第81話 サルザンカの宝-『黒と黒と白』
「おい、商売の話をしないか」
アヌビスはライランの目の前に、ジャラリと音のする子袋を突き出す。
「商売ですか?」
ライランは、突然の申し出に目の前のものをちらりと見た後、アヌビスの顔を見た。
「私もようやく逃げ切った所です。今はそんな気分ではないのですが」
アヌビスとは違いライランは本物の商人である。そんな彼は、馬車や荷物を必死に守りながら街から出てきた。
その際に出た被害や市場の浮き沈みを考えて、今後の行動をリーダーとして考えなければならない。そのため、大きな取引はしたくない。ライランはそう訴える。
だが、アヌビスは自分の我を通そうとする。
「貴様は気分で商売をするのか? 貴様は売る物を持っている。そして、それを買う者がいる。商人が働くには十分な状態だと思うが」
そう言われてライランは悩む。
今ヴィルスタウンから出てきた商人の共通の問題。大小個人差はあるが、ほとんどの商人が損失を出していることだ。
商売品や資金や労働力。命は守れたが今後の生命維持に関わる問題を持っている。
そんな時、大量にあって困らないのが現金だ。
おそらくここにいる商人は、シルトタウンを目指すだろう。そして、そこで新たな資源や物資を調達することになる。
その時に必要なのが金だ。食糧や武器とは違って、決まった数字の価値を持つそれは、食糧のように期限もなく、武器とは違って運搬はポケット一つで済む便利なものだ。
命を第一に考えて逃げてきた商人たちが今最も欲しいものはそれなのだ。それをアヌビスはよく理解していた。もちろん、ライランもその一人である。
そんな彼は、命に負けたのか肩を落として降参を示す。
「分かりました。ですが、お分かりだと思いますが、ここでも相場はかなり高騰しています。設定ですが、食糧はリクセベルクの王都と同じぐらいですので、それを基準にして値を提示しますがよろしいですか?」
「ああ、それでいい」
「ちなみに、こちらのお売りできる食糧の限界は、ポカティの粉末2袋とガリの干し肉が半頭分です。まあ、子供もいるそうなので、そこまで必要ないかと思いますが、それだけでも銀貨35枚です」
商売をすると言ったライランは、いきなりアヌビスを値さだめするような目で見だした。
アヌビスが突き出した子袋は、握りこぶしより若干大きいぐらい。それだけの大きさだと硬貨10枚ぐらいだとライランは読んだ。
さらに、アヌビスを含めて7人もいる客の目的は、食料だとライランは分かっていた。なので、ライランはここからシルトタウンまでに必要な食料を限界と提示した。
事前にそう宣言してしまえば、相手はその値で買うしかない。取れるだけ取ってやると、ライランはアヌビスに勝負を挑んだ。
だが、アヌビスはライランの予想を凌駕する存在であった。
「……そうか。その程度か。それなら、思ったより安く済みそうだな」
そう笑いながらアヌビスは子袋をライランの胸元にぶつける。
それを受け取ったライランは、中を確認する。
その中は、銀貨が混ざっているが、金貨の姿も見える。
「き、金貨、4枚……ですか」
金貨4枚。それだけの額があれば、初めに提示した額でも、先ほどの食糧とライランの持っている女性を全て買い取るぐらい苦の無い額だ。
「正確には、金貨4枚と銀貨72枚だ」
「大金をお持ちだったんですね」
「ああ、これぐらいの枚数なら荷物にもならないからな」
余裕ぶっているように声を出すが、ライランの心は乱れていた。この取引で命を潰されてしまうかもしれないからだ。
実は、ライランの持っている食糧は、ポカティ4袋とガリの干し肉半頭分だけなのだ。
もし、アヌビスに食糧を買われてしまったら、ポカティ2袋で次の街まで行かなければならない。
4,5人ならそれでなんとか持ちこたえることができる。だが、ライランのギルドは、10人もいる大所帯だ。それに対応するためにあれだけの食糧を持っていたのだ。
ここで新たに食料を調達する手段もある。だが、現状では無理だ。なぜなら、アヌビスが商売を振ってくるぐらいだからだ。
取引を断る。それこそ無理な話だ。ライランはすでに物の数と値段を口にしている。それと同じ価値の物を渡されたら品物を相手に渡す。これが商売だ。あとはライランが品物をアヌビスに渡せば取引終了となる。
欲を出したばかりに自分を追い込んだライランは、酷い顔を隠せずにいた。
そのやり取りを遠くから見ていた他の商人が、笑っていたりライランをからかっていたりしている。
そんな状況で逃げ出すと、ライランは商人として生きていけないレッテルを張られてしまう。
この状況をいかにして上手く切り抜けるか。商人ライランとしての知恵と腕を試されている。
色々考えるライランだが、アヌビスが要求したものは、通常商人がやり取りに使うとも思えないものだった。
「それじゃ、馬車を一台買わせて貰おうか」
「馬車ですか?」
「ああ、馬車だ」
アヌビスが欲したものは馬車一台だ。その今までに経験のしたことのない要求にライランは呆気に取られた。
「食糧ではなくてですか? それに、あの立派な竜車は?」
「食糧は必要ない。近いうちに送られてくる仕組みだ。それに、近いとはいえシルトタウンまで歩くとなると、時間が掛かりすぎるからな。何も持たずに逃げてきた俺たちには、移動手段のほうが必要だ」
アヌビスたちは、魔物や聖クロノ国の兵士達と戦うため、その体一つで行動していた。
そのため、竜車を捨ててきている。なので、シルトタウンまで行く手段が徒歩となる。
軍人として生きているアヌビスたちなら問題ない距離だが、子供のミルが歩くとなるとかなりの距離がある。
さらに、ヴィルスタウンからシルトタウンの間は、広い草原地帯となっている。そこは、山から吹く強風が吹き荒れ、獣たちの狩猟場となっている。そこを通る者は、いつも以上に馬を急がせる場所だ。
身を隠すためと安全な旅をするなら、馬車や竜車が必要となってくるのだ。
アヌビスの意図を知ったライランは少し考えて、アヌビスから受け取った子袋を彼に突き出す。
「何のつもりだ」
アヌビスが鋭い目付きでライランを睨みつける。そのライランの行動。それは、交渉決裂をこえて、販売拒否を意味している。その行動を周りの商人が見てどよめきが起こっている。
だが、ライランはほのかに笑っている。
「売り買いはやめましょう。ここは、協力。にしませんか?」
ライランの申し出にアヌビスは眉を動かす。
「協力だと」
「ええ、つまり、貴方はシルトタウンに行きたい。都合よく私もシルトタウンへ行きます。ですので、馬車一台を貸します。それでどうでしょうか。流石に馬車は高額ですし、シルトタウンで代わりのものが手に入る保障もありません」
実際、他の商人も同じようなことをしている。
馬車は無事だったが、馬が怪我をしてシルトタウンまで行けない。そんな商人も少なくは無い。そんな商人は、他の商人の馬車に相乗りさせてもらう。それなりの代償を払ってだが。
ライランの申し出にアヌビスも気持ちが揺らぐ。
もちろん。馬車を買うと我を通せば買うことができる。だが、金貨4枚はアヌビスにとっても多額だ。
さらに、シルトタウンに到着したら、アレクト捜索とエルフィン調査の二つをこなさなければならない。そのためにはやはり現金が必要だ。この際、目的さえ果たせれば、過程は妥協してもよいかもしれないとアヌビスは考え直す。
「で?」
「はい?」
アヌビスはライランに短く問うが、流石の彼でもわからないようだ。
「協力というには、お前も何が欲するんだろ」
「さすがアヌビスさん。よくお分かりですね。私が欲しいもの。それは、身の安全です」
「身の安全……護衛か」
「そうです。ここからシルトタウンまで私に同伴していただき、近づいてくる危険を排除していただきたいのです」
ここにいる商人の中でライランはかなり恵まれている部類になる。
食糧や資金や物資状況は、他の命が危ない商人にとっては輝いて見えるだろう。
だが、それだけ目立つ。いくら10人の大所帯のギルドでも、所詮は普通の人間の集まりだ。魔法や戦闘学を学んだ軍の人間ではない。人数がいても、その倍さらにその倍の人間の襲わられたら全て持っていかれてしまうだろう。
さらに、人間以外にも獣がいる。
獣は、群れで人を襲う。その時、襲う対象は群れで動くものを狙うのが獣の習性だ。
一人で旅をする人間は、それなりに自信と力があると本能で分かっているからだ。
さらに、群れるということは、一人では守りきれない。自分は弱いと言っているようなものだ。そんな群れから分離させた一人の人間を狩る方が、獣にしては楽なのだ。
つまり、今のライランのギルドは、獣に狙われやすい。今でも被害を受けているのに、これ以上被害を出すと、儲けどころか損失が生まれてしまう。それではこの街に来た意味がないとライランは思っている。
何かを失う訳ではないライランは、安全を手に入れるためにこの提案をしたのだ。
そして、ライランはその目で確かめたかったのだ。目の前にいるただの少年が、本物のアヌビスではないのかということを。そして、彼の実力とその正体をライランは知りたいのだ。
偽者ならば、頼りになるよい商人仲に。本物ならば、よい餌になると心の中でにやりと笑っている。
アヌビスは、ほんの一瞬躊躇ったが、ライランにその右手を差し出した。
「分かった。シルトタウンまでお前たちの身の安全を約束する」
ライランという男の正体。彼はあの女性と何をやり取りしていたのか。そして、ライランは何をしているのか。それを探るには彼のすぐ側にいるのが早い。
下手に盗み見る必要が無くなり、直接側にいる口実が生まれた。さらに、商売の話だといいながら、彼からその話を聞きだすことも簡単になる。
それが、アヌビスが承諾した理由。アヌビスは力で馬車を奪うことなく穏便に済んで、まだ商人に扮することができたとテミスに感謝していた。
アヌビスの差し出した腹黒い手をライランの腹黒い手が掴んだ。
「はい。こちらこそ。貴方達をシルトタウンまで送らせていただきます。さ、貴方達に使っていただく馬車まで案内しますよ」
ライランに導かれたアヌビスたちは彼に続く。だが、ミルだけは足を止めて、ヴィルスタウンを眺めていた。
「どうしたんだ。ミル。行くぞ」
少し離れたところにいるリョウが振り向いてミルを呼ぶ。
「この騒動も、この戦いも、この世界も。悪い人がいるから、不幸があるのかな」
ミルはボソッと呟いて、リョウの後ろを追いかけた。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。