第1話 裁きは時として私用を含む
「もう一度だけ聞く。お前は誰でここで何をしている」
黒衣の男の殺意が満ちた目に俺は怯んでいた。今自分に起こったことを理解する前に、命の危機に立たされた俺は最も安全な手段を取るしかなかった。
「亮です。高瀬亮。何をしているかと言われても自分が聞きたいぐらいです」
同じ年の男? いや、口調と態度は同じ歳に見えるが、顔と身長はまだまだ子供に見える。だが、彼の赤い瞳と白い剣で恐怖を与えられて、丁寧な言葉使いになっている。
当然と言えば当然だ。俺が今までいた世界で刃物と言えば包丁ぐらいだ。短いそれでさえ近くにあれば恐怖を感じるのに、今喉元にあるのは三尺ほどの長剣だ。体験したことのない恐怖が俺を束縛していた。
「胆が据わっているのか馬鹿なのか。まあいいだろう」
剣を鞘に収め男は、俺の持っていた本を奪い取り乱暴にページをめくっていった。
「読めん。これは魔道書か。何が書かれている」
「それは百科事典みたいなもんです。あらゆることがそれに書かれてます」
「あらゆることだと。おい、ルリカこれ読んでみろ」
馬車から顔を出したのは、まだ子供の女の子だ。黒衣の男は片手で持つのがやっとの本をその子に向けて投げた。それを片手で受け取った女の子に俺はびっくりだ。
女の子はページをめくって首を左右に振った。
「駄目アヌビス。私じゃ読めない」
「そうか……お前はあれが読めるのか」
アヌビス? どこかで聞いた事あるような……。
「あっ、死者の守護神のアヌビ」
言い切る前にまだ剣を突きつけられた。不味い、こいつ本気だ。
「質問だけに答えろ。読めるのか読めないのか」
「読めます。はい、読めます」
ヘタレの自分に悲しくなる。だって生きていたいんだもん。
「そうか、リョウとか言ったな馬車に乗れ。それとアレクト、大至急ポロクルを呼んで来い」
指示されるまま馬車に乗り込んだ。俺と入れ違いに馬以上の速度で一人の女性が走っていった。常人場馴れしたその速度は土煙を上げながら列の先頭へと向っていった。
馬車の中には小さな女の子が二人に先ほどの黒衣の男との4人だ。あまりの静かさと気まずさで俺は正座で隅の方にいた。
落ち着いて考えて分かったことがある。
ここは日本じゃないことだ。それどころか俺のいた世界ですらないだろう。馬車から見える外は、青い空と緑の草原と山と沢山の兵達だ。いまどき世界のどこを探しても、ここまで自然が残った所はないだろう。鎧を着た兵士なんて映画ぐらいでしか見たことない。そのことから、ここは映画の撮影場所か本物の異世界だろう。
意外と落ち着いているなって、あたりまえだろこれほど嬉しいことがあるだろうか。勉強も親も何も俺を縛るものも無く、何が起きるか分からない世界だ。楽しみで楽しみでしょうがない。
「おい、リョウ、その本を読んでみろ」
黒衣の男に言われるまま本を手にするが……君ならどうするだろういきなり百科事典を読めといわれたら。
「あの……どこを読みましょうか?」
「どこをだと、何を言っている。初めからに決まっているだろうが」
「ですから、何か知りたいことを調べる時に使う本なので、ただ読むだけでは意味がないと言いますか……」
「知りたいことを決めればいいのか。なんと簡単な条件だ」
ぶつぶつ言いながら黒衣の男は何かひらめいたかのような顔を見せ俺を見た。
「一撃で街を消滅させる魔法。ってのはどうだ」
魔法、やはりこの世界は俺のいた世界と違うのか。
「魔法とは違いますけど兵器でいいですか」
「用途が一緒ならそれでいい」
最強の兵器と聞かれ俺はアレをすぐに思いついた。
「原爆なんかどうでしょうか」
「なんだそれ?」
「正式名は原子爆弾でその威力はそうですね……あの山からあっちの山まで全て消し去るほどの威力です」
俺は馬車から見える山とその反対側にある山を指差していった。
「魔道書と似た威力か……それぐらいのものかお前の知識は」
なぜか分からないが、この男の期待に答えることができないと命が危ないような気がする。
「駄目でしょうか……」
「兵器と言ったな。と言うことは大量に作れると言うことだな」
「はい、設備と材料があれば」
「作り方はわかるのか」
「基礎ならここに書いてありますが」
話を聞いている間ずっと不機嫌そうな顔をしていた彼が急に笑い出した。女の子二人も彼の意外な行動に驚いていると言うより怖がっている。
「いい、いいぞ。素質も数も気にせず魔道書が使い放題。気に入った。リョウ、お前の命俺が貰った」
黒衣の男が笑い終わった頃、さっきの女性と緑のごわごわしたローブを来た男性が馬車に乗り込んできた。
「ポロクル遅かったな」
「なんですかアヌビス。いきなり呼びつけるなんて」
ポロクルと呼ばれた男性は、ずれたメガネを治しながら退屈そうにアヌビスを見ていた。
彼は綺麗な青年のような顔立ちだが、どこか大人の空気を出していて30歳だといわれても納得してしまう。実際にそうなのかもしれないが。
「分からんのか、まあいい。ポロクルはそこでアレクトはそこな」
黒衣の男の指示で二人はなにをするのか分かったようで、めんどうくさそうな顔をしていた。
「こんな事のためにわざわざ呼びつけたのですか」
「アヌビスがこれをするのは珍しいね」
俺を取り囲むように三人が指示されたところに座った。右後ろにポロクル、左後ろにアレクト、正面にアヌビスだ。
「それじゃあ始めるぞ」
三方向から俺の首に剣が向けられた。
「な、何するんだ。死ぬだろ」
「馬鹿か、動かなかったら死なない」
アヌビスに嘲笑われた。動かなければ死なない。確かにそうだが刃物の恐怖が無くなった訳ではない。紙一枚分の隙間が空いているが、馬車のゆれで剣に触れそうになる。
「なぜ俺がこんなめに」
「お前は何らかの力を用い俺の部隊に多大なる被害を与えた。本来なら即切り捨てるほどの大罪だが、三つの価値によってお前の命量らせてもらう」
「なに言っているかわからねえよ」
「貴方一人の命で、今回死んだ兵達全員分の価値があるかどうか見極めるってこと」
アレクトという女性が分かりやすく言ってくれたが良く飲み込めない。
「つまりだ。今回死んだ50人の兵よりお前の方が価値があった場合、お前は生き残れるってことだ。だが、俺達のうち一人でもその価値がないと判断した瞬間に首が飛ぶ」
単刀直入の説明ありがとうございますアヌビスさん。つまり、今俺は死ぬか生きるかの瀬戸際ってことですね。
「自分は知識を求めます。貴方は我々に役立つ知識または情報を持っていますか?」
ポロクルが聞いてきた。見た感じ30後半の彼に高校生の俺が教えられることがあるのか? 逆に教えられる方だろう。
「それは俺が説明する。こいつの言うことが本当なら魔道書の生産が可能なぐらいの知識をこいつは持っている。十分だろう」
アヌビスが俺の変わりに答えてくれた。アヌビスが言っているのは原爆のことだろう。なるほど、この重いだけの本一冊に俺の命が少し助けられたのか。
「なるほど、それは興味がありますね」
ポロクルは剣を鞘に収めた。なるほど、この三人を満足させるものを俺が持っていれば、生きていられるのか。
「私は――楽しいことが欲しい」
アレクトは緊張感の無いことを言い出した。
「楽しいことですか?」
「そう、楽しいこと。長く部隊で生活していると退屈するの。私達の疲れを癒し娯楽を与える何かを貴方は持っている?」
笑わせろと言っているのだろうか。だが、その真剣な目の前で一発芸なんかすれば即斬られそうだ。意図が分からず悩んでいるとアレクトは短く説明した。
「そーだなー。君、美味しいもの作れる?」
「料理ですか?」
「料理もそうだけどお菓子とか何か無い?」
俺は本をバラバラとめくり料理とお菓子のレシピが大量載っているページを見つけた。そこに載っている写真を覗きこんだアレクトが笑顔になった。
「うん、いいねこれ美味しそう。これの作り方を教えてくれるなら私は大満足だよ」
アレクトは剣を放り投げ本の写真を次々と見始めていた。
「アレでいいの」
アヌビスに聞いてみるが、アヌビスも満足しているようだ。
「リョウ、生きていくのに食事は大切なことだ。生命維持だけではなく、疲れを癒し気分を変えさせてくれる。特に戦の時には少しでも贅沢をしたいと言う欲望があって当然。それを満たすと言うことは、部隊全体の指揮を上げることにもなる。アレクトの言い方は軽いが、お前は部隊のためにどれだけ貢献できるかを聞いていたんだ」
何はともあれ二本目の剣が取られ、残ったのはアヌビスが差し出している一本だ。白く輝くその剣は、アヌビスの服装の正反対で黒い闇に輝く白い月のようだ。
その剣を俺の首に付け最後の質問をした。
「リョウ、お前が今まで言ったことに嘘偽りは無いな」
「はい」
「なら、最後の問いだ。お前は俺に絶対の忠実を誓うか。俺に従い俺らと共に行動をし、命を共にする覚悟はあるか」
「それって、奴隷になれって」
「俺に従うと言うことは国に従うと言うこと、国のために命を張って戦う覚悟はあるか」
俺の質問をすぐに遮った。アヌビスの言っていることはつまり……。
「軍人になれと」
「深く考えるな。俺達と行動を共にすればいいだけだ。そして、俺達の役に立とうと必死になれ。それだけだ」
もし生きてここから離れることができても、どこにも行き先がない俺は選ぶ余地が無かった。
「それはこっちから願いたいほどです。一緒にいさせてください」
「よし、お前の命俺達三人が預かった」
アヌビスが剣を収め全身から力が抜けた。俺、生きていけるんだよな。
この世界で初めて学んだこと『強者にはできるだけ腰を低くすること』だ。
「ねえねえ、君。これの作り方教えて」
アヌビスに脅されている間アレクトは、俺の命の恩人である事典を見ていた。文字が読めないので写真だけを見ていたのだ。その中から気に入ったものを指さしていた。指さしていたのはプリンの写真だ。これの作り方を教える。これが俺の生きていくための手段か。俺の命はプリンと同じなのか。
「ねえ、早く」
手に紙を持って準備万端のアレクトに手を引かれた。すると、アレクトはぴたりと止まり本をくいいるように見ていた。
「卵、砂糖……読める。私、この本読めるよ」
俺を含めアヌビスもポロクルも驚いていた。ち、ちょっと待ってくださいよ、アレクトさん。そんなことされたら自分の存在が三分の二減るんですけど。
「本当かアレクト」
アヌビスの所に本を持って行ったアレクトは、父親に褒めてもらえる子供のような顔をしていた。
「うん、……って、あれ?」
アレクトは本を逆さにしたりして頭を捻っていた。
「どうした」
「ごめんアヌビス、読めなくなった」
「はあ? なに言ってるんだ。寝ぼけたか」
アレクトさんはがっかりしているが、俺にとっては喜びが隠せない。
そんなアレクトと俺を見ていたポロクルがアレクトを呼んだ。
「アレクト、本を貸してもらえませんか」
「あ、うん」
本を受け取ったポロクルは、何枚か捲って読めないことを確認していた。
「では、貴方。リョウとか言いましたか、手を出してください」
俺は言われるまま手を出した。その手をポロクルは握った。見た目は細い人なのに力は強かった。手を握ったまま本を見たポロクルは驚きながら頷いていた。
「なるほど、これは素晴らしい本ですね。これを応用すれば翼竜なんて話にならないですね」
ポロクルは本の内容を理解しているようだ。本を読みながらメモを取っていた。
「ポロクル、お前読めるのか」
アヌビスが聞くがポロクルは首を左右に振るだけだ。
「いいえ、読めませんよ。ですが、彼に触れている間だけ読めるようになるみたいです」
ポロクルは手を繋いだり離したりを繰り返して確認をしていた。
「ポロクル貸せ」
ポロクルからアヌビスは本と俺の左手を奪い取り読み出した。アヌビスも読めたらしく内容に感動していた。
「なるほど、これが原爆とやらか。正確な威力も書かれている。その後の影響もなかなかだ」
アヌビスは本を置き俺の目をじっと見た。
「リョウ、お前が必要だ」
安心できるその台詞。心から嬉しかった。ほんの数秒後まで。
左手を床に広げられ、がっちりと固定された。そして、アヌビスの右手にはナイフが握られていた。まさか……。
「俺達三人だから、いらない指三本選べ」
「全部いりますよ。どれも大事な指なんです」
「待ちなさい、アヌビス。指を切ってもそれで読めるようになるとは限らないでしょう」
ポロクルさんに助けられた。ありがとうございます。
「リョウ、髪の毛を一本貰いますよ」
「はい、一本と言わず何本でも、指を取られるぐらいなら差し上げます」
髪の毛を一本持ったポロクルは、本を見てみたが首を振った。
「やはり体から離れたものでは読めないようです」
「たく、しょうがねえなあ」
そんなにがっかりしないでください。
こんな危ないアヌビスと俺は、行動を共にすることになった。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。