第40話 神隠し戦−『無知ゆえの余裕と楽しみ』
書き方を変えてみました。注意してお読みください。
ナナが飛び去って姿が見えなくなると、アレクトは崩れるかのようにその場に膝を着いて深くうなだれた。集中していた糸が切れたのだろう。彼女はまともに呼吸ができず乱れながらも酸素を求めて大きな息を続けていた。
「アレクト、大丈夫かよ」
そんな彼女とは対照的になんら緊張感もなかったのはリョウだ。彼は目に見て分かるほどの余裕がありアレクトに手を差し伸べていた。
アレクトのこの変化は圧倒的な力の差を目の前にしたときに起きる恐怖や失望に体を犯されたものだ。アレクト以下の実力しか持たないリョウに変化がないのは彼が力について無知だからだ。剣を見て使い方を知らない子供が恐怖しないのと同じで、無知ゆえに避けられるものもあるということだ。
「リョウ君。ありがとう。もう、大丈夫だから」
騎士としてのプライドかヤキモチなのかは定かではないが、アレクトはリョウの手を取ることなく立ち上がると空を見上げた。空には満月と星しかなく、アレクトを恐怖させた存在は何処にもなかった。
彼女に釣られてリョウも空を見上げた。
「プリンセスたちいないな。まあ、交戦にならなくてよかったと思うよ」
「うん……そうだね。とにかく、アヌビスたちに報告しなきゃだね」
リョウに笑みを向けるアレクトであったが、彼女は口では喜んでいるが、交戦を望んでいたのだ。
今回現われた存在、プリンセス、ジャック、そしてナナ。前の二人は魔物であることが分かっていた。あの二人の存在はアヌビスがらみでどうとでもなる。それに、ジャックは力及ばないが、プリンセス相手ならそれなりにやれるとアレクトは思っていた。それに、あのジャックという男は戦うことを好む性格ではないと直感で思っていた。あの二人だけだったらアレクトは揺さぶりをかけて相手の実力を測ろうとしていただろう。
だが、それを止めたのがあのナナと名乗った女の存在だ。アレクトの目から見てあのナナという女にはジャック以上の力があるとみていた。
だが、アレクトの手を止めたのは力の差ではない。元々、彼女は力の差をあまり重要視せず挑む傾向がある。アヌビスに信頼されえた力を持っているがゆえに単独での行動を多く命じられることがある。そんな彼女は何度も不利な状況を打破してきていた。今までの経験が自信となっていて力の差を埋めることができるのが彼女の長所だろう。さらに言うなら、今は近くにアヌビスとヘスティアがいる。あの二人の手助けがあっても負けるようなら死んでも悔いはないとアレクトは思っていた。
そんなアレクトを止めたのは彼女、ナナの存在が分からなかったからだ。彼女は一目見たら人間に見えたが、獣の羽根を持っていた。獣神かと思ったが、闇と鋼属性の魔法を使っている点からしてそれはない。
残るは魔物だ。だが、ナナにはジャック以上の力があった。魔物の統括者の一角であるジャックをしのぐ力。ジャックの上官だというのなら力の説明は付く。だが、プリンセスもジャックもナナのことをよく知らない様子だった。その証拠にプリンセスがナナの何かしらの魔法をかけられた点、ナナが近くに隠れていたのを悟ることができなかった点、この二つからしてもあの二人はナナのことを良く知らない。
身内で絶大な力を持っている者の詳細を知らない。それは、組織としては不安分子であり危険なものだ。組織意識が高い魔物にしてはおかしな話だ。
したがって、魔物ではない。これらからアレクトはナナに手を出さなかったのだ。彼女の頭の中にあった答えは危険すぎて自分ひとりの考えで手を出していいものではないと判断したのだ。
彼女の中にあった答え、それは、存在していればこの世で最強の種族。人間の知性、獣の能力、魔物の魔法、各生物の長所を寄せ集め理論上では作り出すことが可能だといわれた生物。
エルフィン。彼女の正体はそれではないのかとアレクトは思っていた。
「アレクト、どうしたんだ。考え込んで」
アヌビスたちの元へ戻ろうとしている時、アレクトはずっと考えていた。それを不思議に思ったリョウが振り返っていた。その何も不安などなさそうな顔にアレクトは少し考えすぎていたと反省をしてリョウに笑顔を見せた。
「な〜んでもない。それよりもリョウ君。結局水浴びできなかったね。ヴィルスタウンに着いたらちゃんと綺麗にするんだよ」
「わ、分かってるって」
自分の何倍もの力を持った存在。それを目にしても臆さない心。それは、自分の隣に近くにそう、すぐ側に自分を命から守りたいと思っていてくれる存在がいる。そして、自分は彼を彼女を信じている。アレクトは自分が好きだった力をリョウを解して思い出していた。
「う、ち、近付きづらい」
「あ、アレクト、報告してくれよ。俺はよく分からないんだけど」
「え、えっと……リョウ君がしてよ。いつも逃げてばかりじゃ成長できないよ」
リョウとアレクトが戸惑っているのは、焚き火の前に白い剣を抜いて座っているアヌビスのことだ。彼は白い剣を月と炎の光にかざして独特の光を生み出してそれを全身に浴びている。その彼の笑みは獣だけではなく、仲間の二人すら声を掛けるのを戸惑うものだった。
アヌビスの隣には焚き火を囲んで眠るポロクルとヘスティアがいた。彼ら二人は今夜の見張りだったのだが、深い眠りについていた。その眠りは決して心地良いものではなさそうで、時折うなされながら目覚めることなく眠っていた。
そんな二人に代わって見張りをやっていたのがアヌビスだ。アヌビスは笑みだがそれは不機嫌を意味していた。原因は睡眠不足とタバコだろう。彼は何も持っていない左手をしきりに動かしてタバコを吸っている真似だけをしていた。そして、それを何度か行って思い出したかのように剣を地面に叩きつける行為を繰り返していた。イライラが溜まってその一振りではらっているのだろう。
そんなアヌビスとリョウたちの目が合った。アヌビスのその目に二人は逆らうことができず、無言でアヌビスの正面に座った。不機嫌なアヌビスに厄介ごとな話をするのは流石のアレクトにも抵抗があってリョウと一緒で苦笑いを見せるしかなかった。
「二人そろってご機嫌だな。こいつらもぐっすり眠りやがって」
アヌビスは足元に転がって寝ているヘスティアを蹴ったが、ヘスティアは目覚めることなく汗を流していた。
「あ、あはは、疲れが溜まっていたのではないですか」
「だとしてもだ、魔物の気配に気付かず目を覚まさないのは雑兵となんら変わらない」
「アヌビスが感知できたのは魔物だけですか」
「そうだ。ジャックとそれ以下の存在だけだ。まあ、獣レベルまでの感知は元々していなかったがな。何頭か獣がいたようだが、何かあったのか」
それを聞いたアレクトはホッと一息はいて席を立った。
「それならいいんです。私の杞憂でした。では、私は寝させていただきます。あとはリョウ君よろしくね」
アレクトはここに来るまでの不安を全て振り払ったかのように爽やかに笑って竜車の中に入って行った。アレクトがナナに対する不安を振り払うことができたのはアヌビスがナナを敵視すらしていなかったからだ。アヌビスほどの実力を持っていたら寝ていたとしてもナナの魔力を感知することはできたはずだ。そのアヌビスがナナを獣と同じ枠でくくっていることに安心したのだ。少々根拠としては欠けるが、その時のアレクトにしては十分すぎる保障だった。
「リョウ、何かあったんだな。話せ」
アレクトに逃げられ取り残されたリョウはアヌビスに攻められてたどたどしい口で話し始めた。
「俺、よく分からないんだけど」
「見たままの報告だけでいい」
「それじゃあ……俺とアレクトが小川にいたら、人間の形をした岩が落ちてきたんだ。その後、ナナって言う名前の女の子が来て、その子を追ってプリンセスとジャックが来たんだ。魔物の二人はナナを狙ってきたみたいだった。魔法の交戦をいくらかしていたけど、結局逃がしてしまってそのままいなくなったんだ。で、そのナナはアヌビスのことを知っているみたいだったかな」
リョウの報告にアヌビスは心底楽しそうな笑みを見せた。アヌビスはジャックの実力を知っている。そのジャックから逃げきれて、さらに自分に感知されずに魔法を使えるナナに何かしらの興味がわいたのだろう。
「ナナか。聞いたことのない名前だ。何か言っていなかったか」
「えっと……『よい悪夢からの目覚めを』だってさ」
リョウからそれを聞いたアヌビスは、一瞬怒りの表情を見せて剣を地面に突き刺した。
「まさかな。……それはないな」
何かの心当たりを必死に払うように首を振ったアヌビスは、疲れた表情をリョウに見せた。睡眠や疲労からの表情ではなく、何かしらの圧力での疲れを見せたアヌビスをリョウは珍しいと思いながら見ていた。
「もういい。リョウ、お前はこの二人を片付けろ。今夜は俺が見張りをする」
「え、いいのかよ。アヌビスも眠いだろ」
「うるさい黙れ。変に目覚めて眠れそうにないんだ」
「だったら、アンスを見張りに」
「いいと言っている。俺に気を使う余裕があるなら、人間を斬る練習でもしていろ」
そこまで言われてようやくリョウはヘスティアを抱えてアレクトに預け、ポロクルを引き摺りながら竜車の中に入って行った。
「ようやく一人か……」
ようやく落ち着くことのできたアヌビスは、輝く剣をもう一度眺め胸元に手を入れた。だが、そこにはいつもの赤い箱のタバコはない。イライラを収めることのできないアヌビスは、反対の方へと手を入れた。そこには、デザインは一緒だが、黒い箱のタバコがあった。そのタバコを一度口にくわえようとしたアヌビスだったが、すぐにやめ胸元のしまった。
「くそ、最悪が重なったな」
アヌビスが不機嫌なのはタバコ以外に原因があった。それは、不愉快な魔法と悪夢が原因だった。
ヘスティアやポロクルほどの実力者が深い眠りについている原因をアヌビスは知っていた。それは、何かしらの外部からの攻撃や洗脳に似たものを与えられた可能性がある。実際に、アヌビスにもそれらしきものをかけてきたが、効力は長続きしなかった。それがアヌビスだけが目覚めた原因であった。
発信源を調べようと外に出たアヌビスだったが、その睡眠魔法の属性と魔力の波をたどることはできなかった。相手を何かしらの縛に付ける魔法。その場合、呪属性の粒子と魔力があって当然だ。だが、アヌビス自身にも今現在も眠るヘスティアたちからもそれらは感知できなかった。
ヘスティアたちの体に呪属性の残り香がなく、常時供給されていないことから、発動は短時間的で強力なものだと分かる。
「まったく、計算は苦手なんだがな」
そうぼやきながらアヌビスは薪の中から細い木の枝を選び出し、地面にある公式を書き始めた。それは、魔法学のもので相手の魔法の大きさを元に相手の実力や魔法の効力時間を計算で出すもので、突き詰めれば相手の使える属性や能力までも求めることができる。そこまでを求めるにはかなりの時間と情報が必要となるのだが。
もちろん、それはあくまでも目安であり誤差も大きい。例えば、今回の睡魔魔法は夜と朝では効力が違う。さらに、ヘスティアたちの疲労も計算に含まなければならない。だが、相手の実力と魔法の効力を見るぐらいならそれなりの答えが出る公式であった。
止まることなく進んでいた木の枝だったが、ある程度公式が完成したところでアヌビスの手がとまった。
「やめた。せっかくできた楽しみだ。潰すのがおしいくらいに大きな楽しみか」
アヌビスは木の枝を捨てて公式の完成させずに終った。公式を忘れたのでも怖くなったのでもない。ただ、アヌビスは未知の計り知れない力との戦いを心待ちにしていたのだ。タバコを失ったアヌビスにとって、わからない敵との戦いが今の楽しみだろう。
だが、8割ほど完成した公式には答えが出ていた。その答えを見たアヌビスは、押さえきれない楽しみと笑みが溢れていた。
「魔物のトップに並ぶ魔力、獣人のような身体能力、魔法に属さない特殊能力保持者。くふふ、数値は12神クラスか。論文通りだな」
リョウやアレクトから報告を受けたわけではないが、アヌビスはナナという存在がエルフィンだと断言していた。
「悪夢からの目覚め……か。これもお前に近づくための道なのか。……レイチェル」
アヌビスはナナにかけられた魔法から解放してくれた幼い頃からの悪夢に感謝しながら、その悪夢の住人との距離を再確認して満月の夜空に笑みを向けていた。
どこかにいるであろう住人に、すぐ後ろにいると言わんばかりに冷たい刃を背に突きつけているかのような声で。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
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