風紋(3)
「ま、こっちは姉妹だからね。色々話す事もあるからさ。わたしは姉さんの事好きよ。もちろん目標ではあるけどね」
椎名と下の子あるあるを語ってしまった。似たような話があるという事は、どこの家庭でもそんなものなのだろうか。
「うちも兄貴だったら違ったのかなぁ」
「さぁ、どうだろうね」
イフを語っても仕方ないじゃない。そんな風に笑う椎名を見て、姉妹仲が良いのは本当なのだと思った。
俺自身も姉貴が嫌いなわけではない。そりゃグータラな一面はあるし、その後片付けを押し付けられた事もある。外面とその能力に思うところが無いとは言えない。
だからといって拒絶しているわけではない。
ある種の劣等感はあるかもしれない。シスターコンプレックスと表現出来るかは分からないし、違う意味に取られてしまうので口には出さないが。
「上の事を気にしても仕方ないね。で、駒木くんはI大で決まりなの?」
椎名が話題を戻す。たしかに共感出来る事はあれど、益のある話にはならないだろう。
「どうかな。センターの出来次第だな。結果次第で選択肢も変わると思うけど」
「んー、N大とかC大とか?」
「そんなところかな」
判定を出した学校もその辺りだ。でもオープンキャンパスはI大しか行っていなかったりする。
「ああ、そういえば、みのりの先輩ってN大じゃなかったっけ?」
「……そうだったな」
即応出来ずに間を空けてしまう。水内ではなく椎名からその名詞が出るとは思っていなかった。
「もしかして、目標だったりする?」
「目標、ねぇ」
どういう意味での目標なのか。水内ならばうなづいていたかもしれないが。
思案しながら紅茶を飲む。常温の液体が喉を潤し、落ちていく感覚。それを感じながらペットボトルのふたをしめた。
「目標と言えるほど、先を見据えちゃいないよ。今はこうやって目の前の事をするだけで、精一杯さ」
机の上のノートを示しながらおどけてみせる。
この時点で大学で何を学び、将来の行き先を明確に決めている人が何人いるだろうか。ただ漠然と進学という選択をしている人が多数を占めるのではないだろうか。
「ま、それもそうだね」
そんな一般論は椎名ももちろん分かっているだろう。そして俺がはぐらかしている事も。
壁にかけられた時計にちらりと視線を向ける。時計の針は六時になろうとしていた。下校完了時刻までは、あと一時間ほどか。
「先輩を目標としているのは、水内の方だろう?」
「あー、そうかもね。でもあの子じゃイメージが違い過ぎるかなぁ」
以前本人が言っていた記憶がある。そしてそれに対する椎名の意見は俺と同じだった。ここに本人がいたならば、もれなく一撃を食らっていただろう。
「水内にとっては尊敬する先輩らしいからな。先輩にしても水内の事は大事に思ってるみたいだよ」
「麗しき師弟愛みたいな?」
「それも違うと思うけどなぁ」
師弟と言うほど似ていないだろう。落ち着いて頼りがいのある先輩と、どちらかといえば勢いで押す水内。
「似てないだろう? 水内は勢いで突っ走るタイプだし、先輩はゆったりと構えてる、というかさ」
「うん。言いたい事分かるよー。でもね」
椎名は一度言葉を切り、視線を窓の外へ向けた。
「多分みのりは、君が思うよりも色々考えてると思うな。勢い任せなのが多いのは否定しないけど」
ゆっくりとこちらを振り向く。その表情は普段通りの微笑みで。
「そんな単純じゃ、女の子はやっていけないの。そこを君は勘違いしているかな」
「水内が?」
椎名は大きくうなづいてから、ペットボトルに口を付けた。
そうなのだろうか。少なくとも俺にはそんな風には見えない。
もっとも、女性の考えが読めるなんて思った事は無い。身近な存在とも言える姉気ですら、その思考を理解する事が出来ないのだ。ただのクラスメイトでは尚更だろう。
「そんな事分かってる、とか言われたら、それはそれでどうしようとか思ったんだけどね?」
「それは無いなぁ。どちらかと言えば、疑ってるよ?」
「ま、それが普通かな。みのりにしても、家族でも恋人でも何でもない人に分かってるなんて言われたくないでしょうし。同じ立場だったら、わたしは嫌だよー」
なるほど。たしかにそれは言えるかもしれない。
基本的に学校での一面しか知らないのだ。例え一緒に遊んでいたにしても、その関係は学校のそれの延長線上に当たり、そのカテゴリーを脱していない。もちろん一概に言える事では無いと思うが、男女間ならばそれが普通かもしれない。
「分かったつもりになるな、って事か?」
「そういうわけでも無いけどね。知らない面もあるって事、気に留めておいて。もちろん、わたしもだけどね」
「椎名さんが優しい人だって事は、分かってるつもりだけど?」
「あれ、言われちゃった。んじゃ教えてあげる」
そう言って椎名は人差し指を俺に向け、徐々に下げていく。そしてノートの一点を指して言い放った。
「ここの問五と問六、間違ってるよ」
「え、マジ?」
思わずノートに視線を落とす。椎名が指していたのは適語補充問題だった。
しかしいつの間に答えをチェックしたのだろう。恐るべし椎名さん。
問題の意味を確かめ、もう一度辞書を開く。連語のミスか、それとも活用的な間違いなのか。
「あ、あと一つ」
まだあるのか。そう思いながら辞書のページをめくる。
「夏休みかな。君と先輩が一緒にいるの、見ちゃった。ちなみにその時みのりも一緒だったんだけどね」
そんな椎名の声に、俺は辞書をめくる手を止めていた。
「どこで見られたんだか」
辞書から目を離して背もたれに背中を預ければ、ギシリと軋む音が響く。
「たしかー、ペルチの前だったかな」
「ああ。まぁ見間違いって事は無いだろうなぁ」
いちょう通りにある喫茶店の名前がペルチだ。値段も高くなく、ケーキの美味しさに定評がある。その日は結局入らなかったのだが。
さすがに椎名と水内が、俺と先輩を見間違う事は無いだろう。もちろん誰にも見つかっていないなどとは思っていないが、このタイミングで言う必要があったのだろうか。
「もしかして、先輩と付き合ってたりする?」
「いや、そんなんじゃねぇよ。……もしかして水内がそう言ったのか?」
「みのりは呆れてたかな。ま、わたしはどっちでもいいんだけどね。もしそうだったら興味があったけど」
レモンティーに口を付ける椎名さん。
女子はそういう話が好きだからなぁ。まぁそれは構わない。自分がいじられる立場にならなければ、だ。
「さすがにこれだけの距離があって付き合うとか言えないでしょ。夏休みに会ったのも、言ってみれば旧交を温める様なものさ」
少なくとも自分は、その姿勢を貫いていたつもりだ。あくまで親しい先輩後輩。そのラインを踏み越えないように注意をしていたはずだ。
「それは君のスタンスだね。でも、向こうが違ったとしたら?」
「……どういう意味だ?」
こちらを見つめる椎名の瞳。眼鏡越しのその視線は、何かを見定めるように俺を射抜いている。
「わたしはその先輩の事を、直接は良く知らないよ。みのりから聞いた話でしか、そのイメージを持っていないのだけど。ただ、わたしには君の言う様には見えなかった、って事」
椎名の言葉に、俺は視線を上に向ける。
そもそも誘ってきた先輩はいつもよりも強引だった。強気に押してくるイメージはあまり無く、戸惑ったものだった。
春のは“やり直し”で、あれは思い出として処理されたのではなかったのか。そして今回は、その時の約束通りに大学の話をしてくれただけ。そう思っていたのだが。
「もちろん、ただの勘だけど、ね」
椎名はおどけて笑ってみせる。だが俺はそれに笑顔を返す事が出来なかった。
夏の出来事を見られていたのならば、昨日の水内のセリフも分かる。
いや、椎名に言われるまでもなく、そうではないかと思う節はあった。だが自分でそれを言ったところで、自惚れにしかならないと思っていた。
それに、そこまで想われる理由も、自分には分からない。
いや、それを考えたところで意味は無いのだろう。自信持って答える事なんて出来るわけがなく、仮に何か答えが出たとしても、それはやはり自惚れというものだ。
自信なんてあるわけがない。何につけても敵わなかった存在が側にいたんだ。顔色を窺い、評判を受け流す事が出来ても、根本的な解決にはならない。
現実を受け入れたからといって、自分の何かが変わるわけではない。
「憶測でものを言うのはこれくらいにして、ね。一般論だけど、女の子は待ってる側よ。良くも悪くも待ちの姿勢なの。頭の片隅にでも置いておいてね」
俺は視線を下ろして椎名を見る。曖昧な微笑。それから目を逸らして、紅茶を一口飲んでから肺の空気を押し出した。
「微妙な顔をしてるね。でもわたしだって、勉強の解答以外に自信なんか無いよ」
「それだけ出来れば十分でしょうに」
「それで自信が持てるなら、苦労はしなかったでしょう?」
ごもっともだ。一種のステータスにはなり得るかもしれないが。
そう言った椎名は軽く上に視線を流し、長い息を吐き出していた。
「まさか、椎名とこんな話をする事になるとはなぁ」
問題を解くのを諦めて辞書を閉じる。完全に思考が切り替わってしまったので、勉強は仕切り直しをした方が良いだろう。
「わたしも、そんなつもりじゃ無かったんだけどね」
お互いにペットボトルを口にする。その中身もいつの間にか四分の一を切っていた。
「駒木くんとサシで話をするのって、あったようで無かったと思うんだ。せっかくの機会だったから、というのが今こうしてる理由の一つかな」
椎名の人差し指がピンと天井を指す。
「受験近くなれば余裕も無くなってくるだろうし、来年以降は……そうだな」
思わず言葉を濁す。そんな俺に椎名はやはり微笑むだけだ。
来年、この関係がどうなるかなんて分からない。同じ学校という事は現状あり得ないので、細々と連絡を取っているか、それとも全く取らなくなってしまうのか。
考えても意味の無い事なんだろうが、つい保険に入れてしまうのは悲しい性か。
「そしてもう一つ」
椎名の中指が立てられ、チョキの形になる。
「みのりのためよ」
「水内の?」
思わず首を傾げてしまう。
「あの子が色々気を回していた事、気付いているでしょ?」
「先輩との事を指しているのなら」
椎名は小さくうなづく。色々と言われていたし、もちろんそれが指す意味も分かっていた。ただそれは詰まるところ当事者間の問題でしかない。
まぁ気を使わせた事に関しては申し訳ないと思う。いつか頭を下げなくてはならないか。
水内は先輩が本気だと思っていたのだろうか。覚えている限り、先輩が確信めいた言葉を言った事は無い。もしはっきり水内に伝えていたならば、俺はもっともっと強く押されていたと思う。
「夏休みから二ヶ月経つのに、今更この話をするのも何だとは思ったんだけどね。あの子を思えば、言っておいた方がいいかと思ってさ」
水内は気を使い続けている。そう言いたかったのかもしれない。少なくとも、先輩の名前を意図的に出さないようにしているのは分かっていた。
「そんなつもりは無い、と言ってきたんだけどなぁ」
「どこまで本気だったんだか。わたしには分からないけど」
「もう一度はっきり言った方がいいんかねぇ」
「君が本当に後悔しないのなら、それでもいいんじゃない」
後悔、か。
そんなの、するに決まっている。
あの仮初めの日に、勢いに任せていれば。
在学中に告げていれば。
やり直しの日に、はっきりさせていれば。
あの夏の日、向こうに行かなければ。
結局、保険をかけて分かったつもりになっていただけ。
仮初めか本物か自信が持てず、ただその空気に流され泳いでいただけ。
曖昧な立ち位地。非依存。ある種の利害の一致。小さな優越感。
友人とは違う気の抜き方。比較評価の緊張感。
それらが入り交ざった、唯一無二のオアシス。
守られている事は、見られている事と同意だ。その視線が気になればなるほど、頑なにその表面を覆ってしまう。
そんな表層を剥がせる場所だった。先輩は、俺にだけ学校とは違う一面を見せていた。後から思えば、俺も知らずに外していたのかもしれない。いや、外させられた、か。
それも全部、変わっていたかもしれない。
そして俺が欲しいのは、ただその空気なのか。それとも本当に先輩の存在なのか。
いや、違うな。存在が無ければ成り立たない空気との比較は正しくない。
だとすれば、そう。
面倒見が良くて頼りがいのある姿。その裏で好奇心が強く、言葉巧みに人を転がしたり、自ら渦を起こしてみたりもする。
そしてただ濡れちゃったと無邪気に笑う。
俺は先輩の、どの面に恋をしていたのだろうか。
今現在、俺にそれを口にする資格があるのだろうか。
「何を言ったところで余計なお世話。それは分かってるよ。だから聞かなかった事にしても、わたしは構わない」
対面で椎名が言う。眼鏡越しの眉は少しハの字に下がっていた。
「でも出来たら、みのりの思いも少しは考えてくれたら嬉しいかな。君らがすれ違う想像は出来ないけどさ。絶対本人は言わないと思うから」
「ん。まぁ先輩にも頼むって言われてたしな」
「へぇ。それはー……どういう意味で?」
水内の疑問に、俺は両手を広げて肩をすくめるジェスチュアを返す。過去にあった事を踏まえてというのなら、ここで椎名に話すのは水内に悪いだろう。
「意味深なのかな。うーん」
軽く額に指を当てて唸る椎名。さすがに考えても分からないと思うが。
「まぁいいじゃない。それより、そろそろ帰ろうぜ?」
紅茶を飲みきり時計を見上げれば、その針は六時半になろうとしていた。結局直さないまま英語のノートを閉じて、辞書をロッカーへと片付ける。
その間に椎名がペットボトルを捨ててくれていた。
「サンキュ」
荷物を鞄に放り込み教室を出る。靴を履き替えて外に出れば、思ったより冷たい風が吹いていた。緑翠の象徴でもあるモスグリーンのブレザーを着ていなかったら、多分肌寒く感じるだろう。
寒暖差も大きくなってきた。ついこの間まで暑いと思っていたのに。
「なぁ、椎名さん」
「何かな?」
隣を歩く少女に声をかければ、返ってきた声と視線。それは水内や先輩と違い少し低い位置からだ。
「椎名にはいないのか? 追いかけたい人、ていうかさ」
「姉さんとは別に、て事だよね?」
あれは越えられない壁だ。目標ではあるかもしれないが、そう意味での質問では無い。
「君と同じ様な事を考えたよ。だから今は、そういう人がいただけで良かったと思ってる。君みたいな縁も無かったしね」
「俺みたい、ねぇ」
普段よりゆったりとした歩調。車のヘッドライトによって作り出された影が、繰り返し自分達を追い抜いていく。
「みのりは良い子だよ。ノリがいいし、気がつくし。勢いに任せるきらいはあるけどさ」
「そうだな」
視線は前を向いたまま。ただ合わせて足を前に進める。
「だからその背中を守ってあげたくなる。臆病なわたしをかばってくれた分、支えられたらな、って」
「なるほどね」
二人の関係性を垣間見た気がする。
「君ならあの子の背中を任せられると思ったんだけど。馬が合うみたいだしね」
「馬が合うのは事実かもしれんがなぁ」
今まで何度も言われてきた事だ。ちょいちょいツッコミで叩かれるが、その間ですらも心地良いと思える時がある。もう少し手加減をしてくれれば尚良いのだが。
「隣と背中じゃ、違うもんね」
前を向いてつぶやかれた言葉が、後ろへと流れていく。
「あいつの隣が俺なんて、もったいないだろう?」
「君ならそう言うと思っていたよ」
くすりと笑い声が流れる。それもすぐにエンジン音に紛れて消えていった。
南口が見えてくる。このまま改札を抜けて電車に乗ればこの時間もおしまいだ。
おそらく椎名とこんな話をする事はもう無いだろう。これはこれで有意義な時間だった。
彼女の中でどんな意図があったのかは分からない。水内に関する事がメインだったのだから、暗に腹を括れと言っているのか。
「それじゃ、また来週」
「おう。じゃあな」
改札を通り椎名と別れる。電車の時間が合わなければ改札前で別れるのだが、この時間だとほぼ発車時刻が重なっていた。
ただこの時間だと座席は空いていない事が多い。イヤホンを装着し、スマホを片手に扉の近くに立ったままで電車に揺られる。
俺自身、一度決めたスタンスを崩したつもりは無い。ならば先輩の方なのだろうか。
あの春の時とは環境が変わった。余裕の有り無しで言えば逆になったのだと言える。
環境が変われば気持ちも変わる。それはあり得る事だし、先輩がそうあったとしても不思議ではない。
だがそうだとしてもオンオフが激しいのではなかろうか。夏はあのバスターミナルでの遭遇から、なし崩し的に一日付き合う事になった。だがそれ以降、十月の今現在まで一通のメッセージも届いていない。
単なる遊びだった。それなら分かる。そう思っていた。
だが今日の椎名の言い分はどうだ。そして水内の姿勢。
「許さないかも、か」
思わず言葉が滑り落ちる。慌てて視線を巡らすも、特にこちらを気にする目は見当たらなかった。
ほっと息を吐き、窓へと視線を向ける。その向こうで流れていく景色。
その風景は見慣れたものになっている。三年近く通っているのだから当たり前だ。
それでも中は変化していく。見える風景は同じでも、目に見えないほど少しずつその環境は変わっていく。
自分も変わったのだろうか。一度は諦めたはずだ。半年近く空けた間に、俺は自分の立ち位地を忘れたのか。
予想外の遭遇に慌てて、上手く処理出来なかったのか。
それとも、先輩がさらけ出して掴みに来たのか。
……そんなわけ無い。
電車のドアが開く。ざらつく様な思考のまま、俺はホームへと降り立ち改札を通り抜ける。
先輩に電話して話をする事は出来る。だがおそらく、綺麗にはぐらかされるだろう。電話越しで何かを読み取れるほど起用じゃない。それが先輩相手なら尚更だ。
かといって会う機会があるだろうか。帰省するにしても、おそらく年末年始の可能性が高い。そんな時期に心身に負担をかけるような行為はしたくないし、むしろ向こうに気を使わせる結果になりかねない。
俺が向こうに行けば、と思わなくも無いが、さすがに負担が大きい。そう思うなら端からオープンキャンパスに参加をしておくべきだった、と今更ながらに後悔を一つ積み上げてしまった。
時点のズレを言ったところでどうしようもない。結局出来る事は、自分の点を上げる事だけ、という事になる。
ただぐるりと一周回ってきただけだ。そんな結論に軽く頭痛さえ覚えてしまう。
ほぼ無意識に歩みを進め、自宅の玄関を開ければ、三和土に見慣れない靴が転がっていた。
そんな話は聞いていなかったんだがなぁ。
「やれやれ」
ため息を吐いて転がっていた靴を寄せて並べる。それから自分の靴を脱いで家に上がり、リビングを覗けば予想通りの人物がいた。
「姉貴。帰って来たのか」
「あ、コウ。ただいま。そしてお帰り」
ソファに体を沈め、テレビのリモコンを持った手を軽く振ってみせる姉の恭香。ここ最近ご無沙汰だったが、見慣れたくつろぎモードの姿だった。
「ご飯もうすぐ出来るってよ。着替えてきなさい」
「へいへい」
鞄を持ったまま自分の部屋へと向かう。椎名とあんな話をした日に姉貴が帰って来てるとは。いったい何の因果なのか。
少しばかり重い頭を振りつつ制服から着替えて、スマホに充電コードをつなぐ。便利なのだがもう少し電池の持ちは良くなって欲しい。
いつも通り制服をハンガーに吊るして、一つ大きく深呼吸をする。
姉貴のいる食卓はいつもより賑やかだろうな。そんな事を思いつつリビングへと向かった。