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第52話 サルザンカの宝-『羽化する忠義の魔物』

 赤黒い刀身に黒い蛇が走ったような紋様が描かれた炎の魔剣を直角に構えてアヌビスは走る。

 そして、あまりにも巨大な融合されて作り出された魔物、ここでは古代グルパニス語で大食いを意味するフブルと呼ぼう。

 アヌビスは巨大なフブルの2本の足の間を通り過ぎ、人間では胸元に当たる体の真下へと入った。だが、その巨大さゆえに、どこに心臓があるのか分からない。さらに、空を見上げるアヌビスの視界は、フブルの灰色でひび割れた硬い肌で覆われている。

 そんなフブルの胸とも腹とも分からない部分でさえ、200mを超える足に持ち上げられ、100m以上上空にある。

「くそ、竜や獣とは規模が違うか。でかい図体しやがって、動きゃしねぇなぁ」

 その遠くにある標的にアヌビスは苦い笑いを浮かべる。アヌビスが狙ったのは、フブルの体の下からすぐに逃げることのできる所だ。巨大な体を持ちながら、後ろ足がないフブルの下半身はナメクジのようになり地面を這う形になっている。

 街の大通りを破壊し、津波を起こした光線砲を放ったフブルは、ぐったりと体を揺らしながら2本の足を軽く曲げている。このことから、連続しての砲撃は無理だと分かる。

 先ほど放たれたフブルの光線砲を充填する時にその下半身は風船のように膨れ上がるが、放たれ間もない現在は地面についている。確かに、そこなら簡単に攻撃を与えることができる。だが、アヌビスは理由があってそれを拒否している。

「あの攻撃、どう見ても、過粒子砲だな。補充物質は……建物、空気、人間、とにかく手当たり次第ってか」

 一度フブルの体の陰から出たアヌビスは、フブルの全貌を眺めながらその上にいるジャックへ目線を送った。

 それに気付いたのかフブルの頭部分に右手を突っ込んでいるジャックは、その手を引き抜きアヌビスに冷たい目を向ける。

「そうなのにゃ。体内に取り込んだ物質の魔力を体内に吸収して、残った粒子を高密度に高め、少量の魔力で繋ぎ合わせているのにゃ。吸引、分解、圧縮、工程に時間は掛かるけど、防御するのは困難にゃよ」

 ジャックがフブルの技の仕組みを理解しているのは、フブルの体内に手を突っ込んで仕組みを読み取ったからだ。ジャックの能力である空間移動は、物質の粒子構成を理解して、分解して運び再構築するものだ。

 つまり、空間に存在する粒子の組み合わせを読み解く力が必然的に高くなる。ジャックには空間移動の直線上に、触れた物の構成粒子を読む力を備えつつあるのだ。

「だろうな。だが、その工程を行っている下半身。その力を押さえ込むほどの柔軟さと対魔法力。簡単に切り崩せるものでもないようだな」

 体内で作り出される高エネルギー。それを取り込む体は、その威力にも耐えなければならなくなる。上半身はともかく、膨れ上がり力を蓄える下半身と吐き出される口は、それを耐え抜くだけの強度があると考えて間違いないことだ。

「にゃはは、でも、ちいちゃい黒ジョーちゃんじゃ、こんな高い所にある目は攻撃できにゃいにゃ」

 ジャックの笑いにアヌビスも笑ってみせる。ケルンのように翼を手に入れて高速で器用な飛行はできないが、アヌビスが空を飛ぶ手段はいくらでもある。だが、アヌビスはそれを選ばない。それは、自分で自分にかせた足枷のようなものだ。つまり、戦いを楽しむための一つのルールのようなものだ。

「まあ、この程度の境地に立たされても、上手くやれなきゃ神を名乗る資格はねぇよな」

 アヌビスは一人で笑う。彼は、強い相手と戦いたいと言っているが、それはただの趣味の域でしかない。彼の本当の目的は、強い者を倒して自分の存在を世界中に知れ渡らせることにあるのだ。

 彼が戦いのたびに本気を出していたら、フブル程度の相手なら秒殺することができる。だが、それでは魔道書と同じ。無敗の男がいる程度で止まってしまう。彼が目指しているのはその先、どんな状況でも完全なる圧勝。さらに、彼の本気は誰も見たことがない。

 本気を出すのは、ある二人の人物が現われた時のみとアヌビスは心に決めていた。

「さ〜て、黒ジョーちゃんはどうやって、この子を沈めようと思うのかにゃ」

 フブルの頭上と安全な場所で、挑発のように笑うジャックを無視して、アヌビスは赤黒い炎の魔剣を持ちながらフブルの右足の前に立つ。

 足元にアヌビスがいるがフブルは踏み潰すような行動を見せない。それは、アヌビスを敵として見ていないのもあるが、彼はその巨大すぎる体ゆえ体を動かすのが苦労を超えた苦痛なのだ。

 今、山のような彼の体を支えているのは、2本の大樹を思わせる足とナメクジのような下半身だけだ。それだけで直径400mほどの大きさはある球体のような体を支えている。

 だが、下半身のナメクジのような体は、骨がない空気の抜けた風船のようなもの。そこに体重を任せると軟体生物のように倒れて、射出の口は空を向いてしまう。

 なので、実際に数百トンの頭や胴体を支えているのは、足回り50mほどしかない足2本となる。巨大なスイカに割り箸を2本刺して立たせているような状況と思っても問題ない。

「まあ、手段は数え切れないほどあるが、巨大生物を倒す時の定石その3でも試してみるかな」

 アヌビスは、炎の魔剣をフブルの右足に突き刺す。それは、とても低い所大凡足首より少し下のとこだ。その攻撃にフブルは何の反応も見せない。ただ、その小さな瞳でボケーと海の方を眺めている。

 ジャックも、アヌビスのしている行動が理解できない。だが、アヌビスの足元に赤い炎を意味する魔法陣が広がっていくのを見て、ジャックはフブルに初めて命令を出す。

「おい、逃げるにゃ。焼かれちゃうにゃ」

「ぬぅー」

 ジャックの焦る声に反応しているのか分かりにくい声が響く。フブルの低く大きな声、それはヴィルスタウン中の生物が体の内から震わされるような独特の低重音を持っていた。

 そのつぶらで小さな黒い瞳と閉じれば小さな口、そして愛嬌のある鳴き声。これらからはとても可愛く見えてくる。ちなみに、フブルを遠巻きで見ていたアレクトは、この鳴き声を聞いて任務を忘れそうなぐらい興奮したそうだ。

 そんな可愛いといってもいいようなフブルは、ジャックの命令を理解しているのか、少しだけ体を傾けた。それは、頭の上に乗っているジャックにだけ分かる微妙な変化で、とても片足を上げる様子はない。

「うにゃにゃ、こうにゃったら、空間移動で……」

 ジャックはフブルの頭に手を当てる。だが、フブルがそれを拒んだかのようにジャックの右手は弾き飛ばされた。

「うにゃ、質量が大きすぎるにゃ。これじゃ、運ぶのに時間が」

「残念だったなジャック。燃え上がれ黒炎」

 想像以上にフブルの体が複雑な構成をしていたので、ジャックほどの実力を持ちながらもフブルを運ぶことができない。そのことを読んでいたのだろうか。アヌビスは優雅に余裕を見せるかのように赤黒い炎の魔剣をフブルの右足から引き抜いた。

 すると、フブルの右足の地面に描かれたアヌビスの魔法陣から、渦を巻くように黒い炎が空へと登り始めた。

「体を支える足を溶かし尽くせ」

 その炎はアヌビスの意思にしたがいながらフブルの右足を完全に包み込む。巨大なフブルの足だが、所詮は生き物の皮膚である。黒い炎に飲まれてからフブルの足の皮はドロドロに解け始めている。

 だが、体を動かすのに時間の掛かるフブルは、その炎が噴出す魔法陣から逃げることができずにいた。

「ぬうぅー!」

 フブルの動きは鈍いが、感覚はしっかりしているようだ。黒い炎に飲まれてその苦痛に大声を上げる。

「もう少しの我慢にゃ、今水を出すにゃ」

「もう遅い。炎よ。集まりて膨脹の破裂を起こせ」

 ジャックが両手を広げ、両腕一本ずつミサンガを引き千切るのと同時にアヌビスの炎が動いた。渦を巻く黒い炎は、徐々に集まり始め3本の炎の綱になった。

 そして、その炎の先端は、鋭利に尖りフブルの足の皮膚を引き裂きながら空へと登る。まるで、3匹の蛇がまとわりつくように見えてくる。

 そして、その3匹の蛇が巻きつきながらフブルの足を登り、膝付近まで到達する。すると、3匹同時に膝に噛み付いた。そして、アヌビスが炎の魔剣を水平にふる。

「弾けろ!」

「水水水水水。沢山集まって、全てを流しゼロに戻すにゃ」

 ジャックの切られた2本のミサンガがバラバラにわかれる。その一本一本の糸が滝のような大量の水に変わり、空から数十の滝が降り注ぎだす。

 だが、アヌビスの方が速い。アヌビスの指示に従い3匹の蛇は、肉を引き裂きながらフブルの膝の中へと入っていく。そして、ジャックが出した大量の水が患部に届く前に蛇は膝内部で爆発音を上げた。

 もちろん、フブルの膝は砕け散りフブルの右足は膝から分断した。そんな中、大量の滝が地面にぶつかり、水しぶきと轟音を生み出す。その轟音の激しさと大きさは、膝を砕いた爆発音を簡単に凌駕していた。

 はち切れた右足は、地面に落ち大きな振動を立てる。それに続いて、巨大なスイカを支えていた一本を失ったフブルは、当然のように倒れ始めた。

 巨大な体は、両脇にそびえる建物を軽々に壊しながら横になった。そのフブルが地面に着いたときの衝撃は、地震とは比べ物にならないほどの揺れが生じ、周りの物という物を破壊するものであった。

「ぬうう」

「うにゃあ、間にあわなかったのにゃ」

 横転したフブルの頭の上に執着せず、ジャックはミサンガを一本千切り上半身だけのガラス製のゴーレムを生成して、そのゴーレムの肩に座っていた。

「巨大な体も立てなければただの肉の塊だな」

 アヌビスはジャックが出した大量の水、豪雨を浴びながら空のジャックに余裕の笑みを見せつける。その豪雨が生み出した水の量は、背の小さいアヌビスの膝付近まで水が溜まるほどの勢いであった。

 フブルの一撃で生まれた津波とジャックの出した大量の水で、ヴィルスタウンのほとんどが水に沈んでいる状態に近いのだ。

 フブルは腹をアヌビスに見せる形になりながらも、口を大きく広げ手当たり次第に物質を取り込もうとしている。フブル自身で砕いた建物と、ジャックが出した大量の水のほとんどが、フブルの口の中へと吸い込まれてゆく。過粒子砲の予兆だ。

「させるわけねぇだろ。蒼天の刃」

 フブルの風船のような下半身が膨れ始める。それを許さないアヌビスは、赤黒い剣を一振りした。

 すると、その剣の刀身は、晴れ渡った空を連想させる蒼く透き通った氷のようなもののになった。その刀身には金色の紋様が浮かび、炎の魔剣が禍々しさを帯びているのなら、この蒼い剣は、神々しさを感じるものだ。

「最速最鋭。その速さで、罪人は斬られた痛みすら感じぬ。神の思いやり受け取れ」

 蒼い剣を地面と水平に、真っ直ぐ伸ばした左腕に添えるように構える。まるで、斬りを専門とする剣なのに、突きをするかのような構えだ。

「走る!」

 一言、アヌビスが声を弾けさせると、フブルとジャックの目の前からアヌビスの姿が消える。そして、むき出しになったフブルの腹に一閃の切れ筋が入った。その切れ筋は200mほどで、線が引かれただけで、傷口として開かない。

 そして、それに交わるかのようにもう一本引かれる。結果、フブルの広い腹には、バツ印が描かれた。

 すると、フブルの目の前でつむじ風が起きる。それほど大きなものではない。そう、高速で移動したものが目の前で急停止した時に起きる追い風のようなものであった。

 その高速で移動して急停止したもの、それはもちろんアヌビスであった。彼は、黒いマントをその風になびかせ、フブルに背を向けたまま指を鳴らす。

「気づけ。斬られた痛みに追いかけられろ」

 パチン。その音を合図に、フブルの傷口が一気に開く。そして、アヌビスは両腕を広げて全身に血飛沫を浴びようと待ち構えた。

 だが、それは一向にこなかった。不思議に思ったアヌビスはその傷口を見て度肝を抜かれた。

 その傷口から見えたもの。それは、肉とも血とも骨とも違う、ジェル状で透明なものだ。



「なんだこれは」

 アヌビスは、フブルの内部を見て、それがフブルの体内に満たされているとしたらと考えていた。ジェル状の体では、何処が急所か分からないし、攻撃が効くのかも分からない未知の相手となる。

「とにかく、だ」

 アヌビスは剣を鞘に納め、両手に炎の球を作り出す。その間でも腹を切り開かれたフブルは、水を吸い続けていた。

「その得体の知れない内臓を守る皮膚はないんだよなぁ」

 両手に火球を持って、アヌビスはかなりの距離があったが跳ねるように近づき、数歩で患部の前に立つ。そして、フブルのジェル状の体内に火球を二つねじ込んだ。

「ぬうう」

 アヌビスに直接体内を攻撃されたフブルは苦しむような声を上げた。だが、すぐにその火球は体内にある大量のジェル状のものに吸い込まれた。それに驚いたアヌビスは大きく退く。

 見ると、ジェルに触れていた自分の両手の皮膚がほんの少し炎症を起こしていた。ジェルの中に手を入れている時は、痛みや危機などまったく感じなかったのだが、引き抜いてからは日焼けしたような痛みがあり、謎の多い物質にアヌビスは眉を曲げた。

「にゃにゃ、もしかして、繭なのかにゃ」

「繭だと」

 ジャックの呟きにアヌビスが妙な反応を見せる。そして、アヌビスは期待と興ざめの目でフブルの体内を見てみる。その体内にあるジェルは、はじめは少し水色がかったものであったが、アヌビスの火球を取り込んですぐに赤色が淡くついた。

「まさか、あの体内の物質は、粒子、しかも不完全な結合の……」

 アヌビスの疑問をはらうかのように、全てを見切ったジャックが憶測を自慢げに話し始めた。

「黒ジョーちゃん。初めに忠告しておくけど、今のその子に攻撃をしても意味ないからにゃ。その子は、数百の魔物の体を構成していた粒子の集合体にゃよ。でも、その粒子を繋ぐだけの魔力がないのにゃ。ほんにゃいなら、おいっちが分解時に預かっていた魔力を再構築時に渡すんにゃけどね。大量の粒子を全て効率よく繋ぎ合わせて一個の存在を作るには、魔力が足りていないのにゃ」

「だから、表面だけ構築して、内部では半端に結合された粒子があるって訳か」

 ジャックの説明を聞いて、アヌビスも察した。それを聞いたジャックは、冗舌に動かしていた口を止める。

「だから、俺の火球を飲み込んで、魔力を補充したのか。それに、常に外部から魔力を吸い続けてやがる」

 アヌビスがフブルを睨みつけると、フブルは水を吸い続けていた口を閉じる。そして……。


 ごっくん。


 そんな気持ちのよい音が響く。吐き出すための充填だとアヌビスは思っていた。だが、それは肉体の粒子を結合するための魔力を補充するためであった。

 フブルが吸い込んでいた大量の水は、ジャックが魔力で水の粒子を結んで作った魔力を多く含んだものだ。そして、大量の結びつきが悪い粒子を、ある結び方ができるだけの魔力を確保した。

 体が完全なものにすることができるようになったフブルの体は、青白く輝き全身の皮膚のひび割れが目立ち始める。そして、その割れた大地のような皮膚が、ポロポロと剥がれだした。

「ぬーぬーぬー」

「始まったのにゃよ」

「魔物の進化か」

 元々、体の作りが複雑で、人間に比べたら体の構成が安定していないのが魔物だ。そんな魔物が時に急成長をするときがある。その時、体を硬い膜で覆い、体を粒子まで分解して再構築する。まさに、進化する方法を取る種がいる。フブルはその手段を選んだということだ。

「黒ジョーちゃん。分かっていると思うけどにゃ」

「ああ、進化の邪魔をするような無粋はするつもりはない。さらに強くなってかかってくるのを期待してやる」

 死神と呼ばれるアヌビスでも、生命が生まれようとしているのを邪魔はしないようだ。

 そして、フブルの巨大な皮の繭が破け、中から大量の水が流れ出た。

 中身のほとんどを失ったその皮の中で、何かがモゾモゾと動いている。それは、大凡2mほどの身長はある人間の形をしていた。


 だが、その時、神秘的な空気を一瞬にして張り詰める魔力の波がアヌビスたちを取り込んだ。

 その魔力の波は攻撃ではない。どこかで爆発したような魔力の気配が生まれたのだ。それをアヌビスもジャックも肌で感じていた。人間でも魔物でもない混沌とした魔力の気配に、アヌビスは笑いジャックは苦い顔をした。

「12神に並ぶほどの力だが、そこまで純粋じゃねぇ。人間のように混沌として、魔物のように鋭利な魔力。まさに、冷気の刃を思わせるような力。今朝の奴か」

「もしかして、ナナ。不味いにゃ」

 アヌビスとジャックは、各々感情を高ぶらせて、お互い見合う。

「ジャック、悪いが俺は行かせてもらうぞ」

「黒ジョーちゃん、悪いけどここから動かないでほいにゃ」

 二人の声が重なる。そして、お互いに大きく後ろに退く。そして、アヌビスは剣を抜き、ジャックはドリームキャッチャーを手に握る。

「ジャック。邪魔するって言うのか」

「うにゃ。本当なら、黒ジョーちゃんの相手をしないですぐに行きたいにゃ。でも、黒ジョーちゃんを一人にしたら、絶対にナナの所にくるって分かるにゃ」

「ほう、さっきの魔力の持ち主は、ナナって言うのか。つまり、ジャックは知っているな。あの得体の知らない魔力の……エルフィンについて何か」

 アヌビスの笑みにジャックは口を塞いだ。

「う、にゃあにゃ。知らないにゃ。そ、そう、おいっちは、プリンセスの様子を見に行くのにゃ。だから、ついてきても面白くないのにゃよ」

「馴れない嘘をつくな。まあ、貴様の後についてそのナナとやらを見つけ出そうとは思わない。だが、俺がそのナナとやらと戦っている時に邪魔されては面倒なのでな。とりあえず、ここで瀕死状態にしておくか」

 アヌビスはジャックに蒼い剣を振りかざす。咄嗟の出来事にジャックはいつもの反射で、ミサンガを引き千切る。だが、ミサンガ一本で作り出せるゴーレムではアヌビスの攻撃を防げないことを過去の経験で思い出す。

「ま、まじったにゃ」

 ゴーレムが何の壁にもならずに砕け散るのを見たジャックは、苦笑いで諦めを表明して、顔の前で腕を組んでアヌビスの斬撃を待った。


 その諦めたジャックの目の前で大量の水しぶきが上がった。


「み、水? うにゃ、ちみは……」

 ジャックは、全身に力が入り、バランスを崩して地面に腰をつけていた。その彼は頬に水しぶきを浴びて、強く閉じたまぶたをゆっくり開ける。そして、自分の目の前にいたのは、自分を守ろうとアヌビスの前に立ちふさがる水の人間だ。

 身長2mほど。細身の体は全て水。人間の形をしているが、髪の毛や骨や内臓など人間を思わせる部分は輪郭を除いて一つたりともない。

 人間の形をした水。目の部分だろうか、その部分だけが黄色に輝いている。その水人間の体の中に、アヌビスの蒼い剣が取り込まれ受け止められていた。

 その水人間は、ジャックに背を向けたままアヌビスの剣を握り締めている。その手からは、彼の体を構成する水が滴っている。血、そう言ってもよいのかもしれない。

「ジャック様。行って下さい。黒のジョーカー様相手に、何分。いえ、何秒持つか分かりません」

「ちみ、さっきの子かにゃ」

 ジャックの質問に水人間は答えない。ただ、ジャックに立ち上がり走り出せとその背中は語る。

「ジャック様。今回の作戦。これだけの犠牲を払って行う私たちの正義。思い出してください」

 水人間にそう言われ、ジャックは軽く殴られた気分になった。その言葉は、ジャックが死に脅える仲間を励ますときに使う言葉だ。実力、地位、ともにジャックの方が上である。だが、心を打つ言葉を放つのにそんなものは関係なかった。

 水人間の大きさ、覚悟、忠誠心。それを知ったジャックは、生まれてまだ名の無いその仲間に、自分の与えることのできる名前を与えることにした。

「ジャックの隣に立って剣を握る者。ちみに、ナイトの名をあげるのにゃ。ナイト、ここは任せたのにゃよ」

「了解です。ジャック」

 ナイトがアヌビスを倒せるとジャックは思えていない。アヌビスに消されると考えたくなくてもそれしかでてこない。それでも、ジャックは、ナイトを信じる。

 生きてまた目の前に現れてくれると。だから、口には出せなかったが、生き抜いてくれとジャックは心の中で呟く。そして、ドリームキャッチャーのネットを広げ、空間移動をして二人の前から消えた。

 先を越されたと諦めたアヌビスは、ナイトの体から蒼い剣を引き抜く。そして、ナイトに作った微笑を見せる。

「ロイヤルの仲間入りを祝福してやる。だがな、ナイト。俺の邪魔をするなら、ロイヤルだろうと消すぞ」

「構いません。なんなら、ジャックの邪魔をしないと誓うなら、自ら命を絶つこともいたします」

「大した忠誠心だな。だが、ナイト。誰に口を聞いているのか分かっているのか」

「はい。黒のジョーカー様。貴方様の功績はよく存じております。ですが、仲間とジャックたちの苦労と血と命。それらを無に帰せぬために、あの力の持ち主はジャックにお譲りください」

 そのナイトの言葉。久しく聞いていなかった忠誠の言葉がアヌビスの中に響く。

「ふん、大した奴だな貴様は。だがな、その絶対の忠誠……反吐が出そうだ。……いいだろう。ジャックの邪魔はしねぇ。色々と借りがあるからな。だが、この高ぶり、貴様が補ってくれるんだろ」

 アヌビスが蒼い剣先をナイトへと向ける。それに答えるようにナイトは、水の拳を向ける。

「私のようなものでよければ。命が尽きるまでの暇つぶしに、お付き合いいたします」

「ふん。まったく、クイーンといいジャックといい。いい部下にめぐり会っているな」

 アヌビスは、昔の仲間の今を知り、その仲間が認めた部下との戦いをただ楽しみたいと剣を振り上げた。


この物語はフィクションです。

登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。

実際に存在するものとはなんら関係がありません。

一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。

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