第0話 出会いは時として人生を変える『リョウ編』
「えーと、次の用語は……くっ、くうぅ、……重すぎんだよ!」
俺は、ページをめくろうとして、分厚い学校指定の事典を落としそうになる。だが、右手の指三本でなんとか持ち耐えて、地面に落とさないように奇妙かなたちでそれを防いだ。
本を読みながら歩くなと注意を受けそうだが、テストが間近に迫っている。だからといって、ここまで勉強するのは久々だ。あいつに刺激され方らか? だとしても、譲れない勝負だ。
俺の学校は進学校で勉強一筋。と、聞いていたがあのクラスメイトからは到底そうは見えない。
確かに頭はいいようだが、教師を泣かせたり、授業中教室を飛び出していったり、焼きそばパンをめぐって殴り合いを始めたり、学校の屋上から飛び降りたり、窓ガラスを蹴り破ったりと、普通の人間がするよな行動ではない。
特にあの集団のリーダー的存在の五十嵐誠! あの野郎、自分で天才とか言いやがって、どれだけ自信があるのか知らないが……おっと、愚痴はこの辺にしておこう。奴の顔を思い出すぐらいなら、単語を一つでも覚えた方が得だ。
平穏をかき乱す集団の親玉である憎き五十嵐に勝つため、勉強に励む俺は帰り道を歩く今でも事典を片手に暗記中。まったく、なぜあんなやつがクラス……いや、学園一の天才って言われているんだ。採点基準がおかしいのか。裏で何か渡しているとしか考えられない。
「それにしてもおかしな学校だよな。百科事典がテストだなんて」
学校指定のこの事典には、歴史や豆知識や一般常識から何でも書かれているそうだ。それを全部覚えてこいだなんて無茶苦茶なテストだな。それに、こんなに受験に必要なのか。
分厚すぎてどこが背表紙なのか分からなくなるほどだ。片手でもてるのも3分が限界だ。
「こんなに覚えさせて何をさせたいんだか……目指せ高校生クイズ王とか言い出すんじゃないだろうな」
愚痴りながらも帰宅の道を黙々と歩いていた。
すると、いつもは素通りしていた建物の間に挟まれるように建っている小さな古本屋に目が釘付けになった。
どうやら、在庫整理をしているようで、小さな店の何処に隠されていたのか、分からないぐらい大量の本が店の中だけではすまず道にまで溢れている。
すると、ある本が目に入った俺は、その本に惹かれるようにその古本屋へ入って行った。
俺は障害物となる大量本を避けながら、目的の本があるところへまっすぐ向った。
間違いない。俺の目の前にあったのは、リクセリア学園の生徒だけが持っている……今俺の右手にある百科事典と同じものがあった。
色は大分あせていて、ボロボロなだけで中身は一緒だ。大方、卒業生が売りに来たのだろう。何気に裏の値札を見てみた。
「3000か。なかなかだな」
その値札が剥がれかけていた。良心の塊の俺は綺麗に貼りなおしておいてやった。
そこには驚愕的な額が書かれていた。
「3000万! しかも頭¥じゃなくて$になってる」
ドルってことは、単純に計算しても億単位の額だぞ。あわてて奥にいたマスクと三角巾をつけたお婆さんにその本を持っていった。
「お買い上げですか」
マスクのせいで曇った声だが、細い目を見せて優しく微笑んでくれた。
「冗談じゃない。こんなもんに馬鹿みたいな額をつけないでくださいよ。嘘ですよね。お婆さん」
お婆さんは眼鏡をかけて値札を確認して微笑を俺に見せる。
「嘘ではありませんよ。それに、私は嘘が付けない人ですから。お若い方なのにこのような本に興味がおありですか……特別に8億にしておきますね」
「いりませんよ。どうしてこんなに高いんですか」
学校で買ったときは2万円ぐらいだったはずなのに、ここでは一生遊んで暮らせる額になっている。なにが違うんだ。
「知識は何よりも価値のあるものですよ。この一冊があったら歴史は変わっていたほどに」
長く生きた人の考えか……。
「そうなんですか……」
「そうですよ。そうですね。貴方にはこの本なんかどうですか。倉庫の奥で眠っていた昔の懐かしい本なんですけどね」
お婆さんは真っ白な本を出してきた。表紙にはタイトルも何も書かれていない本だ。
「知識の価値を知ることのできる本ですよ」
「いや、俺お金あまり持っていないですから」
「特別に100円で差し上げますよ。この本はそろそろ在庫処分されてしまうので良かったらもらってあげてくださいな」
お前捨てられるのか……100円なら溝に落とした気分で払ってやるか。
「わかった。その本買うよ」
「ありがとうねぇ」
俺はなぜかまたここに来たくなった。
白い本を右手に百科事典を左手に持って、商店街を歩いていると背後からわざとらしい足音が聞こえてきた。
「おうおうおう、リョウちん。そこに止まって、両手を天高く掲げ、いでよ聖獣王! と叫ぶのら」
俺は、背後から聞きたくも無い声に肩を震わせ、その声の主から逃げるために走り出した。
「お、おい、待てこら! あちきを無視するな!」
足には自信があった。それなりにスポーツもしているし、100mを14秒切るぐらいの記録もある。なのに、そのチビ……もとい、先生は、俺を軽々追い越し俺の目の前に立ちふさがった。
「ふ、ふ、ふ。このあちきから逃げ切れるとでも思ったのか! この馬鹿ちん! あちきを無視する悪い子には、あちきのプリチーなパンチをプレゼントしてやるのら」
先生は、右手を大きく振りかざすが、俺が頭を片手で抑えるだけでそれ以上近づけなくなった。
先生の身長は130cm前後。正確には125cm以下らしいのだが、その微妙な数字に先生はこだわりを持っているそうだ。
そんな小さな先生ぐらい、片手で押さえられるので、今まで一度たりとも殴られたことはない。
「くそー、ちさま、その禁じ手を誰に教わった! あちきを止めることのできる技を知っているのは、この世界では片手ほどしかいないはずなのに」
「赤井先生ですが」
「ぐっ、コノちゃんか。くそー、そうやって、着々と生徒を手ごまにしやがって! ……なあぁ、リョウちん。今からでも遅くは無いのら。あちきの仲間にならないか。今あちきの仲間になると、なんと! ユミちん・リンちん・アイカちんの体操服姿の生写真をプレゼントなのらよ。某電子取引市場だと、三点そろっていると、うん十万の値がするマニアにはたまらない一品なのらよ〜」
先生は、俺のクラスメイト女子三人の写真をちらつかせながらいかがわしい取引を持ちかけてきた。
「はあ、かりん先生。クラスメイトの写真なんか貰って何が嬉しいんですか」
「もう、リョウちんったら……あちきのこのかわゆい口からそんなこと言えるはずが無いのら」
かりん先生は、一人身悶え始めて、もはや迷惑物を通り越して危険物扱いされそうな人になりつつあった。
「はあ、んで、どうして俺は止められたんですか。まさか、勧誘のために止めたんじゃないですよね」
「おう、そうだったのら。リョウちん。さっきそこの『ザ・マリア書店』で本を買ってなかったかにゃ?」
「……あの本屋、そんな名前なんですか」
「んにゃ、あちきが勝手につけたのら。本当はもっと長い名前らしいけど、覚えるのが面倒なのら。んで、買ったの買わなかったの?」
俺は、かりん先生の質問に白い本を見せることで答えた。すると、かりん先生は、俺からその本を奪うと勝手に読み始めた。
「ふむふむ……なんら、つまらないのら。前作まではあんなに面白かったし、このシリーズは面白いと店主オススメだと言っていたのらけど、今作はいまいちみたいなのら。ほれ、夜になって、布団に隠れて読むようなものじゃないけど、リョウちんのような子供には、十分面白い話なのら」
かりん先生は本を投げ返して、肩を落として立ち去ろうとした。
「かりん先生は、この本の前作までの読者なんですか」
俺の質問に、先生は耳をピクリと動かして、星が輝く瞳で振り返った。
「うん。そうなのらよ。あちきが持っているのは、今までの54巻。リョウちんのそれを入れて、合計55巻になるのら」
「シリーズ化しているんだ……どんなお話なんですか」
帰って自分で読めばいいのだが、連載物の最新作だけを読むと、過去の話の内容が少しでも知りたくなるのが俺の心情だ。
だが、俺の質問にかりん先生は不適に笑って、あやふやな答えしか教えてくれなかった。
「ぬふふ、血肉踊るドキッ! 女の子と男の子の汗ほとばしる小さな世界での大スペクタクル物語なのら」
「意味がよく分かりませんが」
「まあー、自分の目で確かめろってことなのら。なんなら、あちきの本を貸してやるのらよ」
「え、いいんですか」
どんな話かは知らないが、面白い話らしい。それに、かりん先生が貸してくれる。それが大きいのだ。この先生は、羽を貰うだけもらって、募金をしない最低な先生だ。その先生が無償で物を貸してくれるなんて、すごいことなのだ。
「もちろん、あちきの仲間になってくれたらの話なのら」
「……とりあえず、これを読んでから返事をさせてもらいます」
俺は、話が繰り返されそうなので、適当に誤魔化して、白い本を抱えながら家へ急いで帰った。
「もう、リョウちんたら、待つのら! レディーのお誘いは素直に受けるものなのら。たく、…………最後の一冊を、あの子に託した。何を考えているのら。今までの世界じゃ不満なのらか」
「不満などありません。むしろ満足です。ですが、最後の要の一冊は、貴方では駄目だと判断しただけです。あの子を選んだのは、私の直感です」
「けっ、つまらないのら。その感とやらで、リョウちんが帰ってこなかったら、どうしてくれるのら」
「その時は、ポカティの原液を学園のプール一杯分を飲み干して見せますよ」
「ふん、嘘くさい約束なのら」
「そうかしら? ふふ、でも安心して。私、嘘がつけない人なの」
テスト勉強の気晴らしに白い本を読むことにした。
薄い絵本のようなこの本は挿絵が無く、細かく字が書かれているだけの本だが、ページ数が少ないのですぐに読み終わりそうだ。
物語は生まれる。
人の……時の……記憶の中から小さな花を咲かせながら。
花は蝶を呼び春を呼び世界は花で溢れる。
花は花を呼ぶように物語は物語を呼ぶ。
数多くの物語は新たな物語を作り出す。
物語は人を呼び時を刻み記憶となって残る。
次のページを捲ったが続きが無かった。白紙のページが続くだけだった。
「なんだこの本。本当にかりん先生のお気に入りシリーズか? まっ、いいか、100円だったし。さて、勉強勉強」
ベッドに寝転びながら事典を読むだけのゆるい時間を過ごす俺は、知らぬ間に深い眠りについていた。
目の前に大きな世界地図が見える。
見覚えの無い変わった形の世界地図。
地図に赤や青や黒など様々な点が打たれていく。
次々と、地図を埋め尽くすように。
ふと、脇を見ると世界地図は端から燃え始めていた。
俺はそれを止めようとしたが止まらなかった。
その世界地図は灰となって消え去った。
俺の手にはあの白い本と分厚い事典が握られていた。
突然、白い本が光だし辺りを照らしていく。
周りには数多くの世界地図とそれ以上の本があった。
本は自然と捲られバタバタと音を立て自己主張を始める。
「これは……夢?」
そういった途端、全ての本と世界地図は俺の持っている白い本に吸い込まれていった。
全て無くなり白い本の表紙にタイトルが浮かび上がってきた。
見たことのない文字だけど、それを読むことができた。
『白いおとぎ話』
真っ暗で何も見えない広い空間に俺はいた。
明かりがなく前も後ろも上も下も分からない。
遠くで泣き声が聞こえる。
誰だろう。
声を頼りに近づいていくと黒い服を着た男の子が泣いていた。
「どうしたの」
その子と同じ目線になって頭を撫でてやると俺に顔を見せた。
赤い瞳が俺を睨みつけていた。
「かえせ」
「え?」
「僕に返してよ!」
その子が黒い空間から取り出したのは白く輝く剣だ。
その子は空間を切り裂く。そこから白い光があふれ出す。
「こんなもの! こんなもの! 僕の世界じゃない!」
叫びが全てを引き裂いた。
紙が破かれる音と共に暗黒の世界は白い世界へと生まれ変わった。
土の上にたたきつけられた。上には青空が見える。
「痛い……骨折れてなきゃいいけど。ここは……」
考える前に腹に激痛が走った。事典が腹に直撃したのだ。
「ついてねえなあ」
起き上がるとあたりは草原と土がむき出しになった道が続いているだけの所に立っていた。
「おい、お前ここで何している」
後ろを振り返ると背が低く黒い服を着た俺より少し年下に見える男が、白い剣を向けて立っていた。
さっきの子供が大きくなったような彼は、剣を俺の喉元すれすれの所まで近づけてきていた。
「え、ええと……。誰?」
こうして、俺とアヌビスとの旅が始まることになる。
この物語はフィクションです。
登場する人物名・団体名・地名などは全て空想のものです。
実際に存在するものとはなんら関係がありません。
一部、誤解を招きやすい表記があるかもしれませんが、ご了承ください。