日常の幸せさ
ってまた一日遅れだし。
ごめんなさいぃぃぃ。
エリスは独り。ずっと独りだった。
どうやって生きてきたか、なんて、そんなのはっきりと思い出せないのも事実だ。
ただ必死に生きる。小さな少女にはそれだけで頭がいっぱいだった。自分の能力が何なのか分からず、暴走化という現象に苦しみながらも、こうして生きてこれたことはエリスにとって幸せだった。
幸せ、という概念が薄いエリスにとって幸せというのがどの基準だったのか、それはただひとつ。
――生きること。
生き続けれること、それがエリスにとっては幸せだった。こんな世界に生まれて、誰が親かも分からず、誰も助けてくれない真っ暗な世界でも、生きることを幸せに思う。
人間として当たり前となった「生きること」を純粋に誰よりも願い、望み続けてきたのはほかならぬエリスだった。
迫害され、差別され、冷たい地べたで眠る日々の中でも。
大雪が積もる路地の奥でも、嵐のような雨の中でも。
ただひたすらに生きる事を望み、自分をひたすら守ってきた。
二桁にも満たない少女が自分で自分を守る。その難しさは語るにも伝わることだろう。
いつの間にか自分の能力に気づき、扱えるようになってからエリスの生活は一変した。
「誘導声」の汎用性は高かった。自衛だけでなく相手の意思のコントロールができるというのは自分の生活を安定させるのに大いに役立った。
精神に直接語りかけ、命令を実行させる能力。だが、あくまでこれは精神に訴えかけるものだ。脳に訴えかける「絶対女王宣言」に比べると大きく劣ることになる。
精神の状態は、そのまま実行に移る、ということはないのだ。
精神の状態の変化によって脳が判断し、そこから行動に移るのだ。「反射」という人間の行動もあるが、基本的に人間は脳の指令で動くものだ。脳からの命令は「絶対」だが、精神の命令はあくまで脳に対して訴えかける命令であって「絶対ではない」。
それ故、「誘導声」。
つまり脳が完全に拒否するような命令は出来ない。
端的に「死ね」と言った所で人間の脳は死ぬという本能的に許せない行為にYESを返すことはありえない。
「動くな」という言葉自体も「動物」という概念のひとつである人間に対しての命令としてはかなり危ういレベルといえる。動物にとって動かないことは死ぬに次ぐ苦痛に違いないからだ。それでもそれを実行させることができる辺りエリスの能力のセンスと魔気の扱いに長けるところが見られる。
ともあれ。
「誘導声」のおかげでいいことばかりだったわけではないが、この能力のおかげでエリスは今の今までこうして生きて来れたともいえる。
人を操るこの能力でたくさんの人を利用してきた。そのうちの一人がリュヒナだ。
乾パンをもらう際に「来て」と「ちょうだい」に能力を込めた事で「何の抵抗もなく」リュヒナはエリスに乾パンを渡すことになったわけだけど。
それを聞いてもリュヒナはいつもの調子で
「あ、そうなんだ。なるほどねぇ、便利な能力でうらやましいなぁ」
なんて返してくるものだから謝るつもりだったエリスからしたら調子が狂うことこの上ない。
だが、そのうまく思い通りにならない相手というのも、すごく新鮮だったのも変わりない。
「あんたって怒るっていうの知らないの?」
「え? 知ってるよ? 当たり前じゃーん」
エリスのあきれに近い言葉にリュヒナはむぅと頬を膨らませて答える。馬鹿にされたと思ったのだろう。
エリスは馬鹿にしたわけではないのだけれど。
さっきまで薄暗かった部屋は天井からつるされたランプに火が灯されたことによって多少はマシになった。どうやらエリスがいないときは身を隠しておくように子供たちに言っていて明かりを消していたらしい。
「怒るってあれでしょ……ぷんぷんすることでしょ」
「……わかったわ。あんたは馬鹿なのよ」
「馬鹿じゃないよ!!」
二人は今、吹き抜けの平屋の玄関に近い壁にもたれながら並んで話していた。
子供たちが部屋の真ん中で遊んでいる様子を見ながら誰かと話す、なんていうのは考えてみれば初めてか……とエリスは思う。
あの子達を守るのは私。そう決めてから誰とも手を取り合ってなんて来なかった。大人だけでなく他の「失われた未来」とも。
こうして隣に座って自分に近い歳の少女と話すことになるなんて昨日のエリスには想像も出来ないことだった。
「もう、エリスちゃんまでキリアと同じ事言うんだから」
「複数の人に言われてる時点でもう察しなさいよ」
「だって実際違うんだもん!」
「馬鹿は自分のこと馬鹿だって気づかないから馬鹿って言われるのよ」
「……あー、私自分のこと馬鹿って分かってきたかもなー、これで私は馬鹿じゃないね!」
「自覚してるのね、おめでとう」
「私はどうしたらいいの!?」
なんだかんだで仲良く会話が続いていた。
「キリアって、前駆けつけたいけ好かない男のこと?」
「うんそうそう。そのいけ好かない男」
まったく自分の知らないところでいけ好かない男と呼ばれるキリアの心情は考えるだけでもかわいそうなものだ。いや、知らないのだから可哀想な心情にもならないだろうけど。
「あの男も「失われた未来」でしょ?」
「そだよー。私たちのお兄ちゃんなの」
「兄妹なの? っていうか私たち?」
「うん。血は繋がってないけどね……それと私にはもう一人お姉ちゃんがいるから。あ、もちろん血は繋がってないよ?」
「じゃあ三人でベルフェリングに来たの?」
「あー、それも違うんだよねぇ」
言いにくそうに「えへへ」と笑うリュヒナの顔を見て、話題を変える。
「てっきり、あの男あんたの彼氏かなんかだと思ってたわ」
「えー、ないないー。キリアといちゃいちゃとか想像できないよー」
「思いっきりしてたじゃないあんた……」
待ってた!! といって思いっきりキリアに抱きついていたリュヒナの姿は今でもエリスは鮮明に思い出せた。
家族としてのスキンシップにも見えなくもないが、他人から見てみれば恋焦がれた彼氏がやってきた時の少女の様だった。
そのときの二人の様子に苛立ったことも覚えている。
「エリスちゃんは好きな人とかいないのー?」
「いるわけないじゃないそんなの」
若い少女が話すこととなると自然とこういう恋愛関係の話なるのは当たり前のことなのかもしれないが、エリスの反応はリュヒナの思っているものより素っ気無いものだった。
仕方のない話だ。
エリスにとって男というのは忘れたい記憶の一部でもあるのだから。
「エリスちゃん可愛いのにもったいないよねぇ」
「なんでそうなるのよ」
「いや、可愛いよ? 自信持ったほうがいいよ!」
「可愛くても良いことなんてないわよ」
「ブサイクよりは良いと思うけどなぁ」
ちらっとエリスはリュヒナを盗み見るように目線だけを向ける。リュヒナはいつもと変わらぬ優しい笑顔で五人の子供たちが戯れているのを見ている。
私には到底無理な笑顔だ……。
あの子達にあんな笑顔は向けれない。自分の存在価値が蔑まれているように感じる。
「でもエリスちゃんは優しいね」
「……何急に」
エリスのほうを見ずに淡々と告げるようにリュヒナ言う。
「だってずぅーとあの子達のことで自分の事責めてるから」
「……!?」
責めていたわけじゃない。エリス自身自分を責めようとしていたわけじゃない。
ただ、あの子達は私にそんな優しい笑顔を求めてるんじゃないか、そんなことをエリスは考えてしまっただけだ。
リュヒナのその言葉なんて気にする必要なんてない。そもそも間違った指摘なのだから。
だけれど、エリスは、エリスの心は。
「何が分かるって言うのよ」
「え?」
「あの子達を守り続けることの何があんたに分かるのよ」
今にも叫んで掴みかかりそうだった。
子供たちがそばにいなければエリスは我慢できずリュヒナに掴みかかっていたことだろう。
かみ殺すように怒りを抑えて、小さく声に乗せる。
その言葉をリュヒナは俯くエリスをしっかり見据えて聞く。
「自分を責めてる? そんなわけないじゃない。私はただずっと戦い続けてきただけ。生き抜くためにそうしてきただけ。なんで自分を責める必要があるのよ」
「……じゃあなんでそんなに辛そうなの?」
「……は?」
「あの子達と一緒に笑わないの?」
そう言われて二人の険悪な雰囲気とはまるで別空間のようにはしゃぎ回ってる子供たちに視線を向ける。
一緒に笑う? どうして? 私はあの子達を守る存在なのよ? なんでどうして一緒にリラックスなんてするのよ。
くるくる回る疑問に頭がこんがらがるエリスにリュヒナ優しく笑った。
「家族って言うのは……幸せを一緒に噛み締めるものだよ?」
「家族……」
「家族って言うのは……一緒にいたいって思える人たちのことだよ」
「……」
「私たちは親を知らない。といっても私は記憶にあるんだけどね……でもやっぱりいい思い出じゃないし……そんな私にも、家族が出来た。家族なんだよ? ……一緒に笑えないともったいないよ。……エリスちゃんにも家族が出来たんでしょ? それがあの子達なんでしょ? なら、一緒に笑わないと」
「……」
「確かに頑張らないといけない立場だとは思うけど……それでも、一緒に笑ってちゃ駄目なんてそんな理不尽なことないよ。というかむしろ一緒に笑わないと駄目だよ」
座った体勢をやや崩して自分の方に近づいてくるリュヒナにエリスはどうしたらいいか分からずリュヒナを見つめ返す。
優しく、暖かい言葉の中にある強い何か。それがなんなのかエリスには理解できないけれど少なくとも「それがエリス自身に足りていないもの」であることは明白だった。
近づいてきたリュヒナが動かないエリスの頭に手を置く。自分と歳の変わらない少女に撫でられたところで何も感じないはずのエリスが、ぐっと何かを我慢するように唇を噛んだ。
エリスには初めての感覚だった。
「自分が頑張って守ったものと笑える。それ以上の幸せなんてないでしょ?」
リュヒナのその言葉にエリスは俯いて黙り込んだ。視線は腐りかけている木材の床だけれど、その視線はぼやけて、喉の奥からは今にも嗚咽が出てきそうだった。
リュヒナは震えているエリスの肩をもう片方の手で触り、ぎゅっと抱き寄せた。
そのエリスの体つきはリュヒナと近い歳であるとは思えないほど華奢で衰退していた。
今までの苦労と辛さが、その身体に詰まっているようでリュヒナもその身体を抱きしめながら目に涙をためた。
「エリス? どうしたの?」
そんな二人に気づいたカズヤが五人で遊んでいた輪から飛び出してエリスとリュヒナに駆け寄ってきた。その声に顔を上げたのはリュヒナだけでエリスは肩を震わせながらリュヒナの腕の中で嗚咽をこらえた。
自分のそんな姿をカズヤたちに見せたくなかった。
「え? 泣いてるの?」
リュヒナの泣いてる顔を見て、びっくりしたカズヤはあわあわと慌てだして、リュヒナの腕の中にいるエリスも同じなんだろうとすぐ察したのだろう。
慌てて何をしていいか分からないカズヤは、いつも自分が泣いてるときにエリスがあることをしてくれていたことを思い出した。
ゆっくりとカズヤはリュヒナに抱きしめられているエリスの銀髪の頭に手を置いた。
エリスもその手がリュヒナの手でないことにすぐに気が付いた。また涙とは別の意味で小さな肩が震える。
戸惑いながらエリスの頭に置いた手をカズヤは動かし、
「えっと……エリス、大丈夫だよ」
撫でながらいつも自分に言ってくれたその言葉を真似する。
「僕がそばにいるから……大丈夫だよ」
「……ぅ……」
嗚咽が我慢できなくなり声に出る。エリスの手がリュヒナの胸の辺りの服を弱弱しく掴む。
「いつも……ありがとう」
「うぅ…うぇぇうう……」
きっと今までずっと気を張り続け、戦い続けてきた少女の身体をリュヒナは強く抱いた。
自分のしてきたことが、守ってきたものが、自分を今度は支ようとしてくれてる。
エリスの中で「家族」というものが音を立てて組み上げられていく。
今まで曖昧で「寝食を共にする」という行動が家族なのだろう、というものでしか判断できていなかった「家族」というものが。
こんなにも暖かいなんて――。
三人に気づいたほかの子供たちが「お姉ちゃん、エリス」と心配そうにかける声を聞いて、エリスはやっと実感できた。
今まで実感できていると思っていたものが、今やっと本当の意味で実感できたんだ。
私は――生きている。
今回は1500文字ほど少ないっす。もう少し雑談交えればよかったかもしれないっすね!
女の子の二人の会話って楽しい!!