第3話 無知な者は時として勉強熱心である
太陽が頭上に来たころ馬車の中で簡単な昼食をしていた。予定では夜までに街に着くそうだ。
「そろそろか」
アヌビスが不意に立ち上がり馬車を降りる。するとすぐに馬車が停まった。ミルとルリカをつれたアレクトは馬車を降り俺もそれについて降りる。
俺達が降りたのは霧が立ちこめる山の入り口だ。霧が濃くて頂上が見えないが高い山だと分かる。それにしても晴れていたのに肌寒く日差しがまったくない。
「おい、リョウ早くこい」
アヌビスはポロクルとアレクトのところで俺を呼んでいた。その三人の側には大人数が入れるぐらい大きな金属製の箱と鱗の岩。
霧が少し晴れると岩の全貌が見えはじめる。長い尻尾、馬を一口でたいらげそうな大きな口、その口には俺の短剣がずらりと並んだような牙、天空を覆う巨大な翼、そこにいたのは翼竜、ドラゴンだ。
晴れていたのに日差しを感じなかったのは俺の上に羽が広げられていたからだった。
「り、竜」
俺の震える声を聞き取った竜は満月のような瞳で俺を見ている。
「ただの幼竜だろが、なにびびってるんだか。ルリカを見習ったらどうだ」
ルリカは竜の体をペタペタ触りながら奇声を上げながら走り回っていた。
「ねえねえ、本当にこれに乗れるの」
「ああ、さっさと行くぞ」
アヌビスは俺の嫌がる手を引きながら竜に近づこうとする。俺は、それを必死に拒んだ。
他の兵は何のためらいも無く金属の箱に入っていく。なのに、アヌビスの奴、俺達は竜の上に乗ると言い出しやがった。
「馬鹿じゃねえのか。竜だぞ、食われるぞ」
ルリカもミルも首から提げられた縄梯子をすいすいと登っていく。怖がるどころか楽しそうだ。最後まで残ったのは俺とアヌビスだ。
「おい、リョウいい加減にしろ。置いていくぞ」
「置いていくって、どこ行くんだよ」
アヌビスは山を指さす。目を凝らすと霧の中に赤い光が点々としていた。
「ギャザータウンは山を越えたずっと向こうにあるんだが……そうだな、お前は歩いて来い」
俺を残して縄梯子を登っていく。梯子の途中で止まってアヌビスは、俺に山攻略のアドバイスをくれた。
「そうだ。ガリに会ったら短剣を自分にぶっ刺せ。それで少しは怯むから」
「ガリってなんだよ。この山に何かいるのか」
答えることなくアヌビスは見えなくなって縄梯子も回収される。
「獲物の骨までも音を立てて食べることからその名のついた獣ですよ。短い間でしたがリョウ、貴方からは沢山学ばせてもらいましたよ」
「ばいばーい、リョウ君。ミルちゃんとルリカちゃんもバイバイって」
みんなに別れの挨拶をされる。兵隊さん達にも敬礼されてだんだん悲しくなってきた。もしかして俺、すごく不味い状況なのか。
「なら、出発するぞ」
翼竜が金属の箱を掴み羽ばたき始める。すると、風が強く近づくことすらできなくなった。
「ま、待ってくれ。置いていかないで」
「しょうがないなあ。リョウ君、もう少し世の中を知った方がいいよ」
アレクトさんが縄梯子を放り投げてくれた。俺はそれにつかまり竜の首元まで急いで登っていく。
「初めからそうしろ」
アヌビスは手綱を引き竜は空へと飛び発った。
竜の恐怖よりも急上昇のための鼓膜がはちきれそうな痛みの方が強かった。竜は山肌ギリギリを飛び冷たい風が俺の頬を切り裂くように流れていく。
先ほど見えた赤い光は次々と繋がっていて道を教えていた。
「さ、寒い」
「うるさい。我慢しろ」
アヌビスは震える俺にそれ以上寒くなる冷たい言葉をかけた。
「アヌビス、寒いよー。ねえミル」
「う、うん」
震えているのは俺だけではなかった。小さな二人の少女も身を寄せ合って寒さを耐えている。
「たく、子供は手間が掛かるな。おい、アレクト、自分だけ暖かいおもいしてないで全体に展開しろ」
アヌビスもポロクルもみんな寒いおもいをいているのに一人だけ、アレクトは春の陽だまりの中にいるように心地よさそうな顔をしていた。
「あ、ばれてましたか。これ、意外と魔力消費するんですよ」
「だから、なんだと言うんだ」
「うう、それを言われると……そ、そうだ。竜の頭に乗るのは、アヌビス一人でいいじゃないですか。つき合わされている私たちのことを考えて、アヌビスがやってくださいよ」
「俺は、手綱をさばくのに忙しいんだ。繊細な粒子調整をするほど暇ではない」
「にゃはは、何を言っているんですか。アヌビスほどの人なら、それぐらいのこと眠りながらでもできるでしょ」
「い、いいから早くしろ!」
アヌビスとアレクトの言い合いは、アヌビスの大きな一声をきっかけで、アレクトが折れる形で終った。一番寒がっていたのはアヌビスだったようだ。
「はいはい、分かりましたよ」
茶色い外跳ねの髪をいじりながら、アレクトは竜の頭の上に立つ。強風が吹き荒れていて、掴まるものなんて何もないところにアレクトは平然と立っていた。
「流れ行く風よ、柔らかなる炎よ。我が力に従え、風よ、炎を運び我らを包め」
アレクトの左右に広げた手から、赤い蛍のような光が沢山溢れ始める。その光は風に乗り俺達を包み竜全体をも包んだ。その光は暖かく先ほどまでの寒さがまったく感じなくなった。
「アレクト、すごい」
ミルがパチパチと手を叩いてアレクトを褒めていた。その横で今にもとろけそうなルリカは半分寝ていた。
「これが魔法」
「一々驚くな。常識がたりねえな」
アヌビスは空に指で四角を書いた。
「薄い鋼よ。我が力に従え、我が記憶をそこに示せ」
アレクトと似た呪文を唱えたアヌビスの手に銀色の板が現われた。
「すっげー」
「ほら、一般常識だ。これぐらい知っておけ」
アヌビスが差し出した板には、見たことがない文字がずらりと書かれていた。読めないのは分かっていたが、苦笑いでそれを受け取る。すると、全ての文字が日本語に書きなおされた。
「ア、アヌビス。文字変わった!」
「渡したのは資料じゃねえ。俺の知識の一部だ。知識に形はないからな。ポロクル教えてやれ」
「いきなりですね。どうしたんですか」
ずっと竜の隅でメモを見ながら不気味な笑い声を出していたポロクルは、急に呼ばれて広げていた資料を片付ける。そして、揺れる竜の背中を器用に歩きながらアヌビスの隣に立つ。
「竜も魔法も知らないでこの先やっていけるか」
「すみません、無知な馬鹿で」
「教師……ですか。私は、魔法調合の師なら勤められますが、それ以外となると……貴方が教えた方がよろしいのでは」
ポロクルはアヌビスの顔をうかがうように話しかける。だが、アヌビスはタバコの煙を上げながら前を見たままそっけなく答える。
「魔法調合ほどの学を教えろとは言っていない。一般教養で十分だ。どうやら、この部隊には一般教養すら危うい奴がいるようだからな」
「あ、あははは……」
アヌビスは最後の一言の時、アレクトを強く睨みつける。それを感じ取ったのか、アレクトは目線を流しながら苦笑いで誤魔化していた。アレクト、それだと自分は馬鹿ですって言っているようなものだぞ。
「そうですね。ミルとルリカにもよいことなので、リョウたちには少しでも学をつけてもらいましょうか」
ポロクルは了解すると、竜の背中と言う一風変わった教室の準備を始めた。異世界とはいえ、まずは勉強からはじめるのは、どの世界でも同じなんだな。
ギャザータウンに着くまで、温かな竜の背中の上で俺とミルとルリカそれにアレクトの四人は、ポロクルの講義を受けることになった。
「そうですね、まずはリクセベルグ国と聖クロノ国についてですね」
ポロクルは地図と広げる。細かく文字が書かれており世界地図の一部のようだ。赤く縁取りされた所と青く縁取りされた二箇所の国を指さして説明を始めた。
「敵国の聖クロノ国は広大な平野と標高の低い山脈が長く繋がっているのが特徴で天候に恵まれており農業が盛んな国です。さらに、海と接した国なので漁業も盛んで他国との交流もあります。ですが、鉱山資源等に恵まれず文化は格段に低い国です」
変わらない生活を豊かな食料で送る国。
「私たちの国、リクセベルグ国は本来、雲を突き抜けるほどの標高だった山々を切り崩して頂上などに街を作った国です。街は標高が高く気温が低い。土地はやせているので、作物はほとんど育ちません」
ポロクルの言うとおりだ。竜は雲の中を飛んでいる。それなのに街は見えない。雲よりも上にある天空の街なのだろうか。
「なぜ、そんな暮らしにくい所に住み着いたんだ。それに、雲よりも高い所に住めるのか?」
「魔鉱石と竜」
答えたのはルリカだ。こんな小さな子どもでも知っていることを俺は聞いていたんだと知ると自分がどれだけ無知だったのかよく分かる。滅茶苦茶恥ずかしい。
「ルリカの言うとおりです。この辺りの山には魔鉱石、魔力を含んだ鉱石が取れるのです。魔力は人一人ずつ違い限界が決まっています」
ポロクルはローブから鉄製の器と水の入った筒を出した。
「魔力とは器に少しずつ水が注がれていると思ってもらえば結構です。器の大きさには個人差があり注がれる量にも差があります。そして、器の中の水、つまり魔力を消費して魔法を使えます。まあ、筒から水を出すだけの余裕があるのが前提ですが」
器の中の水を弧を描くようにばら撒く。すると、粉雪となって輝いた。
「ですが、注がれる量は不安定で、さらに一度に使える魔力も限られています。第一、魔法を使える人自体が少ないのです。そこで、魔鉱石が役立つのです」
話が少し脱線していたがようやく戻った。
「魔鉱石はその大きさと質によって量は変わりますが、一定の魔力を永遠に出し続ける鉱石のことです。魔法は12の属性があり代表的なもので火・風・雷などがあります。これを利用したのが魔法学です。これが住み着いた一つ目の理由ですね」
ポロクルははぶいていたがアヌビスがくれた板には12属性すべての説明が書かれていた。
『火・地・機・呪・闇・鋼・水・雷・力・獣・光・風』それぞれの粒子には、適した波長を持った魔力がる。その波長は6パターンと、それの半波長ずれた反波長があり、合計12種類ある。
粒子とそれに適した波長を持った魔力を繋ぎ合わせることによって、物質が生まれ、一定量以上同じ粒子が集まりことによって、その粒子の力が高められる。これが魔法の仕組みである。
波長の関係で、反対の属性の魔法は、組み合わせると崩壊・消滅・中和を繰り返す。本来は、組み合わせに適さないが、あえてそれを利用したものが多々ある。例えば、生物の体温である。
ここから先は役に立ちそうに無いので、適当に飛ばす俺。本当は、かなり重要なのかもしれないが、俺の頭にも限界の二文字があるのだよ。
各粒子には、それを総括している獣がいる。獣と称したが、12神である。12神は……はあ、知熱出てきたかも。
そんな俺の自主的な苦労を知らずにポロクルの説明は続いた。
「次に竜です。元々この辺りに住んでいた翼竜やここより先に行った荒野や山道には翼のない竜もいます。特に翼竜はこのように移動に役立つ以外にも戦力としても十分です。そして、聖竜王の加護です。すべての竜を総べる竜の王、その竜がリクセベルグ国を巨大な魔方陣のようなもので囲っているので暮らすことができるのです」
「でもよ、その聖竜王とやらが裏切ったり死んだりしたらどうするんだよ。そんなことがあった瞬間に国が滅びるんじゃないか」
「リョウ君鋭い。けど、無知ならではの質問だね。聖竜王は不老不死で12神だから裏切ることもないんだよ」
アレクトに褒められ貶されて微妙な気分だ。それより12神。ここでそれが出てきましたか。
「アレクトそれでは説明不足ですよ。12神とはですね。この世を守る12の神々のことです。各神は一つの属性を支配しているとも言われています。そして、12神は一人の友を連れているのです」
「友? 仲間ですか」
「いえ、自分と共に永遠に生き続ける自分の写し身のような存在です。友も不老不死であり唯一、12神を使役できる存在でもあります。12神は友に力を貸す代わりに友に、一途でいさせるのです」
そろそろ俺記憶量をオーバーしそうだ。なぜポロクルは話し出すと止まらないんだ。しかも、話脱線しやすいしその脱線の方が長い。
「一途って何ですか?」
ここにきてルリカの質問か。俺はもう聞かないぞ。授業放棄だ。俺はため息を吐き目頭を押さえて疲れを癒していた。
「一途とはですね。永遠に愛し合うってことです。ちなみに、聖竜王の友がわが国の王なのですよ」
意外な転回に苦笑いをしながらポロクルの顔を見た。本人は説明を終え満足げな顔だった。アレクトとアヌビスのいつもと変わらない顔を見ると本当のことなのだろう。
「着いたな。雲を抜けるぞ」
アヌビスは勢いよく手綱を引き竜を急上昇させた。
周りを雲で視界を奪われていたところから、青い空と太陽の日差しが溢れる広く終わりのない空間へ出た。
「リョウ、あそこがギャザータウンだ」
アヌビスが指さす先には街があった。雲を突き抜ける山の頂上を平らに切り崩し、その上に街が作られていた。まるでそれは雲の上に浮いた街のように俺は見えた。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。