第5話 人の価値は時として間違えるものである
太陽が沈み、空は雲ひとつ無い綺麗な星空が広がっていた。あたりまえだ。雲より上にある街なのだから。街は色とりどりの光で輝き始めている。自然の中で眠った時は月の光がまぶしく感じたのに今は月の光すら感じなかった。
タイル貼りの道を歩くと目の前に一際高い建物が現われた。周囲の普通の建物に比べると数倍の大きさがある。ガラスの窓からは青や緑の光が溢れていて他の建物との違いが際立っていた。
「ここって何だ」
俺の質問にアレクトが首を傾げていた。
「リョウ君、変なことを聞きますね。アヌビスさんの知識を受け継いでいるのにここを知らないんですか?」
言われてみるとそうだ。この街のことは知っているのにこの建物のことはまったく知らない。それどころか、知っているはずであろう国王の名前やこの街の地理などはまったく分からない。
「必要なことしか伝えていない。ルリカと同じぐらいの知識しか持っていないはずだ」
死に掛けてできたのは子供の知識と同じものだった。それだけ知識は重いものなのか?アヌビスは命をどう思っているんだろう。
「ここは、わしゃの寝床じゃけ」
後ろに大きな気配を感じる。振り返ると、2mはある大男が立っていた。大木のような腕、硬そうな筋肉が第一印象だ。白髪で白いひげを触りながら俺の顔を見ていた。彼の両腕には鎖が巻かれている。
「アヌビス、見ないうちに変わったな。ちと背が伸びたか」
大きな手が俺の頭に乗った。撫でられているのだろう。だが、力加減を間違えられたらもぎ取られそうだ。
「アマーン、俺とリョウを見間違えるのか?」
「おうおう、ちっこい餓鬼じゃの。アヌビスはそんなやつじゃったの」
「喧嘩売ってるのか」
アヌビスはいつもと同じように剣を喉元ギリギリ目掛けて振った。だが、その剣をアマーンは握り締めて止めていた。なのに、血一滴出ていない。
「剣を振るうなら中に入るんじゃの。何か用があるんじゃねえの」
「そうだったな。じつは」
「アヌビスさん」
話し始めようとするアヌビスを止めアレクトが疲れた女の子二人を指さした。
「手間が掛かるな。詳しくはポロクルが話す。どうせ、飲みに行くんだろ」
「おうよ。行くぞ、ついてこい」
ポロクル本人の意見はまったく聞かずにアマーンは彼をつれて建物の中に入って行った。
「アレクトは二人を連れて宿屋に行け。俺は、リョウと街を見て歩く」
「あ〜い、ミルちゃん。もう少し歩ける?」
アレクトの優しい声にミルはコクリ、と頷いた。ルリカはすでにアレクトの背中で寝ていた。
もう、子供には辛い時間かもしれない。アレクトは二人を連れて行ってしまった。
俺はアヌビスと二人きりになる。突然、アヌビスは歩き出した。俺はそれについていく選択しかできなかった。
「いいのか、ポロクルに任せて」
「俺は酒が飲めん。アマーンと話をするには酒が必要なんだ」
聞くところによると、さっきの建物はこの街、ギャザータウンの管理塔でそこの最高責任者がアマーンという事だ。あの建物の中には、アマーンの趣味で作られた酒場やカジノ、闘技場などの施設があるそうだ。
「アヌビスはさ。こんなに沢山給料貰って何に使ってるんだ」
自分の皮袋を覗きながら聞いた。アヌビスはメインの袋はアレクトに預けてあり数枚だけ入れた小さな袋を持っていた。
「何に使おうが俺の勝手だ。話す必要は無い」
アマーンたちと別れてからアヌビスは不機嫌なままだ。
アヌビスと来たのは夜なのに威勢のいい声が飛び交う路上の市場だ。食材以外にも武器や衣服はたまた獣まで売り買いされていた。客のほとんどは兵達で一般の人はいなく異質な市場だった。
そんな中、女性の兵士が群がる店があった。女性の兵士はアレクトとアテナしか知らない俺にとって鎧を身に付けた女性は珍しく見えた。
「あのエンブレム……ふん、やはり口だけだったか」
アヌビスはその群れに向った。それに気付いた女性兵士達はアヌビスのために道を開ける。
女性に挟まれながら店の前に来た。囲まれてからだが、俺のことを話す声が聞こえていた。よく分からないことをいっていたが、アヌビスが俺のような人間にこのエンブレムを背負わせるのは珍しいといっているようだ。
「店主、自信のある品はどれだ」
アヌビスは並べられている品をまったく見ず主にそう聞いた。広げられていたのはアクセサリーだ。どれにも一つ以上の石が付いていていろんな色の石があった。どうやらこの石が魔鉱石のようだ。つまり、宝石と同じ扱いをしている。ゆえに、値も張る。こんな市場で一番安いものでも銀貨30枚の値がつけられていた。
「はい、これなどいかがでしょう。どれも純度が高く貴重な鉱石を使っていまして――」
店主が見せたものは7種類もの鉱石がつけられた髪飾りだった。一つ一つの鉱石は小さいが、どれも他とは比べ物にはならないほど色が濃く鮮やかだった。
しかし、聞いた本人は別の所を見ていたようだ。アヌビスは店主の後ろの棚を指さした。そこには、無造作に放り込まれただけで値札さえつけられていないものが多く入れられていた。
「店主、後ろのあの黒い箱を見せろ」
アヌビスが指さしたのは手の中におさまるほどの小さな箱だ。
「武人様、あれはただのガラクタでして」
「貴様の話など聞いていない。あの箱を見せろと言っている」
店主は慌てて箱を出してきた。中には形を整えられただけの魔鉱石の原石が入っていた。赤い鉱石なのだが、黒くにごっており、輝きも無い。赤に近い黒といった所でお世辞でも良いとはいえなかった。大きさは意外とあるが、並べられた物の中にはそれ以上の大きさのものがあるからそれほど大きいともいえなかった。
「ご覧のように良い品とも言えず、加工もせずに置いてありまして」
「いくらだ」
店主を含め周りのみんな何も言えずにいた。アヌビスはこれを買うといっているのだ。
「いくらだと聞いている」
「ぎ、銀貨10枚ですが……お買い上げですか」
アヌビスは既に袋の中を探っていた。その行為で買うといっていた。
「くそ、手ごろな銀貨がないか。釣りはいい。貰っていくぞ」
アヌビスは1枚で30枚の価値がある銀貨をテーブルに置き鉱石だけを持って離れていった。俺はアヌビスについていった。後ろからは店主の驚き喜ぶ声が聞こえた。
急ぎ足で歩くアヌビスの隣に並んで歩く。それにしても倍以上のお釣りを断るなんて変な奴だ。
「銀貨20枚もあげていいのかよ」
「無知なる者は損をしても高笑いってか」
アヌビスは鉱石を見ながら不気味に笑っていた。
「どういう意味だ」
「一見、これは赤鉱石、つまり炎の鉱石で粗悪なものに見える。だが、これは黒鉱石の闇の力も含んでいる」
属性には色があり、魔鉱石の色で属性がわかるようになっている。青は水、黄色は雷などだ。
「2種類の鉱石が混ざっているのは滅多になくてな。市場にはまず無い。あったとしてもあの扱いで捨てられるのが関の山だ」
「それにしても、提示の三倍で買わなくても」
「あれはせめてもの情けだ。これぐらの大きさの混合鉱石なら金貨20枚の価値がある。損はしていないからな」
アヌビスは剣を抜き、柄の末端にその鉱石を当てた。すると、鉱石が消えるのと引き換えに白かった剣は赤黒く染まり黒い紋様が浮かんだ。アヌビスがその剣を一振りすると黒い炎が剣先の尾となって弧を描いた。その炎は禍々しく離れていた俺にも高熱の風を感じさせた。
もう一振りするといつもの白い剣に戻った。
「なんだ今の」
「鉱石を呑む剣、魔剣だ。鉱石を与えると強くなる。これで3つ目になるかな」
アヌビスが剣を鞘に収めると、頭上から甲高い鳴き声が聞こえた。星空を舞っていたのは一羽の鷹だった。
それを見たアヌビスは左手を差し出す。すると、鷹はその手に荒い和紙のような筒を置いて飛び去っていった。その筒には封蝋がされ印璽まで施された手紙だった。
「ホルスからか」
アヌビスは手紙に目を通し俺の腕輪に触れた。
「急用ができた。先に宿屋に行っていろ」
俺の頭の中にさっき見た市場街が浮かんだ。その映像は誰かの目線で見ているものだった。その誰かは裏路地に入っていき広い道に出た。そこには『HOTEL』と書かれた建物があらわれた。
「今の映像は?」
「俺の知識だ。これで、1人でも帰れるな」
俺の答えを聞かずにアヌビスは行こうとしている。確かに、帰る場所は分かったがそれほど急ぐ用ができたのだろうか。
「アヌビス、どこに行くんだ」
「アマーンに喧嘩売ってくる」
アヌビスはホテルとは逆方向へと歩いていった。
一人になった俺は市場を見て歩いていた。兵隊が多いから男性が多いと思ったが女性の兵のほうが多い。それが原因だろう、市場は女性向けのものを重点に出していて目ぼしいものは見当たらなかった。
「アヌビス!」
誰かがアヌビスを呼んでいるのが聞こえたと同時に俺は地面に叩きつけられる。背中には痛みが走り砂煙が顔中を覆った。誰かが背中を突き飛ばしたようだ。
「ああ、できませんでしたよ。それで、悪いの? 誰にだってね、得手不得手ってあるもんなの。あんたみたいにホイホイ任務こなせる方がおかしいの」
見上げると鎧を身に付けた女性が立っていた。長く薄く赤い髪、緑の瞳。羽の形をした髪飾りは耳のようにも見える。腰には剣だろうか武器のようなものを携えていた。
「そりゃ、失敗して反省はしてるわよ。でもね、あんたとは違ってこっちは今後のことも考えてやってるの。いくら成功させてもあれだけの犠牲を出したら帳消しどころか損害の方が大きいに決まってるんだから。第一、アヌビス―――」
お姉さん、みたいな女性だ。その人は、俺の顔を見るなり出し続けていた声を詰まらせた。
「貴方、アヌビス……じゃない」
女性は慌てて俺を立たせて体中に付いた砂を払ってくれた。
「ごめんなさい。私、勘違いして、とび蹴りしちゃって痛くなかった?」
俺をアヌビスと勘違いしたのか。それにしても、アヌビスに蹴りかかってくる女性がいるんだ。
「でも、貴方が着ているそれはアヌビスのエンブレムでしょ。アレクトでもポロクルでもないなら貴方誰?」
「俺は、高瀬亮。最近、アヌビスの部隊に入ることになりました」
一瞬驚かれてあちこち叩かれたり触られた。珍しいものを見るような扱いだ。
「へえー、普通の人間なのにねえ。あ、自己紹介がまだだったわね。私はネイレード、アヌビスと同じ一部隊の将なの。これからもよろしくね」
差し伸べられた手を握り握手をした。とても柔らかくて暖かい手だ。
「ところで、アヌビスはどこにいるか知らない?」
ネイレードの後ろか不穏な音と黒いオーラを感じた。何かあると思った俺は嘘を付かず素直に答えることにした。
「アマーンのところへ行くと」
「ありがと、それじゃあね」
ネイレードは管理塔へ走っていった。追いかけるのに疲れた俺は早めにホテルに帰ることにした。
アヌビスから貰った映像で見た裏路地を見つけた。その路地には薄汚れた服を着た子供たちが大勢いた。どの子も痩せていて汚れている。この道は通りたくないけどこの道以外は知らない。仕方なく、この道を通ることにした。
建物の間に挟まれたその路地はゴミや物が置かれていて人一人がやっと通れる道だけが空いている。子供たちはゴミの上に座っていて俺を見ている。小さな子が多く、最年長でもミルたちと同じ歳の子供しかいなかった。
これがこの街の影の部分か。と思いながら路地を進んでいった。
路地の中腹ぐらいで目の前に女の子が飛び出してきた。年はミルと同じぐらいの子で他の子と比べると服は綺麗だ。だけど、この子も細くてミルと比べると可哀想に見えた。
「どいてくれないかな」
彼女のせいで前に進めなくなった。俺はやさしく言ったが、彼女は首を左右に振った。
動かなくなった彼女はずっと下を見たままで俺はどうしようもなかった。
「あ、あのさあ。俺、早く」
「買ってもらえませんか」
急かそうと思ったら彼女から動いた。買ってください? こんな所で商売をしているのか?
「何か知らないけど、買ったらそこをどいてくれるのか」
彼女はコクリと頷いた。俺は、袋を取り出した。
「で、いくらだ」
「ぎ、銀貨1枚です」
「銀貨一枚ね。で、なに売ってるの?」
俺は彼女に銀貨一枚を渡そうとした。すると、その銀貨は何かに跳ね飛ばされ壁で跳ね返り後ろの方へ飛んでいった。
「アヌビスが生かすほどだからいいやつかもって思ってたけど、見損なった」
後ろに立っていたのは銃口の長いリボルバー銃を持ったネイレードだ。その銃口からは煙が上がっていた。さらに、ゴミの上にはアヌビスが立っていて、銀貨をはじくように遊んでいた。
「無知なる馬鹿だからな。本人は何も知らなかっただろうな」
「何が馬鹿だよ。俺が何かしたか?」
「本当に知らないんだね。この子」
ネイレードに呆れた顔をされたが意味がよく分からなかった。
「とりあえず、だ」
アヌビスは剣を抜いた。その色は赤黒いあの時の剣だ。
「灰にされたくなかったら、さっさとそこをどけ」
黒い炎をちらつかせた。それを見た子供たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
「何するんだよ。あの子達は何もしてないだろ」
「そうだな。まだ、何もしていなかったな」
「まだ?」
アヌビスはゴミの上を歩きながら先にホテルへ向った。
「なにが、『まだ』なんだよ」
「少しは学んだ方がいいよ」
ネイレードもアヌビスと同じようにゴミの上に立っていた。
「あの女の子ね。貴方に身売りをしようとしていたの」
「身売りって」
「皆までいわせないで。銀貨1枚で好きにしていいってこと。この街で銀貨以上の硬貨を持っているのは商人と兵ぐらいだからね。あれぐらいの子供が1人で生きていくにはこれが一番手っ取り早いの」
赤くなったネイレードは走ってホテルへ行ってしまった。
あの小さな女の子が1人で生きている。もし、アヌビスに拾われなかったら今頃俺なら死んでいるだろう。そう思うと、俺が彼女だったら俺も彼女と同じ選択をしたかもしれない。
たった銀貨1枚のために自分を売ろうとする。俺は皮袋を強く握った。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。