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めんこひ  作者: 舞島 慎
二章
9/20

留鳥(4)

 駅へ着くと、直紀と椎名が乗る電車の発車時刻五分前だった。

「じゃあな」

「二人とも、また明日」

 改札前でそんな二人を見送る。俺が乗る反対方向の電車まではあと十五分というところだ。改札近くの柱のそばに立ち、通路部分を空けてから水内に声をかける。

「バスは?」

「駅からなら何本かあるから大丈夫」

 そういえばそうだった。水内が帰れるバスは一系統だけじゃないんだった。

「麻倉先輩と同じバスだったよな?」

 そんな言葉に水内は少し驚いた顔をした。何か不思議な事を言っただろうか。

「あ、うん。ただ先輩の方が本数は少なかったけどね」

 いわく、水内宅最寄のバス停は路線分岐の前なので複数路線が通るけど、麻倉先輩の家は分岐後なので通らない系統のバスもある、との事らしい。

 さすがにこの街のバス路線図までは覚えていない。バスを使用しなければならない状況になってないとも言うが。

 バス停まで先輩を送った事は何回かあるが、路線を気にした事はそういえば無かったな。

「……大丈夫なの?」

「何がだ?」

 かけられた言葉に返事をすれば、水内からいくぶん心配そうな視線が返された。

 何か心配されるような要素があったのか。思いつかないが。

「大丈夫ならいいの。あんたの方から明日葉さんの名前が出るとは思ってなかったからさ」

「……ああ」

 そういう事か。水内の返事に思わず声が漏れる。

「別に先輩との間には何も無いぞ」

 今年に入ってから何回も同じ事を口にしている気がする。

 何も無いという事は紛れもない事実。先輩が向こうに行ってからしたやり取りは、四月にした二、三回のメッセージだけだ。それも本の話題。

 五月以降は一度たりとも連絡を取っていない。あのやり直しは、文字通り思い出作りだったんだろう。

 今現在先輩は手が届かない存在だ。住む地域も、コミュニティも異なってしまっている。

「連絡、取ってないんだ?」

 水内の問いに首を縦に振る。思えば三年になってから水内との会話に先輩の話題をあげた事は無かった。お互いに気を使ったのか。それとも思うところがあるのか分からないが。

「そう。その辺、明日葉さんらしいかも」

 そう言って水内は少し遠くを見るような目をした。懐かしんでいるのか。それとも呆れているのか。

「そっちは連絡取ってるのか?」

「たまに、かな」

 関係が切れているわけではないようだ。二人にどんな過去があったのか俺は知らないが、それでもこれまでの付き合いから、先輩が水内の事を邪険に扱う事は無いだろうと思っている。

「なぁ、お前から見た先輩って、どんな人なんだ?」

「どんなって……そうねぇ」

 俺の質問にちょっと訝しむ様子を見せたが、すぐに指を顎に当てて考える素振りを示した。

 少し周りを見れば、だいぶ学生の数が増えた気がする。他の学校も放課後になっている時間なので当然か。

「駒木は高校時代の明日葉さんしか知らないじゃない? 中学時代の明日葉さんは、もっと押しが強い人でね。面倒見が良いのは変わってないけど、そのせいで衝突も結構あったの」

 学校での印象だけなら落ち着いた面倒見の良い人だ。芯が強いような感じは受けるが、押しが強いとは思われないだろう。

 いや、個人的には柔軟に受け流しコントロールしていたように思えるのだが。

「あたし、そんな明日葉さんに守ってもらった事があってさ。どうしても合わない先輩がいて、その人達ともめちゃってね。今になって思えばくだらない意地だったんだけどさ。その時に間に入ってくれたのが明日葉さんだったんだ」

 水内はさらりと言ってのける。正直そこまでの話は予想していなかった。

 いわゆる対人トラブルはどこにだってある話だ。もちろん俺だって例外じゃない。殴り合いだって過去にはあった。

「間に入って、向こうのグループを敵に回して一歩も引かなくて。あたしのせいで仲悪くなっちゃった人もいたと思う。それでもあたしを守ってくれて、あなたが正しいと思ったから、って笑ってくれた。そんな恩人よ」

 なるほど。水内の中で先輩がどんな存在か、それが分かった気がする。たしかに学校のイメージだとそんな表だってやりあう様には見えない。

「そして尊敬すべき人の一人。そんなところよ。あんたは?」

「俺?」

「そ。明日葉さん、あんたにとってはどんな人だった?」

 訊かれて思わず首を傾げる。もちろんお世話になった先輩だし、色々と学ばせてもらったという意味では恩人かもしれない。

 だがどんな人だったかと問われると。

「そうだな。姉貴に似てるところもあるが……」

 麻倉先輩の笑顔が浮かぶ。そう、あの人は。

「アルテミス、かな」

「へ?」

 なんとも間抜けな声が聞こえた。

「ヘカテーの方がいいかな」

「いや、分かんないから」

 今度は軽く叩かれた。地味に痛い。

「イメージさ。そんなに深い意味もないよ」

「何よそれ。人がマジメに答えたというのに」

「いや逆にそんなガチな答えが返ってくるとは思ってなくてさ」

 また腕を叩かれる。先輩はこんな風に手を出さないと思うぞ。

「はぁ、あたしバカみたいじゃないの」

 がくりとうなだれる水内。さすがに少しばかり申し訳ない気にもなった。

「まぁいいわ。それはそれとして、あんた、明日葉さんに会いたい?」

「は?」

 今度はこちらが変な声を出してしまった。

 どうなんだろう。俺は会いたいと思っているのか。

 少なくとも、合いたいという意思を持ち何らかの行動を起こしたか、というと自分は何もしていない。

 あの日の事は、共通の思い出として残されただけ。

「会えるなら、会いたいと思うぞ」

 するりと言葉がすべり落ちる。その中身を考えるより先に、水内の微笑が目に入った。

「せっかくだし、大学生活の話を聞きたいじゃない?」

「そうね。訊いてみたい事、あるもんね」

 取り繕うような俺の言葉に重ねられた声。その言葉が意図するところは違うのかもしれない。

「帰ってくるにしても、夏休みだろう? その前に越えなきゃならないもの、あるな」

「そうだねぇ。遊んでばかりもいられないか」

 水内の言葉にうなづいてから改札口上の時計を見れば、電車の時刻まで五分を切っていた。

「時間だから行くわ」

「うん。また明日!」

「おう」

 軽く手を振ってから改札を抜ける。

 目当ての電車は定刻通りホームにすべり込み、そして発車した。座席に腰を落ち着けてイヤホンをし、スマホの画面に視線を落とす。

 こちらからの連絡は意識的に取っていない。多分向こうもそうだと思う。

 水内と先輩の間でどんなやり取りがされているか、見当もつかないし、知りたいともそれほど思わない。

 今日の話で新しく思った事は一つ。あの日のあの言葉は、水内の過去を思っての事ではないか、と。

 水内は人当たりが良い方だし、何よりノリが良い。だがそれ故に直情的な一面があるのも事実で、それを危惧しての言葉という事ならば納得も出来る。

 だが何故俺に言ったのか。他にも水内を共通の知人とする人がいただろうに。

 単に水内と接する頻度が多いからか。それとも他に何かあったのか。

 考えたところで意味は無い。そう分かっている。

 今のままでいいのだろう。何かもめる様な事があれば協力してやればいい。

 事実、水内といるのは楽しいと思っている自分がいる。椎名に言われるまでも無く、無駄に呼吸が合う事があるのも知っている。

 打てば響く。気安く言い合える女子は貴重だ。椎名ではこうはいかない。先輩は言わずもがなだ。

 

 地元駅に到着し扉が開く。散漫な思考を打ち切って電車から降り、家路を辿る。

 交差点で信号待ちの間に空を見れば、鳥の群れが飛んでいた。

 そういえばあの日、城址公園からも飛んでいる鳥が見えた。

「飛べたらいいと思いませんか?」という質問に、先輩はこう答えた。

「その労力に何を見出すか、にもよるんじゃないかしら」

 同じ空を見上げながら、何を見ているのかと疑問に思ったものだ。

 あの仮初めの日、多分明確にずれている事があったのを、先輩は気付いていたのかもしれない。

 もし、俺がずらしていた事に気付いていたのならば。

「今更、か」

 信号が変わる。白と黒のゼブラゾーンに足を踏み出し越えていく。

 今になって思うのは、久しぶりにその名前を出してしまったせいだろう。

 どうやらまだ未練が残っているようだ。自分自身がこんなだとは、思わなかったな。

 自嘲的な息を吐き出し、今後の予定を頭に思い浮かべる。

 ひとまずは月末の模擬試験に向けて、だろう。まだ志望校を絞りきれていない現実を踏まえ、やるべき事をやらなればならない。

 去年先輩も同じように考えたのだろうか。

 頭を振ってそんな疑問を振り払い、俺は額の汗をぬぐった。


***


 暑さも盛りなのか。天気予報の最高気温は、連日三十五度の猛暑日を示していた。アスファルトの照り返しは、手を緩めるという事を知らないらしい。

 路面上はさながら蒸し風呂の様なもので、歩いているだけでも容赦なく体力が削られていく。

 お盆休み前最後のゼミを終え、普段よりも早く駅への道のりを歩く。ただそれだけで汗がたれてくる現実。そんな状況に俺は思わず駅前のコンビニに飛び込んでいた。

 店の中はこれでもか、と冷房が効いている。とりあえず汗が引くまで、と漫画雑誌を手に取りページをめくった。

 早く帰ろうと思い学校を出たのだが、こうするくらいならいつも通り残っていた方が良かったかもしれない。

 そんな小さな後悔をしつつも、結局一冊丸々立ち読みをしてしまった。

 まぁ家に帰り着くまでにまた汗はかくだろう。それは仕方ないものとしても、とりあえず涼みたいという欲求を拒否しづらいほど今年は暑いのだ。

 二冊目の雑誌を手にし、チェックしている連載物だけを読み、残量の減ったガムを買い足して店を出る。それほど時間は経っていないが、日の当たり方が違うだけで暑さはだいぶマシな気がした。

 そして改札前まで来て少し思案。明日から休みなので、その前に参考書の類が充実している書店ビルへ行こうとしていたのを思い出したのだ。

 学校を出た時はあまりの暑さに断念しようとしたのだが、一度涼んだ今なら別にいいか、と思える。ただ行けば電車は一本遅らせる事になるが。

 改札上の時計を見る。遅らせたところでいつもより早い時間で帰れる事に変わりはない。ならば行ける時に行っておくべきか。

 そう思い北口を出てデッキを下りる。下のバスターミナルには数台のバス、そしてバスを待つ人の姿が散見された。

 その中の一人の姿に目が留まり、正しく人物を認識して足が止まった。

「麻倉、先輩?」

 ミディアムのワンレングス、ベルトワンピースのシンプルなスタイルだが、見間違うわけが無い。

「あら、駒木君」

 こちらを向いて、ふわりと微笑む先輩。その足元には大きめの鞄が置いてあった。

「帰ってきたところですか?」

「ええ。お盆だもの。お墓参りくらいするわ」

 先輩との距離は二メートルほど。予想だにしなかった遭遇に、まだ頭が切り替わっていない。

 そんな俺の様子を見透かしたように、先輩は口の端を上げて笑い、告げる。

「それともう一度、あなたとデートがしたくて」

「……はい?」

 何を言ったのか。いや、確認をする必要など無く、聞き取れはしたが。

「聞こえなかったのかしら? ならもう一度言いましょうか?」

「いや聞こえました。大丈夫です……が」

 今このタイミングで言う事なのか。それにこんなに押しが強かっただろうか。

「ゼミも休みになるわよね。そう……ね。明後日はどうかしら?」

「明後日、ですか?」

 これといって予定は無い。だがこのままなし崩し的に決められるのは、何となく落ち着かない。

「するかしないか。五秒以内に決めてちょうだい。五……四」

 先輩はそう言って左手の指を折り始める。

「え? ちょ、ちょっと待ってください」

 らしくない強引な手段に慌てて抗議の声を上げるが。

「三」

 続くカウント。折られる指。

「だから!」

「二」

 思わず距離を詰める。それでもカウントは止まらない。

「一」

「先輩!」

 思わずカウントを刻むその手首を掴んでしまう。

「ゼロ。答えは出たかしら?」

「どうしたんです?」

 答えずに疑問をぶつける。こんなの俺の知る先輩らしくない。

「どうしてだと思う?」

 先輩は笑顔のまま右手を挙げ、俺の左頬を指先で撫でる。白い指が作り出すこそばゆい感触。握ったままの手首は細く、ともすれば折れてしまいそうにも思える。

「理由が必要かしら?」

 重ねられた言葉に心臓が鳴る。汗ばんでいるのは決して外気温のせいだけじゃないだろう。

「俺は」

「残念ながら、時間切れよ」

 言葉を制され、先輩の右手と視線に誘導されて、自分の肩越しに後ろを振り返る。

 相変わらずの人の量。そんな中、デッキからの階段のそばに立ちすくむ少女の姿に気付いた。

「水内……」

 先輩の後輩にして、クラスメイトの水内みのりが、目を見開いてこちらを見ていた。

「この状況、どうしようかしら?」

 俺の方に視線を流してくすりと笑う。

「どうする、って言いましてもねぇ」

 俺は掴んでいた先輩の手首を離し、大仰に天を仰いでから大きくため息を吐いた。

 そんな俺を見て、先輩は楽しそうに微笑を浮かべている。

 ああ、そうだ。この顔こそ先輩らしい。

 背中から届く水内の声を聞きながら、そんな事を思っていた。

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