第32話 神隠し戦−『脅える心笑う心』
アヌビス部隊のみんなは町から出てメネシスたちが進行してくるだろう所に集合した。
町から1kmも離れていない草原のここからは、旗を掲げて進軍してくるメネシス部隊が小さくだが見える。さすがに50人の集団になると商人とは言えず軍の部隊に見える。メネシスたちも自分たちは商人ではないと主張するかのように軍旗と10頭の小さな飛竜を見せ付けている。
俺の目に初めに疑問を持たせたのはその飛竜だ。飛竜を軍力として扱えるのは、聖竜王のいるリクセベルグ国だけのはずだ。元々、人間の言うことを聞かない誇りの高い竜が俺達の部隊で使われているのは竜の王である聖竜王の威光があるからである。
その異様な飛竜をよく見ると、どこかぎこちない動きをしている。常に一定のリズムで翼を上下させる従来の飛竜とは違い、時々動きが止まり飛ぶのをやめる飛竜がいる。
さらに、彼らのリーダーのメネシスの姿が見えない。報告では、先ほどまでメネシスは飛竜に乗っていたそうだが、俺達が集合し終えた時には既にその姿はない。だが、まだ近くにいるようでケルンが鳥をしきりに飛ばして捜索をしている。
「アレクト、町の奴らはこれに気付いているのか」
真っ先にこの場所に来たアヌビスはタバコの煙を立てながら剣を抜いて前の部隊だけを見つめながらアレクトにそう聞いている。
「気付いてないです。帰ろうとしていたカリオペに町の人たちに気付かれないように監視を頼みました。それと、ミルちゃんとルリカちゃんの子守も頼んできました。それでよかったですよね」
「ああ、それでいい。ケルン、メネシスは見つかったか」
「駄目です。鳥たちの目では見つけられません」
「魔力探知をするにしても、ここまでメネシスの魔力に満ちた部隊だと見付けにくいか」
アヌビスが顎に手をやりながら考えている間もリーダーを含まないメネシスの部隊は着々と俺達の方へと近づいて来ている。
向こうは飛竜10頭を引き連れていて、捜索した段階で80人ぐらいの小部隊。対して、こちらは雑兵が一人もいない6人の集まり。実力の足し算だとこちらが上かもしれないが、兵法の定石だとこちらが手を出すことはまず無い。
それは普通の人の考えだ。同じグロスシェアリング騎士団のホルスやネイレードたちも手を出すようなことはせず、シルトタウンにいるヘスティアやカリオペの兵を借りるなどの対応をするだろう。だが、俺達のリーダーはアヌビスだ。彼の下にいるみんなは各自武器を手に取り戦闘態勢になっている。つまり、この少人数で敵に立ち向かう気満々と言うことだ。
「これより、国境を越えて進軍してきた敵部隊との交戦に入る」
アヌビスの指揮官らしい命令に一同が短く大きな声ではいと返事をした。俺も、アヌビスのその威厳のある命令に自然と声を張っていた。
「目的は敵部隊の殲滅もしくは退却。および敵将のメネシスもしくはアテナの捕獲。後方指揮はポロクル、前線指揮は俺アヌビスが勤める。前線迎撃は俺とリョウとアンスとアレクト、雑兵およびアテナとの戦闘だ」
それを聞いた俺は首に掛けていたアミュレを強く握った。隣では楽しそうに槍を行きよいよく振り下ろすアンスがいた。
「後方はポロクル、ケルンだ。ポロクルは戦況報告と戦術指揮、ケルンは引き続きメネシスの捜索と弓による援護だ。何かしらの動きがあった場合はポロクル経由での報告を忘れるな。で、アレクトはケルンがメネシスを見付け次第捕獲に向え。メネシスとの交戦開始の報告が入り次第、アンスとリョウを援護に向わせる。その後、ポロクルとケルンは俺の援護だ」
「今回の戦いですが、それほど陣を広げてはいけません。町の安全面を考えて、この地点より敵を進軍させては厄介です。なので、できる限りの敵はこの地点で殲滅してください。防御等の策は私が張りますので、みなさんは守りを気にせず攻め続けてください」
ポロクルの今回の作戦が発表されるとアヌビスを除いたみんなが頷いた。すると、アヌビスが自分の考えを加えたいらしくすぐに声を発した。
「配列は俺とリョウを先頭にその後ろにアンス、アレクトの順だ。俺とリョウで壊滅まで切り崩すが、万が一の時はアンスが残りを片付けろ。アレクトは伏兵だけを考えろ」
「アヌビス、俺の仕事はそれだけかよ。もっと、もっと刺激的な仕事をくれないのかよ」
アンスだけがいつもと変わらない話し方と性格だ。そんな変わらないアンスはいつもと変わらない戦闘好きのようなことを言い出した。黙ってみんなアヌビスの指示を聞いていたにも拘らず、我を通して口を開いたアンスはとても彼らしいことうどうだった。
「配列と役割さえ果たしていれば好きな戦い方を取ることを許可してやる。飛竜を何頭か回してやる。それでも文句を言うのか」
「いや、満足だ」
アンスが満足した所で、みんな接近してくるメネシス部隊に目をやった。各自何を考えて今から戦う部隊を見ていたのかは分からないが、みんな無言で各自の配置に着くため動いた。
俺はアヌビスの隣に並ぶようにたち、その数メートル後ろにはアンスとアレクト、そのずっと後ろだが走れば十数秒で駆けつけられるところにケルンとポロクル。今回の俺の役割は目の合った敵を倒すこと。敵将のアテナの相手はアヌビスに任せることになるが、俺は少しでも多くの人間を殺さなければならない。そんな俺の心の中には嫌な黒い靄がかかっていた。
「なあ、アヌビス。この戦い、避けられないのか」
アヌビスの逆鱗に触れるのは分かっていた。だが、人間との戦いを避けられるものなら避けたかったのだ。
俺は、隣をゆっくり見る。そこには俺の声にまったく反応を見せないアヌビスがいた。蒼い透き通った薄い刀身の剣を力なく地面につけ前かがみで前を真っ直ぐ笑いながら見ているだけだ。
俺のことなど眼中にないのかと俺も前を向き直った。そして、首に掛けていたアミュレにかたりかけるように呟いた。
戦っているように見える武器になってくれと、そう呟くとアミュレは長剣になった。いまだに上手く使えないその武器は確かに戦っているようで、全力で戦うことのできない武器でもあった。
俺は長剣を手にとって前を見た。メネシスの部隊が進軍をやめて止まっている。その中、一人でこちらに来る人がいる。遠くて顔は見えないが、露出の多い服と腰から足首まで隠す腰布を見るとアテナだろうと予想ができた。
「リョウ、その質問答えてやる」
どう戦いどう立ち振る舞うか考えていたころに遅れたアヌビスの返事が返ってきた。
答えを今まで考えていたのか、言うのを悩んでいたのかは分からない。だが、表情を変えず前だけを見ているアヌビスを見ると、答えは大方予想がついてしまっていた。
「国境を越えてきた敵部隊。何事もなく帰れば俺達も手を出す意味がない。だが、奴らに交戦の意思があるなら、俺達は奴らをこの国から排除する。それが俺達軍人の仕事だ。商人ボケしてるんじゃねぇぞ」
やはり無意味だったようだ。国を守ることが仕事の俺達にとって敵と戦わないのは仕事を放棄して国を売っているようなものと同じなのだから。分かってはいたが、やはり辛いものは辛いのだ。
すると、頭上で音と閃光が花開いたかのように花火に似た光が散った。その音と振動に驚いた俺は正面を見た。そこにはすぐそばまで飛竜がきていて、飛竜の口には稲妻が走っているのが見える。そして、驚いている暇をかき消す勢いでその口に大量の稲妻が生まれ集結しだした。
球体になった稲妻は竜の口に収まらなくなるほど大きくなり、限界を超えたそれは地面に立ちただその光景を眺めていた俺とアヌビスに向けて放たれた。
いきなりの攻撃に俺は両腕で顔を隠した。何か考えがあったわけではない。ただの反射的な行動だ。
もちろん、避けたり攻撃で打ち返したり受けきれる魔法を使ったりと身を守る手段はいくらでもある。だが、俺がしたのは命を守るための反射的な行動で自然としてしまった両腕で守ることだ。これでは命を守るのはもちろん視界がなくなり逃げることもできず俺の足は地面にすいついていた。
だが、いくら待とうとも痛みはまったくこない。代わりにあの音と光と衝撃がすぐそばで爆発したかのように聞こえた。
恐る恐る前を見ると、飛竜が留まることなく続けて雷球を放ってきていた。だが、全てに青白い小さな光がぶつかり、二つの光が触れ合った瞬間に色鮮やかな花火となって空で散っている。
見た目からして高い威力を持っている雷球から俺達を守ってくれている青白い光の発信源を探した。隣にいるアヌビスではない。その後ろのアンスやアレクトではない。遠距離攻撃のスペシャリストの弓使いのケルンかと思ったが、彼は俯いたまま足元に魔法陣を展開しているだけだ。弓を手に持ってはいるが、矢を放った形跡はない。彼はメネシス捜索の任務をこなしているだけのようだ。
となると、残るのはそのケルンの隣にいる軍師。俺はポロクルのほうに目をやると、彼の右手には黒い銃が握られていた。自動拳銃のようだが、少し大き目のそれの銃口からは煙が手でいる。まさに、彼が俺達を雷球から守ってくれているようだ。
その銃は異様なもので何本ものコードがつけられていてそのコードはポロクルの白い腕に突き刺さっている。まさに、体の一部が武器になっているかのようだ。今までポロクルが戦っているところを見たことがないせいかもしれないが、今の彼の姿はいつもとは違うオーラをひしひしと感じさせていた。
「守りはポロクルに任せればいい。戦いだけに専念するぞ」
アヌビスは頭上で巻き起こる光のぶつかりあいなどまったく考えに入ってないようで進軍してくる敵しか見ていない。
すぐ側に命を一瞬で削るような危険があるのにまったく臆していない。それは、ポロクルのことを完全に信じているからだろう。だから、目の前のことだけを考えられる。100%をそこに考えを回すことができるのがアヌビスの強さだろう。
「アテナは俺がしとめる。リョウは手当たり次第の敵を切れ。トドメは俺がしてやる」
敵の足音が聞こえる。足音は土煙を上げその巨大さを歌っている。だが、その足音の速度が急速に遅くなる。集団の先頭とアヌビスとが顔を合わせたのだ。
アヌビスの睨みを見ただけで俺達の10倍もの数の兵士達は急に脅え後退を始めようとする者もいたほどだ。アヌビスも一定の距離以上近寄らなければ攻撃を仕掛けるつもりはないようだ。このまま退いてくれた方が俺としては助かる。
「たかが5人ほどの部隊に何を怯えている。死神と歌われようと相手は人間。殺せない相手ではないのだ。進め、殺せ、そしてアヌビスの首を持って来い」
足が完全に止まった兵士の間から一歩前に出てきたのは、薄茶色で背中の中ほどはある長い髪を造花でポニーテールにして、下着のような服に腰布だけのとても戦士には見えない軽装のアテナだ。彼女は青く彼女の身長と同じ大きさの大剣の剣先をアヌビスに向けている。
「アテナ一人か。アレスがいれば楽しめたのだがな。まあ、いい。リョウ狩るぞ」
敵部隊がようやく動いたのと同時に俺とアヌビスは剣を取って走り出した。
俺達とメネシス部隊が接触してから、俺が剣を動かすことはなかった。
戦闘が始まってすぐに、アヌビスは蒼い剣で地面に一本の線をひきそこを越えてきた兵だけを相手にしだした。初めはその線の意味を理解できない兵達が勢いよく飛び込んできたが、線を飛び越えて地面に足をつけるまでに首が切り落とされる仲間の兵士を見てその線が生死を分ける線だと理解してからはアヌビスに挑む兵がいなくなった。
兵の後ろからは何度も急かし兵を進めようとするアテナの声が聞こえるが、みなが同時に進軍するのではなく数人が時間を置いて飛び込んでくるだけだ。
それだけアヌビスという存在が敵に恐れられている証拠なのだろう。敵を前にして倒そうと言う意思のない兵士達は後ろにいる上官に背中を押されて逃げ場を失い死刑執行を待っているかのような脅えた表情をしている。
アヌビスのこの戦い方は俺達の状況としては最も優れているものだと思う。数では圧倒的不利な立場の俺達の目的は敵をこれ以上町に近づけないことも含まれている。だが、数で襲いかかれるといくらアヌビスとは言え倒しきれない奴ができるだろう。その対策として後ろにアンスを置いているが、彼は飛竜に夢中で兵に目がいっていない恐れがある。そんな配列の俺達を突っ切る兵士が現われた時、俺達の配列は乱れ戦況が変わるかもしれないからだ。
それに、この戦法だと一度に多くの兵を相手しなくて済むだけではなく、負傷する敵兵が少なくて済む。現に、飛び込んでくる回数を重ねるごとにその兵の数は減り次ぎ飛び込んでくるまでの時間が長くなってきている。このまま、線を越えようとする兵がいなくなれば死人が増えることがなくなって助かるのだ。
俺から見るとそのような考えでやっている戦法に見えたが、アヌビス自身は違ったようだ。
「貴様らも獣と変わらないな。いや、奴らの方が学習は早かったな。貴様らもいい加減、俺には勝てないと理解したらどうだ」
アヌビスは目の前の自分よりずっと年上の男性兵に向かって見下す台詞を吐いていた。だが、誰一人アヌビスに怒りの意を表し立ち向かおうとしてこない。50人の部隊は国境を越えて敵国に進入するにしては少ないようにも見える。即席の部隊だったのか移動重視だったのかいずれにしてもアヌビスと戦うには数が少なすぎる。それを踏まえてもそうだが、アヌビス一人でこの勝負はつくような気がしてきた。
アヌビスが周囲を見渡して敵の数を確認し始めた。アヌビスの予想だと伏兵が30人ほどいるそうだが、それらしいものは出てきていない。それを数に加えたとしても、半分近くの数の兵を切り殺しているのは間違いないだろう。
「3匹目。と、アヌビス。退屈だな」
上空からのアンスの声を聞き俺達は空を見た。そこには、飛竜に飛び乗りその首に槍を突き刺したアンスがいた。アンスに槍を刺された飛竜はまったく抵抗することなく翼の動きを止め地面にその全体重をぶつけた振動を起こし俺達の目の前に力尽きて朽ちた。
その飛竜から槍を抜いてアンスは俺達の後ろにすぐに戻った。彼も自由に戦ってはいるが、アヌビスの命令の配列だけは守ろうとしているようだ。
アンスが落とした飛竜を見て一つの疑問が解決した。その継ぎ接ぎだらけの皮膚を持った飛竜の皮膚の一部がはがれている。その皮膚からは金属らしきものが見える。さらに、ゆっくりと動く口からは金属が擦れるような音がしている。その音は前に見たメネシスの機械竜とよく似ている。となると、この飛竜はメネシスが操っている機械竜の小型版ということだ。それが分かると必然的に近くにメネシスがいることが分かる。
その操っているメネシスの判断だろうか。10体のうち半分をアンスに撃墜されると、飛竜もとい機械竜の攻撃が止まり部隊の一番後ろにまで下がり空高く待機をしている。あの機械竜の攻撃方法ならあの高さでも十分戦いに参加できるはずなのに攻撃をしてこない。
ポロクルの援護もあるせいかアヌビスはそれ以上機械竜に目をやることはなかった。ただ、目の前に朽ちた機械竜を見て気味の悪い笑みを浮かべている。
「相当な魔力だな。アレクトにはもったいない相手だ」
余力があれば自分がメネシスを狩に行くと言い出しそうなほど嬉しそうなアヌビスは先に楽しむべき相手を見つけたようだ。
「もういい。お前らは下がっていろ。私が挑む」
今まで兵の後ろに隠れていたメネシスの直属の部下のアテナが大剣を両手で持ちこちらにゆっくりとだが近づいてきた。
「リョウ、まずないと思うが線を越えてきた兵の始末。任せるぞ」
アテナが線に近づくのと比例するかのようにアヌビスも剣についた血を振り払って線に近づいた。
お互いが線から1mほどの所に近づいていつでも切り合いができる間合いになった。だが、二人は顔を見合ってしばらく動かなかった。これが、実力者の戦いと言うのだろうか。すぐには切り合いを始めずお互いの力量を測っているかのように俺には見えた。
しかし、お互いの力量など目を合わせる以前に分かっていることだ。その証拠に、アテナはアヌビスの目を直視できず時折目を合わせるのがやっとのようだ。頬には汗が流れアヌビスの重圧に与えるのにやっとと言った所だろう。
「アテナ、貴様ら国境を越えて何をしに来た。返答次第では左手だけで許してやる」
まあ、ありえないことだがアテナが亡命を望んでこちらに来たのなら受け入れるつもりなのだろうか。それとも、自分の軍を裏切ってこちらの軍に加わりたいのだろうか。もしそんな内容だとしても、左手を切り落とされることが最低ラインらしい。
「国境付近の敵国の町に黒衣の死神がいる。さらに、あのシルトタウンからあのカリオペが多くの物資と兵を連れてその町に向かったと言う報告を受けて、確認しにくるのは当然のことではないでしょうか」
今思うとそうかもしれない。フレッグたちの町は敵国の聖クロノ国の街ヴィルスタウンに最も近い町だ。とある事情でヴィルスタウンには敵国の街にも拘らずシルトタウンから多くの武器が出されている。リクセベルグ国の武器は聖クロノ国にとって数段上の技術のものでとても重要な軍力の一つだろう。
そんな武器が集まる重要な町の近くに危険人物が兵と物資を集め始めたと言う報告を聞いたらその詳細を調べずにはいられないだろう。
それならこの部隊の数の少なさと待機している機械竜にも納得できる。偵察ぐらいなら大所帯より行動が楽な少数の方がよい。さらに、交戦で苦戦した際の逃げ足として機械竜を残しているのにも納得できる。
機械竜を待機させていると言うことは退却の色があるのではと思ったが違うようだ。まだ、伏兵とメネシスを見ていない。つまり、奴らはまだ本気という訳ではない。偵察部隊でどれほど戦うのかは知らないが、部隊長のメネシスが出てきている以上それなりの戦いになるのだろうと予想ができた。
「それなら大人しく帰ればいいだろうが。お前が俺に傷をつけられるとでも思っているのか」
「アレス様ですらできなかったことを私一人でできるとは思っていないです。ですが」
アヌビスが設けた仮設の国境。そこを超えてこないアテナにアヌビスは手を出さない。これは彼なりのこだわりなのだろうか。でも、それを逆手に取ったアテナはアヌビスの目の前で優雅に右手を上げて誰かに指示を出した。
すると、草花を踏みながら近寄ってくる多くの駆け足の足音が聞こえる。その足音は俺とアヌビスを中心に逃げ道を塞ぐように円状に近づいてくる。数は分からないが、姿が見えない存在がすぐ側に近づいてきているのは確かだ。
その見えない力にアヌビスは蒼い剣を地面と水平になるように持ち上げそのまま円を描くように一振りした。
「切り落とす白い道・兎」
アヌビスが剣を振り終えると、音も声も無く足音が聞こえなくなった。すると、俺達の立っている位置より少し離れたところ、人間の腰ほども伸びた草の生い茂る草原の端に数名の兵が姿を見せた。
俺の目線がそちらに動いたのに気付いたアテナも釣られて目をやると、優雅で余裕のあった表情がいきなり蒼白した表情に変わった。
そのただ立っているだけの兵は戦場になっている背の短い草原を囲むように生えた背の高い草の中に何人も隠れていたようだ。戦場を囲むように次々に伏兵が姿を見せ始めた。
先ほどの足音は間違いなく彼らのものだろう。だが、彼らはアテナの指示で動いたにも拘らず、アヌビスが剣で空を円を描くように切っただけでその進行を止め今まで隠していた姿を馬鹿みたいにさらけ出している。隠密の伏兵にしてはあるまじき姿だ。
「どうしたお前たち。なぜ足を止めた」
アテナも俺と同じようで彼たちが命令を無視しているのが理解できないようだ。
「結合解除」
アヌビスが低い声でそう呟くと周囲にいた伏兵たちはボトボトと音を立ててバラバラになって崩れていった。その崩れる肉片は頭一つぐらいの大きさで、切断面は綺麗で血の一滴も出ていない。そんな肉の塊があちこちで転がった。
「さて、どうやって俺を止めるのか聞かせてもらおうか」
アテナの余裕を奪ったアヌビスは笑みを浮かべている。奪われたアテナは打開策の隠密を全滅させられ手が出せないのだろうか一歩下がった。
アテナ自身もそれなりの実力を持っている。圧倒的有利な状況とは言え、グロスシェアリング騎士団のネイレードとまともに戦えるほどだ。だが、その時ネイレードに負けた後遺症だろうか強気なのだが戦う意思は薄そうだ。
「さあ、どうするんだ。ここで俺に殺されるかそれともその首自分でかき切るか。選べ」
蒼い剣先をアヌビスに喉元へと突きつけられたアテナはその剣先から逃げるようにさらに後ろへと足を進めた。
「く、い、いったん退いて体勢を……」
数ではない純粋な力の差を感じたアテナはアヌビスに背を向けて退却命令を出そうとした。だが、背を向けたアテナはそのまま固まったかのように止まり小刻みに震えだした。
またアヌビスが何かしらの攻撃を仕掛けたのかと思ったがアヌビスもその奇妙なアテナを見て不思議そうに剣を納めている。
「き、来た。こ、こないで、入らないで、駄目、い、嫌。わ、私は……」
アテナは何かに脅え始め頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。常に強気な心を持とうとしているアテナには似つかわしくなく極度に脅えている。それも、敵の俺達の前では常に強気だったのに俺達の目のまで泣き出すほどの脅えようだ。
何が起きたのだろうとアテナを見守っていたが、隣のアヌビスがにやりと笑った。
「あはは、そう、くくく、あはっははは」
突然空を見上げて笑い始めたアテナは、笑い疲れたのだおう胸元を押さえて立ち上がり大剣を再びアヌビスに向けた。
「死神。狩るよ。いいですか」
首を傾けながら俺達に問いかけてくるアテナの表情には先ほどまであった恐怖などなく絶対の自信しかないかのようだ。自信が溢れ精神が狂ったかのようアテナは小さな笑い声を上げながら焦点のあっていない目をギョロギョロと動かして俺達を見ている。
「何だよ。この変わりようは」
「リョウ、上だ」
俺の目は半狂乱のアテナに奪われていたが、アヌビスはそんなアテナより危険な存在を見つけていたようで空を見ている。
「みなさん、上です。飛竜の上」
後ろからケルンの報告が聞こえる。つまり、アヌビスが見上げているそこには……。
そこには一頭の機械竜。その上には黒く膝まで届くほどの長い髪と白いゴスロリ服を着た少女が継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみを抱きしめながらこちらを見下すような目で見ている。
メネシス。アテナの上官でありこの部隊のリーダー。その実力は未知の部分が多くて話しではグロスシェアリングクラスの力を持っているとか。
「みなさん。ごきげんよう。私のお人形さんは楽しんでいただけましたか」
アテナが狂っているのを笑顔で見るとメネシスは機械竜から飛び降りてアテナの隣に立った。
そして、口をあけて笑っているアテナに手を当て頬刷りを始めた。まるで、いとおしいを通り越し愛しているかのようだ。
「可愛いお人形。一人じゃ何もできない怖がりさん。でも、もう大丈夫よ。私が勇気をあげる。怖い怖い舞台の上で踊れる勇気をね」
メネシスがアテナの頬に唇を軽く当てるとアテナは腰布を取った。すると、その腰付近には犬のようなフサフサな長い尻尾。さらに、ポニーテールにしていた髪留めを取って長いストレートにすると犬の耳が現われた。
ネイレードに話は聞いている。アテナは犬神の使い手だそうだ。魔法は得意じゃないそうだが、身体能力は高い。身体能力に優れていて大剣を使う相手はかなりてこずりそうな存在だ。
犬神の力を解放したアテナは大剣を掲げさらには犬歯までむき出しにして戦う意思を高らかに雄叫びにして叫んだ。
その隣では優雅に可愛らしく両手を広げたメネシスが魔法陣を展開していた。
「バラバラのお人形さん。手を繋いで立ち上がって舞台を盛り上げてちょうだい」
魔法陣を見たときメネシスが魔法を使おうとしていたことは分かった。だが、アテナの恐怖を与える表情がそれを阻止しようとする俺の足を一歩踏み出すことすら許してくれなかった。
アヌビスはわざと見逃したようだが、その魔法はかなり不味いものだったようだ。
メネシスの魔法が発動したのと同時に周囲に肉片になっていた兵達の体の一部たちが動き出した。
地面をひっかきながら動く腕、地面をけりながら進む足、うめき声を上げる首、戦場中に転がっていた体の一部分たちがまるで命と意思を持ったかのように動き出し集まり始めた。
そして、一人また一人と継ぎ接ぎで繋がれた人間の形をした兵士達が出来上がってきた。その継ぎ接ぎの兵士たちは武器を手にしてメネシスの周りに集まってきた。その目には生気も恐怖も何もなく、ただ、不敵な笑みを崩さず歩きながら近づいてくる。
「さあ、お人形さんたち。演舞会を始めましょうか」
優しくメネシスが微笑むとアテナを含んだ継ぎ接ぎの兵士達はゆっくりだが先ほどの戸惑いなど微塵も感じさせないしっかりとした歩みで近づいてきた。
「メネシスの不死不感の演舞隊か。リョウ、楽しむぞ」
継ぎ接ぎだらけで人間ではないと分かるが、人間の形をしたそれに剣先を向けるのに戸惑いを持ちながら俺はアヌビスの後ろに続いて仮設の国境線を越えていった。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。