第46話 サルザンカの宝-『アヌビス論』
アレクトたちから離れ一人になったアヌビスは、街全体を覆う勢いの魔力を噴出しながら街の大通りを歩く。朝日が昇っていないこの時間帯にはまだ市場の準備を始める商人は少なく、朝靄が立ち込めるほど早い時間であった。人気のない街を不気味なまでの魔力を振りまきながら歩いたアヌビスは、街を出て以前から目を付けていた森に入って目的の人物が来るのを待つことにした。
「さて、何がかかるか」
さすがに太陽がまだない早朝の森は薄暗くこちらにも朝靄が出ている。そんな森の奥地、そこでアヌビスは剣を抜いた。
その剣は蒼く透き通った刀身の剣だ。その剣は、アヌビスが使う剣の中でも最も高速で扱えて最も切れ味がある剣である。
その剣を一振りしてアヌビスは周囲の木々を切り倒す。そして、次は剣を赤黒い剣に変えた。
その剣はアヌビスが使う剣の中で最も新しいもので炎を操る剣だ。その炎は普通の魔法のものとは違い既に闇の力で強化されているものだ。光の守護を受けていないもの以外なら全て蒸発させられるほどの炎を扱える剣は滅するのに適している。
その剣を振ってアヌビスは切り倒した木々を一瞬で消し去った。そしてできたのは、一つの切り株を残して木も草もない固い土が見える円形の場所だ。
「これだけ広ければいいか」
アヌビスは剣を鞘に納め切り株に座り来客を待った。彼が木々のない場所を作ったのは戦闘があることを考えてだ。ここに来る可能性があるのはメネシス部隊の部下2人かメネシス本人となる。
メネシスが部下に命令をだしてアレスとアテナをペアで偵察に出すのは分かっている。先ほど、アヌビスが振りまいていた魔力の大きさは、アレス一人でもアテナ一人でも対処しきれないと判断させられる大きさだ。それに、国境での交渉時やギャザータウンの件からしてもあの2人は組んで動いている可能性は高い。
メネシス本人が出向いた場合、やつの戦闘スタイルは洗脳と治癒。それを考えると、何かしら洗脳できるものを従えて来る率が高い。最悪、その人形だけがくるかもしれない。
どちらにせよ前者も後者も複数であるのに変わりはない。メネシスの実力を考えると、100対1も考えられる。そうなると、木々が多い森は戦闘の場所としてアヌビスに不利になってくる。
アヌビスの武器は剣なのだが空間が狭いと振る距離が減って間合いが極端に小さくなる。さらに、魔法を使うとなったら敵が木を盾にすることも考えられる。かと言って、巨大な魔法を使うと、森が燃えて大災害に繋がる。それに、アヌビスは魔法で倒すより剣で斬る方が好きなのだ。
つまり、この木の無い闘技場を作り出したアヌビスは戦うつもりで、さらに楽しもうとしているのだ。
「とりあえず、日の出までだな。その後は、街をもう一度回ってみるか」
胸元に手を入れたアヌビスは何度も期待を裏切られる左ポケットに苛立ちを超えて笑いすら出てきていた。そして、右ポケットに手を入れて黒いタバコの箱を出して微笑んでいる。
「誰でもいい。こいつを使わせてくれるやつが現われることを切に願うぞ」
タバコの誘惑に耐えながらアヌビスは黒タバコを内ポケットに戻す。すると、近くから草が折れる音がした。その大きさと心音からして獣ではないと判断したアヌビスは心の中で叫んだ。人間だ。
罠にかかったと悦を爆発させたアヌビスは、赤い瞳を限界まで開き口が裂けたかのように笑った。そして、人影が木の後ろに隠れたことを見たアヌビスは、その木に鋼でできた円盤状の刃物を数枚魔法で作り出し投げつける。すると、木は簡単に切り倒されて隠していた人間をアヌビスの眼前に出した。
「くそ、狼かと見てみれば、ただの兎か」
木が倒れて見えた人間は女の子だ。青い髪は露出した肩が隠れるぐらいの長さがありウェーブに近い癖がある。そして、涙が溜まり始めている赤い瞳は脅えながらアヌビスを見ている。歳はリョウと同じぐらいで大人と子供の間だ。
アヌビスは、てっきりメネシスかと思い期待していた。それは、彼女が着ている服がちらりと見えたからだ。彼女は真っ赤で血を思わせる肩からの袖がないワンピースを着ているのだが、それには赤を強調する白いフリルの装飾が施されている。さらに、両手首には白いシュシュ、そこからは地面に付くほど長い黒く細いリポンが結ばれている。
そんな格好に加えて、ミニスカートに黒タイツと輝くほど綺麗な赤い靴。そこまでの服装で森の中に来る人間は普通いない。さらに、そんな格好をするのはお金に余裕のある家ぐらいだ。ヴィルスタウンでは知事がそれに該当するだろう。
外国の大商人の娘なら分からないこともないが、一人で森に来るはずがない。
消去法でそのように削っていくと、そんな格好をしていたメネシスの率が高かったからだ。だが、来たのはどれにも属さない人物。つまり、ただの民間の人間だった。
「聖クロノ国ではそんな格好が流行っているのか」
そういえば、ルリカも似たような格好をしているとも言えないこともないとアヌビスは思っていた。
女性は、涙を数滴流しながら地面に座り込んでしまっている。明らかにその目はアヌビスに脅えているし、体は寒さと違う恐怖に侵されて震えている。
「お、おねがいします……殺さないでくださぁい。わ、私には、お腹をすかせて待っている妹がいるんです」
「あー悪い。こっちの勘違いだ。お前に危害をくわえるつもりはない。これは詫びだ」
そう言ってアヌビスは、ズボンのポケットを適当に探って銀貨を一枚彼女にはじいて渡した。それは、一枚で銀貨50枚分を意味する文字が彫られた銀貨であった。その銀貨を受け取った彼女はもちろん戸惑い受け取りを拒んだ。
「こ、こんな大金いただけません」
「だったら、その金は俺が捨てたもの。それをお前が拾った。それなら納得か」
「ですが……」
渋る彼女に切れやすいアヌビスは怒りの熱を持ち始めていた。だが、今回は一方的に自分が悪いと分かっているアヌビスは感情を抑える。
「逆に、たらないと激怒してもいいんだぞ。俺はお前を殺そうとした。貴様の命はそれ以下の価値しかないのか。それで妹だのの命を守ろうというのか」
彼女は、アヌビスに貰った手の平の銀貨をまじまじと見つめる。一般の子で彼女ぐらいの年齢だと見たこともない銀貨だ。彼女の口ぶりからして妹を養わなければならない彼女にしたら、体を使ってでも手に入れたいものであろう。
「いいか良く聞け。人間風情が同じ弱い人間の命を守るってことわな、地面に顔こすり付けてはいつくばってなきゃできないことなんだよ。そんな人間が情や誇り気にしてるんじゃねぇ。血の繋がったやつを守るならなおさらだ。人間の骸の肉を食らうぐらいしてみせろ。それもしたことがない餓鬼が偉そうに遠慮するんじゃねぇ」
「は、はい。あ、ありがとうございます」
彼女は頭を下げると、地面に広がった薔薇の花を拾い集めてバスケットに入れ始めた。転んだときに落としたらしくあちこちに広がっていた。
その薔薇の花は、摘んで間もないものだったようで朝靄の滴が花びらを濡らしている。さらに、その香りもまだ健在で生花として文句のないものだ。これを採るために森に入ったのかとアヌビスは納得した。
「その薔薇……この森のものか」
「は、はい。少し離れたところに咲いているんです。他の薔薇でもいいんですけど、お客様はこの香りじゃないと駄目だって」
港町で花を売る。正直儲かる仕事ではない。花が売れるのは精々王都の貴族街かそれなりに大きく上流階級が多い町だ。港町のヴィルスタウンでは花などに金を払う人間は少なく、食糧や武具に金を使う実用的な人間ばかりだ。
「儲けも少ないそんなものを売ってもまともな物が買えないだろう」
「もちろん、少し細工して売ります。それに、みなさん沢山買ってくださって、なんとか生きていくだけの収入になっているところです」
魔法が使える素質がありそうな彼女だが、子供ができる細工など限られている。それでも買ってくれる人物がいる。きっと、街のやつらは素性を知っていて情で買ってやっているのだろうとアヌビスは憶測を立てていた。
そんな情の中で育てられている人間に情を捨てる生き方は当分無理だろうと、アヌビスは自分とは違う生き方をしている彼女を哀れにも見て羨ましくも見ていた。
「で、では、私はもう行きます。さようなら」
彼女は少し長く癖のある青い髪と黒いシュシュのリボンを翻しながら走ってヴィルスタウンの方へと向っていった。
「朝……か」
切り株に座って数十分。先ほどの女の子以来アヌビスの周囲には誰も近づかず、獣一匹の気配すらない。そして、太陽が昇る前までには何かしらの情報を得たいと思っていたアヌビスの気持ちを知ってか知らずか太陽は昇ってしまっていた。もうそろそろ市場の準備を始めようと街が少しずつ動き始めている時間だ。
「もう一度、街にばら撒いてみるか」
アヌビスが再び街で魔力を放出してメネシスに揺さぶりをかけようと切り株から立った。
だが、その直後、アヌビスを冷気と刃を連想させるような研ぎ澄まされた魔力の一波が襲った。
「はあ?魔物……いや、違う」
落とし穴にかかったように突如の出来事だったが、アヌビスは剣を抜いて一瞬で臨戦態勢の隠していた魔力を放出する。その時のアヌビスはメネシスや作戦などまったく気にしていない。近くに今までに経験したことのない敵がいる。それもかなり強い。そんな単純な情報に興奮しその獲物を見つけ出そうと眼球をむき出しにする勢いの瞳で周囲をゆっくりと見渡す。
「今の魔力、人間でも魔物でも獣神でもない。そんなちゃちな魔力の気配じゃねぇ。12神……違う。そこまで純粋じゃない。もっと人間みたいに混沌として魔物みたいに鋭い魔力……呼んでいるのか」
ゆっくりと歩くアヌビスのセンサーが一点力の変化部分を読み取った。自分の背後斜め上、その自然界ではありえない力がある部分、そこにアヌビスは赤黒い剣を鞘から引き抜き火球を打ち込んだ。火球の直撃を受けた木の葉は爆風で吹き飛び闘技場を火の粉で覆った。
「ま、待ってください。ジョーカー様」
その火の粉の向こうから現らわれたのは、黒く長い髪、金色の瞳、夜を連想させるその二つの人間に近い体を持った魔物の統括者の一人プリンセスだ。プリンセスからは先ほどの魔力は感じ取れない。さらに、探索をかけてみるアヌビスだが、魔力の発生源が見つけられずにいた。
「くそ、逃げられたか。……一応聞いておく、さっき魔力は貴様のものではないな」
「なんのことでしょうか。私はジャック様の命でジョーカー様に伝言を伝えに探していた所、ジョーカー様の魔力を感知しましたのでここに来たばかりです。森の中を探していたのでジョーカー様以外の魔力は感知できませんでしたが……」
プリンセスほどの実力者が魔力を持った者を探している最中に発生した魔力の波。それを彼女が感知できないのは不思議な話である。それを考えると、先ほどの魔力の波はアヌビスだけに気付かれるように意図的に誰かが行ったものだと考えるのが妥当だろう。
狼のメネシスも来る気配がなく、化け物の存在もつかめない。そして、狩人の目の前には狐が一匹。狩るまでにはいかないが、兎よりかは退屈しのぎには十分な獲物である。
「それならいい。にしても珍しい。貴様がこんな朝早くにわざわざ出向いて伝えることなのか」
「朝だからです。私はジョーカー様と戦うつもりはないと口にせずとも理解していただけると思うのですが」
今のプリンセスと前回夜に出会ったプリンセスとでは大きな違いが一つある。それは、前回腰付近に生えていた骨と薄幕でできたコウモリのような翼と鞭のような尖った尻尾がないことだ。彼女は本来夜をメインで動いている。それは、夜が一番彼女の力を発揮できるからだ。それとは逆で今は早朝、彼女が最も苦手とする時間帯である。
それが力の象徴である羽と尻尾のありなしに関係していた。彼女ほどの実力があればその差など大して無いように見える。だが、その差とは使える魔法と能力の制限を受けること。特に、彼女が得意としている能力戦ができなくなるのは彼女にとって大きな負荷である。
そんな状況でアヌビスの元を訪れることで、戦闘を100%楽しみたがるジョーカーの性質を利用して戦闘を逃れることができるのだ。その利口さはジャックに並ぶほどの地位になってもおかしくはないのだが、その彼女の制限が彼女を今の地位に縛り付ける原因であった。
だが、その羽と尻尾がなければ人里でも露骨に騒ぎ立てられることは少なくなるのも事実で、人が多いところでの任務を多く任されている。だからいつまでも下っ端と見られるのも事実なのはプリンセス自身もよく知っている。だが、彼女はそれを自分にしかできないことだと誇りに思っていた。
「面白味のない奴だ。で、用件は何だ。短めにしろよ」
「用件は二つです。一つ目はジャック様から、街に入られたそうですが、今夜私達は戦いを街にかける予定です。もちろん、私たちの目的はジョーカー様たちではありません。仲間の魔物達には言ってありますが、万が一飛び火してしまった場合は、ご了承ください」
その話にニヤリとアヌビスは笑った。ジャックとプリンセスが夜に以前連れていた大群を連れて来ると言っている。戦うつもりで満ちていたアヌビスはこれで不燃焼せずにすみそうだと保険を手に入れた。
「もちろんの話だが、俺たちが戦渦に巻き込まれたら、それなりの対処をしても文句を言わないんだろうな」
「はい、こちらもお仲間を誤って殺してしまうかもしれませんが……街を出てくださるのが一番だとジャック様はおっしゃっていましたが」
もしかしたら、プリンセスたちの本当の目的はそれなのかもしれない。我が強く強者と戦えることを好むジョーカーが獲物が向こうから群れをなしてやってくると聞けばそこを動こうとはしない。
そうなると、アヌビスの仲間も街にいる。そうすれば、仲間……具体的にはリョウに飛び火が行ってもアヌビスは文句が言えない。長い間待ったをかけられているプリンセスたちにとっては、合法的にリョウを殺すことのできるチャンスなのである。
だが、それを知ってもアヌビスは逃げるつもりなどなかった。彼の内では、アレクトとヘスティアとケルンの三人にリョウとミルとルリカの三人を護衛させるつもりであった。それだけの守りを付ければ、ジャックが出向かない限り即抹殺は避けられるからだ。
後々の言い訳になるかは分からないが、ジャックが飛び火に入ると言い出す馬鹿はいない。そんなジャックの攻撃を受けて死んだのだから、策略があってのことだとアヌビスは言い負かすつもりであった。
「今夜か……何なら夕刻に変更しないか。楽しみで待てそうにないな。で、二つ目は何だ」
プリンセスは呆れて首を振っている。そのあたりは人間味があり本当に肌の色が違うだけにで、人間と変わらないように見えてくる容姿だ。
「なるべく避けて欲しいのですが……二つ目は、彼のことです」
「まだだ。そろそろ覚えたらどうだ」
アヌビスは、プリンセスの顔を見ただけで出てきそうな返事をすぐに返した。だが、プリンセスが聞きたかったことはそんなことではなかった。
「いいえ、彼との戦いはもうしばらく待とうとクイーン様とも話を付けました。私もジャック様も彼にはなるべく手を出さないようにと話し合いましたからご安心ください。私が聞きたいのは彼にこだわる理由です」
プリンセスたち魔物側はアヌビスに戻ってくるようにと声を掛けている。その条件にアヌビスが出したのが『アヌビスが納得のいくまで育てたリョウをプリンセスが倒せたら戻る』である。その約束をしたときも現在も二人の差は圧倒的で、リョウが子供に見えるほどだ。そんなリョウを育てているアヌビスだが、彼自身もこの成長速度ではいつ納得できるか計算ができないでいた。
プリンセスもそれに薄々気付いて、ただ戻りたくないからしている言い逃れではないのかと思っている。だから、あえてリョウを選んだ理由が知りたいのだ。プリンセスの力量を見たいだけなのなら彼女以上の実力を持った人物ならアヌビスの周りにもいる。わざわざ時間をかけて育てる必要がないのだ。
「リョウは戦士としたら魔法の使えないただの餓鬼だ。成長も皆無。だが、やつは竜神、しかも特殊な竜神だ。その素質は化け物の血を持っている。やつは己の力に溺れ化け物として開眼してしまう日がいつか必ず来る。そして、その化け物の力がお前や数多くの強敵を倒して行き保障された時、俺がリョウを潰す。まあ、強敵が見つからないから自分で作る。そんな考えだ。もちろん、化け物と化したリョウをお前が超えることができたらお前を俺が潰す。お前とリョウ、二人の将来に楽しみを見た。だから、それまで待て」
「仲間の彼を潰す……そんなことを考えなら一緒にいられるのですか」
「まあ、化け物の卵は所詮卵。普通の弱者なら恐怖に耐え切れず今潰すだろうな。だが、恐怖するのは卵が孵化してからだ。それに、生まれてきたら潰すと決めていたら逆に側に卵がないと不安になるぐらいだ。知らぬ間に誰かに潰されはしないかとなぁ」
「化け物……仲間を殺すことにためらいはないのですか」
「ないな。暴走する化け物、俺の命も聞かず危害の何物にもならないそんな存在は、俺の暇つぶしにしかならない」
アヌビスはプリンセスに誤解させるために省いたが、彼が考えている化け物は二種類ある。
一つは自分の力の大きさに変な自信を持ち殺戮を繰り返すリョウの姿。力があれば好きな決断を下せる。殺すも殺さないも自分の考え一つになってゆく。そして、自分の思うようにことが進めばそれは驕りになり、やがて自分が正義と思い始め全て力で解決し始める。
そんな殺戮の化け物は力の溺れている分味方だったアヌビスにも全力で牙をむく。そんな化け物を潰すといっているのだ。
だが、アヌビスが考えている二つ目の化け物。それは、臆病な化け物だ。リョウの理想の高さのわりには弱い心。命を重く大切だと考える奴が力を使って守りたいものは今後必ず出てくる。
その時、力を振るったときの爽快感、相手を切り痛みつける充実感、相手より上に立つ優越感。そんな欲望に弱い心が飲み込まれると力に溺れて前者の化け物になる。だが、リョウのひ弱な心がそんな欲望にたえ、力を抑止できるようになったとき、力はやつの物になり命を計ることのできる化け物が生まれる。
理性と情と心を持ったその化け物は前者とは違う力の使い方をする。そんな化け物は共に力を振るうにふさわしい化け物になるとアヌビスは経験で知っていた。
「そう。ですか。分かりました。その卵が早く孵るよう願って待つことにします。ですが、……あの、条件とかは関係なく、少し、少しでいいので、その……化け物の卵と戦わせていただけませんか。もちろん、手は抜きますし、潰しもしませんから、おねがいします」
少し小さな声で不安そうなプリンセスはモジモジとしながらアヌビスに要望を言ってみた。今まで任務を早く済ませるために何度も要請したが、散々拒否されていてプリンセスは、アヌビスに拒否されることに少しショックを受けるようになっている。
だが、これは条件など関係なく、アヌビスが期待するリョウと憧れているジョーカーが期待してくれている自分とで戦ってみたいというのは彼女の興味からできた本心である。
そんな戦闘の乙女のようなプリンセスの気持ちに気付いているのかアヌビスは笑って見せた。
「安心しろ。今抱えている仕事を全て片付けられたらそうさせるつもりだ。その頃には、リョウもそれなりに強くなっているだろうよ。お前も、そんな制限跳ね除けられるよう精進しろよ。期待しているぞ」
「は、はい。ありがとうございますジョーカー様」
プリンセスは大きく頭を下げたまま頭を上げない。それもそのはずだ、彼女が統括者の中に入って初めてもらえた褒め言葉だったからだ。いろんな任務をこなして成功を重ねていても誰も褒めてくれない。できて当たり前の組織だからだ。そんな彼女にとって、憧れの黒のジョーカーからの褒め言葉は、今までの努力を全て褒められた気分であった。
そんな彼女は顔をあげることができなかった。アヌビスもそれに気付いていて、頭を下げたままの彼女から眼を背ける。
「そろそろ行け。次の来客だ。貴様がいると厄介ごとになる」
「は、はい。で、では、また今夜、お会いしましょう」
そう残して魔力の気配を絶ったプリンセスは大きく後ろに飛んで木々の中へと消えていく。
そして、プリンセスの居場所が分からなくなり、存在がまったくつかめなくなるまでアヌビスはプリンセスのいた方向に背を向けていた。
それから数分後、近くで足音がするのを聞き取ったアヌビス。プリンセスの登場で戦闘意欲を大きくそがれて、今のアヌビスはそれほど殺伐とはしていない。それに、今夜の戦いが彼の欲望を抑えていた。
「町中の気配、わざわざ呼び寄せるための定期的にある魔力の爆発、……リハーサルにはちょうどいい舞台ね」
木々の間から一人の少女が出てきてアヌビスの闘技場に足を踏み入れてきた。
ヘスティアと同じぐらいの身長、小さな膝まで届きそうな真っ直ぐで長い黒髪、青い瞳は若干銀色を含んでいる。服は先ほどの彼女と同じ類のようだ。白のミニスカートとゴスロリ服には黒く細いリボンでの装飾があり、その服の手首まで隠す袖にはピンクのリポンが生地を縫うように飾られている。
足の露出を防ぐための白いニーソにも太もも付近にピンクの細いリポンが控えめだが目に付くように施されている。そんな彼女の肌が露出しているのは顔とミニスカートとニーソの間にあるほんの少しの太ももだけだ。この暑い夏でその格好を好む彼女は寒がりなのだろうか。
そんな彼女は手作りのような継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみを大切そうに抱きしめている。その軍人という名ではなくお嬢様と呼ばれそうな少女、メネシスがようやくアヌビスの前に現われた。
「よう、久しぶりだな。さて、何から話そうか」
アヌビスは落ち着いて切り株に座ると、メネシスはその正面のむき出しの大地に直接座り込んだ。そして、二大部隊のリーダー同士の話し合いが始まった。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。