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めんこひ  作者: 舞島 慎
三章
11/20

風紋(1)

 返されたプリントを前に、低く唸るような声が漏れた。

 それは自分だけでなく、周囲も似たようなものだった。中には机に突っ伏す者もいる。

 返されたプリント、即ち模試の結果がそれら全ての原因だ。判定は悲喜こもごも、と言いたいところだが、見る限り悲報の方が多そうだ。

 夏休み明けの九月に行われた模試の結果は、志望校選択の大きな指針とされる。ここからの劇的な上昇というのは、まぁ起こり難いのだろう。

 担任から後日に面談をやるという、大してありがたくない話でホームルームは終わった。まもなくそこかしこで人が集まり、再び悲鳴の様な声が響いてきた。

「康也、どうだった?」

「ん。まぁこんなもんか、って感じ」

 寄って来た直紀に結果票を見せる。

「相変わらずってところか。落とさないだけでも大したもんだと思うけどなぁ」

「それでも第一志望には届いてないんだ。喜べんだろ」

「でもI大はB判定出てるじゃん」

 第二志望の地元国立I大は可能圏のB判定だった。両親はそこでいいと言っているのだが。

「そっちはどうだったんだ?」

「訊くな」

 おいおい。人のを見ておいてそれは無いだろう。だがその口ぶりから予想は出来る。

 中途半端に慰められてもアレだろうし、スルーするのが友情と言うのかもしれない。

 そう思いながら自分の結果票をしまい、鞄を持って立ち上がる。

「俺は図書室行くけど?」

「そうか。じゃあまたな」

 直紀には図書室で勉強という選択肢が無かったようだ。直紀に軽く手を振り、残っているクラスメイトに挨拶をしつつ俺は教室を後にした。


 何とか図書室の個別ブースを確保し、世界史と格闘しているうちに一時間ほどが経過していた。得意科目ではあるものの、やはり定期的に目を通す事は必要になる。

 模試の点数が思ったより良くなかったのが原因で、ミスの多かった西洋史の確認をしたかったのだ。

 個々の国々の歴史の流れは把握していても、横のつながりを理解出来ないと世界史の点数は取れない。今回ミスしたのは、中世ヨーロッパ史の最初の方だ。

 フランク王国の隆盛、分裂からのフランス、神聖ローマ帝国の成立。またヴァイキングの進出によるノルマン朝イングランドの成立。そのそれぞれの政治形体に、さらにはローマカトリック教会の動きが絡むので、色々とこんがらがりやすいのだ。ついでに文化史も。その辺りを中心にルーズリーフにまとめ直していた。

 メジャーな人物名を挙げるだけでも、カール大帝、オットー一世、インノケンティウス三世、ヘンリ七世、フィリップ四世、カール四世あたりが並ぶだろう。

 これを国ごと、出来事、年代で覚えるわけだから、なるほど、世界史が嫌われるのも分かる気がする。

 西洋史は横文字が並ぶが、中国史ならそれが漢字に置き換わる。さらにアジア史だと表記はカタカナが多いが読みにくい名前が多くなる傾向にある。ムアーウィアとか、チャンドラグプタとか。

 とまぁ世界史が敬遠される理由は置いといて、自分が選択している以上、取れるべきものは取っておきたい。幸いな事に自分は先ほどの様な名前を覚える事を、さほど苦にしていないわけだし。

 柱状図のイメージを持てると良いかも、と誰かに言われた記憶があるのだが、さて誰だったか。

 椅子に背中を預けて時刻を確認すれば、五時を回っている。緑翠は夜七時まで校舎を解放しているので、まだ時間はあると言えよう。

 せっかくだからもう少し先まで確認をしておこうか。でもその前に一息入れよう。

 自販機で缶コーヒーでも買おうと思い、図書室を出る。廊下を歩きながら外を見れば、もうすっかり赤くなっていた。

 十月になっているし、衣替えもしてブレザーも着ている。着実に時間は進んでいる事を不意に実感して、小さく拳を握っていた。


 昼時には混雑する自販機コーナーも、さすがにこの時間帯では人影も無い。販売機にホットの商品が売り出された事も、やはり季節が巡っていると実感させられる出来事だ。

 冷たい缶コーヒーに口を付け、校舎に切り取られた空を見上げる。真っ赤な夕暮れから考えるに、明日の天気も良さそうだ。

 これから日に日に寒くなっていく。コートを着るようになれば、もうセンター試験が目に入る時期になっているのだろう。

 約三ヶ月先の話だ。だがまだ実感もなければ、当然焦りも無い。これは自分の危機感が足りないだけなのかもしれないが。

 それでも今日の様に自主的な勉強をしているだけマシか。保険や自己満足だとしても。

 コーヒーを飲み干して空き缶を捨てれば、ゴミ箱から軽い金属音が響く。人のいないせいか、その音は普段より大きく聞こえた。

 さて、せめて学校にいる時間くらいは有意義に使うべきか。少なくとも先輩はそうしていた。

 せっかくだし中国史の復習もしておこう。


「駒木」

 図書室である事を踏まえてか。抑えられた声と共に肩に、手がのせられた。ルーズリーフにヌルハチの文字を書き終えてから顔を上げれば、相手は予想通り水内だった。

「邪魔しちゃった?」

「いや、大丈夫」

 返答するも、水内は俺の言葉を聞かず机のルーズリーフを手に取った。そしてその中身を見て眉をひそめてみせる。ちなみに宋から後金あたりをまとめていたものだ。

「いつも思うけど、よく覚えられるね。こんなの」

 こんなの言うな、と視線に込めつつルーズリーフを取り返し、ついでに開いていたテキストも閉じる。そろそろ帰ろうと思う時間だったというのもあるが。

「ここにいたのか?」

「一時間くらい前からかな。その前は教室にいたよ」

 珍しい事だ。教室に残って勉強している事はそれなりにあるが、誰かが帰ると言うと一緒に帰るのが普段だ。それが今日は自分で残っていたという。

「模試の結果、良くなかったのか?」

 そう尋ねれば、答えの代わりに背中を叩かれた。図星だったのだろうか。

「そんな事無いわよ。失礼ね」

 何だそれ。叩かれ損か?

「と言っても、良かったとは言い切れないかな。ぼちぼちってとこ。そっちは?」

「俺も似たようなもんさ」

「ふーん」

 水内の右手が差し出される。まさか握手というわけでもあるまいし。

「結果、見せて」

 やはりか。まぁ特に隠すつもりも無いし、構わないか。

 クリアファイルから結果票を取り出し水内へと渡す。それからテキスト類も片付けて、帰る準備を整えた。

「……そっか」

 何か思うところがあったのか。水内は小さく言葉をこぼしてから、俺に結果票を差し出した。

「ん。そろそろ俺は帰るけど?」

「あたしも帰るよ」

 クリアファイルを鞄にしまい立ち上がる。自分の荷物を取りに行った水内と図書室入り口で落ち合い、一度教室に立ち寄ってから校舎を後にした。


 日が暮れた街並みを眺めながら駅への道を歩く。街灯に照らされてこの道を歩くのも、もう何回目だろうか。

 そしてあと何回あるだろうか。

「駒木。N大受けるの?」

 そんな慣れた道中で切り出された話題がこれだった。

「まだ決めたわけじゃない。レベル的に、というチョイスだよ」

 N大は隣県の公立大学だ。一地方の大学としては、そこそこ名前も売れている方だろう。

「ほんとに?」

「ああ。親はI大でいいんじゃないか、って言ってるけどな。センターの結果次第ってところだ」

 現状で判定はCでボーダーライン上だ。センター試験の出来次第という部分が大きい。

「そっか。駒木んちは、たしかお姉さんがいるんだよね」

「ああ」

 親が地元で、と言うのは経済的事情もあるのだと分かっている。もちろん面と向かって言われた事はないが、まぁ空気的に分かるものだ。

「そっちはどうだったんだ?」

 水内は俺の結果を見ているが、俺は水内の結果を見ていない。ぼちぼちと言っていたその結果が気になるのは当然だろう。

「I大がCだった。もっとも数字は上がってるからB寄りになったと思うけど」

 それだけで大体の数字は予想出来る。ぼちぼちという評価もあながち間違っていないようだ。

「相変わらず数学か?」

「人の事言えないでしょ、あんたも」

 振っておきながら、事実その通りなので苦笑いしか出来ない。つくづく自分は理系に行かなくて良かったと思う。

 比較的暗記科目の方が得意ではある。ただし英単語は例外としてだ。姉貴のオールラウンダーっぷりが心底羨ましい。

 交差点を一つ越える。駅前通りでもある通りは、ヘッドライトが列を成している。定められた方向へ連なる光は、やがで各々の道に分かれて行くのだろう。

 車両が起こす風に舞った木の葉が、縁石の脇に溜まっていた。

「秋だな。肉まんが食いたくなる」

「えー、ピザまんでしょ」

 相変わらずこの辺の意見は合わない。去年も一昨年も同じ様な事を思った気がする。

 意見が合わないまま駅前のコンビニーをスルー。そのまま南口を通り抜け改札前と着けば、コンコースはいつも通りの人の多さだ。

 乗る予定の電車まで待ち時間はほとんど無い。今日は待ち時間に水内を付き合せなくて済みそうだ。

「あ、駒木」

 また、と言いかけたところで制され、俺は挙げかけた手を止めた。

「いちおう訊いておきたいんだけどさ」

 詰められる間。手を伸ばせばたやすく引き寄せられそうだ。

 こちらを見上げる目。初めて会った時と変わらない、真っ直ぐな視線。

 一瞬だけその視線が左右に振られ、こちらに戻ると同時に口が開いた。

「N大を選んだ理由は、明日葉さんがいるから?」

 その言葉に怯みは無く、はっきりとした意思をまとっている様に感じた。

 どうやら茶化していい場面では無いらしい。かといって理由を問うのも違う気がする。

「もし、そうだ、と言ったら?」

「そうだったら」

 水内はぐっと唇を結んでから、やはりはっきりと言葉を紡ぐ。

「あたしは、あんたを許せないかもしれない」

 その直後、背中から列車到着を告げるアナウンスが聞こえてきた。


 ああ、やはりそうなのか。


 あのやり直しの日も、この前の夏の日も。


 いや、もしかしたら仮初めのあの日から。


 少しずつ、風が吹いていたのかもしれない。


 それに気付かないふりをしていたのは自分か。それとも向こうか。

 いずれにせよ、当事者がいないこの状況で、俺が出来る事など限られているのだ。

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