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第76話 サルザンカの宝-『命を選ぶ』

「何だこの光景は」

 リョウは、目の前の光景から目を背けたかった。

 そこには、人間に襲い掛かる狼の集団がいた。

 警備隊の人間は、各々手に持った銃を迫り来る狼に向って撃ち続ける。それで普通の狼は退ける。だが、二本足で歩き出した半獣の狼は顔をしかめるだけだ。

 さすがに致命傷になればどんな獣でも動かなくなる。だが、かすり傷程度の攻撃ならしっかりと二本足を前へ進めてくる。

 全長2mも無かった狼は、多量の獣属性の粒子を注がれて、その体を急成長させられた。

 二本足で立つようになった狼は、身長3m。直前まで地面を蹴っていた前足は、人間のように五本指に分かれて、その指先からは狼にしては長く黒い爪が鋭く伸びている。獣人にかなり近い形になりつつあった。

 それだけ姿を変えながらも、口だけは狼の口で、牙が恐ろしく口から抜き出ている。

 立派な銃を持っている大人でも、そんな化け物と化した狼が迫ってきたら、銃口の狙いも定まらず腰を抜かしてしまうだろう。

 そして、動かない獲物を前にした狼は、その巨大な手で人間の首を掴み持ち上げる。必死にもがく人間だが、蟹のハサミのように握られた首は、もがくほどに青く染まり細くなってゆく。

 初め人間は顔を真っ赤にして、罵声や怒鳴り声を上げる。だが、青くなるにつれて声は小さくなってゆき、獣相手に命乞いを始める。

 一思いに殺してくれと叫ぶ人間もいる。だが、それをせずに長く生かす狼の表情は、アヌビスによく似ている。

 そんな人間の苦しみは、獣が飽きるのと同時に終る。

 たった一ひねりだ。そして、獣は思い出したかのように己の空腹を満たし始める。その形はさまざまだ。上から行くもの。真中から行くもの。節々をしゃぶるもの。さまざまだが人間にとっては、死という一つのくくりしかない。

 狼の群れが人間を襲った第一波。狼が食しているうちに対処しようと警備隊は動く。だが、隊長を失った組織は、獣の群れよりも統率が取れていなかった。

 逃げ出そうとするもの。銃を狼に向けるもの。負傷者を助けようとするもの。各自が独自の判断で動こうとするため、どれも上手くいかない。

 さらに、自ら指揮をしようと名乗りを上げるものが次々と出てくる。結果、誰の指示に従えばいいのか分からず、部隊は右往左往するだけで何も変わらなかった。

 そんな光景を見たリョウは、自分の行動が成功したとは思えず、アヌビスにどういうことか、聞こうと振り返る。

 振り向いた先には、防御壁を取り払ったアヌビスが、剣の代わりに刀のように削った木の棒を持って立っていた。

 さらにアヌビスは、リョウを見下すように真っ赤な瞳を彼に向けている。そんな不機嫌オーラ全開のアヌビスの後ろには、脅えるようにミルが隠れている。

 アヌビスが怖いのではない。目の前にいる獣が怖いのだ。その証拠に、獣が振り返るのと同時にアヌビスのマントで顔を隠していた。

 だがリョウは、そんなことなど気にせず彼の元に駆け寄る

「おい、どう言う事だ」

 リョウは、アヌビスの胸倉をつかもうと手を伸ばす。だが、アヌビスは木刀の先端をリョウの喉元へと突き出し接近を防いだ。

「どう言う事だと? 簡単な話だ。洗脳を担当していた紫の球二つを壊した。残ったのは、暴走凶暴化を担当していた銀の笛だ。貴様は、それを壊していない。当然の結果だろ」

 はっ、となって振り返る。銀の笛。フルートをリョウは必死に探す。だが、狼があちこちで食す光景だけでそれらしきものは目に入らなかった。

 くそっ、と地面を蹴るリョウに追い討ちをかけるようにアヌビスは声を掛ける。

「まあ、魔法具の無効化を狙うのは、あの時の貴様には無理なことだ。壊すんじゃなく、回収して一斉消去の方が正しい。目の前に小さい得物がちらついただけで、飛び込む馬鹿な獣だな」

 それを言われてなるほどと納得する前に、リョウは怒りがわいた。今度は咄嗟だったのでアヌビスは胸倉をつかまれた。それは、竜の手ではなくただの人間手だった。

「てめぇ、知っていたならなぜ教えなかった」

「貴様は方法を聞いた。その過程は聞いてないだろ」

 冷めたアヌビスの声にリョウはさらに火をつけられる。

「そんなの、屁理屈だ」

「何とでも言え。どれだけ叫ぼうと貴様の結果は変わらない。貴様の失敗を俺に背負わせるのは、貴様が逃げているだけだろ。それに、俺は悪い結果だとは思わないがな」

 睨むリョウから難無く目線を外すアヌビス。その視線を追いかけるようにリョウもそちらを見る。

 そこには、変化した狼に食われる人間と、人間に撃ち殺される普通の狼と、武器を失い怪我をした人間を喰らう普通の狼がいた。

「これが、自然な姿だ。力のない人間は狼に食われる。それを逃れようと人間は武器を手にした。だが、身に余る力を欲したおろかな人間は、自分では抑えられない獣を生み出した。結局は、人間の傲慢さで生まれた化け物に自分が食われているだけだ」

 自然な上下関係。人間は狼の下である。それに抵抗した人間は、銃を手に入れるための知識を手にした。

 だが、人間という心が武器を上回る力を生み出した。そう、狼は何もしてない。人間が自分で自分を追い込んだだけだ。

「ま、どんな結果であれ、これだけは言えるな」

 そんな光景を複雑な気持ちで見ていたリョウにアヌビスは告げる。それにリョウは振り向く。

 てっきり励ましの言葉だとリョウは思っていた。だが、アヌビスが用意したのは、リョウという人間を傷つける言葉だけだった。


「これに導いたのは貴様だ。貴様が何もしなければ、警備隊の人間は死ななくてすんだかもな。貴様は、人間を殺したんだ。あれだけ人間の命を主張していた貴様が、獣の命のために、同じ人間を殺した。それだけは確かな話だ」


「ちがっ……」

 否定の声を出そうとしたリョウの頭に激痛が住み着く。走るのではない。ずっとその痛みが残り彼を苦しめる。その痛みのせいで平衡感覚を失ったリョウは、その場にしゃがむ。



「どうしてだよ。俺は正しいことをしただけなのに」

『そうだ。君は自分の信じる正義を貫いた。それで正しい』

「そうなのか」

 戦っているとき、何度も励ましてくれた男の声にリョウは安堵する。

『そうですかねぇ。いくら正しいと思っても、殺しが正義とは、思いたくありませんよ』

 今度は別の声。若い男性の声だ。

「俺だってそれぐらい分かっている」

『ややや、こやつ。殺しが悪いと自覚しておるよ。それなのに、自分を正しいとするとは。おもろおもろ』

 甲高い男の声が笑う。

『おやめよ。坊やだって悪意あってのおこないではないのだろ?』

 優しい大人の女性の声が、リョウをかばう。

「そりゃあ、そうさ。あんなことになると分かっていたら、もっと考えていたさ」

『あの……誰にだって、失敗はあると思うのでうす。彼の失敗は今後、彼の糧になると私は思うです』

 リョウと同じぐらいの歳だろうか。幼さの残る女性の声が意見を言う。

『糧か。ふふ、いい勉強だと言いたいのかい? それにしては、人間を食いすぎやしないかい?』

 年を取った低い女性の声が、先ほどの意見を叩き切る。

『君は、どう思うんだ。君は、何をしたくて、こうなったんだ?』

 別の男性の声がリョウに聞く。

「俺は、狼達を人間から解放してやりたくて、誰一人傷つくことなく終らせたかった」

『あははは、理想論理想論。こやつ、相当馬鹿やねぇ』

 なまりの強い男性の声に笑われて、リョウはイラッと目を動かす。

「なんだよ。俺間違ってるのかよ」

『命みんな大切。だから、命奪わない。君の考え、みんな死ぬ考え』

 途切れ途切れの女の子の声。その意味がリョウには理解できない。

『命は、何かの命を使って繋がっていくと言うことじゃ。主の考えは、何も食さず生きてゆくと言っていることじゃ。肉も野菜も食さず、主はどうやって生きる?』

 聖竜王の声がリョウに問う。

「そんな、極端な話。生きるために必要なら……」

『奪っていいのらか? それはおかしな話なのら。なんなのら、ちみは、野菜や肉の命はよくて、獣や人間の命はだめなのらか?』

 覇兎羽のふざけた声がリョウに重くのしかかる。

「駄目って言うか。限度の線引きが……」

『人間に操られた狼がかわいそうだから解放したい。だけど、野生に戻った狼が人間を喰らうのは許せない。そう言いたいのか?』

「そう、それだよ。それ」

 大人びた男性の声にリョウは二つ返事で頷く。

『にゃはははははははははははは』

 一斉に笑い声が起きる。中でも覇兎羽の声が一番響いて、リョウにはそれしか聞こえないほどであった。

『人間の考えですね』

『全部自分が基準なのら』

『獣のこと。考えてない』

『まあ、そりゃ、賛同できねぇな』

『さすがに、図々しいですねえ』

『あの、それはちょっと……』

『やはり、人間ですね』

『駄目だなこりゃ』

『おもろおもろ』

『何もかわらぬの人間は』

『やはり、そうでしたか』

「何だよ。何が言いたいんだよ」

 一同リョウを非難しだす。状況が読めないリョウのため、一人冷静に聖竜王の声が届く。

『主。獣の気持ちで考えたか?』

「はぁ?」

『主が食事をするように、獣は人を喰らい生きるものじゃ。それに抗う人間には何もいやせん。生きる権利を与えたからのぉ。じゃが、獣の権利を奪うほど、人間に力を与えたつもありは、わっちらにはありんせん』

「獣の権利?」

『獣が生きる権利じゃ。主、獣に人間を食うなと言うのは、死ねと言っているのと同じことじゃ』

「俺は、そんなつもり……」

『でも、獣の味方だから、それは違うのら』

『ほう、どうことかの?』

 覇兎羽の否定に聖竜王は面白そうな声を出す。

『ほら、狼達、人間食ってるのら。これで、生きていけるのらよ』

 そう、リョウは狼を助ける選択をしていた。

『主、これでよかったのか? 獣を生かして人間を殺すで?』

「違う」

『なら、狼を殺して人間を救うのらか?』

「違う」

『それなら、主も狼と共に人間を殺すのか?』

「違う違う違う……」

 俺がしたかったことは、誰もがいい結果で終りたかった。

 でも、狼の空腹は人間で満たされる。それなら、狼を殺さなければならないのか?

 狼達はあのまま人間に操られたままの方がよかったのか? だったら、俺たちが殺されていたじゃないか。

 人間を殺せばよかったのか? 駄目だ。殺しちゃ駄目だ。

『悩むのら。悩むのら。でも、ちみは忘れちゃいけないのら』

 必死に答えを探そうとするリョウの耳にその言葉は再び入ってくる。

『ちみは、人間を殺した。それが、ちみの選んだ正義なのら。でも、ちみがそれが正義だと叫んでも、あちきらは一人たりとも、ちみのそれを正義とは認めないのら。一人の人間風情が決めた基準など、こんな結果しか生まないからなのら』



「おい、見ろ」

 塞ぎこんでいたリョウの頭を無理矢理持ち上げるアヌビス。そして、リョウは自分の正義を見せ付けられる。

「それで、貴様はこれからこれをどうするんだ」

 狼達は獲物の味に飽きたのか次の獲物を探し出した。そして、第二波の狩が始まろうとしていた。

 それなのに、人間の警備隊は迎え撃つ準備も、逃げることもままならない状況だ。

 このままでは、人間の全滅で終ると誰にでも分かることだ。

「今なら死者数は五分五分だな。どうするんだリョウ。人間か狼か。貴様はどちらを生かしてどちらを殺すんだ」

 人間を助けたい。だけど、それは人間の都合じゃないのか。人間の都合だけで狼を殺していいのか。

 だからと言って、人間が死んでいいなんて思えない。遠くに逃げる。でも、あの数の警備隊を移動力のある狼達から逃げさせるのは無理だ。

 関係では上にいる狼を生き残らせる。それじゃ、人間の命は小さいみたいじゃないか。人間だって、狼以上に大切な命を持っているんだ。

 

 狼以上の命?


 自然とその言葉がリョウの心の中から生まれた。

 命には色も大きさも無い。リョウはそう信じていた。だが、実際に目にすると徐々に染まりつつある。差をつけてしまう人間の欲の色に。

 よく考えれば分かるような簡単なことだ。

 脅える人間とそれを喰らおうとする狼。自分はどちらでも助けることができる。それなら、人間を助ける。同族なら当然だ。

「はは、あはははは」

 リョウは、吹っ切れて大きく笑い出す。

「そうか、そうだよな。何を悩んでいたんだよ俺。狼なんかかばう必要ないじゃないか。所詮、獣だろ。人間とは違うんだよ」

『主、そこ台詞。後悔はないな?』

 聖竜王の確認にリョウは満面の笑みをだす。

「ああ、ねぇよ。同じ獣だからって、邪魔すんじゃねぇぞ」

『そのようなことはせぬよ。むしろ、主に加勢してやろうかの』

 すると、首からかけていたアミュレが輝き自然と長剣へと姿を変える。その長剣を握ると、その剣はオレンジ色に輝きその輝きをとどめる。さらに、刃幅が広くなり、両手で持たなければならないほど大きくなる。まるで、マグマで作られた大剣のようなものだ。

『ようやく俺の出番か。よし、君の決めた決意。俺が手伝ってやる』

 頼もしい男性の声。

 その声に全身が震わされる。その震えにあわせて体が竜化してゆく。それも、今までに無い大きな変化だ。

 両手両腕は黒の軍服が貼り付き、そのまま服が黒の鱗に変わる。そして、両手を黒の鱗が侵食して、指先が竜の爪となる。

 さらに、背骨が音を立てて伸び始める。その伸びる先は後方。そう、背中の皮膚を突き抜けて生えてきたのは、黒い鱗に覆われた太く長い尻尾だ。それで地面を叩けば空高く飛べそうなぐらい力強い。

 頬まで黒の鱗に侵食される。そして、髪が真っ白に染まり、竜の長い髭のように伸びる。

「すごい。これが、竜神の力」

 自分の変わりようを見てリョウは脅えるよりも酔いしていた。今の自分なら何でもできそうな錯覚に陥るほどの力が目の前にあるからだ。

『うぬ、わっちから今の主にやれるのは、これまでじゃの』

 聖竜王の言葉にリョウは疑問が生まれる。

 今はこれまで? 竜神の力には、これ以上があるのか? それに、聖竜王からはこれまでということは……。

『次は俺だな。受け取れ、俺の真っ直ぐな決意』

 頼もしい男性の声。すると、リョウの体を覆っている黒の鱗の隙間から橙色の粒子がにじみ出てくる。

 そして、それがリョウの背中へと集まる。そして、両肩付近から長く伸びるものが二つ作り出された。

「羽? いや、腕か」

 リョウは確認する。自分の背中に長く伸びるオレンジ色の2本の腕と、その先に自分の意思で動かせる指四本の手を。まるで、それは天に昇っている太陽すら簡単につかめそうな力強さを持っていた。

『君の思い、真っ直ぐぶつけろ』

「うずく。悪を滅しろと体がうずく」

 悪。悪はなんだろうか。ただ、彼にはそれは狼だったのだろう。己の空腹を満たすためだけに人間を喰らうその姿を見て、悪だと決めた。

 そう、生きようとする狼を見て、それを悪だと彼は呼んだのだ。

 聖竜王も、アヌビスも、リョウの判断を否定も肯定もしない。ただ、一人だけ。ミルだけは、脅える姿を見せて、自分の意思をリョウに伝えようとしていた。


この物語はフィクションです。

登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。

実際に存在するものとはなんら関係がありません。

一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。

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