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第29話 神隠し戦−『笑顔の意味』

 無事アレクトを救出できた俺達はフレッグの家で今回の話し合いをすることになった。

 ケルンはミルとルリカの警護のため不参加だが、アンスとポロクルは戻ってきている。祭りはいまだに賑わっていて、カリオペは仕事に追われているのだろう。

 アヌビスを除いて机を囲むみんなは俺を含めて眠そうな表情だ。だが、アヌビスが招集をかけたのを無視することは俺達にはできない。

「各自の報告を聞こうか」

 アヌビスが目で指名したのはアンスだ。アンスは床に愛用の槍を放り投げ椅子に深く腰掛け寝息を立てていた。アヌビスの突き刺さるような眼差しでも相手が寝ていたら伝わらないと分かっているのだろう。アヌビスは重くて持ち上がらない机が音を立てて跳ねるほど蹴った。

 流石に大きな音だったのでアンスも飛び起き、俺も含め周りのみんなも寝ぼけていた感覚が覚醒したかのようだ。

 一同が驚きアヌビスをみんなが窺うように見た。怒っている表情のアヌビスの睨みは一同の背中に長い針を通したかのような効果だ。

「祭りや夜だということを考慮してもだ。貴様らは何だ」

「軍人です」

 アヌビスの睨みにも怯まず真っ先に答えたのはアレクトだった。その声と顔は寝起きや興奮時のものではなく軍人としての彼女、性別など関係なくアレクトという名の軍人になっていた。

「最近、気が緩みすぎだ。この事件。たいしたものじゃないかもしれんが、軍人としてかかるぞ。で、アンス。何か異状はあったのか」

 すると、俺達を包んでいた春のような緩んだ空気はアヌビスの一声で真冬の風よりも切り裂かれそうな冷たいものに早変わりしみんなの人格を変えたかのような影響力を持っていた。ついさっきまで寝ていたアンスがいきなり立ち上がった。

「町の周囲には獣や魔物の類の存在は確認できなかったな。それに、魔力の流れも自然なものばかりだった。詳しくはカリオペの兵達の報告が必要だと思うんだが、この町に対して行われた魔法は無いと思うぞ」

 いつものアンスらしくない報告だ。報告を終えるとアンスは椅子に座った。次にアンスの隣に座っていたポロクルが誰に言われることなく立ち上がって報告をはじめた。

「アヌビスが戻ってくるまで、町に異変は無くアレクト以外の人が神隠しにあったなどの報告も受けていません。また、こちらでも町の外からの魔力を感知していません」

 ポロクルの報告が終り彼が椅子に座ると、アヌビスはアレクトを見つめた。この机を囲むみんなはまるでアヌビスの視線で操られている人形かのように見えていた。

「アレクト、お前はどうなんだ。何かしらの攻撃を受けた記憶はあるか」

 アヌビスに聞かれたアレクトは、椅子に座ったまま真っ直ぐ目線をそらすことなく質問に答えていた。

「実は、これと言って操られるような攻撃を受けた記憶はないです。妙に寝付けが良かったのは覚えていますけど、目覚めたら崖に落ちかけていたんです」

 アレクトの記憶はベッドに入ってから崖で目覚めるまで綺麗になくなっているそうだ。だが、それは普通に寝ていただけで正常なことだ。

「そう……か」

 浮かない顔のアヌビスは椅子に背筋を延ばして座っている俺達を見渡しながらため息を吐きタバコに火をつけた。

 浮かない表情になるのもしょうがない。今回の囮作戦の目的は犯人の隠れ家を見つけ出すこと。犯人の姿を確認して追跡できなかったこの成果は失敗としか言えないからだ。

 アヌビスの表情を見ても俺達は何も言えずアヌビスの考えがまとまるのを待つしかなかった。

「ああ、もういい。楽にしろ」

 アヌビスの息抜きの許可を得た俺達は、全身に刺さった針を抜いて大きな息を吐いた。いつもは恐怖の緊張ばかりだったけど、身分が上の人の重圧の緊張は初めてだった。一つだけ年上のアヌビスからその緊張を感じるのは彼の大きさがそうさせているのだろう。

「犯人も現われず、魔法も使われず、本当に分からないな」

「本当に魔法は無かったんでしょうか」

 アヌビスのぼやきに再度聞いたのはポロクルだ。彼はこの部隊の頭脳なので考え事は任せたい。一応、俺は第二の頭脳なのだが、ポロクルほど知識は無い。無駄に口を出して話をややこしくしない方がいいだろう。

「例えば、極少量で感知できない量の粒子を数回に分けてアレクトに注いだなどは考えられないでしょうか」

 ポロクルの仮説にアヌビスは時間を置かず首を横に振った。

「ないと断言してもいいな。操られている前後に呪の粒子がアレクトに無かったからな。そもそも、アレクトほどの人間を操れる量の粒子だと蓄積しているうちに分かるだろうが」

「粒子って……」

 アヌビスとポロクルの会話に理解できない用語が出てきている。それの意味を聞こうとすると、アレクトが真っ先に首を振って俺とアヌビスの間に顔を挟んだ。

「リョウ君。今は聞かない方がいいよ。と言うか、今更それって所だし」

「な、なんで」

「俺もよく分からないんだが、各属性の粒子を魔力で繋ぎ合わせて魔法にする。これが、魔法の原理なんだと」

 アンスが言ったのは魔法の仕組みらしい。

「つまり、魔力だけでは魔法になら無くて、粒子って言う奴を」

「だーかーらー、今度詳しく教えてあげるから、今は神隠しの話に集中」

 半ば怒り気味のアレクトが俺の声を遮った。そして、俺だけに聞こえるように耳打ちしてきた。

「これ以上話が長くなると、寝る時間が減っていくでしょ。それに、この状況だと明日から何をするか分からないから少しでも体力は欲しい所でしょ。だから、話は二人に任せておこうよ。ね」

 そして、アレクトはアンスを見習って深く椅子に腰掛けた。つまり、話に参加せず気軽に話を聞いていろということだ。

「では、話を戻しますよ。アヌビスの考えだと魔法はないと。では、能力でしょうか」

 ポロクルから出て来た新しい用語。凄く気になったけど、隣で強く手を握ってきたアレクトの力で声をねじ伏せられていた。でも、アレクトは優しい人だ。そっとまた耳打ちしてくれた。

「能力っていうのは、魔法学ではくくれない分類の力のことなの。カリオペの未来のことを予言できる先読みの力やリョウ君の竜神りゅうつきなんかの獣神けものつきもそう。細かい所まで言うと、魔道書を読むのも能力の一つだよ」

 ポロクルの考えにアヌビスは簡単に頷けないでいた。

「能力だとしても、犯人に疑問ができる。魔法にせよ能力にせよ、アレクトに接近、もしくは目視、最悪でも名前と容姿ぐらいは知ってなければならないだろ。その条件すら満たさずまったく知らないアレクトを選び出し操る。そんなの12神クラスの力だぞ」

「アヌビス。それだと、犯人はアレクト周辺。この町の中にいると言っているのですか」

 アヌビスはポロクルに即答はせず、上目で睨みつけるようにポロクルを見ている。それは、もう答えを瞳で語っている。

「なら聞くが、洗脳能力を持ったもの。または、それらしい条件を満たしている人物。ポロクルは町の人間の他に心当たりがあるのか。アレクトやアンスでもいい心当たりはあるのか」

 アヌビスの質問は、犯人を知っているのかと聞いているのと同じだ。だが、現状だとアレクトを操った方法も分からず犯人を見つけるのが唯一の解決手段でしかなかった。

「……メネシス」

 なかなか言い出せなかった俺なりの報告。水を打ったかのように静まった部屋では小さな俺の発言がみんなの耳に届いていた。

「リョウ、メネシスがどうしたんだ」

 真っ先に噛み付いて来たのはやはりアヌビスだ。報告が遅れたので少し言いにくいが、黙り込んで不機嫌なアヌビスの逆鱗に触れるよりかはマシだ。

「アヌビスがアレクトを助けに崖を降りた時、メネシスを見たんだ」

 周囲のみんなは期待等のまなざしではなく、どちらかと言うと疑いのまなざしで俺を見ていた。

「リョウ君。夜で暗いし見間違えたんじゃない。兎とかあの森には多いと思うよ」

「いや、白くて小さいからって兎とメネシスは見間違えなかいら」

 アレクトの疑いにツッコミを入れてみたが、周囲のみんなも同じ疑いの目をしている。

「リョウの言っていることが本当ならメネシスが犯人なのが有力だな」

 三人が疑う中、アヌビスだけが俺の意見を真剣に受け止めてくれていた。光を失いかけていたアヌビスの目が輝いている。

 それを見た三人は諦めたかのようにため息を吐いた。この部隊のメンバーがどれだけ話し合って議論したところで、決めるのはアヌビスなのだ。つまり、アヌビスが興味を持った時点で反論する意味がないのだ。

「でも、メネシスってまだ子供だろ。そんなに強そうじゃない彼女が敵国の領土に単騎で来るなんて変だよな」

 俺の疑問に手を上げたのはポロクルだ。

「リョウも会ったこと思いますが、アレスとアテナ。彼らはメネシスの直属の部下なのですよ」

 アレスとアテナには会ったことがある。アレスは黒い鎧に大斧を持った大きな男で、アテナは大剣を持った露出の多い腰布をした女性だ。二人とも立派な戦士だが、俺達の敵である聖クロノ国の軍人だ。

 初めて三人を見たときは、アレスがリーダーのように見えたが、よく考えると納得できそうだ。ホルス救出戦で三人を捕らえることができなかったのはメネシスの機械竜の存在があったからと言っても間違いではない。

 結局、彼女の存在でみんな決着をつけることができなかったからなのだ。まあ、ジョーカーの登場はそれに拍車をかけたのだろう。

「そもそも、メネシスは我らにとって厄介な100人の」

「ポロクル。その話は今必要なのか」

 またポロクルの話が脱線すると思ったが、それを速攻でアヌビスが止めた。ポロクルはアヌビスに叱られ話したいことを全て飲み込んで最後の部分だけ口にした。

「とにかく、彼女はかなりの魔力と力を持っているのは間違いありません。彼女ならアレクトを操れたことにも納得です」

「でもよ。それなら誰か一人ぐらいメネシスの魔力に気付いていてもおかしくないか」

 アンスの言ったことにも納得だ。力を手に入れてから徐々にだが人の強さが肌で感じられるようになってきている。現に、アヌビスからは針のようなオーラを感じる。メネシスもそれに似たオーラのようなものを持っているのだろう。それを誰にも悟られずアレクトに魔法をかけるのは無理だろう。

「能力を持った者の存在か。隠された力を持ったメネシスか」

 今回の話し合いで俺達が犯人像としてあげた二つの存在。それを口にしたアヌビスは恐怖の笑みを浮かべた。そして、彼は簡単な答えを出した。

「両方潰せば正解だな」

 久々に見た戦闘好きのアヌビス発言。みんなもアアヌビスの出す答えに薄々気付いていたようで簡単に頷いた。

「ポロクル。地図を出せ」

 暗雲を切り裂いて航路を見つけたアヌビスは笑みを絶やすことなく机を叩いた。急かすアヌビスを珍しそうに見ながらポロクルはこの町周辺の地図を広げた。そこにはギャザータウンとシルトタウンが描かれているのはもちろん。聖クロノ国との国境や敵領土内の街、さらには鉱山や獣の巣窟までも描かれていた。

 その地図にはアヌビスの興味を引くものが満載だったが、アヌビスが真っ先に指さしたのは赤い線と青い線の近く、赤い線で囲まれた区域にある赤い色で描かれた町だ。

 青で描かれた街がギャザータウンであることから、アヌビスが指さしているのは敵の領土の町だと言うことだ。

「数日様子を見てからこの町に行く。朝になったらケルンに下調べしておくよう伝えておけ」

「どうして危険をおかしてまで敵地に行くんだ」

 俺が何を言おうとアヌビスの決定は部隊の決定。それを分かっている三人は何も聞こうとしていないが、みんなも知りたいだろと俺が代表して聞いてみたのだ。

「その辺りはポロクルが良く知っているだろ」

 説明が好きではないアヌビスはポロクルを指名した。説明役を任命されたポロクルは眠そうな目を押さえながら話し始めた。

「フレッグの話しによりますと、この町を襲って食料を奪う町がここだそうです。なので、この町を崩落させるため神隠しをしているのではと犯人の候補としてあげておいた町です」

「敵地だと今以上にメネシスのことも分かる。それに」

「それに」

 アヌビスの興味を引くような台詞に俺は聞いてしまった。だがすぐにアヌビスが言いたいことは想像できた。

「戦いが多いだろ。全員、それまでに戦闘の準備をしておけよ」

 机を囲んで数時間。アヌビスを除いてみんなの疲労はピークになっていた。話し合いをする前は軍人とか言って張り詰めていたみんなだが、出した声は腑抜けた返事だけだった。


 話し合いが終わり、俺は疲れた足を引き摺りながら部屋へ入ろうとした。だが……。

「リョウ、見回りに行く。付き合え」

 アヌビスの誘いは断れないのは知っていた。断ったとしても無理矢理連れて行かれるのも知っていた。だけど、俺は小さな抵抗として、半分開けていた部屋の扉を力任せに閉めて大きな音を立てた。

 アヌビスに連れられてフレッグの家を出て見回りをすることになった。見回りなど建て前上の言葉で、ただ単にアヌビスの散歩に突き合わされているだけのようだ。見回りのコースなど決まっていなく、アヌビスが行きたい道を歩いているだけにしか見えないからだ。

 お互い話しかけることもせず静かに歩いていた。町の中心部では夜通しで祭りをすることになっているから中心部は明るくにぎやかだ。気晴らしの散歩をするならそっちの方が見るものの食べるものもあってよいと思うのだが、アヌビスはまるで光を避けるかのように暗闇を選んで進んでいた。

 気ままな散歩の末、アヌビスに連れてこられたのはライランの馬車が止まっている所だ。町外れの暗闇に隠されるように置かれた5台の馬車の近くには数人の見張りを残して、リーダーのライランを含めみんな祭りに参加しているようだ。

 見張りの人が俺とアヌビスに一度だけ目を向けたが、すぐに居眠りを始めた。それは、無言の許可だと捉えた俺達は馬車を見て回ることになった。

 そして、アヌビスに連れてこられたのはあの布で覆われた大きな荷台の馬車の前だ。人の目がないでだろうか布の半分が外されていて中の女性がよく見える。中に閉じ込められている女性はミルたちのような子供から40歳近くの大人の女性まで様々だったが、みんな生気が薄く膝を抱えて寝ていた。

「リョウ、こいつらを何だと思ってみている」

 ここにきてアヌビスがはじめて口にした言葉がそれだった。アヌビスが差しているそれはもちろん檻の中に閉じ込められた女性たちのことだろう。

「女性だろ」

「そうじゃない。そこにいる奴らはお前とそう年の差は離れていない。なのに、この差はなんだと思っている」

 アヌビスが見つめていたのは檻の隅で身を寄せて膝を抱えて俺達をただぼんやりと眺めている二人の女性だ。薄汚い布を体に巻きつけただけの二人の容姿は服装だけではなく顔や髪型まで似ている。まるで双子のようだ。

 俺はアヌビスの質問に答えることができず黙り込んでいると、アヌビスは懐に手を入れ金貨を5枚出した。その片手に握られた一握りで500万円の価値がある。その握られた拳の中身を見張りの男に渡していた。

「あそこの二人をもらう」

「こんなに沢山……いいのですか」

「気にするな。残りは好きにすればいい」

 額は分からないがアヌビスは相当多く払ったようだ。見張りの男は喜びながら速やかにさっきの女の子二人を檻から出してアヌビスに渡していた。

 その二人はアヌビスに買われても喜ぶことも怖がることもせず無機物のような表情のまま俺の前まで来た。

「目の前で見ても分からないのか」

 アヌビスは、二人のうち一人を俺の前に突き出してきた。その子は全身に力がないようで、アヌビスに軽く押されただけでその場に座り込んでしまった。アヌビスの隣に痛もう一人の女の子も同じように地面に座り込んでいる。

 アヌビスに言われてよく見てみたがよく分からない。少し汚れていて生命力が弱くなっているのを除けは普通の女の子だ。俺となんら変わらないように見えていた。

「分からないのか。なら着いて来い」

 不機嫌そうに肩を落としたアヌビスは自分の横に座らせていた女の子の腕を無理矢理ひき森の中へと歩みだした。アヌビスの女の子への扱いは粗いもので、まるでゴミを扱っているかのようだ。俺は目の前で立つこともままならない女の子に肩を貸してアヌビスについていった。


 アヌビスが俺達を連れてきたのは森の中だった。町のすぐそばで遠くで祭りの光がかすかだが見えるところだ。

「リョウ、短剣の形を変えたそうだな」

 アヌビスは俺が首に掛けているアミュレに触れながら聞いてきた。元々はアヌビスからもらった短剣だったが、俺の要望でアミュレになったのだ。

「不味かったかな」

「いや、本来この武器はそういうもんだ。12種類の武器のうち一つを解放できるだけお前が強くなったんだろ」

 12……この世界に着てからよく聞く数字だ。それに、こんな小さな武器に12種類もの形が納められているそうだ。これも魔法の一種なのだろう。

「だが、忘れるなよ。その武器は切れない武器だ。その切れ味は必ずリョウ自身に帰ってくるんだからな」

 アヌビスは深く黒い声音で俺に忠告してきた。この武器を今まで何度も使ってきていたけど、それらしいことは無かった。もしかしたら、俺が気付かないだけで何か起きているのかもしれないが。

「それじゃ、はじめるか」

 話しをいったん区切り、アヌビスは剣を抜いた。その剣はいつもの白い剣ではなく、刃が薄く向こうが透けるような蒼い刀身の剣だった。すると、その蒼い刀身を力なく地面に座っている女の子の首筋に当てた。一瞬、女の子の表情が変わったが、すぐに諦めたかのような表情に戻っていた。

「お、おい。何するんだ」

 すると、アヌビスは白い犬歯を見せて笑った。

「こうする」

 アヌビスの蒼い刀身は女の子の肩から腰まで斜めに抵抗無く進み人間を二つに分断した。

 女の子が切られる直前、俺に見えるように見せた涙を流す笑顔は俺の心に瞬間で焼きつき俺の全身を高熱が走り体を焼いていた。

 その全身の高熱が俺の体の自由を奪って何もできないようにしていた。

 ただの肉片になった人間の残骸からは、一瞬置いて破裂したかのように血が噴出してあたりに赤い雨を降らせた。その血は熱で動けなかった俺を冷やすかのように全身に降り注いだ。

 そして、ようやく俺は目の前の状況を考えらえるまでに意識を戻すことができた。目の前の状況は簡単な話しだ。目の前で同じ歳ぐらいの女の子が一人アヌビスに殺されたのだ。

「な、何しやがるんだ」

 俺はアヌビスに怒りの声を上げながら切られた女の子の上半身を抱えた。その半分になった体はまだ温かく人間の温もりを感じる。だけど、その表情は俺の心に焼きついた涙を流しながらの最後の笑顔のままでまったく動かなかった。痛みを感じる前に力尽きたのだろうか、とても苦しそうな表情には見えない。むしろ、幸せそう。初めて会ったときよりも切られる瞬間の笑顔の方が彼女の幸せだったかのようだ。

「こいつとお前との違い。それは力だ。こいつに生きる力があればこうならずに済んだかもしれないだろ。この世界はな、力が無いと生きていけないんだ。それを覚えておけ」

「お前、たったそれだけを教えるためにこの子を殺したのか」

「そうだが」

俺はアヌビスに強気の口調で挑んだが、なんら効果がないようでアヌビスは笑みを絶やさなかった。

「いかれてる。人の命を簡単に……」

「何を今更。リョウ、お前かって何頭もの獣のをやってきただろ。それが人間になっただけだ。なにがが違う」

「それは……」

 アヌビスの言っていることはわかる。命に大きいも小さいも種族も無い。頭では分かっているけど、実際目の前にするとその重さは違う。獣やロンロンに剣を向けるのには些かのためらいだけで向けられたが、人間に剣を向けるのを見ると彼らのときとは違う感情が芽生えそれを許せなかった。

「リョウもやってみろ」

 笑みのアヌビスは彼の愛用の剣の柄を俺に向けた。その剣を受け取ると、今まで使ったことのある全ての武器より軽く扱いやすそうだ。

 その剣を握っているだけで、何かを切りたくて全身がうずきだす。何か獲物を求め自然と剣先はもう一人の女の子へと向けていた。

 すると、その女の子も一筋の涙を流して笑顔を俺に見せた。その笑顔が俺の心に焼きついた光景を蘇らせ、握っていた軽い蒼い剣を地面に落として剣の誘惑から逃げた。

「な、なんだよ。この剣」

 ようやくほどけた両手は汗ばみ、額からは大粒の汗が流れ、息は乱れていた。

「ほう、拒むことができたか。思う存分切り刻めばいいものの」

「そんなことできるわけないだろ」

「そうか。だが、相手が死を望んでいてもか」

 アヌビスの目線の先、そこには俺に殺させようとした女の子が座り込んだまま悲しそうな表情で俺を見上げていた。そして、俺にすがるように俺の袖を引っ張った。

「お願いです。……なんでもしますから…………殺して」

 その求める表情に思わず剣に手を伸ばそうとしてしまった。だが、取る直前で止まり、首を左右に振った。

「駄目だ。殺してとかそんなこと」

 俺が彼女の顔を見ることができず目を背けると、地面に落ちている剣を拾う人物がいた。

 その黒い人は赤い目をして白い歯を輝かせ笑っている。そして、涙を流しながら笑顔でその人物を受け入れる彼女。彼女の首は黒い服を全身にまとった死神のようなアヌビスに切り落とされた。

 そして、赤い雨が再び降り俺はその雨の中意味が分からずただ似た顔の彼女たちのことを忘れようと必死になっていた。


この物語はフィクションです。

登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。

実際に存在するものとはなんら関係がありません。

一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。

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