第20話 行商は時として苦汁を飲み込むものである
旅を始めて二日目の朝。俺達メンバーの中には既に息絶えそうな表情の者が多くいた。
夜ずっと走っていたアレクトは暗い表情のまま、冷たく珈琲に似た黒い半液体を舐めている。
さらに、一人で一晩中見張り役をやっていたアンスはケルンが起きてくるのと同時に倒れるように寝込んだらしい。だが、ポロクルが朝食を作ると聞いてアンスが生命の危機のように反応し起きだして、ミルと二人で朝食を作らされたらしい。なので、今は焚き火のすぐ側で力尽きたように伏せたまま寝ている。
ケルンは元々朝に弱いらしく寝ぼけたまま朝食を口に運んでいた。その服装はみんなと同じ軍服ではなく、薄手の黒いポンチョで軍人の集団としては異質なものだった。時折見える彼女の白い肌に目線が行ってしまうのは秘密だが。
「リョウ、どうしたのです。ケルンが気になるのですか」
ポロクルの輝くメガネに見透かされて俺はポロクルと目線を合わせた。
彼はメンバーの中で唯一のまともな人。なのだが、元々軍人色の強い人ではない。どちらかと言うと先生か博士のような人だ。そんな彼は優雅にアレクトと同じ飲み物を飲んでいた。
俺の目の前にも同じ飲み物が置かれているのだが、注がれる時見た水飴とゴムを混ぜたような粘り気と弾力感。それに水を注ぐと多少飲み物らしくはなったが、見た目に光沢とぬめりけが加わって俺の頭は飲み物と判断してくれなかった。
「そ、そんなこと無いですよ」
「はは、必死ですね。ですが、気をつけてくださいよ。彼に挑んだ兵は皆玉砕。ペルセウスの妹と歌われているぐらいですから」
ポロクルの話で俺の中にある矛盾が生まれた。矛盾と言うより疑問に近いものだ。
「彼? ケルンって、女性……だよな」
「やはり騙されていますね。ケルン、やはり男性らしく振舞ったらどうですか」
ケルンは同じ黒い物体をスプーンに絡めながら舐めていた。濃度はポロクルのものより上のようだ。子供のように舐めているその仕草はミルとルリカと同じで女の子にしか見えない。
「いや、僕悪くないし。みんながそんな目で見るから悪いだけです」
「つまり、ケルンは男だったのか」
俺の疑問にケルンは頬を膨らませて怒っていた。その表情は同じ男には見えにくいものだ。
「リョウ酷い。そりゃ、兄さんに比べたら女らしいですけど……僕は、男ですからね」
「忠告しておきますが、アレクトは正真正銘の女性ですから間違えないように」
「私は女の子なのですよ。試しに見てみる〜」
アレクトは立ち上がり軍服に手をかけていた。俺はそれを必死に止め座らせ黒い液体の入ったカップを持たせた。徹夜明けのアレクトは酔った時よりかはマシだが、何をするか分からないのは同じだ。
「つ、疲れるメンバーだな。アヌビス、こいつらの朝はこんなんじゃなかっただろ」
俺は一人離れて大樹の根元にすわり、タバコを吸いながら黒い液体を飲んでいるアヌビスに聞いた。アヌビスも不眠不休で動いていたのに疲れを顔に出していない。それだけ慣れているのだろうか。
「いや、今朝はまだ大人しいぐらいだな。リョウが知っているこいつらの顔は軍事時期だったからだ。今回はそこまで緊迫した任務ではないからな、各自本性が出ている所だ」
そして、アヌビスはまた一人でタバコをふかしていた。
「それよりも、リョウ君、食事が進んでいないけど大丈夫?」
アレクトは心配しながら黒い液体の原液を持ってきていた。そして、彼女は黒い液体のお代わりをしていた。
食が進んでいないのには訳がある。目の前に置かれた朝食はいまだに正体の分からない黒い液体と小さな干し肉の欠片だけなのだ。ミルとルリカを含めみんな平然と食べているので一般的なものなのだろう。
こちらの世界に来て何度も食事をしてきたが、今までは西洋風の食事ばかりだった。だが、ここまで見たことのない食事は初めてだ。確かに、食べたことの無い食事が出てくることは覚悟していたが、液体と個体の間でゴムのようなこれを食事だと出されて素直に頷けないでいた。
「もしかしてリョウ君はポカティには水を混ぜないでそのまま食べる人なの?」
俺の返事を聞かずアレクトは俺のカップに黒い原液をドバドバと注ぎ始めた。その結果、始めの倍の量になる。
「それよりも、根本的にポカティって何」
「何って……リョウ君初めてだっけ?」
俺が頷くとアレクトがポロクルを指した。すると、いつものように咳払いをしてメガネを上げてポロクルが立ち上がる。それに目線を送るのは、ミルとルリカだけであった。
「ポカティ、原材料にポカリマ芋を使っていることからその名のついた飲み物です。ポカリマ芋はこのリクセベルグ国でも栽培できる数少ない食材です。粉にしたものを煮込むことで粘りが生まれポカティの原液になります。原液はそのままでも食せますが、水や牛乳またはお酒に溶かして食すのが一般となっています。栄養価に長けていて腹持ちもよい。また、粉末で携帯することができ長期保存も利く。さらに、雑菌効果もあり、腹下し、熱、咳、喉、頭痛、などの特効薬にもなる。旅人にとっては必需品であり、一般の人でもよく食すものとなっています。主に、旅人の食事や朝食として広く使われています」
「なら、どうしていままで食事に出てこなかったんだ」
さらに続きそうなポロクルの説明が止まった。それに、俺の質問への返事が返ってこない。ポロクルに質問してこれほど返事が遅いのは初めてだ。
すると、代わりにアヌビスが答えた。
「不味いからだ」
振り向くと背後に立っていたアヌビスはその不味いと言ったポカティをカップに注ぎまた木の根元に戻っていった。
「確かに栄養もあり腹持ちもする。芋一つ分飲めば一日満腹でいられるほどだ。だが、不味い。今まで出てこなかったのは、食料がある町にいる間に無理して飲むものではないからだ。だが、これからの旅は食料が尽きた時点で死活問題だ。だから、ポカティに頼る日も出てくる。特に、旅になれていないお前には経験させておかなければな」
アヌビスに目で進められて俺はポカティを一気に流し込んだ。喉に張り付くような重いものを飲み込んで今日の朝食を終える。明日も梅干と卵の白身と炭を混ぜたような味のするポカティを飲むのかと思うとこの旅の不安が一つ増えた。
「それじゃ、アレクト。報告を聞かせてもらおうか」
不味いポカティの朝食を済ませて俺達はアレクトの報告を聞くことになった。一応、これも軍事会議のようなものだが、その中にミルとルリカがいるのはよいことなのだろうか。
二人は微塵の疑問も持っていないようでアヌビスを挟むように座っていた。ちなみに、二人が参加しているにも拘らず、アンスはまだ焚き火の側で寝ている。
「ここから一番近い町……といいますより集落ですね。そこまで歩竜で二日ほどですね。リクセベルグ国内にしてはそれなりに畑に実りがありました。飢えは無いと言っていいでしょう」
アレクトのよい知らせにアヌビスも含め少し表情が和らぐ。国を支えるアヌビス達にとって、人が生きていると言う知らせは自分達の成果が現われているのと同じ意味だからだろう。
「ですが、金銭的には貧しいところでした。身売りは行われていませんでしたが、物資が乏しく農作業も思うように行かないことがあるそうです。ギャザータウンの影響で作物は売れず、織物で金銭を得ているそうですが、それほどの稼ぎにはならないとか」
「で、男女の割合は分かるか」
アレクトの悪い知らせには興味が無いアヌビスが自分の知りたいことだけを聞いてきた。
「男性と女性の割合は同じぐらいでした。ですが、最近若い男女の数が減ってきているそうです」
「そうか……。なら、最近の出来事で何か収穫はあったか」
アヌビス一人が理解して頷く。それにポロクルが少しついていっている感じだ。俺とケルンはまったく話について行けずにいた。
「さっき話した男女の数が減ってきている。なんですが、男性は集落間の争いで減っているのはよくある話なんですが、女性が減っている理由に変な噂がありました」
食料の奪い合いや領土の拡大は国同士だけではなく国内の町同士でも戦が絶えないそうだ。だが、それはこの国だけではなく、世界中であたりまえのことだそうだ。
「なんでも、夜中に女性が一人で集落を出て行くと、神隠しにあうとか」
「神隠しですか。確かに今までに聞いたことは無いですね」
ポロクルは顎に手をやりながら過去を振り返っていた。
「神隠しか。近くに魔物の統括者がいるくらいだ。なにかあると考えて間違いないだろう。面白い。その原因、見つけるぞ」
魔物の統括者とは、プリンセスのことだろう。魔物の統括者が人里にいるときは、何か事件や争いが起こることが多いそうだ。アヌビスはそのためにアレクトを走らせたのだろう。
笑みのアヌビスは我先に竜車に乗り歩竜を歩かせ始めた。置いて行かれそうになる俺達は慌てて竜車に飛び乗る。ケルンはルリカをアレクトはミルを抱えて、女性陣の竜車に乗りアヌビスを追った。ケルンは男性だからこちらに来てもよいと思うのだが。
その時の俺達は大切な何かを忘れていることに気付いていなかった。
「ふっ……酷いな」
竜車の中、目の前に座ったアヌビスに笑われた。両脇に座ったミルとルリカも俺のテストを覗き込んでため息を吐かれる。
今回俺の乗っている竜車にミルとルリカとアレクトが朝の支度を終えて乗り換えてきた。替わりにポロクルがもう一つの竜車に乗り移りケルンと二人に先行している。
今回の入れ替えがあったのは俺のテストがあるからだ。今までポロクルにこの世界についての常識を教えられてきて、テストの形で試されることになったのだ。しかし、ポロクルは教えるのが好きな人。俺がテストをしている最中でも答えを教えてしまう。ので、向こうの竜車に移動したのだ。ついでにミルとルリカも教養のため参加しているのだ。
「私は終ったよ〜」
「私も終った」
ルリカ、それに続いたミルがペンを置いた。二人はアレクトと仲良く俺の事典を見ながら次に作るお菓子の話をしていた。それなのに俺は半分しか解けていない。隣のルリカの答案を見るとすべての欄が埋められていた。
「リョウ、年下に抜かれるとは惨めだな」
「うるせえ。俺は体験して覚えるタイプなんだ。机での知識なんて身につかないだろ」
俺は完成してない答案用紙の上にペンを置く。すると、ルリカが近寄ってきて、俺の頭の上に乗った。
「リョウって、馬鹿なの」
「馬鹿ではない。実践型といってくれ」
「でも、12属性も書けないのに魔法戦で戦えるの?」
「いいの。俺魔法使わないし」
「竜神の力、だっけ、でも12神も2つしか書けてないんじゃ説得力ないよ」
12神は獣神の種類と同じ数がある。聖竜王と竜神、邪犬王と犬神のようなものだ。獣神は自分の神、俺の場合は聖竜王の配下になるという考えだ。自分が神の力を借りるのではなく、自分が神の配下の獣にならせてもらうと言う考えだ。12神の力を借りることができるのは12神の友だけだ。と、それだけ知っていれば十分な気がする。
「いいんだよ。聖竜王の名前だけ書ければ」
俺は頭の上に乗ったルリカを降ろす。
「待ってくれ〜」
俺がテストを放棄すると遠くから情けない声が聞こえた。
「なあ、アヌビス。今声がしなかったか」
「ああ、聞こえたな」
アヌビスはそのまま流してタバコを吸っていた。俺は声のした竜車の後ろを見てみた。
「ま、まってぐれよ〜」
そこには竜車の通った後を必死に走ってついてきているアンスがいた。涙目になりながら走っているアンスは背中に大きなテントを背負っていた。
「お、おいアヌビス。ストップストップ」
「居眠りしていて着いてこられなかった方が悪い」
そしてアヌビスは竜車の速度を少し上げる。だが、アンスもこれが最後のチャンスだと分かったようで速度を上げて竜車に飛び乗った。
「アンス。大丈夫?」
ミルが心配をしてアンスに水を渡していた。ミルから水を受け取ったアンスは竜車に乗ったときより涙目になってきていた。
「おお、ミル。いや、姫様。貴方様だけだよ、俺を心配してくれるのは」
「ミルちゃん。アンスなんか構わなくてもいいの。ほら、馬鹿がうつるから」
そして、アレクトはミルをアンスから離し、水の入ったカップにポカティの粉末を入れていった。
「く、この仕打ち。俺が何をした!」
「寝坊」
アレクトに一言で片付けられアンスは竜車の隅で丸くなっていた。そして、ぶつぶつと呟きが聞こえてきた。
「いいんだ。いいんだ。どうせ俺なんか。誰も起こしてくれなかったし、焚き火で右腕火傷して起きたら誰もいないんだし、テントは残されているし、朝食は残っていなし。俺って、俺って」
「相変わらずウジウジしやがって、大切なものを置いていくわけ無いだろが」
「アヌビス、お前は実はいい奴だったんだな」
アンスがアヌビスに抱きつこうとするとアヌビスは剣を抜き剣先を喉元に向けた。
「勘違いするな。睡魔で任務に支障を出すのは処罰物だ。俺が心配したのはテントのほうだ」
そう言われてまたアンスは隅で小さくなってしまった。するとアンスの隣にルリカが座った。
「ルリカ、君も俺を笑いに来たのか」
ルリカは暗い表情のアンスの頭を優しく撫でる。暖かな優しさにアンスは涙をボロボロ流し始めルリカを抱きしめた。
「よしよし、アンスは頑張ったね。いい子だね」
「ぬおお、ここ数年味わっていないこの温もり。アヌビス、お前もミルとルリカを見習ったらどうだ」
「よし、ここで休むか」
アヌビスはアンスの話など聞いていないようで竜を止め休憩のため竜車を降りる。
そこにはケルンとポロクルのほかに別の行商人達がいた。
「はじめまして、同業者としてこれからもよろしくお願いしますね。自分はこのキャラバンのリーダーを勤めるライランと申します」
ライランと名乗る男はポロクルに握手を求めていた。ライランは見た目ポロクルと同じ30半ばで日に焼けている人だ。黒い瞳に短く逆立ったオレンジの髪。彼もまた旅慣れをしているようで腰の所にはナイフが2本と拳銃があった。
差し出された手があるがポロクルはそれを握ることをしなかった。代わりにアヌビスを見るようライランの目線を促した。
「私たちのリーダーは彼です」
ライランはアヌビスとポロクルを何度も見比べてポロクルに苦笑いを見せた。
「ご冗談でしょ」
ライランの疑問は当然のことだ。アヌビスの年齢は17歳。見た目にしてしまえば15歳にも見えてしまう。そのアヌビスの下で働いているポロクルに疑問を持ったのだろう。
すると、二人の間を割ってアヌビスが入って行く。そして、差し出された手をアヌビスが握った。
「悪いが俺かリーダーのアヌビスだ。よろしくだ」
「あ、はい。よろしく」
ふとライランは俺と目があった。そして、俺の胸元のエンブレムに目線が行っていた。
「あちらのマーク……それに、軍服を模した服。ああ、あなた方が噂の行商人ですか。聞いていますよ。値付けが上手く独自の情報網を持っているギルドがあると。その速さを私どもに伝授していただきたいものです」
軍服を模した服を着る冒険者や旅人は多いそうだ。国内での身の安全や立ち回りのよさが約束されているからだ。
ライランが俺達を本物の軍人だと気付かなかった理由の一つにそれがあるが、他にもう一つある。軍人の俺達が行商人として旅をしているのは機密事項のようなもので、敵国はおろか国内の民も知らないことだそうだ。
「この商売。金貨より情報の方が価値がある。ライラン、主もそれぐらい心得ているだろ」
「これはこれは、あなたは商業人の器の持ち主のようですね」
ライランは笑みを見せて俺達の竜車に近づいてきた。
「ほう、竜車とは相当稼いでいるのですね。積荷は何ですか」
「武具と食料だが」
アヌビスの返事にライランは驚いていた。
「それだけですか。では、こちらの女性やこの子供は」
ライランの指さしたのはケルンとアレクト、ミルとルリカだった。
「同じ行商の仲間だが」
すると、ライランは少し笑った。そして、彼は自分たちの馬車へと案内した。
彼たちはおよそ10人弱で旅をしているそうだ。その彼たちが使っているのは5台の馬車。その中の一つの荷台は布で覆われ中が見えないようになっている。ライランはその荷台の前に立つと自慢げに笑って見せた。
「子供には衝撃が強いかもしれませんよ」
彼が布を取ると、荷台には巨大な檻とその中に多くの女性が鎖に繋がれていた。
「人間はいいですよ。日持ちもするし高く売れますからね」
これぐらいなら普通の行商人だよとアレクトが耳打ちしてくれなければ、俺は短剣を抜いて竜神の力を使っていたところだった。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。