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入学式開始直前 (長月 千春)

 旧校舎一階一年三組。通称『オカルト部部室』。


「ありがとね。千春」


 部長さんがそう言って、私に微笑みかけてくれました。まさに恐悦至極(きょうえつしごく)。身にあまるほどの光栄です。

 私はうやうやしく頭を下げてから微笑み返しました。


「大したことはしていませんよ」


 その言葉に嘘はありません。

 私はただ、深夜の職員室に入ってパソコンから新入生のデータを印刷しただけです。機器の使い方やパスワードはあらかじめ、職員室にいる先生方をお手本にしただけですし本当に大したことないですよ。しいていうならば、私の影の薄さが役に立ったということですかね。先生は私が真後ろに立っていても、黙々と作業をしていましたから。


 私はほとんどの人の目には見えない特殊な体質でして――と、おや?

 なにやら廊下の方からすさまじい邪気が近付いてきます。荒々しく床を踏み鳴らしながらまっすぐに部室に向かっきていますね。何事でしょうか。

 木製のやや重たげな引き戸の前にその人物は立ちました。わずかに間をあけて、その禍々しい気が勢いよく扉をあけました。


「ミズナぁああ!!」


 やってきたのはこのオカルト部の部員である文月佐助さんです。こんな朝早くからここにやってくるのは珍しいですね。肩で息をしながら鬼のような形相(ぎょうそう)をしております。


「おはよー。フーミン」

「おはようございます。フーミンさん」


 部長さんと私で朝の挨拶をしましたがギロッと睨み返されました。よほどの事があったのかもしれません。私の事はフーミンさんには見えないので無視されても仕方ないのですけれど。


「納得のいく説明をしてもらおうか」


 弾んだ呼吸を整えつつ、フーミンさんが部長さんの前に立ちます。般若面のモデルになれそうなほど怖い顔ですね。般若さんは女性ですけれども。

 などと緊張感に欠けることを悠然と考えていられるのは、隣で優雅にお茶を(すす)っている部長さんがいるおかげです。とても肝が()わっているのでしょう。見習いたいですね。


「なんのことかしら?」


 いたって通常通りに訊き返します。さすがというべきでしょう。普通、これほど相手が怒っているならば心当たりがなくとも後ろめたさを感じて平謝りするでしょうが、部長さんは怯えるばかりかむしろ堂々としております。

 そんな態度はフーミンさんの怒りに油どころか10号玉の大きな花火をいれたようなものでした。


「とぼけるんじゃねぇよ! どうなってんだ、あのクラス割!」

「あぁ、そのことね」


 部長さんはポンッと手を打って、ちらりと私に視線を飛ばします。私はとても心当たりがあるので冷や汗がでてきました。春から冬に逆戻りしたような寒々しい恐怖が膝のあたりからよじのぼり、鳥肌を立たせていきます。

 それでも部長さんは全く動じておりません。紅茶に生姜(しょうが)でも入っているのでしょうか。この恐怖の冷気すら弾き返しているように見えます。


「フーミンが勧誘しやすいように、むっちゃんと同じクラスにしてもらったわ。A組だったでしょ?」


 そうなんです。私がフーミンさんとむっちゃんさんを同じクラスになるように細工をしました。双子の姉妹、ユウちゃんレイちゃんを同じクラスにする細工のついでだったので、ミスをしたのかもしれません。だからフーミンさんはこんなにも怒っているのです。


「A組はA組でも俺は2年になるはずだろ!? なんで留年してんだ!」


 ……あら? 私が思っていた原因とは少し違ったようですね。ひょっとして部長さん、フーミンさんが1年生になるのを伝えていなかったのでしょうか。


「あれ言ってなかったけ?」

「なにをだ!」

「ほら、昨日の夕方、駅前でUFOと超売れっ子アイドルを同時に見たって話し」

「何の話しだよ!」

「フーミンの好きなアイドルの……なんて言ったっけ、姫華?」

「ちょ、マジで気になるけどその話しは後だ!」

「えー。しょうがないなー」


 部長さんは紅茶を飲み干すと、フーミンさんを正面から見つめます。


「あー。えーっと。そのー……。早い話しがー」

「早くねぇよ! さっさと話せ!」


 その時、一瞬だけ部長さんが困ったように笑いました。本当に一瞬で、見間違いだったのかもしれません。すぐにいつもと変わらぬ陽だまりのような笑みになっていました。


「名目上は出席日数不足での留年よ。長期休み中の補習や、各教科の成績次第で2年に戻れるチャンスは充分あるわ」

「名目上、か」


 いつの間にかフーミンさんの怒気が霧散しています。何か考え込むように黙った後、絞り出すように言葉を発しました。


「それは、あのことに関わっているのか」

「……………………」


 沈黙は肯定の証です。部長さんの笑みもいつの間にか作りものめいた不自然なものになっていました。部室の中が急に暗くなったような錯覚まで引き起こします。

 私はただ、じっと(うつむ)くことしかできませんでした。


「――分かったよ、ミズナ」


 フーミンさんがため息を一つつきます。その一言が出てくるまでのわずかな間が、悠久の時のように長く思えました。部室の窓から雲に隠れていた太陽の日差しが差し込んできます。

 フーミンさんは部室内にある椅子を四脚並べると、その上に寝転がりました。腕で顔を隠すように覆います。


「入学式だけは意地でも出ないからな」

「それくらいならいいんじゃないかしら。式後のHR(ホームルーム)には出席してね」

「了解」


 フーミンさんが見ていないのをいいことに、部長さんが手を振ってきました。すっかりいつもの部長さんスマイルです。でも普通の人には私のことが見えませんので、(はた)から見れば部長さんが何もない空間に向かって手を振っている危ない人に見えます。人の目をさほど気にしない部長さんですから堂々としてますね。本当にそんな部長さんが羨ましいです。

 私が手を振り返すと、部長さんは「またねー」と言い残して去って行きました。フーミンさんは返事をしません。ですから、私に向かって言ってくれたのだと自惚れることにしましょう。ちょっぴり図々しいですかね?


 えーっと閑話休題です。


 私の体質についての話し途中でした。まあ体質と呼ぶには少々語弊がありますね。ごめんなさい。


 私、長月千春。オカルト部の()()部員です。

 ふふふ。驚きましたか? 空も飛べるし、壁もすり抜けられるし、人魂(ひとだま)だって出せるし、頑張れば物だって持ち上げられちゃうんですよ。この能力があればどんな場所でもお掃除できちゃうんです。便利ですよね。

 この埃をかぶった机も私の力をもってすればぴっかぴかになりますよ。机の上をなでるだけで埃が集まります。もともと物に触れない状態が通常なので、力を抜けば手に埃も付きませんし、傷つくこともありません。暗い天井裏だって簡単に手が届くし、人魂で明るく照らすこともできちゃいます。頑固な汚れも一度下から手をいれて、持ち上げることで簡単に取れますよ。

 調子がいい時は重い物も持ち上げることもできます。机を同時に2脚もちあげることだって――。


「ヘクシュン!」


 突然背後からくしゃみの音がしました。そういえばフーミンさんがいることを忘れていましたね。寿命が縮まるくらい驚きました。生きてはいませんけれど。部員の皆さんがいない昼間に掃除をする習慣があるので、つい掃除を始めてしまいました。


 私の姿はフーミンさんには見えませんが、物音や埃をたてるのはよくないですね。とくに幽霊が物音をたてるのを『ポルターガイスト現象』というらしく、意味は『騒々しい幽霊』だそうです。騒々しいと言われることは私のプライドが許しませんので掃除はHR(ホームルーム)の時間にしましょう。


 うーん。そうなるとまだ時間がありますね。

 部長さんが残していったティーカップを水道付近に移動させ、フーミンさんの隣に座ります。

 小さな寝息をたてるフーミンさん。こんなに近くにいるのにやっぱり私には気付かないようです。霊感がある部長さんやユウちゃんレイちゃんではないと、私の姿はおろか声を聞くことも叶いません。弥生さんも同じです。みなさんが楽しくお話しをしているときも私はそっと聞き耳をたてることしかできません。ただ、見守るだけ……。


 たしかに寂しいことですが、嘆くことはしまんよ。毎朝、部長さんが会いに来てくれますし、ユウちゃんレイちゃんもたくさん遊んでくれますから。しかもここはオカルト部。いずれ交霊術なんかも身に付いたりしちゃうんじゃないでしょうか。オカルト部のみなさんならば、それくらいの不可能を可能にすることぐらい容易(たやす)いでしょう。


 私はそっとフーミンさんに(ささや)きます。


「いつか、私とお話をすることができるようになったら、その強い眼差しを私に向けてください。痛いほど真っ直ぐで正面から現実を見据えるその瞳こそ、私にはない素敵なものですから……」


 もちろん返事はありません。それでも私は満足です。


「よいしょっと」


 歳をとると、立ち上がる時につい掛け声がでてしまいますね。どっこいしょまで言うようになったらさすがに何か対策を練ることにします。

 さてと、私と同じように暇を持て余しているであろうあの子たちに会いに行きましょう。



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