皮肉な話
エリスが「生き延びるため」に大人を殺したその夜、リュヒナは無事にキリアと会うことが出来ていた。
宿に戻ったリュヒナは宿に帰っていたキリアにエリスのことを話した。
自分たちがエリスと友達になったこと、ここしばらくの外出はエリスたちと会うためだったこと、ご飯を食べるために予想外な出費があったこと。この二日間にあったことを出来るだけ詳しく簡潔に話した。
ふわふわとした口調は相変わらずだったが。
まぁ、リュヒナがこうしてキリアに話すことにしたのは後々ばれた時に問題にならないように、というわけではなく、純粋にキリアとエリスが仲良くなってほしいと思った結果だった。
この二日、エリスとかなり近距離で触れたリュヒナは、エリスという少女が「誰かを頼る」よいう感覚に欠落している、という印象を受けた。
欠落している、という言葉を使ってしまうと少々異常者という風に聞こえてしまうかもしれないが、リュヒナはむしろ「エリスは異常者だ」という認識を持っている。
リュヒナは「情報処理能力」をコントロールできるようになってから「相手の気持ちの変化」や「相手の考え方」を表面上に出てしまう表情や仕草という情報で推測できることに気付きだした。
もちろん、しようと思わなければ分からないような複雑なものなのだが、エリスという人間に興味を持ったリュヒナはそれを無意識なレベルで行ってしまっていた。
「家族」という言葉に瞳が揺らいだ。そのことに違和感を覚えエリスに親近感に似た興味を持ったように。
唇に手を触れる、目線の動き方、表情と言葉の関係性。そういったものを情報の一つとしてこの二日間保存し続けた。
その推測、演算の結果が「誰かに頼る」という感覚の欠落、に至ったのである。
そう欠落。
その考え方を振り切っているわけではない。
それを選択肢から意識的に外しているわけではない。
完全に「欠落」しているのだ。
まったく以てその考え方が浮かばないのだ。選択肢にすら入らない。というか選択肢以前の問題だ。頼ることが悪だという風な考え方をしていると推測したのだ。
事実間違いではない。
エリスは一年前の大人の壮絶な裏切りから完全に誰かに力を借りるということをしなくなっている。
だが、実際それがどうしてキリアに話すきっかけになるのか。仲良くなってほしいと思うきっかけになるのか。
それは。
「キリアがエリスのお兄ちゃんになってあげてほしいの!」
「断る」
そういうことだ。
「あ、いやいやいや! 私とエリスちゃんとが結婚するわけじゃないよ?」
「分かってるよそんなことは!!」
お互い自分のツインベッドに腰掛けながら対峙しながらキリアが叫んだ。
真剣なのか冗談なのかいつもどおりののほほんとしたリュヒナの顔からではキリアはイマイチ事の重大性が分からないでいた。
やや身体を前にのめり出しながらリュヒナは続ける。
「一週間! いや、三日! いやいや、一日だけでもいいから! ね? ね!?」
「いやだから断るって」
「なんで!?」
「なんでもくそもあるかよ!! 一体なんの意味があるってんだ」
「それはエリスちゃんがこれから幸せになるために!」
「俺にとっては赤の他人だ。いちいち面倒なことをしてやる義理はないだろ」
そもそもリュヒナのように他の「失われた未来」と、ましてや偶然通った町の一人とこうして仲良くなること自体珍しいことだし、それに付き合う必要性もキリアからしてはどうしても掴めずにいた。
エリスという少女がどんな子であったとしてもキリアにとってどうでもいいことだ。
どれほど良い子であろうとどれほど悪い子であろうと、正義だろうと悪だろうと、被害者だろうと加害者だろうと、キリアにとっては心底どうでもいい。
まず、キリア達の目的はこのベルフェリングで「失われた未来」の援助活動をするためではない。
リュヒナの勝手な独り走りであって彼らの目的に沿うところは一寸たりとも無い。
「私のためだと思えばいけるでしょ!」
「お前のためを思うならここでその女の子と関わるな、と言うことになるんだぞ」
「なんでなの? なんでキリアはいつもそうやって他の子たちと関わろうとしないの?」
「意味がないからだよ」
必死に話すリュヒナとは対照的にキリアはリュヒナの方を見ずに窓の外に見える街並みと取り囲む外壁を眺めながら答える。
表情が見えず、キリアが何を考えているか推測できないリュヒナは、頬を膨らませながら話す。
「でもこうして出会えるのも運命とか、そういうのかもしれないじゃん!」
「そう思うならそうしたらいいさ。だけど俺を巻き込むな。お前にとっては運命でも、俺にとっては運命でもなんでもない。ただそこですれ違った奴の一人だ」
「そんなのわかんないじゃん!」
「そうだ。運命なのかそうなのかわからない。だから意味がないんだよ。そんなあやふやなものに時間を使う気はない」
「キリアの分からず屋っ」
「なんとでも言え。頭が固いのはお前の方だ」
キリアは大きなため息をつくと、エリスの話を始めてからずっとリュヒナの方を向かなかった顔をリュヒナに向けた。
そこで目を真っ赤にしてこっちを睨むリュヒナに気づく。その目は真っ赤だが紅くはない。能力を使ってるのではなく、泣きそうなのを堪えているのだろう。
その様子を淡々と見つめキリアは言った。
「俺たちは、クレアを探して旅をしてるんだ」
「……わかってる」
「あいつが攫われてからもう何年経ったか。それだけ俺らは旅を続けて少しでも情報を集めてきた」
「…………」
「あいつの足取りが掴めるかもしれないところまで来ているんだ。他のことにそうもたついてはいられない」
睨んできていた目線を下にしたリュヒナの頭にキリアはその手を置いた。
「やるべきことを忘れるなよ」
「……わかってる」
「俺のやるべきことはその女の子を救うことじゃない。今は少しでもギルドで資金を稼いで、「旧ミリステリアル帝国城下」の情報を集めなくちゃならない。お前も魔道具のことを調べに来たんならそれをしろ」
「…………」
キリアがリュヒナに説教なんていつものことだが、こういった方向性の問題に対する説教はあまりないな、そんなことをキリアは思いながらリュヒナの頭をなでる。
それを払うこと無くリュヒナは撫でられ続ける。
「それが一段落ついたのなら、お前のできる範囲でお前が危険に及ばない範囲でその子を助けろ」
「…………」
「運命だって言うなら、自分でなんとかしてみろ」
「……うん」
「話は以上だ」
キリアがリュヒナの行動を止めないのはリュヒナはそれなりにしっかり考えて、それなりの覚悟を持って動いていることを知っているからだ。
「失われた未来」である自分たちには守ってくれる「大人」は少ない。自分たちで判断して自分たちで生きていかなければらない。
十四という歳であろうとそれより幼かろうと、それはしなければならないことだ。
リュヒナの判断がそれだというのならキリアは黙認する。認める。
それが「失われた未来」のやり方で生き方で。
エリスが「誘導声」を使って行ってきた行動のように。
リュヒナも行動している。
「失われた未来」には、そうすることが正しいと、自分自身を信じる以外、生きていくことなんてできないのだから。
「もし、私が今後エリスちゃんと関わってて……」
「ん?」
「その時、私が助けてって叫んだら、キリアは来てくれる?」
「なんだそれ」
「私の勝手に決めた結論で招いた事件に、キリアは助けに来てくれる? 私を守ろうとしてくれる?」
「なに馬鹿なこと言ってんだ」
リュヒナの沈んだ言葉にさも当たり前かのようにキリアは吐き捨てると立ち上がって、リュヒナに背を向けた。洗面所にでも向かうのだろう。
その背中を見上げて、リュヒナはさらに気分が落ちる。
その言葉の続きがあると思わなかったからだ。
「家族は守るに決まってるだろ」
洗面所に消えるキリアのその一言を聞き、リュヒナは目をぱちくりさせて、いなくなったキリアのベッドを見つめる。
這うように四つん這いの体勢で自分のベッドから隣のキリアのベッドに移る。そのシーツにまだ残っているキリアの体温をその手のひらと足全体で感じながらリュヒナはふぅと息を吐いた。
覚悟は、決まった。
「私が、エリスちゃんのこと救う……!」
そのリュヒナの小さな声での大きな決意をした夜、エリスはもうすでに救われないレベルで「生きのびること」に執着してしまうことになった。
なんとも、皮肉な話だ。
翌日の朝。
リュヒナが決意を改め、エリスが大人を殺めた次の朝、キリアはリュヒナが目覚めるより早く宿を出た。
向かう先は決まっている。昨日からずっと通いきりなっているギルドだ。
ギルドとは、簡単にいうならば「なんでも請負団体」である。
やって欲しい、請け負ってほしい依頼を一般、国がギルドに申請し、ギルドがそれを依頼金や内容を検討したのち、受託。
ギルドは受託後、規則に則り内容のランク分けを行い、一定期間その請負依頼をギルドに入会している「請負団員」通称「ギルダー」であるメンバーに公開し、その依頼を受けるか否かを個人の物差しで判断させる。
受けてそれを完了させた場合のみ、ギルドは請負の際に発生した依頼金の4割を受諾した請負団員に給付するシステムになっている。
キリアとリュヒナはそのギルドの請負団員の一人だ。たとえそれが「失われた未来」であっても依頼をしっかりとこなしてくれるのならばギルドにとって良い事この上ない。
「失われた未来」のキリアたちが長い旅路をしてこれたのはこのギルドのおかげと言っても過言ではないだろう。
「……なんだ……今日はやけに騒がしいな」
早朝の大通り。
まだ店が開店していない時間帯にも拘らず、警備兵とよくすれ違う。
それも常に二人組みの警備兵とだ。
なにか事件でもあったのかもしれない。そうでなければこの警備兵の数と布陣の説明が付かない。
とはいえ、その事件についてはキリアにとってどうでもいいことだ。
このベルフェリングで何かしらの事件が起こっていたとしても、自分たちに関らない問題ならいちいち首を突っ込むような真似はしない。
何人もの警備兵とすれ違いながら、キリアは昨日も見た約九〇坪ほどの大きな建物に足を踏み入れた。ギルドである。
回転扉をくぐると、豪壮なエントランスが広がっていた。赤い絨毯が敷き詰められたエントランスを歩き、奥にある総合受付にいる受付嬢に声をかけた。
「新着の依頼は来てるか?」
「あ、キリア様ですね。まだ仕事見つからないのですか?」
受付嬢はキリアの顔を見ると、ウェーブのかかった金髪を掻き分けながらにっこり微笑んだ。
キリアはむっと口を尖らせ、言う。
「人を浮浪者みたいに言うんじゃねぇよ。これはこれで立派な仕事だろ」
「ええ。キリア様ほどの貢献者様なら説得力がありますね」
「あんたほんと良い性格してるよ」
ふふふ、と笑う受付嬢にキリアは小さくため息をついた。
と、言っても二人が昔から懇意の仲である。なんてことはない。
出会ったのは昨日だし、ギルドで仕事を探しにきたキリアの対応をした人間であっただけでそれ以上でもそれ以下でもない。
ただ、その独特の話し口調に良い感じに持って行かれてしまっただけだ。
「失われた未来」に抵抗なく話しかける大人の希少性。
それをもった女性だった。
「それで新着きてるのかよ」
「はい。つい今朝、緊急依頼としてDランク指定の依頼が入りました」
「Dランク? これまた珍しいな。なんか事件かよ」
「はい。そこそこの大事件のようです」
そう言うと受付嬢はカウンターの魔導コンピューターの端末をいじり、一枚の紙を印刷した。
コンピューターのネットワークが死んでしまっているこの世界での唯一の通信手段は魔導具で前回に話した「近くのものと通信する端末」しかない。
それの現在最大の通信機器、それが今受付嬢のいじったコンピューター端末。
従来のデスクトップパソコンに近い形状だが、キーボード部分だけが透明で、タッチ形式になっている。
現状の世界では少数しか扱っているところがなく、普及する以前に作り上げること自体が困難なのだ。
さておき、受付嬢が印刷した一枚の紙をキリアは受け取るとその中身を確認する。
報酬金、条件、そして依頼内容。その中身を理解しながら読み進めていると、受付嬢がキリアに話しかける。
「今回は警備兵の方々も動いているようです」
「共同なのか?」
警備兵とギルダーは全く別の団体だ。
警備兵は「魔導院」と呼ばれる魔導の使用や法律を司る世界の魔導法人機関の一つなのだけれど、それはつまり失われる前の世界の魔導戦争先進国、ということでもあるのだ。
要するに、世界を失わせた原因の一部。
その魔導院に守られている、なんてなんとも皮肉な話だ。
それに比べ、ギルダーは完全な一企業のようなものである。
請負団体であるギルダーのおかげで今の世界が回っているとも言えた。
大人の中でも特殊な訓練を受け、それなりの武器を持った人間なら魔獣とやり合うこともできるため、都市間の物流などの護衛は世界の必須要項になっている。
そしてなにより「失われた未来」への認識が違う。
魔導と魔獣は、完全な対立なんだから。
「子供」と「大人」はもう、対立なのだから。
「魔導院を通して、というわけではありません。事件が事件ですから地方自治として動いているのと、依頼人様がギルドに依頼なされた結果、同じ事件について動いている、となっているわけですから、共同とは違いますね」
「ふーん。まぁ、とりあえず受諾するよ」
「かしこまりました。健闘を祈ります」
「おう。いい結果待っててくれ」
「ふふふ。待ってますよ」
にっこり笑う受付嬢に手を振り、エントランスを出ようと出口に向かう。
その途中にふと、キリアは思い出して受付嬢に振り返った。
「この、依頼人の住所聞いてもいいのか!!」
エントランスの真ん中から大声で聞いてくるキリアに受付嬢はびっくりして目を見開いたが、すぐに笑い始めた。
「ええ! 許可はもらってますよ!!」
その声も朝早く係員以外キリアしかいないエントランスに響いた。
【依頼内容】
難易度認定D指定
募集人数 十人
報酬金 最大銀貨五十枚(提供される情報により異なる)
依頼概要 大人三人の捜索願
詳細
昨日から出かけた三人の大人の男性が帰らぬまま朝を迎えた。
「失われた未来」により度重なる被害を受けていた被害者三人は「失われた未来」の居所を掴んだことで、その「失われた未来」を捕えに行ったきり帰らないという。
通常なら被害届として受理されないような失踪期間ではあるが「失われた未来」の関連性から警備兵も行動を開始しています。
依頼は「被害者三人の保護」または「回収」
もし今回の件に「失われた未来」が関わっていたとしても「失われた未来」により被害は責任を負いかねます。
「失われた未来」に対する対処は個々人の責任の元行ってください。
――以上
こうしてキリアは被害者三人の捜索に加わることになった。
その被害者三人はもうすでに帰らぬ人となり、ましてその三人を殺めたのがつい先日にリュヒナから聞いたエリスによるものだということをキリアはまだ考えなかった。
ちょうどキリアが依頼を受けた時、リュヒナが目を覚まして、エリスに会いに行こうとしていたわけだけれど。
なにはともあれ、つまりは、
キリアとリュヒナは加害者と被害者、それぞれ別々の存在に加担することになったのだった。
本当になんとも――
――皮肉な話である。