第63話 サルザンカの宝-『食われる体』
「ごめんなさい。あまり綺麗な布じゃないけど、無いよりかはマシだと思う」
「いえ、……ごめんなさい。素敵なハンカチを汚してしまって」
ルリカは女性の左手を取り、その腕に白いハンカチを結びつけて止血している。
すぐに白いハンカチは赤く滲み彼女の怪我の大きさが分かる。だが、その箇所を除けば傷口はふさがっており、命の危険は無いだろう。
「お構いなく。この人たちと関わってから、清潔という言葉は捨てていますから」
彼女はリョウと同じ歳ぐらいに見えるが、控えめな態度がルリカより小さく見える。ルリカの方が大きいのかもしれないが。
「にしても、よく一人で無事だったな。町中魔物が手当たり次第に人間を襲っていただろ。すぐに避難していたのならともかく、襲撃が始まってからかなり時間が経っていただろ」
ジャックたちがヴィルスタウンを襲い始めてから数時間。街の外に近い市場や住宅街の人なら数十分で退避できるであろう。だが、リョウたちのように港に近い場所にいた人は、海に逃げるか、街を走り抜けるしかない。
そんな悪状況に置かれた後者の人間たちは、数時間戦場で生き抜かなければならない。
街を出てきたばかりの所を見ると、彼女も後者の属するのだろう。力のなさそうな彼女が一人で生き抜くのは酷な条件である。
しかし、彼女はリョウの言葉に小さく微笑む。
「いえ、実は、一度街の外に出ていまして、あるものを探しに街に戻ったのです。街の外を出入りしていただけなので、魔物に見つかることなく、これだけの怪我ですんだのです」
「街に戻ったって、なにを探していたんだ」
「えっと……家族、そう、家族です。実は、私この街に一人で花を売りにきているのですが、家族の姿がちらりと見えたので、気のせいだと思ったのですが確認したくて、つい……」
「家族が……大丈夫だったのか。なんなら、助けに行ってやるけど」
突然のリョウの申し出に、彼女は両手を振ってそれを拒む。
「いいえ、大丈夫ですよぉ。それ以前に、私の勘違いでしたので。それに、私の家はこの街から離れた小さな町にあります。家族もそこだと思います。心配させてごめんなさい」
彼女は小さな頭をペコリと下げて謝る。
「いや、大丈夫ならいいけど」
「そうそう、それに、リョウが何かできるって問題でもないだろうし」
「うるさいなぁ。そろそろ誰か来るって」
「リョウ……」
ルリカにむきになったリョウの袖をミルが小さく引っ張る。
「ん? どうしたんだ」
「お客さん」
ミルが指さす先には、またしてもリョウと同じ年代ぐらいの女性がいた。
彼女は、朝日を背に浴びてリョウたちを暗い表情で見ている。
「あの〜、誰?」
リョウが聞くと、ミルはルリカと彼女の二人と手を繋いでリョウから少し離れた。
「これだけ感じる魔力。すぐに分かるのに。なぜ分からない。それだけ未熟、それでいて愚かな無知な存在」
リョウの質問に答えることなく、彼女はぶつぶつと呟く。
黒く長い髪、金色の瞳、夜を連想させるその二つを持つ女性の表情は暗く悲しい。決して健康的とはいえない色白の肌は、血が付着している。
それに気付いたリョウは、彼女を心配しだした。
「もしかして、怪我してるとか」
すると、彼女は顔をあげ、リョウをその瞳で睨む。
「気に入らないな。こんな人が私と同等。…………私情はなしにしなければなりませんね」
すると、リョウたちの立つ地面が割れて、茶色い泥が吹き出す。その泥は山のように積み重なり、魔物が現われた。
泥の山に黒い穴の目と口があり、太い両腕。足や腰はなく、上半身だけの泥のゴーレムだ。
下半身は、泥のままで地面と一体になっている。その大きさは、3mほどで、その手でリョウを一握りできるほどの大きさだ。
「魔物!」
リョウがミル達に逃げるよう指示しようとしたが、既に三人はリョウから離れていた。
「本当は、私の手で事を進めたいのですが、建前上、それはできません。ですから……」
黒髪の彼女は、泥ゴーレムの上へと飛んでゆく。そして、高い位置からリョウを見下ろす。
「リョウ。どきなさい。私は、そこにいる二人を捕獲するだけです。貴方に危害を加えるつもりは、ありません」
「なぜ、俺の名前を……」
その時、リョウの頭の中にはある公式が生まれた。
黒髪。金の瞳。魔物を使役できる同じ歳の女性。異なる点は何箇所かあるが、リョウは彼女を知っているかもしれない。それも、圧倒的力の差があると分かっている相手だ。
「お前、プリンセスか」
「ようやく気付きましたかリョウ。それより、早くそこをどきなさい。貴方も泥に飲み込まれますよ」
プリンセスが右手を上げると、それを真似して泥ゴーレムも右手を上げる。
だが、リョウは怯むことなくアミュレを強く握る。
「後は俺しか残ってねぇんだ。俺が退くわけには行かないだろ」
リョウはアミュレを握り首から離す。すると、アミュレは長剣へと姿を変えた。
「貴方がどう頑張っても私たちの障害にすらならないわ。それぐらい貴方でも分かるでしょ」
「かもしれない。だがな、俺にも守らなきゃならないものがあるんだよ」
「リョウ、それ以上私に刃向かうと死ぬわよ」
プリンセスの冷たい瞳に睨まれたリョウは、逃げ出したくなった。だが、後ろにはミルとルリカとプラス一人がいる。プリンセスの目的は、先ほどの台詞からしてミル達だと分かる。
逃げてリョウが助かったとしても、ミル達を犠牲にするのでは意味がないのだ。
「ああ、俺の実力じゃ貴様どころかその魔物すら倒せないかもしれない。だが、アレクトたちが来るまでの時間稼ぎは命が尽きてでもしてみせる!」
リョウが柄を強く握ると、その瞳は縦になり竜のような獣の瞳に変わる。
さらに、リョウの着た黒の軍服が徐々に姿を変え、リョウの肌に吸い付く。その軍服は、まるで生物になったかのようにリョウの肌を這いながら彼の肌を黒く染めてゆく。
彼の軍服は彼の顔を残して彼を飲み込んだ。そして、軍服は硬化してゆく。
軍服には黒い鱗の鎧となりリョウの装備となった。
「竜神……黒竜とは珍しい。確かに化けるかもしれませんね」
「ごちゃごちゃ言いやがって、悪いが、ここは死守させてもらう」
全身黒の鎧で固めたリョウは、その長剣の剣先をプリンセスに向ける。リョウは挑発しているつもりだが、プリンセスには微塵の効果もなかった。
「強気ね。実力をつけた……いいえ、ただの自意識過剰ってところね」
プリンセスの読みは正しい。リョウの体にはヘスティアの獣属性の下級精霊が宿って力を与えている。
人間の感情は粒子の増減で変わる。その中で獣属性はよく言えば勇猛、悪く言えば混乱を導く属性だ。
つまり、獣属性の粒子を体内に多く取り込んでいるリョウは、恐れを知らず戦うことができる。だが、自意識過剰になり正しい判断ができなくなるリスクを抱えるのだ。
日ごろから戦闘を避けようと心がけているリョウにはない状況だ。
「任務妨害での飛び火。相応の理由がありますか……」
プリンセスはぼやきながらリョウの後ろを睨む。そして、口元を小さく曲げて笑う。
「分かりました。リョウを避けつつ、彼女たちの保護。が建前。クン。やりなさい」
泥ゴーレムのクンにそう命令すると、プリンセスはクンの後ろへ隠れた。
「逃げるのか!」
隠れたプリンセスを追いかけようとするリョウ。だが、クンの巨大な泥の腕がリョウの正面に下ろされる。目の前に壁が作られプリンセスの姿が視界から消える。
「悪い。そいつ。貰う」
継ぎ接ぎの言葉でクンはゆっくりとその手をミル達の方へと伸ばす。
「させるかよ」
リョウの頭上を泥の塊が横切る。リョウはその足に力を集め高く垂直に飛ぶ。そして、長剣をクンの腕に突き刺して、手首から脇腹まで一気に切り裂く。
すると、クンの腕の動きは止まり、泥水が滝となってリョウに降り注いだ。
「どうだ」
自慢げにクンを見るリョウ。だが、クンは何事もなかったかのように泥水を回収。そして、再び腕を伸ばしてミル達を狙う。
「何だこいつ」
「お前。見た目ほど。強くない」
「そうね。私は不要だったかしら」
「馬鹿にしやがって!」
プリンセスとクンはリョウを敵として見ていない。馬鹿にされたリョウは、考えなしにクンの懐に飛び込む。
『いい加減にしたらどうだ』
リョウの長剣がクンの体に突き刺さる瞬間。世界は灰色に染まった。色を持たぬ世界は、時を刻むのをやめる。そして、色を持っているのは、リョウとリョウの目の前に現れた少女だけであった。
「なんだ。こんな時に出てきやがって」
その子は肩まで伸びた金髪を赤いガラス玉の髪留めでツインテールにしている。紫の着物に近いものを着ていて、腰には大きな薄ピンクのリボンのような帯をしていて、後ろに尻尾のように伸びていた。
リョウは剣を引き彼女を睨む。リョウは彼女が誰なのか知らないが、この力を授けてくれて、何かとヒントをくれる人だと認識していた。
『主、完全に食われとるの』
「何を言っている」
リョウが少女を睨むと、少女はリョウの腹部に軽く手を当てる。
『出てこい。わっちの目を誤魔化せるとでもおもうておるのか』
すると、彼女の掌を中心にリョウの体に微弱の電気が走った。すると、リョウの体からふわりと橙色の靄が抜け出した。
その靄は徐々に形を作ってゆき、人間の形を作った。だが、人間の形に留まっただけで、輪郭や容姿などははっきりしていない。人間の影。そう呼んだほうが正しい存在だ。
『やっぱりてめぇか。んだよ。せっかく気持ちよく遊んでたって言うのによぉ』
『現状、遊んでいる場合ではなかろうに。で、主はこやつの体で何をしようとしていたのだ』
すると、橙色の靄の口元が赤くぐにゃりと曲がる。
『てめぇが血を飲ませて、この刃を授けた者だ。それなりにおもしれぇやつだと思ったんだがな。たいしたもんじゃねぇな。使える奴ならワンコ退治を手伝ってやろうと思っただけよ』
『なに。ワンコだと』
「おいおい、俺を無視して話して、何話してるんだ」
二人の会話にリョウが割って入る。だが、少女のきつい睨みにリョウは黙ってしまう。
『まあ、その話は後日ゆ〜くりしてやるよ。んじゃぁな、元気にやってろよ』
『主は己の心配をせえ。はよ友の顔を拝ませえ』
『気が向いたらな〜』
その言葉を最後に橙色の靄は空気に飲まれるように消えていった。
「なんだったんだ今のは」
リョウが不思議そうに見ていると、少女はリョウの長剣を見てため息を吐く。
『主、力を扱いきれぬうちに解放しおって……先ほどのはその刃に宿る12の獣のうちの一匹じゃ。長剣はわっち、首飾りは先ほどの者じゃ。武器を増やすのはよいが、わっち以外の獣に体を食われると、戻らぬかも知れぬぞ』
「武器に食われるって……」
『主、先ほどまでの勢いは主の力だとおもうておるのか』
「くっ」
少女の質問にリョウは即答できなかった。先ほどまで高ぶっていた心が今では落ち着き、目の前の魔物に脅える自分がいると自覚したからだ。
それは簡単な話だ。先ほど体から抜け出したあの靄が何かしていたのだろう。
「だが、それで強くなるのならそれでいい。今の俺は、何とかしてミル達を守らなきゃならないんだ」
強くリョウは言うが、少女は鼻で笑う。
『主、本気でゆうとるのか』
「俺の力ではどうにもならない敵もいる。そんな時は、頼りたい時もあるだろ」
『人間の心理は理解している。だがのぅ、主は間違っているぞ』
「なにがだ。なんとしてでも守りたいっていうのは間違っているのか」
『なら、見せてやろう。主が望む力に飲まれた人間の末路というのを』
世界に色が戻り時が再び刻み始める。
「消し飛べ。竜の雄叫び!」
世界が動き始めてすぐにリョウの両手はクンの体に当てられていた。そして、その両手から無数の銀の槍が現われクンの体を貫く。
その銀の槍はクンを針の球に変え、たった一撃でクンをただの泥へと変えた。
「そんな、再生率が高いクンを一撃で……。全てのコアを一撃で貫いたとでも言うの」
慌てるプリンセスの目の前には、鱗の鎧が消えて従来の軍服を着ているだけのリョウがいた。
姿は竜神のものではないいつものリョウだが、その手に持っている剣だけがいつもとはちがった。
簡素な長剣ではなく、つばの所に赤い宝石が輝き銀の装飾が多くなっている。
さらに、それに対になる鞘は竜をモチーフしたものであった。
「これが竜神の力だというの」
プリンセスがリョウを睨む。だが、それに気付いたリョウは、それ以上に鋭い瞳でプリンセスを見下す。圧倒的な差があると知っているプリンセスなのに、リョウのその瞳にプリンセスは負けた。
「な、なんなの。人格が変わったみたい」
すると、リョウは自分の右手を見て薄っすらと笑った。
「……久々だな。戦うのも悪くない」
その気配を読み取ったプリンセスは、伺うようにリョウに聞いた。
「貴方、誰」
プリンセスの質問にリョウ……リョウの中の人物は大きく仰け反って自信に満ちた声で名乗りを上げる。
「わっちはこの世に初めて生まれた種族の長の一人。人間は別の名で聖竜王とも呼ぶのぉ」
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。