第71話 サルザンカの宝-『見えない長の聞こえる声』
リョウとロンロンは互いに背を向かい合わせる。
そして、リョウは腰に携えた短剣へと手を伸ばす。だが、その手は止まってしまう。
彼は悩んでいた。短剣として使ったことの無い武器。いつもなら長剣かアミュレのどちらかに変えてから使っていた品物だ。
今回もどちらかに変えて使おうと思っていたのだが、ロンロンを見てからそれが生まれたのだ。
今までで一番多く使っていたのは、長剣の方で、上手くはないがリョウも一番使い慣れている。
だが、長剣を使うと聖竜王の介入が多々ある。今までは助言や口うるさいとしか思っていなかった存在だ。
しかし、それが急激に変わったのがプリンセスと戦ったときだ。姿を見せて話をするだけの存在であった聖竜王だが、その戦いの時はリョウの体を奪い取り操ったのだ。
それは、リョウの本意ではなく、聖竜王の力といったところであった。
勝利したとはいえ、戦ったのではなく、戦ってもらった。リョウはそんな気持ちであった。
そんな経験をしたリョウは、短剣の柄を握りそれをアミュレに変え首から提げる。
その何度か行ったことのある戦闘準備。だが、いつもと違うとリョウにはすぐに分かった。
それを首に掛けた直後、リョウの両腕の血管が膨らみ、硬く膨らんだ違和感が走った。さらに、両足にも似た感触。柔らかいはずの腹部は、一枚の鉄板を入れたように柔軟性を失いつつも硬く感じる
強くなっている?
錯覚だと思ったリョウだが、右手を握り締めてあまり余る力を感じて、それは確信に変わった。
「俺、強くなったのか」
『甘い守りだな』
リョウの台詞に重なって、男の声がした。その声の主を探そうとリョウは周りを見渡す。だが、それらしき人物はいなく、ロンロンもアヌビスもそれが聞こえていないようだ。
空耳かとリョウは思い、目の前の狼へと目を向ける。
「リョウ、変わったのか」
「かもな。で、こいつら、どうしたらここから退いてくれるんだ」
ロンロンは、リョウの体に何か起きたのかと思ったのだろう。今までは、翼や鱗など目に見て分かる竜神の反応があった。だが、今は鍛え抜かれた体への変化、そんな言葉が一番に合う。
外見はただの人だ。だが、リョウ自身は以前よりも大きな力を感じていた。
その自信に染められたリョウの表情からは、闘志が溢れようとしている。だが、ロンロンの表情は暗く、首を小さく振る。
「分からない。やつら、目に付く生き物を襲って食ってる。何言っても止まらない。力付くでも数が多い。それに、やつら、腹減っていない。残すことは、獣の掟に反してる」
先ほどの狼達は、死体の心臓部分だけを食っていた。空腹を満たすだけには見えない行動であった。食せる時に食せるだけ食す。これは、獣が生きるための本能に近い掟だ。
「死んでいる人間以外にも、生きた人間や家畜も食ってる。最近では、魔物も襲ってた」
「こいつら、狩りを楽しんでいるな。こいつらは、既に獣じゃねぇな」
空腹を満たすために人を食っているのではない。趣味、快楽のためだとアヌビスは言った。他の命を弄んで悦に浸る獣など、リョウもアヌビスも聞いたことがなかった。
「もはや、こいつらは人間だな」
アヌビスの声にリョウは振り返る。
「何言ってんだよ。どう見ても狼だろ」
「外見はな。だが、他の命を自分の満足のために狩るのは、数ある種族の中で人間だけだ。それに、外見で種族が決まるのなら、貴様は自分を人間と言えるのか?」
にやりと三日月のような白い笑みを見せるアヌビス。リョウは、相手をするだけ無駄だといい正面を向く。そうしてアヌビスの質問からリョウは逃げた。
「ただ、殺したいから殺している……か。正気の沙汰じゃないな。狂ったように狩り続ける。怪我とか死ぬのが怖くないのかよ。……って、ことは」
リョウは、自分の想像を確かめようと少し振り返る。すると、ようやく気付いたかとアヌビスは顎を上げて鼻で笑う。
「そうだ。魔法だ」
「となると、洗脳……メネシスか」
「そうじゃねぇ。これは、メネシスの呪属性の魔法じゃない。獣属性の魔法だ」
そのアヌビスの否定にリョウは首を傾げる。リョウにも分かりやすいように説明しだした。これからリョウに戦わせるために役立つ魔法知識程度だが。
「獣属性の粒子を多く体に入れられているな。獣属性の粒子は、興奮して勇猛になる。だが、暴走に似た行動をとるようになり、判断力が鈍り後先を考えないようになる。死ぬことも怪我をすることも恐れない状態といえば分かるか」
獣属性の粒子を注がれて暴走気味になるのは、リョウも経験している。この世の全ては粒子で成り立っていて、感情も粒子の増減が影響していると考えられているからだ。
生き物をいのままに操るのに適しているのは、呪属性の粒子だが、死を恐れず戦えるようにするには、獣属性の方が優れている。
さらに、呪属性は洗脳率が高いが、人形のような動きになってしまう。しかし、獣属性なら、本来の身体能力のまま暴走させるようなものだ。
元々、好戦的な狼なので、興奮させるだけで人を襲うようになる。
「獣に獣粒子だから、悟りにくいだろうがな。判断力を鈍らせて、洗脳魔法以外の方法で操っているな……かなりの実力者がかけただろうよ。解除するには、かなりてこずるだろうな」
単純に魔法で洗脳されているのなら、対魔法をかけるかその術者を潰せばよい。だが、今の狼達はただの興奮状態。誰が敵で誰が味方なのかわからないだけだ。そんな彼らは魔法にかかってないともいえる。
したがって、術者を潰した所で解決できる問題ではない。獣属性の反対に位置する呪属性の魔法を狼達にかければ中和されて解除できるだろう。
だが、ロンロンはもちろんリョウも呪属性の魔法は使えない。魔法で頼るならアヌビスだと思うが、彼も呪属性は使えない。例え使えたとしても、彼はそんな回りくどいことはしないだろう。
リョウがどうすればいいか悩んでいると、アヌビスは笑ってその不安を取り除く。
「まあ、暴走したら俺が一掃してやるから好きにやってみるんだな。多少なら目を閉じてやるが、これ以上害を生むのなら、死とつりあうほどの大罪だ。命を統べる俺が裁く」
この世の全ての命は自分の支配下にある。それの生き死には、自分が決め、勝手な死や殺しは、自分の許可なくては許さない。それがアヌビスの考えである。
もちろん。アヌビスにそんな権利や拘束力があるわけではない。ただ、彼にアヌビスの名を授けたものから与えられた資格だ。
ただの口で交わされた力。実際は存在しない権威を彼は今でも振りかざしている。無意味に思われるそれは、自分の力の矛先を何処に向ければいいのか知らなかった頃の彼には、大切な道しるべであった。その名残が今にも残り、力で命を救い奪う彼が生まれたのだ。
自分の考えを変えない。自分の価値観で判断する。自分の行動は正しいと信じている。だから、彼は剣を向けることも剣を受け止めるのも躊躇わない。
狼は人間を食すものだとアヌビスは思っている。だが、人を悦のために狩る存在だとは認めていなかった。狼がその分を超える行為をするというのなら、アヌビスは断罪を下すつもりだ。
その絶対の誇りと自信がリョウにも伝染したのか、彼はロンロンに鋭い眼差しを向ける。
「ロンロン、何か策はないのか。奴らを傷つけずに救う方法」
「……」
リョウの質問にロンロンは答えられない。ある秘策を残して、彼は色々試してきた。だが、どれも失敗で終っている。
数多く試してきて、ロンロンが一番効果的だと思った策が耐え抜くことだ。
このおかしな狼達は、標的を決めると、しとめるまで群れで責め続ける。だが、体力の限界が近づくと、群れを解散して散り散りに逃げて行くことが多かった。
それ以外にも、圧倒的な力の差を見せ付けると、同様な効果があった。以前、アヌビスたちの前に現われた狼の群れがそうである。
狼の頂に位置しようとする獣人のロンロンには、普通の狼とは比べ物にはならないほどの力と能力を持っている。実力の差を見せ付けて退かせることなど簡単である。
だが、同じ種族同士であり、同じ群れの仲間を殴ることはロンロンにはできなかった。だから、彼は耐え抜いていた。狼に襲われている人間をその腕で守り、自分を傷だらけにしてきた。
体力には自信があるロンロンだが、日に日に数を増やしていく狼の群れと、昼夜問わずに行われる狩。彼には休息は許されず、ただ疲労の溜まる速度だけが早くなるだけであった。
そんな日々を送っていた彼が、以前感じた化け物のような気配を再び感じたのは数時間前だ。それに向って走り出した狼の群れ。その気配がアヌビスの物でないようにと彼は願っていた。だが、彼と出会ってしまった以上、ロンロンは進むしかない。
彼と出会うことで、ロンロンはこの戦いが終るかもしれないと思っていた。
狼の全滅か、自分の滅びか、それとも……。
彼が最も望む結末はあまりにも低確率だとロンロン自信一番よく分かっている。
だが、リョウの申し出と、それを許すアヌビス。悲しすぎるロンロンの不毛の戦いという物語が、昔にはなかった二人の行動で変わろうとしていた。
そして、その変化の鍵を開けるのは、物語の中心にいるロンロンだ。
秘策と言う名の鍵。策とは言いがたいほどの空論で、ロンロン一人では不可能な策。だが、ない知識を振り絞って生まれたロンロンの鍵は、二人の存在で回す決意が生まれた。
鍵を持って震えるロンロンの手をそっとリョウが握る。その扉から何が出てくるのかは分からない。だが、何が来ても対処してやると、後ろでアヌビスが不敵に見ている。
二人にその気持ちはないだろう。だが、一人で耐え抜いていたロンロンには、二人がそんな騎士に見えたのだ。
「リョウ、馬鹿か貴様。それを知っていたら、こいつが既にやってるぞ」
「ある。一つだけ。たぶん、自信はないけど」
アヌビスは笑うが、ロンロンがは頷いた。
ロンロンは、周りを囲う狼の群れを見渡して、一点を見つめる。それは、標的を見つけたのではない。ただ、これからすべきことを見据えることができた真っ直ぐな瞳だ。
「やつらの指揮笛を探す」
「指揮笛って何だ」
ロンロンの提案に疑問を持ったリョウと、その提案がつまらなそうなアヌビス。ロンロンは、アヌビスには頼らず、リョウに頼ることにした。
「獣が群れで行動する時、群れの長の声で動くんだ。だから、指揮をする声を出している奴を止めれば奴らも襲うことはない。退くのもその声で命令できる。だから……」
ロンロンは、こげ茶の短い髪から狼の耳をピョコンと立てる。その耳をぴくぴくと動かしながら全ての音を拾っていた。
「奴らが動く前に、聞こえる鳴き声の所に群れの長がいる」
「長って……この群れには」
リョウが躊躇っている。それは、以前ロンロンが言った台詞が原因だ。
あの狼の群れには全体を指揮する狼の長がいない。ロンロンははっきりとそう言っていた。
ロンロンも、その群れを指揮する長と話し合ってやめるよう試みた。だが、その長が見つからず今にいたるのだ。
「あの群れには確かに長がいない。だけど、声は聞こえる。どこか遠くで声がするんだ。聞こえないんだけど、聞こえるんだ。体が、動こうとする震わせる声が」
ロンロンが自分の腕を握り締めて止める。ロンロンの耳には何か声が聞こえている。その声は、彼を動かそうとしている。彼ですら抵抗するのにてこずる声。判断力が落ちた狼なら簡単に従ってしまうだろう。
「獣の声って言うのはな」
いきなりのアヌビスの声にリョウとロンロンが振り返る。今まで何も介入しないような態度をとっていたアヌビスだが、その瞳はリョウと狼を越えた遠くを睨みつけていた。
「別に狼の声じゃなくてもいいんだ。ようはある原因に対して決まった行動をするのが獣だ。手を叩いたら攻撃。鈴を鳴らしたら待機。血の匂いがしたら退避。のようにな」
アヌビスの仮説が正しいと言わんばかりにパンと乾いた音が三人に届く。
竜神の力を発動させているリョウでも、蚊の飛んでいるような小さな音だったが、確実に聞こえた。
その音が聞こえたロンロンは、音の先を見る。だが、ロンロンの瞳を持ってもそこには狼と草花しかなかった。
その音が合図だったのか狼達が一斉に空に向って吠え始めた。
その遠吠えは、リョウたちを囲み、一定の音域を保ったまま響き続ける。その頭に響く音にリョウは頭に釘を刺されたような痛みを感じて、耳を押さえて屈んでしまう。
それは、ロンロンも同じであった。リョウほどの反応はしていないが、顔半分をしかめて辛そうにしている。
「まさか、ここまでさせられるとはな」
アヌビスは、隣で耳を塞いでうずくまるミルを無視して遠くを見つめる。
「おい、リョウと獣人。来るぞ。やらないのか。やらないのなら俺が斬るぞ」
アヌビスが蒼い刀身の剣を輝かせる。辛そうに顔を上げるリョウの目には、一斉に中心に向って走ってくる狼達が見えていた。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。