月読(3)
「さて、どうする?」
駅のペデストリアンデッキが見えたところで水内に問いかける。この後にこれといった用事も無く、時刻は三時前だ。
「どうしようね?」
水内は軽く流して足を進める。
何か考えがあるのか。とそのまま歩いていけば、北口のバスターミナルで水内は足を止めた。
「帰るのか?」
「んー、どうかな?」
煮え切らない返事。なんだか水内らしくない。
「何かあるのか?」
俺の問いかけに、水内は申し訳なさそうに小さく笑みを浮かべた。
何だろう。ひどくらしくないその表情が、俺にはどこかで見た事あるように感じた。
「水内」
「あ、こっちですー!」
俺の呼びかけと同時に、水内が手と声を張り上げる。その視線は当然俺へではなく、俺の背中へと向いていた。
「何だよ。誰か来るならそう」
振り向いて、言葉が途切れる。
こちらに歩いてくるロングコートの女性。その表情は幾分硬く見えるが。
「お久しぶりです!」
「久しぶりね。みのりに、駒木君」
「……先輩?」
間違えるわけもない。麻倉明日葉先輩その人だ。
帰省しているのはメッセージで知っていた。こちらは返信をしていないのだが。
水内が呼んだのだろうか。それも俺には何も言わずに。いや俺の許可は別にいらないのだが。いや、でも、だな。
「無理を言ってすみません」
「大丈夫よ。今日は予定入ってなかったから」
戸惑う俺を横に会話を交わす二人。俺がいる必要があるのかちょっと疑問だ。
「それでは先輩。また」
「ええ。今日はありがとう」
「は?」
思わず声を挟んでしまう。
「んじゃ駒木、またね!」
「水内!」
水内は軽く手を振って近くのバスに飛び乗ってしまった。この状況を作るだけ作って放置なのかい。
「おいおい」
「本当にするなんて。まったく」
呆れ顔の先輩の隣で、俺は呆然とバスを見送っていた。
もしかして、水内は最初からこうするつもりだったのだろうか。そのつもりで俺を呼び、先輩と連絡を取っていた。
「今日連絡を取っていたのは、先輩とだったんですね」
「そうね。こうなった以上、隠しても意味が無いわ」
こちらに向き直る先輩。冬装備である事を除いて、その印象は変わっていない。
「今日は彼女の方から連絡が来たのよ。時間があるのなら、ってね」
「それに先輩が乗っかった、と」
「そんなところかしら。ま、驚く顔も見れたし、ひとまず成功かしらね」
そんな先輩の言葉にため息一つ。さすがにこんな展開が予想出来るわけもなく、何の心構えも出来ていないのだ。
「あー、スイマセンでした。メッセージの返信もしないで」
とりあえず頭を下げる。社交辞令でも返信をしておくべきだった、と思っても後の祭りだ。
「気にしてないわ。それより、どこかお店に入りましょう? 立ち話は寒いだけだわ」
「そうですね。そうしましょうか」
とりあえず移動を開始する。少し頭を切り替えなければならない。
歩きながらスマホに目を走らせれば、一件のメッセージが届いていた。差出人は、水内みのり。内容は一言、ごめんね、とだけあった。
あいつを怒っても仕方ない。今はこの現実をどうするか考えるべきか。
俺は軽く頭上を見上げてから、スマホをポケットにねじこんだ。
いちょう通りの大手コーヒーショップに腰を落ち着ける。この店がオープンしたのは去年の秋の事なので、先輩と利用した事は当然無い。
俺はローストチキンサンドとカフェオレを、先輩はチーズケーキとカプチーノをオーダー。店内の混み具合は予想したほどでは無く、角の席がすんなりと確保できた。
「この時間にそれって、お腹空いてるの?」
「昼飯食べてないんですよ」
かいつまんで事情を説明し、サンドイッチを頬張る。ここのフードメニューを食べるのは初めてだが、なかなか美味しい。
「ここだけ見ると、お正月って感じしないわね」
コーヒーにサンドイッチ、ケーキが並ぶテーブル。たしかに正月らしさの欠片も無い。そして店内にもそれらしい物や、着物を着たお客さんの姿も無かった。
いや、エントランスに門松はあった気がする。正月飾りがあったのかは分からないが。
「八幡様にお参りしてきたそうね」
「ええ。水内に誘われまして。川の向こうは初めて行きましたね」
頬張ったサンドイッチを飲み込んで答える。少しがっつき過ぎかもしれない。
「私も向こうへはあまり行かないわね。それこそお参りくらいかしら」
「こっちだと八幡様がメジャーなんですかね?」
「どうかしら? 私は子どもの頃から八幡様だったけど、他にももちろん神社はあるわ。でも一般的なネーミングで一歩抜けているのは事実でしょうね」
旧市街に位置しているという事は、昔から信仰の拠りどころだったのかもしれない。まぁ考えてもたいして意味の無い事だが。
最後一切れを口に放り込み、カフェオレを飲む。無事に空腹は落ち着いたようだ。
先輩はチーズケーキをゆっくりと口に運んでいた。残りは四分の一ほどか。
「落ち着いた?」
「はい。とりあえずは」
答えて思わず苦笑い。扱われ方がまるで子どもの様だ。
ゆっくりと長い息を吐き出す。さて、これからだが。
「センターまで数えるほどね。調子はどうかしら?」
「どうですかね。やれる事はやってきましたけど。これからはコンディションも大事でしょう?」
「そうね。風邪を引かないように気をつけないといけないわ」
センター試験も追試や再試措置はある。だがリズムも狂ってしまうので、きちんと本試験で点数を取りたいところだ。
「体調以外では、私はあなたの事を心配してないわ。そういう準備には抜かりないタイプでしょう?」
「保険をかけて潰してるだけですよ。それでも自分の実力以上の点を取った事はありませんし」
傾向と対策を練る事は出来ても、それを行えるだけの知識と技術が自分にあるかは別問題だ。簡単に対策が出来るというのなら、その辺の参考書など存在意義が無くなってしまう。
「ま、姉貴が少し見てくれたので、前よりはマシになってるんじゃないですかね」
「へぇ、恭香さんが。羨ましいわね」
「鬼ですよ。あの人は」
参考書を置いていってくれただけでなく、家にいる時に質問をすれば答えてくれた。だが少しでも曖昧に答えるとその周辺も突かれる破目になり、まだ足りないと言われてしまう。まぁ事実なので何も言い返せないのだが。
ちなみに今日の午前中にも質問をして、嫌な顔をさせている。また酒に付き合え、とか言われそうで不安だ。
「恭香さんは、いつまでこっちにいるのかしら?」
「明日までこっちにいるそうです。明後日に戻るみたいですよ」
そういや、ちょっと訊いた限り姉貴は椎名のお姉さんは覚えているようだった。あまり話した事無いとか言っていたので、遊んだりするような仲では無かったのだろう。
さすがに麻倉先輩を覚えているかは訊いていない。そんな質問からでも姉貴は何かを読み取りそうな気がするのだ。
「恭香さんの事、ってっきり目の敵にしているのかと思っていたのだけれど、そうでも無いのね?」
「そんな事言いましたっけ?」
「はっきりとは言ってないわ。でも、これまでの言い方からそうだと思っていたのだけれど」
まぁそう聞こえても仕方なかったかもしれない。
「一般的に、自分の兄妹を良く言う人はあまりいないと思いますが」
「そのようね。でもあなたの場合は少し違う気がするの。なんせあれだけ優秀なお姉さんでしょう?」
「思うところはありますよ。そりゃ色々、ね。それでもあの人は俺の姉ですから。それも含めて付き合っていくのが家族ってものなんじゃないかと。最近そう思ったんですよ」
ゆっくりとカフェオレをすする。ん、少し冷めてしまったか。
対面ではつられたように先輩もカップを口に運んでいた。
カップを戻すまでのわずかな沈黙。かすかな話し声と同時に店内に流れる音楽が耳に届く。
「あなた、少し変わったかも」
「そうですか?」
あの夏の日と比べて、だろうか。自分自身そんな気はまったく無いのだが。
「男子三日会わざれば、と言うのかしら。それとも単に間が空いているから?」
「おそらく後者でしょう」
そんな故事と同一視されるなど、恐れ多いったらない。
「ま、この一年で色々考えさせられる事があったんですよ。変化があったと言うのなら、そのせいでしょう」
「一年、ね」
先輩は少しだけ笑い、残りのケーキを口に運ぶ。ここのケーキを食べた事は無かったが、食べた事あると言っていたのは水内だったか。
「そういえば、少しだけ聞きました。中学時代に水内と何があったか」
「え?」
先輩にしては珍しい声。その視線は真っ直ぐ俺を射抜いてくる。
「どこまで、聞いたの?」
「合わない先輩ともめた事があって、それを助けてくれた、と。それだけですよ」
実際聞いたままを話す。一点だけ、麻倉先輩の友人関係についてだけは省いたが。
「そう。みのりが言ったのね」
カップに口を付けて、先輩は視線を落とす。当時を思い返しているのだろうか。
思わず口を滑らせてしまったが、あまり良くない話題だったかもしれない。
俺も距離感を見失っているのかもしれないな。
「もうだいぶ前の話だし、いいんだけどね」
つぶやく様に吐き出された言葉。初めて聞く声色。
「あなたには分からないかもしれないけど、女子のコミュニティって、面倒なものなの」
先輩はカップを指先で弄びつつ、言葉を続ける。
「グループ内での立ち位地が決まっている事が多くて。リーダー格だったり、賑やかしだったり。それをはみ出る言動をすれば、すぐ槍玉に挙げられちゃう。男子みたいに物理的暴力では無い分、陰湿よね」
ざっくりとした話なら漏れ聞いた事もあるが、基本的に男子が聞ける話では無い。
「もちろん学校やグループで差はあると思う。でも、だからこそ女の子は鍛えられてる、と言えるかもしれないわね」
ゆっくりと冷めたエスプレッソに口を付ける。そのしぐさが俺には綺麗に見えた。
「そんな中で、あの子は少し真っ直ぐ過ぎたわ。ともすれば子どものわがままの様にも聞こえたかもしれない。でもそれが、私には羨ましかった。不器用で、滑稽で、私が持たないものが、そこにはあった」
上げられた視線。それは俺ではなく外を向いていた。
「だから私はあの子をかばった。相手が気に入らないのも少しはあったわ。でも波風立てて、離れる友人が出ても、間に立ってあの子を守った。今思えば単なる意地だし、子どもっぽかったかもしれないわね」
そう言って曖昧に笑う。俺には当時の先輩を想像する事も出来ない。
「それで、俺に頼んだんですか」
「そうね。でも杞憂で済んだみたいだけど」
水内とは三年間同じクラスだったが、これといってトラブルは無かった。おそらく先輩も本人からは何も無いと言われているに違いない。
正直、女子グループのいざござに関しては何も言えない。あれは男子不可侵の領域だからだ。
「でも、水内にこだわる理由としては弱い気がします」
それは自分の主観でしかない。
「あの子のために行動をした。でもその責任は当然、私自身が負う。その件で疎遠になった友人とは、小学校以来の付き合いだったのよ。だからあの子には同じ様になって欲しく無かった」
それは一種の愛情か。それとも代わりにそうあって欲しいという願望か。
「水内は幸せ者ですね」
「どうかしら。私の独善でしか無いのも事実よ」
「それでもですよ」
他の人と相容れない中で、自分の意志を通すのは簡単な事ではなく、跳ね除ける強さも持っていたに違いない。
それが、水内が先輩を慕う理由の一つなのだろう。
そしてあいつは先輩を思い、今日この行動を起こしたという事か。
「水内とはずっと連絡を取っていたんですね?」
「そうよ。メッセージだけでなく電話でもね。進学の相談もされていたし」
「それじゃ、あいつの数字は知っているんですね?」
「ええ。でもさすがにあなたのは知らないわ」
そこまで伝わってはいないようだ。やはり気遣われているな。
残りのカフェオレを喉に流し込む。すっかり冷めてしまったが、その味は悪くなかった。
先輩は俺の数字を訊かない。夏の時もどこを目標としているのかさえ訊かれなかった。
大学生活の話をしてくれていたのだから、そこを訊かないのは不自然ではないか。そう思っていたが、自分からひけらかす様な真似は出来なかった。なんせ現役当時の先輩より低い数字なのだから、言い出しにくかった事この上ない。
「ま、センターの結果次第ですよ」
カップをソーサーに戻して、ただそれだけを答える。そんな俺に先輩は小さく微笑んでいた。
「さて、どうします?」
オーダーしたものは全て空っぽだ。追加をするか、それとも店を出るか。
「四時、ね。少し歩きましょうか」
先輩に促されて店を後にする。日が傾きだした外は、さっきよりも寒く感じた。
目的地も告げられず、ただ足を進める。いちょう通りもすっかりお正月モードに染まっていた。前に見た時はクリスマス一色だった気がするのだが。
「そんなに変わらないわね」
「時々戻ってきてるんでしょう?」
「それはそれ。戻ってきても、結構限られた場所にしか行かないものよ」
案外そんなものなのだろうか。まぁ普段でも滅多に行かない所はあるわけだし、帰省の短い時間では訪れる場所も限られるか。
会話をしながら二つ目の信号を右へ曲がれば、そこからはゆるやかな上り坂が続く。
メイン通りから外れるので、人通りも車の数も少なくなる。今日が二日という事もあり、地元の商店は休みの所が多いようだ。
その中でコンビニエンスストアだけが普段と変わらない存在感を放っている。
「このコンビニ、新しいわね」
「そういえば、そうですね」
駐車場の舗装はまだ新しいし、外壁も綺麗なままだ。夏にここを通った時は何があっただろう。少し考えてみたが、何も浮かんでこなかった。