第36話 神隠し戦−『煙草と花は幸せの証』
今回のアヌビスとの見まわりはキャンプ地周辺を歩くだけですんだ。どうやらライランから逃げるための口実らしくて、ものの数分で俺たちの宿泊地に戻った。
俺たちの停泊地にはテントが3つある。一番大きなテントは女性4人のもので、次に大きいのが見張り役以外の男子、一番小さいのが見張り役の仮眠テントとなっている。その一番小さなテントの中からはアンスのいびきが聞こえてくる。それほど見張りに気を配る必要はないと思うのだが、決まりは決まりなので俺達は夜通しで見張りをつけることにしていた。
その3つのテントの真中には焚き火があり、その焚き火を囲むように岩が数個置かれていた。椅子代わりのものだが、元々そこにあったものを使っているので座り心地は良くないだろう。
そんな岩椅子にヘスティアが座り暗い表情で焚き火を見つめていた。
彼女は見張り役ではない。本当ならもう寝てもいい立場なのに彼女は焚き火にため息を吹きかけていた。
「おい、ヘスティア。貴様、寝ないのか」
「うるさい馬鹿。あたしの勝手だろ」
肌を切るように冷たい声だが、アヌビスなりにヘスティアを心配して声を掛けたのだと思う。だが、彼女は強く噛み付くことなく軽くはらってアヌビスから目線をそらしていた。
そんなヘスティアの向かいにアヌビスは座り、黒くマントに近い軍服の中に手をいれ赤い箱のタバコを出した。そして、自然な流れでその中の一本を銜えて火をつけようとしていた。だが、赤い箱の中を見たアヌビスは今まで見せたことのないぐらい青ざめた表情を見せてその銜えていたタバコを戻して赤い箱も元の場所に戻していた。
「馬鹿だ。そんな状況でヴィルスタウンに行く余裕があるのか馬鹿」
ヘスティアが馬鹿にしているがアヌビスは反論することなく自分の荷物の中をあさり始めた。そして、中から手の平に乗るぐらいのガラス瓶を出してきた。その中には真っ黒な砂のようなものが入っていた。無言で不気味なアヌビスは水の入った小さな鍋を乱暴に焚き火の上に置いて、その鍋の中に適当にその砂をそそいでいた。黒い色はポカティに近いものだったが、香りは珈琲に近いものだった。
「タバコが無くなりはじめたら黒珈琲。馬鹿じゃないの」
「貴様には関係ないだろ。……くそ、こんなことならギャザータウンに一度立ち寄るんだった」
タバコを控え始めたアヌビスは凶暴性が薄れたものの不機嫌で生気が薄い。何をするにもため息と愚痴が混ざっていた。
そんなお互いの間に俺は挟まれていた。目の前には真っ黒な珈琲が音を立てて煮えてきていた。耳に入るものはそれ以外に虫の鳴き声しかなくて、沈黙の重りが体の自由を鎖で縛り付けているかのようだ。かなり居心地の悪い所なのは間違いなかった。
「あーもう、馬鹿馬鹿馬鹿。しゃあないなあ」
夜の沈黙を破ったのはヘスティアだ。彼女は赤髪を滅茶苦茶にかき混ぜると緑のベレー帽を脱いだ。そして、そのベレー帽から赤い小箱を出した。その赤箱をアヌビスに投げつけるとヘスティアは頬を赤くしてアヌビスと目を合わせようとしなくなった。
ヘスティアから赤箱を受け取ったアヌビスは一瞬にやりと笑ったがすぐに真面目な顔になってヘスティアの方を見た。
「おい、ヘスティア。なぜ貴様がこれを持っている。それに、手をつけたな」
アヌビスがこれ見よがしに赤箱をヘスティアに向けた。その口は開いていて、一本分のスペースが開いていた。彼女がこの箱を持っていたので必然的に一本吸ったのは彼女だろう。
「悪いの馬鹿。誰が二度とそんなもの手をだすか。死ぬかと思ったぞ」
「ふん、餓鬼には分からないだろうな」
14歳のヘスティアにとったら毒の固まり以外にないだろう。アヌビスと年の差がない俺にとっても魅力的なものに見えるから手を出したいのは分かるが、体に悪いことは知識のレベルで知っている。彼女は体でそれを学んだのだろう。
ヘスティアを叱ったアヌビスだが、一本銜えて煙を吐くと目線をそらしていたヘスティアに声を掛けた。
「まあ、何にしろ感謝する。助かったぞ」
「ふ、ふん。姉さまには秘密だぞ。それに、黒箱を出されるよりかはマシだ」
「黒箱って……赤いそれとは違うのか」
俺がそう聞くとアヌビスは赤い箱の入っている反対の内ポケットに手を入れた。そこから出されたのは黒い箱だ。封の切られていない新品で綺麗なものだった。それを出したアヌビスは笑みを見せたが、ヘスティアは強ばった表情を見せた。
「これだ。これを吸う俺を見たらできるだけ遠くに逃げるんだな」
「こんな雛だと逃げでも無理だろうよ」
「だな。訂正する。自分で自分の首をかき切るんだな」
そんな冷たい笑みを浮かべるアヌビスは黒箱を戻すと三人分のカップを並べた。カップに黒珈琲を注ぐとアヌビスはそれをすすってリラックスした吐息をはいた。アヌビスに進められた俺とヘスティアも黒珈琲をすすった。とても喉を潤すものではなく舌に痛みを感じるほどの味だ。そんな黒珈琲とタバコを交互に味わうアヌビスはかなりの悦に浸っていた。
一人満足のアヌビスを見ながらしばらく静かな時間がたった。これと言って話すことのない俺はうとうととし始めてしまった。
そんなぼんやりとした時間が30分ほど経ったころだ何の拍子もなくヘスティアが口を開いた。ずっと暗い表情をしていたヘスティアは何かを吹っ切ったようでいつもの顔に戻っていた。
「馬鹿……アヌビス、本当にヴィルスタウンに行くのか」
「そうだが、お前の意見は聞かないぞ。行くのが嫌のなら自分一人で帰るんだな」
アヌビスはヘスティアが暗い表情をしていた意味が分かっていたようだ。ヘスティアの話を聞こうともせず話を終らせた。
アヌビスにそれだけ言われたヘスティアは分かっていたかのように諦めて首を振って呆れた顔をした。
「誰が帰るか馬鹿。あたしはともかく、リョウとかミルがあのジャックの標的になったら誰が助けるんだよ。みんな生き残るので精一杯になるだろう」
ヘスティアが気にしていたのはジャックのことだそうだ。彼はこの先の街ヴィルスタウンで何かしらの活動をしている。そして、俺たちにこれ以上街に近づかないようにとジャックの仕事に干渉してこないようにと忠告してきた。
今の俺たちの旅の目的は神隠しの謎を解く事と犯人を捕まえることだ。その犯人の第一候補に上がっていたのが敵国のメネシスだ。彼女の事とフレッグの神隠しの町に一番近い街とあって何かしらの情報がないか調べに行くのだ。
これは俺たちの部隊のリーダーアヌビスの決定事項で取り消しも実行もアヌビスの判断にゆだねられている。ジャックの忠告を聞いていながらもアヌビスはヴィルスタウンへの旅をやめる気はないようだ。
それはつまりジャックとの交戦の恐れがあるということだ。俺にしたらアヌビスの黒い影の方が大きく恐怖の塊に見えていたからよく分からなかったのだが、ヘスティアにはジャックが脅威に見えたのだろう。彼女の判断では自分の身は守れるが他人の俺やミル達に気を配ることはできないと言っている。
全体での戦闘能力はかなり高くジャックの部隊を相手するには問題ないとしても、個々の能力の差が大きいこの部隊では、一人になることが最も危険であった。グロスシェアリングのアヌビスやヘスティアさらにアレクトぐらいならジャックとの交戦時に一人になっても安心できるだろう。だが、俺やミル達が戦場では誰かの保護を受けなければならない。それだと相方の実力が激減してしまう。初めてメネシスと戦ったときの俺とアレクトがいい例だ。
そんな状況で仲間の加勢も難しく物資が乏しくなる敵地での強者との交戦は避けたいとヘスティアは言っていた。それほどの危険を冒しても確実に有力な情報が手に入るとは限らない。ハイリスクの割には得られるものは限りなくゼロに近いかもしれない。そんな勝負に出るのはアヌビスぐらいなのだろう。
「それも目的地は敵国。メネシスとかそれ以外の部隊に襲われるかもしれない。それなら、シルトタウンで十分に備えてから挑んだ方がいいと思うぞ」
「ヘスティア、貴様は馬鹿か。シルトタウンから準備万端な集団が敵国に入ろうとしたら疑うのはあたりまえだろうが」
「俺も、アヌビスの意見に賛成かな」
俺がそんなことを言うとアヌビスは感心したかのような表情を見せた。そして、アヌビスに軍師としての考えを見せろといわれた。
「アヌビスも言った通り武器食糧を蓄えて敵地に行くのは危険が多いと思う。商人と偽って入国するにしてもそれは危険だと思う。商人のふりをするならその物資を売らなきゃならないだろ。物資を削られるのは何かと問題が起きそうだしな。それに、シルトタウンの物資って言ったら有名な武器なんだろ。そんなものを大量に持って行ったら注目を浴びてしまうかもしれない。そもそも、シルトタウンまで行くのには時間が掛かるし危険も多い。そんなことなら物資が極限に少ない今の状況で街に入って物資を買いに来た商人を演じた方が自然に見えると思うんだが」
煮えきれないヘスティアを見た俺は自信が揺らいでアヌビスに助けを求めるよう視線を飛ばした。だが、アヌビスも満足する答えを聞かせてもらっていないような様子だ。
「20点だ。武器を多く持った商人もいる。それぐらいならいくらでも言い訳が付く。むしろそれは利点だ。……シルトタウン経由でヴィルスタウンに向う場合、街道はしっかりとしていて安全だが敵国の首都に続く道ともあってヴィルスタウンまでに敵国の大きな関所を2回通過する必要がある。素性を知られると不味い連中の集まりだ。敵国の関所は避けたいだろ。それに比べて、今の道なら小さな敵国の関所が一箇所だ。獣が頻繁に出る道だと聞いているが、俺たちにとったらそれぐらい危険のうちに入らないからな」
アヌビスにしたらそうだろう。獣が多く出る道と言われても剣の一振りで解決できる問題だ。だが、相手が人間になるとそう上手くいかなくなる。関所を越える時、名前や旅の理由、物資、地位、許可書などなどいろんなことが関わると俺たちの正体を隠しきることができなくなる。
関所にいる人間とその周囲の人間をみんな力ずくでねじ伏せれば解決するかもしれないが、いくらアヌビスでもそこまで敵国の目をひきつけるようなことはしないだろう。
「殺戮馬鹿。街の近くの獣が減ってありがたいけど、気持ちのいい話じゃないな。でも、どちらの道を選ぶにしても、関所は越えなきゃならないだろ。どうするんだ馬鹿」
ヘスティアの言う通りだ。大小に関わらず俺達は敵国の関所を超えなければならない。どんな小さな関所にしてもアヌビスほどの存在ならすぐにばれるだろう。
だが、アヌビスは何か秘策でもあるかのような笑みを見せた。
「気持ちの悪い顔だな馬鹿。何か悪いことを考えている顔だな」
ヘスティアがアヌビスの吐き出す煙すらも嫌がり手で振り払っている。
「ああ考えているぞ。関所を越える方法。一番簡単で一番安全なやり方だな」
相当な自信があるようでアヌビスは少しも悩んでいないようだ。
「それなら、大きな関所の道を通ってもいいんじゃないのか。そのほうがメリットもあるんだろ」
すると、アヌビスは黒珈琲を一息に飲み干して大きく息を吐いて笑みを見せた。
「潰す関所は小さい方がわかりにくいだろ」
はっきりと言った。聞き間違いではない。アヌビスは潰すとはっきりその口で言ったのだ。
「明日は楽しくなる。ヘスティア、お前は早く寝ておけ」
「あたしにも戦わせて罪を背負わせるつもりか馬鹿」
「戦いたくないのなら別に参加しなくてもいい。積荷の中に隠れていろ。でも、お前なら12精霊召喚。思う存分発揮しても誰にも迷惑かけないぞ。やりたい放題だ」
しばらく俯いたヘスティアは地面に投げ捨てていた旗を拾ってテントを離れていった。
「ヘスティア、どこに行くんだ」
俺が呼びとめようとしたがヘスティアは振り返って笑みを見せただけで座ろうとはしなかった。アヌビスは分かっていたようで小さく笑っていた。
「最近は大型の精霊召喚していないからな。練習してくる」
「やる気だな。周囲のものを手当たり次第に消滅させないように気をつけろよな」
「うるさい馬鹿。明日、どっちが凄い技出せるか勝負だからな馬鹿」
ヘスティアは旗を広げて暗闇に走っていってしまった。その日の夜。森が一つ消えたことが分かったのは翌朝になってからだった。
「リョウ、起きろよ。おーい」
ようやく寝ることのできた俺の耳にアンスの眠そうな声が入ってきた。最後に寝ることになった俺には1、2時間ほどの睡眠しか与えてもらえなくて、朝日がない暗いテントの中だと起きる意識すらない。
「あと……8時間……」
最近、夜遅くまで活動をしていたのと今回の見張りの疲労で溜まっていた睡魔が暴走していた。
「まあ、俺はいいと思うけど、アヌビスに火つけられないように気をつけろよ。かなり不機嫌だからな」
それだけ言い残してアンスはテントの外に出て行ってしまった。そう言えば今回アヌビスは一睡もしていないはずだ。ヘスティアが暴走や無茶をしたとき対応できるのが彼しかいなかったからだ。
「俺だけ寝ていたらアヌビスに悪いな」
俺がテントを出ると暗い空と星がまだ見える静かな草原には俺以外のみんなが寝ぼけ眼で待っていてくれた。
日が昇る前に俺達はキャンプ地を立つことになった。ライランを含む商人たちは昼前ごろに関所に来ると判断してのことだ。静かに荷物を片付けて俺達は竜車を進めた。
キャンプ地の中心ではほんの少し前まで騒いでいたようで小さな火になった焚き火や割れたワイン瓶が賑わいの後だと語っていた。
「あー眠い。リョウ、関所に着いたら起こせ」
「俺、そんなに手綱捌きに自信ないんだけど」
「アレクトがいるだろうが。任せたぞ」
そのままアヌビスは荷台に入って小さく丸まって居眠りを始めてしまった。手綱を握った俺は暗い草原を眺めながら前を進む竜車に置いていかれないように進めていた。と、隣を見るとアレクトが笑顔で座っていた。荷台にはアヌビスとミルとルリカ。この三人はすっかりおやすみモードだ。
「関所まではどれぐらいになるんだ」
「そうだね〜。太陽が昇るころにはつくと思うよ。ヘスティアに聞いたんだけど、関所崩しするんだってね」
「アレクトも好きなのか。戦うことが」
人を殺すと言っているのと間違いのないことなのにアレクトは笑みを絶やしていない。だけど、その笑みはアヌビスのような冷たいものではなくて暖かな優しさがあった。そんな矛盾がそんな疑問を持たせたのだ。
「好きじゃないよ。服は汚れるし血の匂いが付くし疲れるし良いことなんて無いよ」
「そんなことだけなのか。道徳とか良心とかの話はないのかよ」
すると、アレクトは苦笑いをしながら首を捻っていた。
「ん〜、私達はそういう風に教えられてきたからね。知ってはいるんだよ。人を殺したら良心が傷つくって言うのは。でもね、これが私の望んだ仕事だし今まで人を殺して後悔したことは片手ほどしかないよ」
「後悔したことあるんだ」
「そりゃあ、あるよ。軍人になるって決めてから間もない頃の話だけどね」
アレクトは自分の右手を悲しそうな瞳で見つめていた。いつも明るくしているアレクトだが、思い出したくない過去があるのだろう。だが、すぐに明るい笑顔を俺に見せてくれた。
「だからね。初めは誰でも悩むものだと思うよ。何に悩んでいるのかは分からないけど、リョウ君は間違っていないと私は思うよ」
「アレクトは何に悩んだんだ」
俺は人を切れないことで悩んでいた。魔物や獣は切ることができた。それは、自分の中で彼らは自分とは違うものだと一線を引いていたからかもしれない。だけど、人間は違った。目の前で切られて死んだ人を見たとき、切られる人の恐怖や痛みが自分のもののように感じていた。そして、その苦痛を与えることを許されるほど俺はえらいのかと思った。
そう悩み始めて線引きしていた自分に悩んだ。命は変わらないと思っていた。魔物の命も獣の命も人間の命も全て同じだけ価値がある。命には色も形も大きさもなくて、比べられないものだと。なのに、人間の命だけ一つ上の棚において見ている自分の考えが見えなくなっていた。
「そうだねぇ……何のために戦うのか。殺して私は何がしたいのかって悩んだ時期があったかな」
アレクトも俺と似た悩みを持った時期があっのだろうか。参考まで詳しく聞きたかったが、あまりいい顔をしてくれないアレクトを見てそれ以上聞けなかった。
「今はね、何となくだけどそれが分かり始めて、ようやく歩き始められたかなって……もちろん間違えたと思ったら引き返したり新しく歩く道を探したりしてまた悩むんだろうけどね。アヌビスはもっとすごいところまで進んでいるかもしれないけどね。見習わなくちゃあの強い意志はすごいよ」
「アレクトもそうだけど、みんな俺と大して歳が離れていないのに凄いんだな。感情的になったり情で動いたりはしないし、みんな考えて確実に動いているんだな」
アレクトは22歳だがケルンやヘスティアは俺より年下だ。俺の周りの連中が普通なのか分からないが、ここまでしっかりとした同年齢の人は元の世界にはいなかった。彼らを見ていると自分がとても子供に見えてくるぐらいだ。
「にゃはは、私たちもリョウ君みたいに『人の命を何だと思っているんだ』とか『殺し以外に解決方法はないのか』とか叫んでいた頃もあったよ。でも、色々学んだり教えられたりして今にいたるのかな。私もアヌビスも今が完璧じゃないよ。みんな少しずつでも成長しているんだよ。リョウ君はみんなとスタート地点が違うだけ。私たちに追いつけるように一生懸命に走って追いかけてくればいいんだよ」
「学んだって……やっぱり戦ったり殺したりしてなのか」
「それもあるけど、一番大きかったのはマリアさんかな」
「その人ってどんな人なんだ。アレクトの師匠か何かなのか」
しばし返答に困ったアレクトは荷台にいるアヌビスを確認してから小さな声を出した。
「マリアさんは、私だけじゃなくてアヌビスたちのグロスシェアリング騎士団やグロスシェアリングの側近、私やポロクルやアンスやケルンもマリアさんの下で学んだんだよ」
「みんな昔からの知り合いだったのか」
「学校時代はそれほど仲が良くなかったんだけどね。マリアさんの下で学んだみんなは軍の主力になっているね」
「クラスメイトみんなで軍人なのか。それだとアレクトの思っていることが分かるかもしれないな」
「今の話で分かってもらえたのかな。私にはそんな気はなかったんだけどね」
昔の友達と一緒に同じことをしているならそれが自然なのかもしれない。俺も時期にみんなに受け入れられて馴染んでいってしまうのだろうかと恐怖と不安があった。
竜車をコトコトと進めていってキャンプ地の端に来ると商人たちの馬車が何台も停まっていた。そんなところには男性も女性も沢山いてみんな薄汚れた服を着ていた。ライランのところで見た女性のように生気がない人はいないが、アレクトのように明るい顔をしている人はいなかった。
「すごい数。頭が痛くなりそう」
アレクトが嫌そうな声で周囲の目線を断ち切ろうとした。だが、俺たちの竜車を見つめる視線は減るどころか増えていく一方だった。
視線を飛ばしてきてはいるが近づいては来なかったのだが、その中の一人の女の子だけは俺の乗っている竜車に近づいてきた。俺は、咄嗟に竜車を止めた。竜に踏まれる危険があったのにもかかわらずその子はアレクトより明るく可愛い笑顔を見せてくれた。
見た目は10歳ほどでミルと変わらないぐらいの子供だ。その子は、小さな手で俺に一輪の花を差し出してきた。薄いピンク色のその花は草原の何処にでも生えていそうな雑草に近いものだ。俺がどうしょうか悩んでいると女の子は笑顔以上の明るい声を聞かせてくれた。
「守ってくれてありがとう」
「どうしてそれを……」
俺たちが魔物を追い払ったのは間違いない。だが、それを知っているのはジャックの前にいた連中だけだ。商人たちは偽者が助けてくれたと思っている。
「あのね。誰が助けてくれたか分からないの。だから、みんなにありがとうって言いたいの」
俺が戸惑っていると、アレクトが微笑んでいた。
「リョウ君。受け取ってあげたら」
「でも俺……」
「勘違いでもいいの。彼女はリョウ君にありがとうって言いたいんだよ。受け取ってあげるのが彼女への礼儀だと思うよ」
アレクトが女の子に笑顔を向けると彼女はアレクトにも花を一輪差し出した。
「お姉ちゃんもありがとう」
「どういたしまして。綺麗なお花ありがとうね」
アレクトが笑顔で花を受け取ると女の子は嬉しそうに笑っていた。その二人はお互い幸せが溢れていて寒い朝が暖かくなるかのように感じた。
「はい、お兄ちゃんもありがとう」
俺が花を受け取ると彼女はニコニコと笑ってくれた。たったそれだけのことなのに笑ってくれた。
「ありがとうな」
不器用にそう答えて竜車を進めた。
「ばいばーい。元気でね」
竜車の後ろからは女の子の元気な声が俺たちを見送ってくれていた。
「可愛い子だったね」
アレクトがもらった花をクルクル回しながら微笑んでいた。名前も分からない香りもない花だけど、暖かい気持ちになれる花だった。
「リョウ君、どうしたの思いつめた表情して」
「俺、勘違いしていたかも。アレクトの戦う意味ってこういうことなのか」
「うん、みんなは何を目的にしているか知らないけど、いいよね。こんなに素敵なものを貰えるなんて、とっても幸せな気持ちになれるよね」
まだはっきりとは分からない。人の命……生きようとする者のみんなが平等に持つ権利である生きたいという意志を奪ってまですべきことがあるのかと思っている。だけど、この花のためならと……考えてしまう自分がいた。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。