち着いて周りを見るの。初めもそうだったでしょ」
アリスは自分で自分を落ち着かせ、辺りを見渡す。
アリス自身が落下しているので、目に映る光景は次々に変わる。
景色が変わるのには理由がある。アリスが落ちているのは穴なのだが、ただの穴ではない。
普通の穴であれば、土一色に見えるはず。穴は地面に開けられているのだから。
しかし、アリスが落ちる穴は特殊だ。まず土で作られていない。何故か規則正しく整形された石がきれいに敷き詰められている。
そこに、普通の家と大差ない至って普通の窓がいくつも付けられている。いかにも誰かが生活しているような窓である。
しかし、中に人はいない。いや、中が見えないといった方が正しいか。
どうしてか地面の中で光が届かないはずなのに、すべての窓が光によって反射しているのだ。
眩しいわけではないのだが、中の様子を確認することができないくらいには、光を反射している。
部分ごとに見れば、誰もが見たことがある光景。だが、全体を見ると、なんとも不思議な造りをしている。
まさに幻想的な光景であった。
「そう、落ち着いて考えるのよ。このまま落ちると地面に着く。でも、痛みはない。だから大丈――ブヘェ――ッ!」
そう、このまま落ちれば無事に着地ができるのである。そう、本来であれば……
レヴィと出会ったことにより、アリスの物語はすでに変わり始めていた。だから、自然と出来事が変わるわけで――
アリスは完全に油断しきっていたようで、頭から落下した。
しかし、不思議と着地点だけは柔らかい土だったので、アリスは上半身が地面に埋まるという事態になっている。
しかも、スカートが重力に逆らえずにめくり上がり、アリスの大事な部分を隠す白いパンティーが丸見えになっている。
美少女なのに残念な光景となっていた。
「おっと、ここが最下層か。思ったよりも浅かったな……何してるの?」
もちろん、この言葉はアリスに向けて放たれたものだ。
無様に頭から突っ込んだアリスとは違い、レヴィは物音を立てないように着地と同時に足を軽く曲げて、衝撃を打ち消していた。
これでは、どちらが穴に落ちたことがある経験者かわからない。
「全く、何を遊んでるのか知らないけど――ッ!」
レヴィは地面に埋まったまま足をジタバタさせているアリスの片足を掴み、強引に地面から引っこ抜いた。
アリスの美しい髪も泥だらけ――にはならず、むしろ、塵一つ付いていなかった。
不思議に思うかも知れないが、これが『不思議の国のアリス』の物語――常識が通じない世界なのだ。
そして、自然と目が合うアリスとレヴィ――
「で、経験者様が何をしていらっしゃるのですか?」
「…………うるさい……」
軽く馬鹿にするように告げるレヴィから、アリスは気まずそうに顔をそらす。
さっきまで余裕を持っていただけに、情けない姿を見せて恥ずかしいのだろう。
「じゃ、早く行くよ」
アリスの無事を確認すると、レヴィはアリスを手放す。
当然、アリスは足を掴まれ、逆さまになっていたわけで……
「痛――ッ!」
地面に頭をぶつけることとなった。思わず声が出たが、痛みはない。いわば反射みたいなものだ。
「ちょっと! もっと優しくできないの!?」
すぐにアリスは立ち上がり、レヴィに文句を言う。
「頭から突っ込んだのは誰でしたっけ?」
「それはそうだけど……って、そもそもあなたが押さなければ、こうならなかったのよ!」
自分の非を認めそうになったアリスだが、元の原因がレヴィということに気づいた。
「あー悪かったよ。君はもう慣れているものだと思ってたからね」
「悪かったって……本当に反省してるの?」
「してるから安心して」
「もう……」
反省している様子は見られないが、いつまでも怒ってばかりでは埒が明かない。
仕方なくアリスが折れることにした。
「で、さっきの言葉は何?」
「さっきの言葉って?」
「とぼけないで。あなたが穴に落ちる前に言ったことよ」
「ああ、あのことか」
そこまで言って、レヴィは思い出したようだ。
「いいよ。元から教えるつもりだったしね。最初はどちらから話そうか……よし決めた。まずはアリス、この世界のことをどう思う?」
「この世界?」
「そう、この世界。永遠と続く終わりなき世界。君はもう気づいているんじゃないかな?」
レヴィが告げたことで確信に変わる。やはりアリスがおかしいと思っていたことは間違いでなかったようだ。
「確かにおかしいと思ったわ。でも、どうすることもできないでしょ?」
「まあ、確かにそうだね。今まで通りにしていれば何も変わることはない。人間、未知のことは恐ろしく感じるからね」
レヴィはヘラヘラとふざけたように話す。
「で、だ。このままダラダラ話していても意味がないから答えを言おう。結論から言うと――この世界の正体は物語というものだ」
「物語? あの本とかの?」
「そうそう。その物語。終わりが見えない。終わりにたどり着くと再び始まりに戻る……まるで物語でしょ?」
レヴィの答えにアリスは納得する。もし、この世界が物語であれば、今までの不自然な世界が説明できるのだ。
そして同時に、疑問に思うことがある。
(この世界が物語ってあり得るの……?)
確かにレヴィの言うことが本当であれば、つじつまが合う。
しかし、仮に本当だとすれば、初めから運命が決められていて、その運命通りにしか動けないのだ。
だとしたら……
(私は何者なの……?)
姉たちは決まった行動しかとらない。これは物語の定義に当てはまっている。
しかし自分は? アリスは物語を変えたことはないが、変えようと思ったことは何度もある。今もそうだ。
それに感情も持っている。姉たちも恐らく持っているであろうが、ずっと同じ感情のはずだ。
自分は物語が変わるごとに違う感情を抱いている。それは、登場人物にはあり得ないことではないのか。
だったら自分は……
「心配しなくてもいいよ。僕のお願いは君だからこそできる……いや、君しかできない」
「……どういうこと?」
この際、レヴィに心を読まれたことは気にしない。レヴィが意味不明なのは今に始まったことではなかった。
「まずは、こうやって僕と話せている時点でおかしいんだ。だって物語の世界なんだよ? 普通の登場人物だったら、僕と話せるはずがないじゃん。すでに決められた台詞しか言えないんだから」
「確かに……」
「つまり君は例外……僕の願いを叶えることができる人間なんだ!」
嬉しそうにレヴィは拳を握る。余程、このことを話したかったのであろう。
しかし、アリスは納得しない。何故なら――
「確かに例外ね……それは理解したわ。でもね、どうしてあなたがそんなことを知っているの?」
レヴィの言っていることは、すべてが正しいように聞こえる。それはアリスも納得している。
しかし、どうしてレヴィがそれほどのことを知っているのか。そもそも、この物語の登場人物なのか。
様々な疑問が生まれるのだ。
「困ったな。痛いとこをついてくれる……仕方ない。話すしかないか……アリス。僕が何故、物語について知っているのか。それは……僕がこの物語の登場人物じゃないからだよ」
先程までの態度とは一変、レヴィは真剣な表情を作る。
(やっぱり……レヴィは違う世界の……)
アリスも薄々感じていた。一度もこの世界でレヴィを見たことがない。当然だ。そもそも、この世界にいなかったのだから。
「それでは疑問に思うだろう。どうやって、この世界に来たんだってね。そこで出てくるのがこれだ」
レヴィは服のポケットに手を入れ、一枚の紙切れを取り出す。
その紙切れにアリスは見覚えがあった。そう、レヴィと出会ったとき、レヴィが最初に持っていたものだ。
しかし、その時とは違い、紙切れは虹色に輝いておらず、通常のものと変わらない白色であった。
「これはね、〈法則破りの切符〉と言ってね、物語と物語の間を自由に行き来することができるものなんだ。そして、僕も君と同じ例外……記憶持ちだ」
(え? レヴィも記憶持ち……?)
レヴィの告白にアリスは固まる。まさかレヴィも自分と同じ……
「ま、すべてを話せば長くなるから、この辺で。この話の続きはアリスの物語が終わってからね」
ピクッとアリスは反応する。
「私の……物語……?」
「ん? 気づいていなかったのかい? 君が僕と出会った時点で、物語は変わり始めている。君も少しはわかってるだろう? でないと、あんなきれいに頭から突っ込まないでしょ」
「うぐ……ッ!」
レヴィに指摘され、アリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。先程の羞恥を思い出しているのだ。
それと同時に、今の世界が以前と違う世界だと感じ始めていた。
「そ、そんなことはいいでしょ。だったら早く行きましょ。この物語が終わったら、話の続きをしてくれるのよね?」
「ま、そんな感じかな」
戸惑いながら、アリスはスタスタと歩き始める。アリスの後をレヴィも追いかける。
「で、今までと違う世界の感想は?」
レヴィはアリスの隣まで追いつき、アリスの顔を覗き込むように訊ねる。
「そうね、最悪だわ」
「僕にパンツを見られたこととか?」
「な――ッ!? あなた! 私の見たの――ッ!?」
「だって君が見せびらかしてたじゃん。痴女かなって思ったよ」
「痴女じゃない!」
アリスは声を大にして反論する。しかし、レヴィからしてみれば説得力は皆無だ。
あんな足をバタバタさせて。いかにも見てくださいと言わんばかりの……
しばらくして、アリスとレヴィの物語が始まったのであった。