conflict
今年も夏の暑さは厳しかった。ゼミのためとはいえ、夏休みに学校に通うのはかなりの労力を必要とした。
それも受験のためだと分かっている。やれる事をやるしかないという事も重々理解している。
それでもやっぱりツライものはツライ。合格の二文字だけで頑張れるほど、まだ意識も覚悟も出来上がっていないのだ。
それでも時間は過ぎていく。なんだかんだと文句を言っているうちに夏休みは終わりを告げ、二学期の幕が上がってしまった。センター試験まで、あと半年を切ってしまっているわけだ。
改めて言われなくても分かってる。ただ現実感が無いだけ。
目に見える範囲に無いものは意識しづらい。それは具体的な物もそうだし、近くにいない人もそう。
それは誰でも同じだと、思っていた。
手を伸ばし目覚まし時計の電子音を止める。スヌーズ機能付きの時計だが、それに何度助けられたか、もはや数えるのも面倒くさい。
上体を起こして軽く伸びをする。カーテン越しの朝日からして、今日も朝から晴れているのだろう。
暑さ寒さは彼岸まで、と言う。週末の連休が明ける頃には涼しくなっているといいけれど。
着替えて朝食というルーティーンをこなし、鏡の前での最終チェック。ピンで留めた前髪もいつも通りだ。
髪を伸ばせば、その分お手入れも準備も大変になる。そしてなにより自分に長い髪は似合わない。みのりは鏡を見るたびにそう思っていた。
もちろん長い髪に憧れが無いとは言わない。明日葉さんの様な髪は憧れでもある。
でも伸ばしたりするのは来年からにしよう。受験が終わるまでは、髪のお手入れの時間すらもったいない状況になるかもしれない。
「よし」
チェックを終え、鞄を手に家を出る。最寄りのバス停までは歩いて十分とかからない。
でも汗はかくんだろうな。気をつけないと。
みのりは軽く空を見上げて歩きながら、そんな事を思っていた。
「おはよー」
教室に入ってクラスメイトと挨拶を交わす。いつも通りのやり取り。
「詩織、おはー」
「おはよう、みのり」
いつもの空気。このクラスもだけど、緑翠に来てからクラスでもめる事もほとんど無く、平穏に過ごせている。中学時代の様にならなくて本当に良かったと思う。
机の中に今日の用意をしまい鞄を机の脇に引っ掛けると、詩織が声をかけてきた。
「みのり。数学の課題ちゃんとやってきた?」
「ちゃんとやったよー。いちいちメッセくれなくても大丈夫だって」
「いや、前科があるでしょうに」
詩織に突っ込まれて、みのりはぐっと言葉を詰まらせる。以前課題を忘れて詩織に泣きついたのは事実なので、それを突かれると反論は出来ない。
いや、だからといっていちいち確認のメッセージを送ってくる必要性があるのか、と問いたいけれど、多分無駄に終わる気がする。
詩織に軽く手を振って席を立つ。授業が始まる前に行っておきたいところもある。
そのまま教室の出口に向かうと、ちょうど入ってくる駒木の姿が見えた。
「駒木、おはー」
「うぃっす」
返ってきたのはなんとも雑な挨拶。でもこれもいつも通りだったりする。
「数学の課題、やってきた?」
「あ? ああ。忘れてないぞ」
どうやらきちんとやってきたらしい。忘れたのなら盛大に突っ込んであげたのに。
「忘れたのか?」
「やってきたわよ!」
こっちもか。そんなに信用無いのだろうか、自分。
とりあえず駒木の二の腕をひっぱたいて廊下へと出る。全く、こちらの気も知らないで。
用を済ませ、廊下の窓を背にポケットからスマホを取り出す。アプリを起動して指先をスライドさせれば、これまでのメッセージが次々と流れていく。
目的のメッセージを見つけ指を止める。それは先月明日葉さんから届いた物だ。
夏休み中に明日葉さんと会う機会があるとは思っていなかった。会ったのはゴールデンウィーク以来だけど、制服から解き放たれた明日葉さんはより大人っぽく見えた。自分なんかとは比ぶべくもない。
「いなければ勝てると思ったけど、甘いか」
もう九月も後半になる。残された時間は長くないし、その後がどうなるかなんて分からない。
だから、このままでいい。そう思っていたはずなのに。
近づく人の気配を感じ、スマホをポケットにしまう。
「いる?」
「ん」
みのりが差し出した手のひらに、三粒のタブレットが転がされた。ちらりと相手の顔を見てから、それを口に放り込む。
「そろそろチャイム鳴るよ」
「分かってるわ」
二人同時に教室へと足を踏み出す。
「詩織、ありがと」
何も言わずにいてくれる友人が、みのりにはただただありがたかった。