第68話 サルザンカの宝-『物語を変えるチャンスと選択』
「心配要らないのら。それに、あちきは正義の味方なのら」
ユウナは覇兎羽に軽く頭を下げると、ユウナは太陽に向って飛んでいった。
それを追うためにハデスとメネシスが一歩前に出る。だが、その正面に覇兎羽が飛び出て二人の進路を塞いだ。
「覇兎羽、そこをどきなさい」
ハデスが睨むが、覇兎羽はニコニコ笑っていて恐怖を感じていなかった。
「ハデハデ、ちみの目的は、彼女じゃなくて、その子供二人を手中に入れることじゃないのらか? ユウユウは、ちみの要望を飲んで二人を置いて逃げたのら。それなのに、追撃するのは、正義とはいえないのら」
それを聞いて、メネシスは出した足を戻す。だが、ハデスはさらに一歩前にだす。
それに合わせて覇兎羽は、赤い大理石のような石造りの十字架を前へ突き出す。そして、その先端はハデスに向けられていた。
「人間がいきがるな。あちきが逃がした。それに異議申し立てがあるのなら、あちきは力でそれをねじ伏せる」
十字架の先端がほのかに赤く光るのを見て、ハデスは肩をすくめて二歩下がった。
「分かったわよ。で、数年間も消えていた貴方が、わざわざ彼女のために出てきたとでも言うの」
「まあ、なんだ。嫌な闇の匂いがしたからかな。来てみただけなのら。それに……」
それに鼻を鳴らして覇兎羽はずかずかとジャックの前まで歩み寄る。
そして、その十字架をジャックの顎下に当てた。それにジャックは仰け反り、苦笑いを見せる。
「な、なにかにゃ〜」
「あちきたちの邪魔をするのがちみ達の仕事だとは知っているのら。だが、ちょっち目障りなのら」
それだけ言うと、覇兎羽はジャックから離れて制帽を深く被ると、彼女のマントが音を立て始める。
「それじゃ、帰るのら。それとハデハデ、何を考えているかは知らないが、あまりあちきたちを甘く見ないように」
「おい、待てよ」
膝を曲げて垂直に飛ぼうとした覇兎羽の腰が砕けてジャンプに失敗。躓いた覇兎羽は顔を赤くして声のものに振り返る。
ウサギやリスなどの小動物を統べるのが覇兎羽だ。俊敏な動きは12神トップといってもいいだろう。特に脚力には自信がありどんな体勢でもジャンプを失敗したことがない。
「な、なんなのら!」
恥ずかしさのあまり声を張り上げるが、覇兎羽を呼び止めた人間の真剣な顔は覇兎羽を一瞬で冷静なものに戻した。
「なんで、お前がここにいんだよ」
この世界の住人ではない少年リョウ。彼は、覇兎羽に見覚えがあった。
いつも馬鹿騒ぎして、人間離れした運動神経を持っていて、いつも問題を引き起こす存在。
彼がまだ元の世界にいたときの担任教師かりんにそっくりなのだ。
忙しさに追われて帰りたいという感情がなくなっていたリョウだが、確実に何かあると彼女を見てその感情が蘇った。
だが、覇兎羽は呆れた顔をリョウに見せる。
「はあぁ? ちみ馬鹿なのらか? さっきも言ったのら。あちきの管理している闇で、変な匂いがしたから来てみただけなのら」
「そんなことじゃねぇよ。お前、ここにどうやって来たんだよ」
「ジャンプして来たのらよ。あちきの一蹴りは、国一つ飛び越えられるのら」
聞きたいことに対して期待していない答えしか返ってこない。そんな煮え切れないリョウは、頭を激しくかいて確信を突く質問をする。
「お前、かりんだろ」
「かりん……?」
その響に覇兎羽は顎に手をやり考え込んだ。そして、真っ直ぐリョウを見て自信ありげに胸を張る。
「そうなのらよ」
その一言にリョウの全身は震え上がった。帰れる。この流されて生きていた自分が何か変わる瞬間だ。そう彼は思った。だが、覇兎羽の次の一言がリョウには今この世界しかないと思わせるものとなった。
「『カリン』はキュリアテル語で『神』って意味らよね。変なわりには博学なのらね」
そして再び覇兎羽は膝を曲げる。
「くそ、それじゃ、それじゃ……」
次の質問。一つでも変わるためのヒントを貰おうとリョウは頭を回す。だが、覇兎羽はそのリョウの顔に右手の掌を見せつける。
「待つのら。例え、ちみの知りたいことをあちきが知っていても、教えてあげないのら」
「何だよそれ」
一度曲げた膝を覇兎羽は戻して、少し首を曲げて蔑むような目でリョウを見る。
「教えてあちきに何の得があるのら。事情は知らないが、見ず知らずの他人に図々しすぎるのらよ。それに、あちきはこの世界が気に入っているのら。ちみはたいした存在じゃないかもしれないが、あちきの一言は世界を変えるときがあるのら。そんな危険を犯すほど、ちみに価値があるとは到底思えないのら」
リョウに世界を変えるほどの力があるのかは分からない。だが、覇兎羽はこの世界のこと、過去に起きたこと、未来に起きること、そんなこの世についてよく知っていると言われている。
覇兎羽も含め12神は、今までの経験と、今後の予想を踏まえて粒子の増減を行っている。
そうして彼女達は世界を維持している。そして、彼女たちの知識や能力は世界を変えるほどの大きなものだ。
もしそれを教えて世界を変えられてしまったら、現状を望む覇兎羽としては面白くない話なのだ。
そして、覇兎羽はマントを翻してリョウに背を向けて空を飛んだ。
「まて、」
「見苦しいのにゃ」
背後からの声にリョウは振り返る。そこには肩を落としたジャックがリョウを見つめていた。
「ちみのことは少しばかり知っているにゃ。覇兎羽がそれの手がかりに見えたのにゃね。でも、彼女の言うとおりにゃ。ちみは、おいっちに隠さず何もかも話せるのかにゃ」
「それは……」
リョウでもそれぐらいは分かる。覇兎羽が知り合いに見えて気が焦ってしまったのだと少し反省をした。
「お話はいいのかしら」
リョウとジャックのやり取りを見ていたハデスは、二人の少女の入ったガラス玉を二人に見せ付けた。
「悪かったにゃ。んじゃ、彼女達を返して欲しいのにゃ」
右手を差し出すジャックに、ハデスは呆れと馬鹿にした表情で答える。
「何言っているの。貴方達が何をしたって言うの。たいした活躍もないくせに戦利品を貰おうって言うのかしら」
「うにゃ、それを言われると痛いにゃ」
ユウナとの戦い。その際、ジャックとプリンセスはこれといった活躍をしていない。ほとんどの活躍はメネシスとハデスのものだ。
ハデスの言うとおり、ジャックたちはそれを要求する権利があるとはいえない。
だが、ハデスはミルを見つめて少し考えて頷く。
「まあ、いいでしょう。この戦いではなくても、他のところでよい働きをしてくださったようですね。そちらに選択権はありませんが、半分ずつと言うことでいいかしら」
このユウナ戦だけを見ればジャックたちの活躍は皆無。だが、ヴィルスタウン戦で見ると、そうともいえない。
ジャックはグロスシェアリング騎士団のヘスティアとアヌビスを相手して、二人がミルとルリカから離れるよう状況と時間を作った。
圧倒的に負けたナナ戦もジャックが退くことで、ナナがアレクトと戦う余裕が生まれた。その結果、ミルとルリカを守るものがさらに薄くなった。
そもそも、ハデスがルリカたちの誘拐を企んだのは、ヴィルスタウンに魔物の奇襲が行われて、町中が混乱したからだ。
奇襲の時、街の中にいたアヌビス部隊。少しそれを突けばさらう機会が生まれると思ったからだ。
メネシスだけでことを進めようとしていたハデスだが、アヌビスだけではなくヘスティアがいることを知り、自ら戦地に赴いたのだ。
だが、ハデスは元々アヌビスとの一対一しか考えていなかった。
それがハデスの生きて帰るという条件下でできる最大限のことだ。
しかし、もしそれが叶ったとしても、ハデスには不安があった。
最強種と名高いエルフィンのイルとメネシスでもヘスティアとアレクトの二人の相手は困難だと思ったからだ。
ハデスがメネシスと合流するまでは、イルには体力制限がかかっていた。今は問題ないとは言え、合流する前にメネシスたちがヘスティアたちとぶつかっていたら遅かった。
さらに、ヘスティアの本領は他者の味方がいたときに出てくる。精霊を味方に宿らせて強化することができるからだ。
だが、ハデスの標的であるアヌビスとメネシスの標的であるヘスティアの両方をジャックは相手してくれた。
それのおかげで二人はユウナと戦う余力があったのだ。もし、ジャックがいなければハデスたちがユウナに返り討ちにされていたかもしれないのだ。
これらを考えると、五分五分の立場。一方的に決めているハデスだが、それは独裁色の強い彼女らしさだ。
ジャックはそこまで分かっていないのか安堵の笑みを見せる。
「まあぁ、しょうがにゃいにゃ。力づくで奪うのは無理そうだしにゃ。で、ちみはどっちのおんにゃの子をとるのかにゃ」
すると、ハデスは無言でミルの入ったガラス玉をジャックに投げ渡す。ジャックがそれを受け取るのと同時にガラスの膜は砕け、二人の少女はその瞳を擦りながら目覚めた。
「ほら、ちみにあげるのにゃ」
そういいながらジャックはミルをリョウに預ける。リョウは、いまだにふらつくミルを抱きかかえるように受け止める。
すると、ハデスたちはリョウたちに背を向けて歩き出した。
「それじゃ、今度は戦場で。アヌビスの犬君」
「待て、ルリカを何処に連れて行くつもりだ」
リョウに呼び止められたハデスとメネシスは振り向く。ハデスのその細い女性の腕の中でルリカは小さな寝息を立てて寝ている。
力で解決はできない。だが、自分はルリカを守らなければならない。どうすればいいか分からないリョウは、誰かが来るまでの時間を稼ごうと努力する。
「そうね。彼女の母の所かしら。彼女、喜ぶでしょうね」
そういい残してハデスは再び歩き出す。
「おい、何だよそれ。ルリカを無理矢理俺たちから引き離して、それで本当にルリカが喜ぶとでも思っているのか」
昔、ミルはみんなを家族と呼んだ。家族の記憶がないミルにとって、ずっと一緒にいて寝起きや食事を共にするリョウたちを家族と置き換えていたのかもしれない。
それがとても楽しくて大切なものだといっていた。
家族を失ったルリカも同じ気持ちかもしれない。
家族を殺したアヌビスたち。そんな人たちと一緒に旅をして一緒に笑っていた。
そこに小さな絆が生まれていてもいいだろう。
そうでなければ家族の仇の前で笑えるはずがないからだ。
「そうね〜。それじゃ、本人に聞いてみましょうか」
すると、ハデスは優しくルリカを地面に立たせる。そして、ルリカの目線にまで腰を落とす。
「だれ?」
「初めましてかな。ルリカ・フォン・シルフエルちゃんだね。私は、ハデス。クルスのお友達だよ」
クルスの名にルリカの肩が小さく動き、彼女はこげ茶色の魔道書をぎゅっと抱きしめる。
「ママの……」
ルリカの反応に、ハデスはにやりと笑った。だが、その表情は表には出さず心の中だけにとどめる。
「うん、そう。ほら、ルリカちゃんの服とお姉ちゃん達の服おそろいだね」
自分の服を強調するハデスと恥ずかしそうに微笑むメネシスを見て、ルリカは不安そうな表情から小さな微笑に変わる。
「ママの作った服」
クルスの作った服。これは、メネシスの服を基にして彼女が作ったものだ。それをハデスとルリカに授けたものである。その服を着ていると言うのは、ルリカにとってその人物は母と繋がりがあると思わせるものであった。
「お姉ちゃん達ね。今からクルスの……ルリカちゃんのお母さんの所に行こうと思うの。一緒にお母さんに会いに行こうか」
「ママに……会える」
そのままハデスの手を取ろうとしたルリカだが、ふと後ろを振り返る。
「ルリカ、帰ろう。そろそろみんな来るぞ」
「ルリカ。行っちゃうの」
リョウとミルの声。それとハデスを交互に見るルリカの表情は暗くなり始める。
だが、ルリカはハデスの隣にいる。それを生かして、ハデスは一言を決める。
母に会いたい。アヌビスたちと旅を続けたい。こんなチャンスはもう訪れないかもしれない。ミル達を悲しませたくない。母に甘えたい。ここで別れたらアヌビスたちとはもう会えないかもしれない。
そう、ハデスは幼く小さな器の心の中で多くの感情が暴れて、柔らかくなったルリカの心を引き裂き取り込もうとする。
「――――」
ハデスはそっとルリカの耳元に呟く。
その言葉はルリカ以外には届かないほど小さなものだった。だが、その言葉はルリカの中で徐々に大きくなり、ルリカの心の中をハデスの闇が染めていくようであった。
闇に染められるようにルリカの表情は暗くなってゆき一言呟かせる。
「私……ハデスさんと、一緒に行く」
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。