第22話 力は時として適切であり不適切である
「風を超えるもの・鳶」
右足を掴まれた俺はもぎとらえることを覚悟する。だが、予想していた骨が砕け弾けるような痛みではなく、鋭利な刃物で皮を切られる痛みだけが滲む血と共に太ももに訪れた。
懐まで飛び込んできていた獣人の子は、俺から離れ左手を舐めている。その左手には刃物で切られた痕がありそこからは血が流れていた。その流れ方からして動脈を切られているようだ。必死にそれを止めようと拳を握っていた。
「指を切り落とせると思ったが、さすが獣人の子だな。普通の獣と瞬発力が違う」
蒼い剣に着いた血を振り払ったアヌビスは俺の横に立つ。後ろを振り向くとまだ10を超える数の狼が残っていた。だが、その狼は、えぐれた地面の切れ目からこちらに入ってこない。何頭かその切れ目に入って来た狼がいたようだが、すべて首と足と尻尾が切り落とされていた。どの足がどの狼のものか分からないぐらい混ざっている。
「アヌビス。いいのかよ。まだ残っているぞ」
俺が注意してみるもアヌビスはタバコに火をつけてくつろぎはじめた。
「動物ってもんは利口なものだ。線を越えれば殺されると分からせればそれでいい。それより、あいつはお前に任せたんだが、まだ終らないのか」
「そんなこと言ったって、ただの狼とは違うし」
「確かに、奴は狼とは違う強さだ。それは認めよう。だが、リョウ、お前と同じ系統の強さだ。不利だから戦えないとは言わせないぞ」
獣人と獣神。獣の純度は違えども、どちらも同じものだ。だが、奴は俺より戦闘慣れしていて能力も高い。これをどう補えばいいか俺は分からないでいた。
「まあ、恐れるな。致命傷になる攻撃なら俺が防いでやる」
そう言って、アヌビスは蒼い剣を俺に見せた。その刀身は薄く光が透けているようだ。それだけ薄く蒼い剣は魔力を帯びているように美しく輝いていた。あの、赤く禍々しい力を感じる剣とは違い、その剣には清々しい力を感じる。
「と言っても、戦いに慣れていない俺にはどう戦えばいいか。それに、今の攻撃だって見切ることができなかったんだ。これじゃあ……」
「邪竜眼」
すると、アヌビスは聞きなれた言葉を口にした。
「邪竜眼、だったよな。それを使え。無制限解放を許可してやる。制限時間は日が完全に落ちるまでだ。夜になると、リョウだけで奴は止められそうにないからな」
「罰か何かはあるのか」
「そんなものあるはずないだろ。勝てば生きてられるし、しくじれば死ぬ。ただそれだけだ」
笑みを含んだアヌビスの顔に俺の背筋は音を立てるほど震えていた。
「そんなに罰が欲しいのか。それなら、時間までに終らなかったらリョウ、お前の夕食はポカティだ」
冗談を含んだ瞳をしていないアヌビスを見て、俺は剣の柄を強く握り締める。夕食は守らなければと命より先に考えてしまっていた。
俺は、剣を構えなおして獣人に一歩近づく。
「来るな!」
獣人の大声に俺はそれ以上近づけなかった。
「恐れるな。いかに凄かろうと相手は獣人。肉弾戦しかできない奴なら策はいくらでもある」
「弱点とかあるってことか」
「まあ、強いて言えばある」
何らかのヒントを得ることができそうだ。俺はアヌビスの声に耳を傾けた。
「獣神は体の一部に獣の力を宿すことで獣人は全身が獣だ。それを利用する」
俺は分からないと頭を捻った。
「奴は、生まれつきの獣であるため、体の一部に獣の力を集結させることができない。だから、あの目や牙が奴の限界。今以上の能力を発揮するには条件が必要になってくる」
俺は無言のまま頭をフル回転させる。だが、イマイチよく分からなかった。俺の顔を見てアヌビスもそれが分かったようだ。
「つまりだ。奴の部分値はあれ以上増えない。左手で岩を砕けないならそれが奴の限界だ。だが、獣神は獣の力を一部に集め秀でた獣の力を得ることができる」
「邪竜眼みたいなものか」
「まあ、そんなものだ。そんな力を複数の制約でふさがれているお前が力を解放していけば問題なく戦えるだろ」
それを聞いて安心した。俺にはまだ数段階の力が残されているのが約束されている。俺の力と奴の力が何処で並ぶか、そこまで力を解放していこう。そして、並んでさらに一段階解放すればいいのだ。
俺は心と顔に余裕の笑みを浮かべて獣人に飛びかかった。
「ま、奴の生まれ持った能力値がリョウの部分値より低い時の話だがな」
アヌビスの笑い声を含んだ最後の声が届いた時には、既に俺の剣が獣人の子に握り締められている時だった。
俺の長剣は獣人の子に左手一本で握られて止められている。その左手は先ほどまで血が止まることなく流れていたのに今では傷はおろか血の跡すらない。
「傷が完全に癒されている」
「お前たち、長い話していた。傷も治る」
獣人の子は然も当たり前のように言っていた。人間では考えられない速度での自己再生能力だ。つまり、こいつを倒すには致命傷を与えるか、間髪無くダメージを与え続けなければならないということだ。となると、いきなり50%ぐらいの解放が必要だろうか。
俺は剣を引いた。だが、獣人の手からは離れなかった。それどころか、切り傷すらできていない。
「山まで飛んでいけ。甲・狼厳波」
俺の腹部に軽く手が当てられた。聞き覚えのある技の名前だ。威力を思い出して咄嗟に俺は強く握っていた柄を離しその場から転がるように逃げた。すると、衝撃波と突風の二つが渦を作り周囲の物を吹き飛ばしていった。
バラバラになった狼もアヌビスの銜えていたタバコも飛ばされていく。その突風は数秒続き、彼の仲間の狼ですら飛ばされそうになっていた。だが、その衝撃波と突風の直撃を受けたアヌビスは微動だにもせず笑みを浮かべて立っている。
俺の立っていた所から地面に扇状の5本の傷が刻まれていた。
獣人は右手を引いて息を深く吐いていた。そして、左手で握り締めていた俺の長剣を俺に投げ返す。
「牙を失う。獣の死。俺、牙は奪わない」
悔しいが俺は長剣を握り締めた。今初めて分かったことだが、長剣を持っていないと竜神の解放はもちろん維持もそれほどできないようだ。全身から徐々に力が抜けているのが分かっていた。
「仇。こい、臆病な人間」
余裕を浮かべた獣人は右手の拳を見せた。俺は一々調べている余裕は無いと判断し、一気に6割ほどの力を解放することにした。
同じ獣の力を持っているから獣人にも分かるのだろう。俺の力が解放されていくにしたがって、顔色が変わり始めていた。そして、もうそろそろで5割の力になる時にはすでに余裕は無く形を崩さず臨戦態勢だった。
「ああ、リョウ。悪いがそいつは殺すな。生かしたまま捕まえろ。手足なくしていても構わんが、話せるぐらいにはしておけ」
力を発揮しようとした時、アヌビスの気の抜けた声のせいで力が抜けた。
「無理なこと言うなよ。倒すので精一杯だぞ。そもそも、捕獲なんてしたことねぇよ」
「そうだな。一度だけなら見せてやる」
そう言うとアヌビスは蒼い剣をかざした。そして、右手を出した。
「鋼よ。連なる輪となりて強固な綱となれ」
そう詠唱を終えたアヌビスは俺達の視界から消えた。獣人の目ですらその速度は捉えることができず、辺りをキョロキョロしている。
「捕縛実行」
アヌビスの声が聞こえたのは獣人の背後からだ。
獣人もその声に気付き、一歩前に進もうとしていた。だが、背中に押し当てられたアヌビスの手の平から幾本もの鎖が現われる。その鎖は獣人の腕足腰全てに巻きつき拘束していく。
全身鎖だらけになり、銀色に輝く獣人は擦れる金属音を立てながらもがいていた。
「ま、こんな所だ。竜神なら鎖ぐらい出せるだろ」
いつの間にかアヌビスは俺の横にいた。蒼い剣を出してからアヌビスは目で捉えられない高速移動を多用しているようだ。
「そもそも捕縛できたならもう戦う必要はないだろ」
「確かに普通の奴相手ならな」
アヌビスは目の前の鎖の塊を見ている。その鎖は一本一本音を立てて引き千切られだした。そして、結果は捕縛失敗に終った。
「奴は獣人。ただの鎖で捕縛できるほど柔な奴ではない。それをどうするか、自分で考えろ」
アヌビスは下がって俺から離れた。俺は頭が一杯になりアヌビスに助けを求める目線を飛ばす。だが、来たのは冷たい声だった。
「余所見をするな。来るぞ」
正面を振り向くと、獣人は巨大な拳で地面を叩く。その衝撃で地面が揺れ、足が動かなくなる。そのわずかな時間で俺の懐に獣人が飛び込んできた。
「弧蓮華襲足」
拳がくると胸元で腕を組んだ。だが、来たのは足蹴りだった。懐にまで来て出された蹴りは、俺の股から首まで蹴り上げられるものだ。獣人は地面に手を付いて、逆立ち状態になった。
「吹っ飛ぶ。連足・震神雷」
追加攻撃で顎を蹴り上げられた俺は背中から倒れる。ダメージはさほど無いが、口から血が出た。そして、目の前の獣人を見る。すると、視界が歪んでいることに気づいた。
「右目。潰れた。大丈夫。すぐ直る」
獣人に言われた通りだ。右目の視力は極端に落ちていた。
だが、獣人は視力が回復するのを待ってくれない。俺が立ち上がるとすぐに懐へ飛び込もうと地面をけっていた。
『なあ。主には何がたらぬと思う』
また頭の中に声が聞こえた。
『目の前の化け物を倒すのに何がたらぬ』
煩い。お前は誰なんだ。俺の体を乗っ取るつもりか。
『ふん。答えるつもりはなし、こんな薄汚い体もいらぬ』
それを最後に頭の中の声はなくなった。俺にたらないもの。それは、奴の動きを捉えることのできる目だ。
俺は剣を握り目を閉じた。今まで全身の肌に感じていた堅い鎧のような感覚が薄れ、代わりに目に電気が走るような小さな刺激を受け外の夕日がまぶしく感じるようになる。
「この解放の仕方、またあの馬鹿の介入か」
アヌビスの声など俺には響いてこなかった。
獣人も俺の変化に気付き、飛び込むのをやめて形を作っていた。些か真剣な目つきにもなっている。
目の前の獣人を見ると奴の力が黄色い光になって目に見えていた。だが、獣人を覆っている黄色い光は増えることも減ることも動くことすらない。つまり、獣人の生まれ持った固定された強さだからだろう。
獣人は右手を天に左手を地に伸ばした。その腕を動かさず徐々に膝を曲げて姿勢を低くしていっていく。
「挟手牙」
獣人の両手の指10本を覆っていた黄色い光は全てが赤い光に変わった。そして、獣人は曲げていた足を一気に伸ばして俺へ向けて跳んだ。その跳躍は足全体がバネになったかのようだ。
奴の跳躍を見るのはこれで二回目。一度目は気付くことはできたが、その動きを捉えることはできなかった。だが、今回は相手の表情が分かるぐらいにその動きを見切れていた。
獣人は長く伸ばしていた手の幅を少しずつ縮めていっていく。ので、どこを狙っているか絞り込めてきていた。俺は来るであろう軌道上に左手を上げた。
「鋼よ。棒となりて我を守れ」
俺の魔法によって生まれたのは1mほどの金属の棒だ。その棒を獣人の手と手の間に入れそれ以上縮まらないようにした。まるで、大きな口をあけたワニがそれ以上口を閉じないようにする支えのように。
そして生まれた獣人が防ぐことのできない無防備な胸元、そこに致命傷を与えるため剣を突き出した。
しかし、俺の生み出した鋼が脆かったのか獣人の力が大きかったのか分からないが、金属の棒は何の抵抗もせずジグザグに折られ障害の役割を果たすことは無かった。
防御に移ろうかと考えたが、俺の攻撃の方が先に届く。心臓を狙ったつもりだったが、ずれて剣は左肩を貫いていた。
「ぐっ、……痛い。けど、逃げられない」
獣人は辛い顔をしたが退くことはしなかった。それどころか自ら前に進み剣を抜けなくしていっていく。彼が動くたびに血が流れだしていた。そして、彼は痛みに耐えながらも俺の肩と腰に指先を当てる。
その時、命を削りながら彼がしたかったことがようやく分かった。刺し傷など彼にとっては大した問題ではないのだ。逆に、剣の動きを奪い俺をその場から逃がさないためのもので絶好の攻撃チャンスだったのだ。
獣人の指先が肩と腰に食い込んだ時、俺は剣を捨てて獣人から離れる。だが、それでも遅く、その二箇所には5つの穴が開けられていて血が溢れてきていた。指を食い込まされたようで特に左肩の動きが鈍い。筋がずれたようで負傷部位を動かすと痛みを感じた。
「痛かった。でも、お前も痛い」
獣人は左肩に刺さった剣を抜いた。血をせき止めていた剣を抜いたら血が噴出すかと思ったが、少し流れただけですぐに止まる。そしてまた剣を俺のほうに投げられた。
ダメージからしたら受けた量は同じぐらいだ。だが、俺の方の血は止まる気配が無い。このままでは俺が先に倒れてしまう。
「おい、リョウ」
「何だよ。アヌビス」
話しかけたアヌビスに強く当たってしまう。思うように行かない戦いにイライラしていたせいだ。だが、アヌビスは俺の不機嫌などまったく気にしていなかった。
「お前こだわりすぎ。少し考えろ馬鹿」
俺は剣を握った。考えろだと、何をだよ。奴の手足を切って鎖で捕縛。これが一番早いと判断したが上手くいきそうにない。現に今のがそうだ。挑戦しても与えた以上の攻撃を受ける。どうすれば……。
『主はなぜ剣士をやっている』
またお前か。煩いから引っ込んでろ。
『わめくな。答えられぬのか』
そりゃあ、アヌビスが剣で強く見えたから。かな。
『だと思ったよ。主の声に答えて長剣になった割には扱いが下手だからの』
まだ使い慣れていないからしょうがないだろ。
『だが、それで主を不利にしているかも知れぬのにか。今回は本当に剣が必要か』
頭の中の声に答えることができなかった。確かに、今回の戦いで使い慣れていない剣はただの重荷にしかなっていない。
「確かにそうかもしれないな」
俺が頭の中の声に賛成すると、獣人が頭上にいた。彼は落ちる勢いを両腕に集め俺を叩き潰そうとしている。俺はそれを剣で受け止めた。そして、獣人が地面に着く前に地面に魔法を飛ばす。
「鋼よ。連なる輪となりて強固な綱となれ」
獣人が地面に着地すると、彼の足に鎖が絡まった。
動きが止まった獣人の脇腹に剣を切りつける。すると、刀身を抱きかかえるように剣を持った獣人は笑みを浮かべていた。それに対して俺も笑みを浮かべた。
俺は悩まず剣を手放した。そして、手を獣人の胸元に当てた。
「鋼よ。幾千の針となりて貫け」
俺の手からは何本もの針が現われ獣人の体を貫く。獣人は左腕を俺の胸元まで突き出していたが、多くの針が刺さった腕は俺に当たることなく動きを止められた。
全身を多くの針で貫かれた獣人はまるで蝶の標本のようになり動けないでいた。関節を動かそうにも長い針が他の部分にまで刺さっていて、無理に関節を動かすと他の関節を痛めてしまうからだろう。
「ぬぅ。牙捨てた。お前、獣、死ぬ」
「うるせえ。俺は人間だ。生きるためなら誇りぐらい捨てられるんだよ」
針だらけになった獣人から剣を奪うと周囲を見る。夕日はあと少しで沈むところだったが、制限時間ないにはなんとか終った。
獣人も針を刺されてから動けずにいる。さらに、出血は目立つがその表情からは死を匂わせるようなこともなさそうだ。
「どうだアヌビス。俺的には合格点だと思うんだが」
後ろを振り向くとアヌビスは短くなったタバコを投げ捨てる。彼の後ろにはすべて肉片になった狼が転がっていた。
「40%と言ったところだな」
アヌビスは獣人に近づき彼を品定めするようにゆっくり眺めだす。俺がどこに不満があると聞こうとしたら先にアヌビスが答えた。
「関節と関節を繋げて固定する拘束はこいつにはかなり有効だ。そこは褒めてやろう。だが、関節を捨てる覚悟があった場合、この程度の鋼だとすぐに砕かれる。もしかしたら、骨より弱いかもしれない。ここは、他属性の魔法で鋼を強化するか、動くことで致命傷を与えるトラップを備え付けるのが正解だ。それよりも大きな減点対象は」
「対象は何だ」
アヌビスは獣人を指さした。獣人は全身に針を刺されて立っている。言い方を変えれば、全身に針の鎧をまとってそこから動けずにいた。
「こいつを竜車までどうやって運ぶんだ」
結局、針は全部抜かれてアヌビスが強化した鎖で縛って竜車まで連れて行くことにした。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。