第49話 サルザンカの宝-『女神没落』
「きゃはは、逃げろ逃げろ逃げろおぉ。潰す潰すつぶすぅ」
大剣を力任せに振り回すアテナの攻撃を紙一枚の余裕でかわし続けるケルン。このまま逃げているだけでは決着が付かない。だが、ケルンの目的は全員が安全な所に避難することだ。
既にアレクトたちはここからかなりの距離を稼いでいる。本当なら兄のアレスと一緒に合流するのが正方だ。
だが、今のアテナを放置しておくと、必ず追ってくるだろう。彼女達がケルンたちを襲うのは、ミル達が目的だからだ。だから、ケルンはここでアテナを打つのが正方だと考えた。
アテナから大きく距離を取ったケルンは弓に矢を番える。そして、矢の先端に魔力を集中させる。その間にもアテナは稼いだ距離を急速で縮めて接近してきている。だが、近づけば近づくほど命中率は上がり、付属で繰り出される振動の威力も増す。
そして、アテナの間合いに入る寸前にケルンは矢を放った。だが、壊れた操り人形のように終始笑みを振るわせるアテナが大きく笑う。そして、音速の波に乗る矢を素手で掴んで見せたのだ。
「なっ!」
「ひゃはは、もう、超えられる超える超える超えたぁ!」
アテナは、宙を飛ぶはずの矢を、放たれて自分に刺さる寸前で掴んだ。その時、アテナは魔法も犬神の力も使っていない。ただ、自分の身体能力と反応速度だけでやって見せたのだ。
「これ、返す返す刺しかえすぅ」
アテナが大きく右腕上げる。その手にはケルンの放ったあの矢が握られている。その矢は、ケルンの意思で1本から100本へと姿を変えるあの矢だ。ケルンは刺されまいと、振り下ろされる前に分離の命令を出した。
すると、本来なら小さな爆発で矢は分離するのだが、アテナに強く握られていたので上手く広がることができない。だが、その100本の矢は、アテナの右腕を矢の塊に見えるほど大量に刺さる結果になった。その威力は小さいが、数が多く、右腕は手首から肩まで使い物にならないぐらいの被害だ。
「どう、僕の矢。いろんなことに使えるんだよ」
ケルンが自慢げに笑って見せるが、それ以上の余裕をアテナは狂喜で表現した。
そして、アテナは大剣を自分の右肩に当てる。
「使えない。使えない使えない使えない。いらない、いらない、いらなぁあい」
叫びながらアテナは自分の大剣で自分の右腕を切り落とした。矢だらけの右腕は地面に落ち、その腕を弔うかのようにアテナの血が腕に降り注ぐ。
流石のケルンもそれにはひく。いくら不利なものだといっても治療をすれば治るものだ。なのに、切り落とした。後先考えないでの行動。どうもメネシスが来てからのアテナは尋常ではない。
だが、アテナの行為の続きを見たケルンは苦い顔をさせられえることになった。
「ない。腕、ないないないないない。……みいぃつけたあぁ」
目玉をごろごろと動かしながら何かを探すように周囲を観察していたアテナは、瓦礫の隅に隠れるようにしている一般の女性を見つける。そして、駆け足で近づき、その女性の前に立つ。
「それ、欲しい。欲しい欲しい欲しいいぃいい」
女性に首を曲げながら右肩を指さしていたアテナは、血を噴出しながら笑うアテナを恐れ逃げ出す女性に大剣を向けた。そして、その大剣は、女性の右肩を切断。女性の右肩からは、アテナ以上の血が大量に噴出す。その女性は突然の激痛に苦しみながら、その場に崩れるように座り込む。そして、魔物に見つかり今までの出来事が理解できないうちにその命を終えた。
「腕、新しい。腕腕腕エェまだ、まだまだまだまだいえけるうぅ」
アテナは切り落とした女性の右腕を何度も自分の傷口に押し当ててつなげようとしている。アテナは治癒魔法が使えないのでそれは不可能なのだ。だが。
「そ、そんな。あの魔力は……」
アテナの右肩の傷口から、紫色の糸のようなものが何本も出てきて、女性の右腕の切り口に繋がる。そして、その紫の糸はアテナの体の中に戻ってゆき、女性の右腕を繋ぎ合わせた。
それだけはない。アテナと女性の腕とでは肌の色も大きさも一致していない。だが、結合されてすぐにアテナの肌の色になり始め、腕の長さ太さも元あった腕と同じように形状を変えた。つまり、腕を再生したのだ。
「ひゃははは、戻った戻った戻った。これこれこれこれこれこれこれこれ、動く動く動く、私の右腕動くぅ!」
アテナが見せた再生術。これは彼女の力ではなく、彼女に力を与えたメネシスの技だ。
メネシスの魔法は、洗脳である。味方であるアテナを洗脳する必要性があるのか疑問に思われるが、メネシスはアテナを洗脳することによって、人間の箍を外したのだ。
人間の箍、それは人間が無意識のうちに付けているリミットのようなものだ。自分では全力を出しているつもりでも、肉体が崩壊してでも動かそうとはしない。だが、メネシスの魔法でそのリミットを外したのだ。そしてアテナは、恐怖、痛み、苦しみ、悲しみ、そんな人間に躊躇いを与える感情をすべて滅ぼした。だから、自分で自分の腕を切り落とすことができたのだ。
そして、洗脳の効果の一つで、メネシスの魔法を遠く離れたアテナにかけることができるのだ。これが、メネシスの不感不死部隊の仕組みだ。
「完全に繋がった。くっ、周りにいる人間全部殺せって言うのか」
メネシスの魔力を感じていたが、魔法の仕組みを知らないケルンは、まともな対策を考えられない。真っ先に思いついたのは、周りに代えとなる人間がいなければいいという判断だ。そんな彼は周囲にまだ何人かの人間が動けずにいるのを知った。
ケルンにとってアテナの体をバラバラに破壊することは簡単だ。だが、そのたびに周りの人間を使って再生されていたらケルンの体が持たなくなる。どうにかしてアテナの再生を止めよとケルンは考えていた。
「あ、あ、あなた、つよ、つよい。体。そ、そのか、体。も、もって帰る。そ、そそそして、ほめて、もらう」
終始笑っていたアテナだが、右腕が完全に動くようになってからは、苦痛の笑みが混ざるようになった。発する声も途切れ途切れで、今にも止まりそうな話し方になっている。これも、メネシスの魔法が関係していて、メネシスが大きな治癒魔法を使ったので魔力を多く消費して、アテナを洗脳する力が弱まったのだ。
「悪いけど、僕素直に捕まるような子じゃないから」
ケルンは、震えながら睨みを利かせるアテナに矢先を向ける。だが、人間の箍を外されたアテナにとって、武器への恐怖や威嚇の意味などまったく意味のないものであった。
それならケルンでも分かっている。なので、この矢は威嚇ではなく確実にアテナを仕留めるものだ。
今までは7割ほどの力で弦を引いていたケルンだが、今回はほぼ全開に近い9割の力で弦を引いている。さらに、今回はまとめて番えず、1本だけ番えてあと4本を右手で持つ。つまり、確実に狙って射るつもりだ。
そんなケルンに対して、アテナは大声で笑い、黒い刺青が刻まれた大剣を振りかざす。すると、アテナを中心として緩やかに風が集まっていくのをケルンは肌で感じていた。
「今更風魔法。残念だったね。僕のほうが速いよ」
アテナが大剣で大技を繰り出そうとしているのは眼に見て分かることだ。その魔法の大きさは分からなくとも、風魔法は二人が戦っている幅の狭い市場街では回避が難しいことが多い。
だから、ケルンは先に動いた。9割の力で初めより速度の速い矢を射る。続いて、緩やかな力でそしてまた力強くと速度の違う5本の矢を射る。そして、また矢を番える。
「見切った見切った見切った。見える見える。見えるから、見えているから。こうする!」
アテナは、大剣に風を吸い集めながら一本目の矢を避ける。だが、最初より速度のあがっている矢を完全に避けることはできず、太ももにかする結果になった。
だが、後の4本は難無く避けられた。その結果に納得のいかないケルンは続けて射る。
10本、20本、30本と次々に射るが、アテナは簡単にかわす。時々当たるときもあるが、かすり傷程度で動きを止められるほどではない。
「無理無理無理無理無理! 当たらない当たらないあたらなぁあい」
「うるさいなぁ。当たらなければ当たるまでやればいいんだよ」
ムキになるケルン。だが、ケルンの使っている矢は無限に存在するものではない。ケルンの魔力で作り出している特殊な細工が施された矢で生産の限界はある。ケルンもどれだけ作り出せるの把握できていない。
射る本数は数えているが、何本まで出せるか分からない。それまでの魔力消費やその日の体調など考慮しなければならない点が多く、変な根拠で固定数を設けると誤差で失敗するからだ。
もしかしたら、矢を作った瞬間に力尽きて倒れるかもしれない。そんな恐怖を背負いながらケルンは矢を作り出していたのだ。
だが、恐怖とも戦いながらアテナに矢を射るケルンを笑うかのようにアテナは大剣に風を集め終えた。その短い時間でアテナに与えられた一番大きなダメージはまぐれで左太ももに突き刺した一本だけだ。その矢は、アテナが躊躇せず抜いてしまっていた。
その普通の矢の威力は低く、恐怖と痛みの感情を失っているアテナにとって怪我のうちに数えられるものではなかった。
「いくよ。いくいくいくいくよ。よ、よけられないないないなああい」
アテナは、地面に大剣を叩きつける。すると、地面を砕き割る振動と集められて圧縮されていた風は横向きの旋風となり黒い光を放ちながら地面や建物の壁を破壊しながら市場街を疾走する。その黒い稲光を帯びた風は触れるものすべてをえぐり砕いている。その風の大きさは市場街の狭い道以上の大きさがあり、逃げ道を失った人間や魔物はその風に舞い上げられえぐられ切り刻まれてゆく。
「ひゃははは、死んでいく死んでく死ねぇ! はっーはっはぁ、赤い、赤い赤い赤い、真っ赤な風だあぁよ。砕けて惨めに死んじゃぁえぇ!」
人間や魔物を切り刻む風は、その血を吸い込み赤い風に変わる。その風に向ってケルンは矢を番えず弦をありったけの力で引く。
「風には鋼を。魔法の波長にはそれを打ち消す反対の波長がある。だけど、僕にそんな繊細な魔法は使えない。だから、……僕はそれ以上の力で魔法を跳ね除ける!」
ケルンは、縦に構えていた弓を横に変える。そして、弦を自分の左腕に押し当てた。
「神の血を見縊るなよ。人間!」
ケルンはその状態の弓の弦をはじく。すると、細く丈夫な弦はケルンの左腕の肉を裂きながら音を立てて振動する。その振動の波はケルンの血しぶきを吸い込みアテナの作り出した風へと向う。
そして、二つがぶつかり、互いに打ち消しあう。そして、二つの力が飲み込んでいた血は霧状となり周りに散布する。
互角に見えた二つの力だったが、アテナの力の方が上であった。ケルンの血を吸い込んでくつり出された振動の波は、アテナの暴風に飲み込まれ、後はケルンを飲み込むまでとなった。
「ひゃは、これで、これでぇええ、殺せる殺せる殺したあ」
「まだ、死んでいないぞ。人間」
勝利を宣言したアテナを上空の声が否定する。アテナは狂った首を曲げ空を見上げた。
「まさか、僕に神を名乗らせるなんて。予想もしていなかったよ。でも、ここに英鳥妃を超える翼を持った神を降臨させたことを後悔するんだな。狂い壊れた人間」
夜空に浮かんでいるもの、それは、ケルンだ。黒く短いショートヘアーと額に巻いた腰まで届く白く長いハチマキを夜風になびかせ、彼は背中の二枚の翼を羽ばたかせていた。
この翼、その姿こそがケルンの本領と言った所だ。その翼は、銀色に輝く骨部分と、アヌビスの蒼い剣を想像させるかのような薄く透き通った5枚の羽でできている。その大きさは、片翼2m。全開に広げれば全長4m以上にもなる巨大な翼だ。
その翼は機械。装備者に浮遊を可能にするケルンの魔法で作り出された機械である。銀でできた細い骨は鋭利な刃物で、空を飛びながら相手を切り裂くことができる。さらに、その銀色の骨についている青く透き通った片翼5枚の羽。これはガラスかと思わせる音色を立てているが、骨部分以上の切れ味を持っていて、遠隔操作と分離が可能なものだ。
「神? 神、神だあぁ。ふざけるなぁ、あああ、あ、あ、あ。ただの鳥鳥鳥鳥鳥鳥! 神、に神罰を与える、与える与える与える。私は、俺は、あたしは、俺は、あたいは、あああ、ひぁあああ」
届くはずもない大剣を高く掲げたアテナだが、大剣の重さに耐え切れず、左膝を折り地面に着いた。先ほどまぐれで貫いた矢の効果がここで出たようだ。
大剣をメインウエポンとするアテナにはありえない状況だ。だが、メネシスの洗脳魔法の効果を受けていたアテナでは当然のことである。
メネシスの洗脳魔法で人間の箍を外され限界以上の力を出し続けてケルンの矢をよけていたアテナの肉体には限界が来ていたのだ。
本来なら、体の疲れを感じて意識しなくとも戦いのスタイルを少しずつ変えていく。だが、今はメネシスに命令された通りに戦い続けていた。
常に全力で戦っていたアテナは、膝だけではなく、肘や肩にも限界に迫っていた。
「動け、動け動け動けぇえ。体、体あぁ、……ないないないないないないない。体が、体かあぁ」
「自分で消し去ったことも忘れたのね。それだけ精神を犯されて、なぜやつの下で戦う。本当の戦士なら、そんな体にされて怒りを持たないのか」
「だ、だ、あ、ああ、黙れ! 降りて、降りて来い。斬る。潰す。殺す!」
アテナは頭を激しく振りあのガラスでできた薔薇の髪飾りを振り飛ばす。アテナの背中を隠すほど長い茶色のポニーテールはまとめる物を失いバラバラに広がり長髪となった。
その髪は、アテナの頬に張り着く。浴びた返り血、アテナの流した汗、そして、笑いながらでもずっと流していた涙に、髪の毛は張り着いていく。
そんな狂喜を通り越し哀れを感じさせるアテナを見てケルンはゆっくりと首を左右に振る。
「訂正。その決意と忠誠心。誠の戦士と称えるべきですね」
アテナにやさしく微笑むとケルンは、一本矢を番えてゆっくりと引き放った。その速度は、今までの中で一番遅いものでアテナにしたら難無く握りとめられるものである。
「だ、だか、だから、見える。見えていると、言って、いってるだろうぅぁあが!」
真上から迫る矢を両目で捕らえたアテナ。だが、掴むようなことはしない。流石に精神が犯され判断が鈍っていると言っても、同じ間違いを繰り返すようメネシスの洗脳も甘くはない。
アテナは、その人間離れした動体視力で矢の先端を見る。それは、普通の矢であの100本に分離するものではないことを確かめた。
最小限の回避策でアテナは後ろに一歩跳んだ。そして、簡単に避けられた矢は地面に突き刺さる。だが、それを見たケルンは微笑をアテナに向ける。
「はじけ跳べ、人間」
ケルンが、弓の弦を軽くはじく。すると、上空から来る振動の波より先に地面に突き刺さったあの矢から放たれた。それだけではない。今まで放たれたすべての矢から振動が放たれたのだ。
これが、ケルンの作り出した矢に施された細工である。10本、20本、30本、それ以上の矢から同時に放たれた振動が、空へと逃げているケルンを除き市場街にあるものすべてを襲う。左右前後から振動の波に襲われアテナは、空へとたたき上げられてゆく。
目に見えない力に殴られながら空へと登ってゆくアテナ。全身を激しい拳の嵐が襲っているかのように振動がぶつかった箇所は紫色に腫れ上がり、腕や足が変な方向へと曲がってゆく。
そして、アテナがたどり着いた場所、そこは、弓の弦を限界まで引くケルンの目の前だ。
「可愛そうな人間だね。……鳥の歌・鳥達の合唱団!」
眼前にアテナを捕らえたケルンは、一瞬のためらいを抱いたが、それは刹那より短い時間であった。ケルンは躊躇いを払い除け弦をはじく。
目の前の空中で受けた巨大な振動の波。もちろん、音速のそれを避けることは、箍の外れたアテナでも無理だった。振動に飲まれ押されて大地に叩きつけられて潰される。
「思ったより時間がかかったなあ。兄さんは大丈夫かな」
機械の翼を羽ばたかせ瓦礫の向こうにいるであろう兄のアンスの様子を見に行こうと動いたケルン。だが、地面の上でもがき動こうとしているアテナを見て体を反転させた。
「あがああ、む、むり、から、からだ、うご、うごかせ、うごかすと、し、しん、死んじゃう」
アテナは腕や足の骨は確実に砕かれていた。それなのに無理矢理立ち上がっている。これは、メネシスの洗脳魔法と治癒魔法を組み合わせた技だ。折れた骨を急速で繋ぎ合わせて立てるまでに回復させている。
だが、無理な治癒魔法はアテナの体の崩壊を早めることにもなる。その証拠に、アテナの肌の色が徐々に白く薄くなっている。つまり、体内の粒子の数が減りつつあるのだ。
「やめなさい。それ以上動くと助かる命も助からなくなるよ」
ケルンの説得にアテナは首を振る。
「だめ、とまらない、め、メネシスが、メネシスが、……ひゃ、……ひゃはは、ひゃあははははっははっははっはっははっはは」
一度は治りかけたアテナであったが、再び狂喜し始めた。そのボロボロになっても動こうとするアテナに心撃たれたケルンは、地面に降り弓を向ける。
「……楽にしてあげるね」
大剣を構え人間ではありえない捻れ方で近づいてくるアテナにケルンは5本の弓を放った。
その矢はアテナの両手首と両足首と心臓に突き刺さり、その後に訪れる振動の波でアテナを壁へと運び、壁に貼り付けにした。
壁に貼り付けにされ、髪が乱れ、体からは血と汗と唾液を垂れ流し、両目からは止まることのない涙を流しながら、前を見つめているアテナは、死にかけた声を出しながら必死に動こうとしていた。
「あ、あ、あれ、アレス様の……ば、薔薇、た、たいせつな」
アテナは、もう痛みを感じないのだろう。右手首に刺さった矢を無視して右腕を動かす。ケルンの振動を散々浴びていたアテナの体は体内もボロボロになっている。
だから、何の抵抗もなく、右手は引き千切れた。その手失って血を流す右腕を必死に伸ばしている。
「た、大切な、アレス様……の、ぷ、プレゼン……ト」
アテナの弱い声が戦渦となった市場街に響く。その和音がなくなると、アテナの伸ばしていた右腕はダラリと力を失い、アテナの全身から力と命が抜け落ちていった。
「……そ、そうだ。兄さん」
アテナの最後を見ていたケルンは、思い出したかのように瓦礫の方へと向う。
だが、何か振り切れないものがあり、立ち止まる。そして、弓と翼をしまい地面に落ちていて血の着いたガラス製の薔薇の髪飾りを拾い上げる。その血を綺麗に拭き取りアテナに近づく。
「僕、こんなこと滅多にしないんだからね」
ケルンはアテナの顔の血を綺麗に拭き取り、髪を整えあのガラスの薔薇で一つにまとめる。
最後に身なりを整えてアテナはケルンと戦う前の美しい女性の姿に近づいた。
「……女性の最後ぐらい……綺麗でいさせてもいいよね」
ケルンは、壁に貼り付けにされて眠るアテナに背を向けて瓦礫を跳ねるように飛び越えていった。ケルンが向うのは兄のアンスとアテナの恋したアレスのいる場所だ。
ケルンに美しく整えられたアテナは、壁に貼り付けにされているが、白く雪のような美しい肌と、その満足げに見える表情と、流れる一滴の涙、まさに女神と呼ぶのにふさわしい美しさを保ったまま瞳を閉じていた。
「あら、素敵な女性。あら、これは……。ふふ、お姉様ったら。この人がご希望なのかな。まあ、どっちでもいいか。とりあえず」
アテナの壁の前にある女性が訪れた。そして、アテナを貼り付けにしている矢を抜いていく。そして、優しく口づけをする。すると、アテナの体は粉々の粒子状になった。
「うん。お姉様が選ぶほどね。ちょっと獣臭いけど、美味しそう。早くもって帰ってお姉様に渡さなきゃ」
彼女は魔法陣を開くと粒子状となったアテナを魔法陣に吸い込ませる。
「さてと、次は……あっちから素敵な香りがする」
彼女、肩ほどの長さでゆるいウェーブのかかった金髪を翻して、赤い瞳を輝かせ次の獲物の元へと向う。
魔物と人間が血を流し戦うこのヴィルスタウンで、その赤を基本として白いフリルをあしらった服はまったく汚れていない。さらに、本来なら血や泥が目立つ白いニーソには染み一つすらない。
黒のミニスカートは汚れが目立ちにくいが、それにも汚れはない。彼女は頭のカチューシャのずれを直してスキップしながら鼻歌交じりに戦場を巡る。
「さあ〜てと、またナナちゃんが迎えに来たよ。アレクトちゃん」
ナナは素敵な香りのする方向、アレクトのいる場所を目指していた。