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定休日

 初めてお店の外で見たマスターは、トレードマークのような作務衣ではなくって。年相応のジャケットを羽織った、ジーンズ姿だった。

「マスター」

「はい?」

「どうして……」

 何から尋ねようとしたのか自分でも分からないほど混乱していた私は、なんとも中途半端な問いかけをしてしまった。


「この前、お友達に『里香』と呼ばれてらしたので……」

 『馴れ馴れしかったでしょうか?』と、不安げに答えたマスターの言葉に、さっき彼に名前を呼ばれた時に覚えた違和感。私の名前をマスターが知っていた謎がとける。

「あー。そうか。連呼してましたね。あの子」

「千賀子さん、でしたか。お友達の方は」

「さすが客商売ですね」

 些細な会話から相手の情報を抽出するのは、対人商売の基礎だとかって、新人研修の頃に習った気がする。


 一つ疑問が減ったことで、少しばかり心に余裕が生まれて。尋ねたいことの整理がついた。  

「マスターは、こんなところで何を? 今日は、お店は?」

「木曜日は、定休日ですよ」

「あー。そうなんですね。平日には行かないから……」

 あの通り沿いのお店のほとんどが、今日は定休日らしい。


「で、里香さん。織音籠(オリオンケージ)って、ご存じですか? そこの店でこれからライブを演る(やる)バンドなんですけど」

「え? マスターもライブ?」

 意外なことを聞いて、まじまじと彼の顔を眺めてしまう。

「いや、そんなに驚かれても……」

「すみません。お店の雰囲気と、織音籠が一致しなくって」

「ああ、まあ。確かに」

 苦笑するマスターに、もう一度、謝っておく。


 それはさておき。

「マスターも、織音籠を聞かれるんですね」

 デビューから十年近くが経つ彼らはまだ、“誰もが知っている”とは言えない知名度で。

 身近な所で彼らのファンに出会ったのは、初めてのことだった。

「……里香さん“も”?」

「はいっ」

 嬉しさで上擦った返事に、マスターと顔を見合わせて笑う。 


 『仲間がいた』

 その発見は、きっと

 互いに引き合う力になる。



 同じ目的地を目指して、並んで歩く。

「マスターは」

 と、話しかけたところで

「あの……」

 彼に言葉を遮られた。

 ライブハウスの入口近く、入場待ちの人たちの群れに私たちも紛れたところだった。

「俺の店じゃない場所で、『マスター』は、ちょっと……」 

「ええっと……じゃあ?」

「今田 孝、と申します」

 名乗ったマスターの手が、ジャケットの内ポケットを探るような動きをして。

 ばつが悪そうな顔で、頭を搔く。


「会社勤めだと、ここで名刺、なんですげどね」

 ああ、確かに。

「改めまして。坂口 里香です。名刺は……どうしましょう?」

「大丈夫です。忘れませんよ」

 茶化すような私の言葉をうけて、彼は掌にメモを取るふりをして見せた。

 見えない“手帳”を、慣れた仕草で胸ポケットにしまう仕草までオマケにつける。


「そういえば、会社勤めをされてたって言ってましたね」

「十年ちょっと勤めてお金を貯めてって、いわゆる脱サラ組ですよ。里香さんが来られるようになった…二カ月ほど前ですかね。開業が」

 『今田さん』と呼ぶぺきか、『孝さん』と呼ぶべきかを悩んで。結局ごまかした感のある私と違って、彼はさらりと私の名前を呼ぶ。

「あー、だから……」 

「はい?」

「『こんな所に、喫茶店? 在ったっけ?』って、思ったんですよね。初めての時に」

 その前……は、いつだったっけ? あの通りを抜けたのは。


「看板も暖簾もないのに、よく見つけてくれましたね」

「笑い事じゃないでしょう?」

「いや、本当に」

 クスクスと笑いあいながら、移動を始めた人の流れに乗って、入口へと向かう。


「路地にいたクロネコが、教えてくれたんですよ。孝さんのお店」

 よし。マスターの名前を呼べた。 

 わざとらしくは……なかったと、思いたい。

「ああ、前脚にタビをはいた……」

「窓の所に座っている招き猫と一緒ですよね?」

 お気に入りの席のすぐ横。窓際のお座布団に座った招客ニャンコが化けて、私をあのお店に招いたのかもしれない。

 なんて、コーヒーを待つ間にいつも考えていたのは……ヒミツ。


 『クロネコに、お礼をしなきゃ』とか、言っている孝さんと、その後も他愛ない会話をしながら開演を待って。


 照明が落とされ、鼓動が走る。

「そろそろ、始まりますね」

「はい」

 低くささやかれた声に、頷く。


 ステージの上に

 彼ら(織音籠)

 姿を現す。



 織音籠のメンバーにも、学生時代があったわけで。それぞれがそれぞれに、交友関係なんてものがある。


 実は、私自身も大学時代の“先輩”だった。


 ステージの一番奥、ドラムセットに座る“YUKI”は、同じ大学の一年後輩で。更に言えば、私と千賀子が知り合ったサークルにも、べた惚れの彼女と一緒に所属していた。

 織音籠を始めた頃から、YUKIの方は、限りなく“幽霊会員”に近かったけど。


 後輩のバンドだから。

 最初は、そんな仲間意識的な感覚でライブを見に行っていた。 そして、何度か演奏を聞く内に、純粋に曲を好きになって。


 彼らが卒業と同時にデビューしてからは、CDを買ったりして、影ながら応援している。



〈最後まで、聞いてくれて Thank you. And …… See you again〉

 ボーカルのJINが、ステージを締めくくる。

 客席に灯りがともる。


 はー。楽しかったぁ。

 エネルギーをチャージしてもらった感じで、頭とか背中とかぽかぽかとして気持ちいい。

 お腹の中ではまだ、リズムが渦を巻いて、音の滴が跳ねている。


「まっすぐ、帰りますか? 里香さん」 

 隣から聞こえた渋い声に、少しだけ考える。

 小腹が空いてはいるけど……明日も仕事だし。

「そうですね……マ」

 マスター、じゃないって。

「孝さんも、明日の支度があるでしょうし」

「俺の方は、昼間にある程度は済ませてあるので、大丈夫ですけど?」

 そうか。今日は、定休日。 



 とりあえず、帰る駅は同じと、電車に揺られて。

 最寄り駅の改札で、あとは右と左に別れるだけ、の状態で

「よかったら、一杯。コーヒーを飲んでいかれませんか?」

 と誘われた。

 『今日は、朝からコーヒーを飲んでないな』と思うと、無性に彼の“ブレンドコーヒー”が飲みたくて、堪らない。

 さらに言えば、名残惜しい、ような……。 

 二つ返事で、家の方向へと背を向ける。



 日が暮れてから歩く通りは、いつもと違って猫の子一匹いなくって。互いの足音がよく聞こえた。

 孝さんは、高い身長に見合った大きな歩幅で、ザックザックと歩く。そぞろ歩き程度のスピードでは置いて行かれるようなことはないけれど、コンパスの違いは如何ともし難くて。

 互いの足音は重なっては、ズレて。そしてまた、重なっていく。



 真っ暗な店内に通されて、壁の灯りが灯される。昼とは違う影が生まれて、ほのかな艶が醸し出される。

 陰影礼賛、だ。

「このお店、夜には、こんな風なんだ……」

「元が、小料理屋ですから」 

 前の店から居抜きで……とか言いながら、“マスター”はカウンターの内側へと回り込む。

 私は勧められるまま、いつもの席に腰を下ろして。窓際で左手を挙げている黒ニャンコに小さく挨拶をする。



「お相伴、させていただいても?」

 この状態で、嫌と言うわけはないのだけど。

 律儀に尋ねるのが、彼らしい。

 

 頷く私に、ニコリと笑って。

 二つの湯飲みと、コースター。それから小皿に盛られたクッキーがテーブルにセットされる。


「じゃあ、お邪魔します」  

 お盆をカウンターに戻した彼が、正面に座る。

 さし向かいの距離に気恥ずかしさを感じながら、コーヒーに口をつけて。ほっとため息がもれる。

「クッキーは、試作品ですけど。よかったら」

 テーブルの真ん中に置かれた小皿が、そっと押されて近づく。

「これも、マスターが?」

「今夜は、“マスター”はやめましょうよ」

 今は、営業時間じゃないですし。

 そう言って彼は、アイスボックスクッキーを一つ、口に放り込んだ。


 つられるように摘まんだクッキーは、ほのかな温もりを指先に伝える。

 一口かじると、焼きたての柔らかさと、バターのいい香りが口に広がる。

 刺繍もお菓子作りも、学生時代からの趣味だったらしいけど。それを仕事にまでしてしまうエネルギーが、正直に言って、うらやましい。


「孝さんは、どうしてこのお店を?」

 そのエネルギー源を知りたくなって尋ねた私に、孝さんは湯飲みを手にとって。

「強いて言えば……織音籠の影響、ですかね」

「織音籠が?」

「はい」

 彼は頷くと一口、コーヒーを飲んだ。

 そして少し考えてから

「里香さん、一月のライブは行ったことありますか?」

 と尋ねてきた。両手で包むように持った湯飲みを、緩やかにゆらしながら。

「一月って、何か特別なんですか?」

「一月のライブでだけ演奏する、限定曲があるんです」


 ヒントは、五年前の一月。


 そう言って彼は、もう一つクッキーを摘まんだ。 


 五年前? 五年前?

「何かありましたっけ?」

「神戸の震災」

 その答えに、頭を殴られた気がした。


 あれだけの惨事が既に

 “過去のこと”になっていた。


「一月にはYUKIがレクイエムを歌うんです」

「あ……」

 あの子、そう言えば関西人だっけ。

 方言混じりの後輩の声が、脳裏を過ぎる。

「で、歌ったあとに『もしも明日が来なかったら、後悔することはない?』って、客席に話しかけるんです」

「後悔、ですか……」

「初演で聞いてからずっと、『後悔することはないか?』と自問自答を重ねて」 

 見つけた道が、これです。


 そう言った孝さんの笑顔は

 ほの暗い店内で、

 輝いて見えた。



 さすがに遅い時間なので、お代わりはせずに席を立つ。

「俺が誘ったので、今夜は奢りで……」

 お財布を出した私に、手を振って、会計を拒む孝さん。

「じゃあ、遠慮なく。ご馳走になります」

「代わりに、今度の休みは来て下さいね」

 先週も、待っていたのに……と、恨み言を言いながら、彼は引き戸を開ける。


 連休後の先週末も……来なかった。

 いや、私の心理的には、“来られなかった”。


 課長のせいで

 彼のことが好きだと

 気付いてしまったから。



 駅まで送ってくれるという孝さんの言葉に甘えて、再び夜道を並んで歩く。

 夜の静寂を楽しむように黙って歩く彼をチラリチラリと眺めて、この数時間で交わした会話を反芻する。

 頭の中で再生するシーンとシーンの合間に、耳の底に浮かび上がる彼の言葉。

 

『もしも明日が来なかったら。後悔することは?』

 

 あるよね? 

 後悔

 するよね? 

 今ままだったら。



 表通りとつながる角まで来た時。決意が固まった。

 あとは、どういえば伝わるか、だけど。

「あの、孝さん」 

「はい」

「また、こうやって……」

 表通りの灯りの下で、首をかしげるように見下ろしてくる孝さんに、目で続きを促されたように感じて。

 喉に絡んで掠れた声を、軽い咳払いで整える

「マスターじゃない時間を、頂けますか?」


 アーモンド形の目が、戸惑ったように逸らされた。

「それは……つまり……その」

 あー。困らせてしまった。

 仕事のプレゼンだったら、もっと戦略を練るのに。衝動では、やっぱり上手くいかない。


 ここは、一度引くところ。

 体制を整えてから、改めて仕切りなおさないと。


「あ、いいです。忘れてください」

 彼女だっているだろうし……と、モゴモゴ呟いた私の言葉は、拾われることなく、夜道に零れ落ちた。


「それは、つまり。常連客じゃない、里香さんの時間を頂けるんですね?」

「はい?」

「俺と、こうやって。会っていただけるんですよね? 店の外でも」

「……都合よく、受け取りますよ?」

「俺は既に、都合よく受け取ってます」


 身をかがめた彼が、耳元で囁く。

「里香さん、俺とつきあってくれますよね?」

 この状態で、嫌と言うわけがない。

「はい」

 頷いた私に彼は、嬉しそうに目を細めた。



 明日、出社したらまず、すること。

 保留にしていたお見合いを、きちんと断ること。

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