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銘柄の指定は、お受けできません

 年度の替わり目は、イレギュラーな割り込み業務のあおりを受けて、通常業務にしわ寄せがくる。

 削っているのは、仕事の山か、精神力か。

 判らなくなるような毎日が続く。


 今年は特に、“二千年問題”の余波が尾をひいているとかで、戦争のような毎日だというのに。

 ハンコを貰いに来た一歳年下の経理の子は、課長とセクハラ紛いの下ネタ会話を交わしているし。

 隣の席で仕事をしている後輩がそれを見て、『場末のホステスかよ』と小声で毒づくし。

 どうでもいいような出来事も重なると、頭痛がしてくる。

 


 それでも、積み上がっていた仕事の山が低くなって、先が見えるようになる頃。ご褒美のようにゴールデンウィークが来るのが、毎年のパターンで。

 あと一息で、今年も無事に連休が迎えられると、息をつく。

 このぶんだと……明日の千賀子との約束も、予定通りに行くことができるだろう。



「ちょっと。これ、あり?」

 出てきたお皿を前に、笑いが止まらない。

「里香でも、やっぱり?」

「いや……」

 インパクトの強さに、笑いしか出ないじゃない。


 年明けに千賀子と来た、無国籍風居酒屋。

 今日は、なにがなんでもデザートを食べるんだ! と、意気込んで、やってきたのだけど。

 確かにメニューには、“カボチャとココナツミルクのデザート”と書いてあった。

 書いてあったけど。

「もっとこう……カボチャプリンにココナツミルクが掛かっているようなものかと……」

 想像したのよ、私は。


 『煮物かい』と突っ込みたくなるような、大振りに切られたカボチャが、ココナツミルクで煮られている。

 好奇心半分、で口に運んで。

「うーん。ココナツだ」

「でしょう?」

 にんまりと笑った千賀子が言うには、タイだかベトナムだか。あのあたりのメニューらしい。

「ま、これはこれで……おいしいじゃない」



「職場の歓迎会、とかで、ネタになりそうなメニューよね。接待には使えなさそうだけど」

 次の一口を掬いながら言った千賀子に、私も頷く。

「あー、それは相手を選ぶだろうね」

 面白がってくれるような取引相手じゃないと、あまりに冒険しすぎだ。

「そういえばさ。去年、里香に教えてもらった、市役所裏のお店」

「ああ、炭火焼きの……」

「あれ、“アタリ”だったわ」

「でしょ?」

 あれは、自分でもいい店を見つけたと思うのよね。


「里香の見つけてくるお店って、意外と外れが少ないのよね」

 一人で頷きながら、千賀子が最後の一口を口に入れる。

「そりゃぁ、これでも営業職ですしー。接待もやってるもん」

「悪食のあんたが、接待できていること自体が謎よ」

「いや、だから。他人が食べて美味しいものは、私だって美味しいって」

「他人が不味いものも、美味しいから問題なんだってば」

 ごちそうさま、と手を合わす千賀子に合わせて、私も最後に残ったココナツミルクを浚えた。



 不味い料理、というのは、確かに存在する。

 実際、『これは、ダメだ』と、私でも涙目になってしまうような、不味いモノができてしまった経験は……両手の指の数を超える。

 でも。一生に食べる食事の回数は限られているのだから。同じ料理を食べたときに『おいしくない、ハズレ』と思うよりは、『食べたことのない、変わった味』と思った方が、お得なんじゃないかな?

 外食だったら、さらに同じお金を払うわけだし。


 さすがに、誰かと食べに行ったり接待で使ったりする店に、そんなストライクゾーンぎりぎりは選ばないけど。  



 そんな私がこの夜の帰り道、千賀子に勧めたのが、うちの近所にある喫茶店だった。暖簾にひらがなで “きっさ” と刺繍のしてある、あの。


「この時間からじゃ……遅いよね?」 

 乗り気になった千賀子が腕時計を眺めて、眉をひそめる。

「うーん。そうね。営業時間が、あまり遅くないお店だし」

「じゃあ、連休中にでも行っちゃう?」

 今年と来年は、カレンダーの並びがベストパターンで。私も千賀子も九連休だった。



 そうして決めた約束の日は、カレンダー的には平日という、連休の谷間の火曜日だった。

 ターミナル駅の近くで軽くランチをして、デパートで“夏の新色”口紅のチェックをして。

 そろそろ……と、私の住む町への電車に揺られる。


「いい?」

 引き戸に手をかけて、後ろの千賀子に尋ねる。

「何? そんな覚悟のいる店なわけ?」

 ちょっと驚いた顔をしたあと、クスクスと笑われた。

 覚悟、は……いらないな。


 手が覚えた力加減で戸を開くと、暖簾の向こうからマスターの声が迎えてくれる。

 その声に、

「こんにちは」 

 挨拶で応えるのが、いつの間にかここに来た時の約束事になっていた。

 そして、無言で奥から二番目のテーブルの方へと、手を延べるマスター……。


「今日はカウンターでも、よろしいでしょうか?」

 お? いつもと違う?

 タイミングをずらされた感のある私に、マスターが店内を目で示す。


 店内は、静かな喧騒に満ちていた。


 珍しくテーブル席が全て埋まっている。

 三十代から五十代と見える女性たちのおしゃべりは、笑い声を挟みながらの手話で行われていた。

 振り返って、背中あわせに座っている人をつついて、新たな会話を始める人。

 隣の人と、会話の合間に相手の肩をバンバン叩いて 笑っている人。


 会話の内容が私には判らないだけで。

 私達が今までに何度も味わってきた、気の置けない仲間との楽しい時間が、そこにはあった。



「里香?」

「あ、じゃあ……」

 五つ並んだスツールの、奥まった二つに座らせてもらうことにして。

 カウンター越しに“約束事”とメニューを渡された。


「里、香……」 

 お冷やのグラスが用意される間に、千賀子が声を殺して笑っている。

「この前のカボチャ並みの、インパクトでしょ?」

「約束って、約束って……」 

 その上、『手書きメニューのチープさが堪らない』とか言っている千賀子の前にコースターが置かれて。

 笑いを収めた千賀子は、真剣にメニューを見始めた。

 見なくても注文の決まっている私は、カウンターの隅に座っている白い招き猫を眺める。

 顎の下で組んだ手を交互に、小さく握ってみる。

 この子も左手を上げた、招客ニャンコだ。

 窓際の黒ニャンコと二人、頑張ってお仕事してるねぇ。



 カフェオレとブラックコーヒーをまず頼んで。マスターがヤカンに水を汲みはじめたところで、テーブル席の方からマスターを呼ぶ声がする。

 あ、話せる人もいるんだ。


「コーヒーが……三つと」

 いつもよりゆっくりとしたマスターの声が背後で注文を確認している。

 違和感に振り向くと、

「紅茶が……」

 と言いながら、胸の前あたりで握った右手が前後に揺らされているのが見えて。

「五つ、ですね?」

 指が五を示す。

 手話? なのかな?


 喫茶店のマスターって仕事も、いろいろ大変だなぁ。


 私達の分と、テーブル席からのお代わり分と。

 この店では見たことのない人数分の注文に、いつも通りの真剣な顔で、コーヒー用の首の長いヤカンからお湯を注いでいるマスター。

 いつもよりも作業空間に近い席に座っている私は、そんな彼の邪魔をしないように、ヒソヒソ声で

「で、どれを頼む?」

「お勧めが、スフレだった?」

「うん。あ、でも千賀子の好きなワッフルもあるけど?」

 千賀子と注文の相談をしながら、お冷やのグラスに口をつける。

 今日のコースターは、雪の結晶のようなモチーフ。



「あれ?」

 抹茶碗のようなカフェオレボールを両手で包んだ千賀子が、怪訝な顔で、私の湯飲みを覗き込む。

「何?」

「里香って、コーヒーをブラックで飲んだっけ?」  

「えーっと……」

 『ここのコーヒーは、特別』とかいうのは、なんとなく恥ずかしくて。

 返事に困りながら目をそらすと、ワッフルの支度をしているマスターと目が合ってしまった。


「お砂糖とミルク、お出ししましょうか?」

 手を止めたマスターに尋ねられて、慌てて首を振る。

「いえ、このままで」

 辞退の言葉に一つ頷いて、作業に戻ったマスターの姿に、ほっと息をつく。

 あー、なんか。変な汗をかいたじゃない。千賀子ったら、もう。 


 横目で軽く睨んだ友人は。

 眉を上げて、戯けた顔をして見せた。



「ワッフルも美味しいけど。アイスが最高!」

 スプーンを握って、千賀子が悶える。

「ありがとうございます」

 集団客の会計を終えたマスターが、うれしそうな顔で頭を下げる。


 今日は私も千賀子に合わせて、ワッフルを頼んだ。

 千賀子が褒めるアイスは、小学生の頃に家族旅行で行った牧場で食べたものとよく似た、濃い味がした。

 チーズといい、このお店は乳製品が美味しいのよね。

 果物は相変わらず、甘いし。


 うん。今日もやっぱり、このお店は。

 ストライクゾーンのど真ん中。



 アイスとワッフルを楽しんでいる間に、マスターは洗い物を始めた。

 カウンターに座る私達に気を遣っているような静かな水音。 

 距離も近いし、声は届くかな?

「マスター」

「はい」

 手を動かしながら、彼の視線がこっちを向く。 

「さっきのは、手話ですか?」

「さっき、ですか?」 

「テーブル席で注文を受けていたときの……」 

 こんな風に、と見えていた部分を真似てみる。


「必要最小限しか、できませんけど」

 そう言ってマスターは、軽く拭いた手で、 『コーヒー』『紅茶』『ジュース』の手話をして見せてくれた。


 洗い物を再開した彼の話によると、さっきの集団客は、ここから一駅南にある、コミュニティセンターで月に二回行われている手話サークルの人たちらしい。

 サークルの後で時間に余裕のある人たちが、お茶とおしゃべりを楽しみに来ている、とか。


「お菓子の名前までは、まだ無理ですね」

 ひらがなのような五十音を使って表すのが、やっとのことで。

 そう言ったマスターの言葉に、千賀子は

「コーヒーや紅茶の銘柄も難しそうだよね?」

 ワッフルを切り分けながら、私に同意をもとめる。

「あー、そうだね」

 『コーヒー』ならスプーンで混ぜる仕草、『紅茶』はティーバッグを揺らす仕草、と手話は連想を土台にした言葉らしいと、マスターがさっき、話してくれた。

 じゃあ例えば、アッサムは? って考えると、連想の欠片も浮かばない。

 手話で表せないから、銘柄指定を断っているのかな? 

 なんて、一瞬だけ失礼なことを考えて。あり得ない、と、内心で首を振る。


 だって、マスターは

 職人さん、だし。


「うちで使っている銘柄を表すとしたら、ブレンドですね」

 聞こえていたらしい。

 『ブ・レ・ン・ド』と一音ずつ区切りながら、濡れた右手が動く。

 ほほぅ。これが “手話のひらがな”か。



 お代わりまで堪能して。

 駅へと向かう千賀子を送っていく。


「やっぱり、良い店を見つけてくるわよぇ」 

 『今日は、ちょっとカロリーオーバーだ』と、言いながら、千賀子がぐーっと伸びをする。

「家から歩いて行ける距離も、いいのよね」

「ふーん。で、通いつめるわけだ」

「いや、通いつめては……」

 仕事帰りには来ないから、週に一回だけだし。

「そうかなぁ?」

「なによー」

 意味ありげに笑う千賀子に、体当たりをする。


「『マスター』なんて、呼んじゃってさ」

「は? マスターは、マスターじゃない」

 名前なんて知らないのに、どう呼べと? 

「千賀子ったら、訳の分からないことを……」

「じゃぁさ、里香。今まで気に入ったお店で、店員と世間話なんて、してた?」

「世間話の一つや二つ、するわよ」

「ふーん」

 当たり前じゃない。

 営業職をなめるんじゃない。



 『マスターと仲良くねー』なんて言葉を残して、改札を抜ける千賀子と別れて、夕食の買い物にスーパーへと向かう。

 

 なーにが、『仲良くね』よ。

 そんなんじゃないってば。

 マスターと、私は……。


 マスターと私、は?


 千賀子の言葉に、妙な意識をしたわけじゃないけど。

 その後、連休中は一度も駅の向こうへは行かずに過ごした。

  


 連休前の忙しさが嘘のように、通常業務の日々に戻るのも、毎年のことで。

 その日も、午前中の得意先周りを終えて、帰社したところだった。

 エレベーターを待っていると、同じように、外出から戻ってきたらしき営業課長が横に並ぶ。


「お疲れ様です」

「あぁ、お疲れ」

 後退しつつある額を、ハンカチで拭いている樋口課長は

「坂口さん、お見合いしない?」

 前振りもなしに、唐突な話題を投げかけてきた。


「実は、ちょっとそんな話があるんだけど」

 予想外の言葉に、返事の仕方に迷って。黙って彼の顔を見返すうちに、言葉を重ねられる。

「お見合い、ですか……」

「そう。大学時代の友人から頼まれててさ」

 『メーカーの研究員で、歳は三十五』だとか。


「女の子は、やっぱり恋愛しないと。な? そろそろ君も年女だろ?」

「あー、そうですかね」

 行き遅れの丙午。年女は、再来年ですけど。

「プライベートが充実してこそ、仕事も頑張れる、ってもんだよ」

「はぁ」

 曖昧な返事をしながら、エレベーターで上へと運ばれる。

 恋愛、なぁ。


 そう考えて

 頭に浮かんだのは


 カウンターの内側で、白い糸を手に、刺繍をしているマスターの姿、だった。   



 翌日の夕方。昼からの外回りを終えて、会社へと向かう道で私は、工事渋滞に巻き込まれていた。

 あとは会社に戻って、日報を書いて……と考えながら、営業車をノロノロと転がす。

 音量を絞ったカーラジオからは、地元のロックバンドの曲が流れていた。

 曲がおわると、私と同年代らしいパーソナリティーが、ついでのようにライブ情報を告知する。このバンドがパーソナリティーの彼にとって、学生時代の後輩にあたるというのは、リスナーには周知の事実で。

 それはともかく。



 来週の木曜日。西隣の市にあるライブハウス、か。

 久しぶりに、行くのもいいな。

 よし。じゃあ、今週は気合いを入れて。来週の分まで仕事を前倒しで片付るように、頑張ろう。 



 西隣の市は、私が卒業した大学の所在地でもあって。ライブハウスのある、通称“西のターミナル”駅は当時のホームグラウンド的な場所だった。

 今の勤務先の前は東隣の県に住んでいたので、しばらく訪ねることもなくなっていたけど。三年前の転勤で、こっちに戻って来てからは、何かと出かける機会もある。

 さっきのラジオで話題になっていたバンド、織音籠(オリオンケージ)のライブは、学生時代から何度も見に行っていた。 



 楽しみにしていたライブの当日。

 終業間近に電話が掛かってきたせいで、五時ダッシュはできなかったけど、残業らしい残業もなく、会社をでる。

 夕食は西のターミナル駅の辺りで軽く摂ることにして、快速電車に飛び乗る。

 さっと食べるとしたら……やっぱりファストフードが無難かな? あ、そう考えると、ポテトが無性に食べたくなってきた。

 ただなぁ。あそこのお店。

 コーヒーが、ストライクゾーンからギリギリ……ハズレ。


 家の近所の“あの喫茶店”は、コーヒーも紅茶もマスターがブレンドしている、っていうのは、千賀子を連れて行った時に聞いた話で。

 マスターのストライクゾーンが、私にとってもストライクだったから、あのお店のコーヒーはブラックで飲めるのだろう。



 “ハズレなコーヒー”は、無理をせず。今夜は、ジンジャーエールをお供に、照り焼きチキンのバーガーを食べる。

 お腹の準備を整えた私は、暗くなりかけた道をライブハウスへと向かう。


 今日は、どの曲を聴かせてくれるだろう?

 この前のラジオで流れていた曲があると、いいなぁ。

 それとも、少し前にコマーシャルで使われていた、あの曲とか。


 彼らの曲は、どれも好きだから。

 どの曲を演てくれても、うれしいのだけど。


 そんなことを考えながら、角を曲がる。彼らを見に来たらしき人たちが、同じ方向へと歩いている。 

 楽しみだよね? あと、数十メートルで……。



「里、香 さん?」 

 呼ばれるはずのない声に、呼ばれるはずのない名前を呼ばれて。

 反射的に立ち止まった私は、隣を歩いていたらしき人の方へと目をやる。


 そこに居たのは

 驚いたようにアーモンド型の目を見開いた


 マスター。

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