不思議のファイル
旧校舎一階一年三組。通称『オカルト部部室』。
「今日もいい部活日和だわー。オカルトチックだわー」
上機嫌の部長がとびっきりの笑顔をこちらに向ける。私は適当な相槌と愛想笑いで誤魔化し、ちらりと文月の顔色をうかがった。
「…………」
文月の背後に燻ぶるどす黒い炎が見える。普段から悪い目つきは一層険しく、破壊光線でもでてきそうな勢いだ。いつ暴発するかも分からない状況で部長は和やかに、弥生先輩はもくもくと作業を続けている。その神経に脱帽するほかない。
この状況を説明するには少し時間を遡る必要がある。
昨日、謎のシュークリームパワーを発揮したユウとレイが、紛失した学園四十七不思議ファイルを部長に届けた、ようだ。この辺りは居合わせていた弥生先輩からの情報なので信用してもらって構わない。
そして部長はシュークリームをせがむ二人に、30秒で書いたシュークリーム引換券を渡しその場をおさめることに成功した。
しかし返ってきたファイルは薄汚れており、また私達の勉強も兼ねてということで新しいファイルに書きうつす作業が現在行われているのだ。
ということで各自割り振られた不思議をルーズリーフに書き写しているのだが。
「こんなの不思議でもなんでもないだろ!!」
文月が怒号をあげる。ちなみにこれが本日三回目。まぁ、その気持ちもわからなくはない。
このファイルにまとめられている不思議の数は約50。それを順番に分担しているのだが、明らかな人選ミスが起きていた。
ナンバー1から10までが私。11から20までが弥生先輩。21から30までが部長。31から最後までが文月という分担だったのだ。
文月は自分の分担が多い事には一切文句を言わなかった。部長に任せるより、自分でやったほうがマシという賢明な判断をしたのだろう。だが、まったく別の問題があったのだ。
このファイルにまとめられた不思議は、オカルト部創部者である超オカルト人間が調べた本格的な前半部と、現在オカルト部部長にして超フリーダム人間である部長が調べたくだらない後半部に分かれているのだ。そして文月が担当しているのは現在の部長が調べたどうしようもないほどくだらないものだったりするわけで……。
「こんな不思議を不思議とは呼ばねぇ。消す」
文月がキレまくるわけです。はい、以上回想おしまい。
怒りに燃える文月が紙を破こうとするのを、部長が止める。
「消しちゃだめよ。それ面白いんだから。」
「面白さを求めるな! なんなんだこの『歴代教頭先生の3分の1がカツラなのは何故か』ってやつ! どこからの情報だよ!」
「いいじゃないの。先生のカツラっていう定番ネタ」
「ネタにするな!」
作業が進まない。文月がうるさい。せっかくこっちは興味深い不思議が盛りだくさんだというのに全然集中できないじゃないか。
例えばこの四番目の不思議。旧校舎であるここに出没するという幽霊についてのまとめだ。いつ頃から目撃されるようになったのか、主な目撃情報の内容など地道に聞き込みを続けたであろう結果、とても詳しい内容となっている。しかもなんか可愛い似顔絵つきだし。
少女の幽霊。名前は「長月 千春」で、この学園の旧制服に身を包んでいる。ふんわりと宙にただよう長い髪を左右の小さなリボンで留めていた。青白い人魂と共に現れる事が多く、すすり泣く声を聞いたという人もいるらしい。
どうやってここまで調べたのだろう? 創部者は霊能力者と呼ばれる類の人間だったのだろうか。
手を休めて思考を巡らす。
本当に創部者はどんな人だったのだろう。なんの前触れもなく現れた存在のせいか、私の好奇心を刺激している。きっと私とは生きている世界が違う、とんでもなくすごい人なんだろうなぁ。
少なくとも……。
「フーミン、いちいち文句を言わない! これ部長命令よ!」
絶対この人よりマシだと思う。うん。絶対。
文月がため息をつきながら順番に目を通していく。どんなにくだらないものだろうととりあえず目を通すあたり、文月の真面目な性格が出ている。
そんな文月をなんとなく見ていたら、ぴくりとこめかみが動く瞬間まで見てしまった。また何か変なモノがあったらしい。
「37番目も消すぞ!」
「えぇ! 駄目よ! 私の実体験から生まれた不思議なのに!」
ちょっと気になったので、文月の手元の紙を読んでみた。
えーっとタイトルは『寮に出没する妖怪、テレビのリモコン隠し』。
この時点で読む気が失せるが文月を見習い、最後まできちんと目を通す。
要約するとこうだ。
寮に帰ってすぐにテレビをつける。それから部屋着に着替えたり、鞄を片づけたりする。そしてテレビのチャンネルを変えようとすると、リモコンがどこかへ行ってしまうらしい。しかも何処へ置いたのかという記憶もなくなってしまうとのこと。
うん。一言で言うなら、
「お前がアホなだけだろ!」
ありがとう文月。後輩の私では部長に向かってそんなことは言えないので本当に助かった。
まぁ、私の家でもたまに出没するけどね。妖怪リモコン隠し。
「ひっどーい! ユウとレイの部屋にも出没するって話しなのよ! 絶対いるわ!」
「そんなくだらねぇ妖怪いるわけないだろ!」
「リモコン隠しでくだらなかったら、枕返しや畳叩きはどうなるのよ!」
「知るか!」
枕返しって、なんとなく聞いたことはあるけどどんな妖怪なんだろう?
スマホで検索してみるとあっさりヒットした。
『妖怪枕返し:夜中、眠っている人の枕をひっくり返す。ときどき頭と足の向きを変える』。
やや呆れつつ顔をあげると、弥生先輩もスマホを取り出していた。どうやら畳叩きを検索してくれたらしく、スマホを渡してくれる。私も枕返しの検索結果を渡す。
『畳叩き:夜中に畳を叩くような音が聞こえる怪音現象。夜中に畳を叩くような音した時はこの妖怪の仕業だとされている』。
私は今度こそ呆れかえりつつ、スマホを弥生先輩に返した。弥生先輩も私と似たような顔をしているし、同じ思いをしているのだろう。
こんな妖怪に出会った人……つまり、部長みたいな人ってはるか昔からいるんだな、って。
私はそっとスマホをしまい、濁流のごとく流れていく会話を見守った。ちょっと目を離した隙にすっかりヒートアップしている。
「フーミンだって一度くらいは遭遇してるんじゃないの? しているんだったらこの不思議はちゃんと書かなきゃだめよ!」
「無いっての! だから削除だ!」
「じゃあ妖怪、今シャンプーしたっけ? には遭遇したことあるでしょ」
「無い!」
「なんでないのよ!」
「逆に聞くがなんで遭ったことあるんだよ!」
「私がオカルト部に所属しているからよ!」
ものすごく堂々ととんでもないことを言う。
「いい? 怪談話をしていると自然と幽霊が集まるように、オカルトを研究する人間にはオカルトチックな現象が起きるの。これは運命なのよ」
「そんな運命あってたまるか」
「そんな運命があるからこそ私達はオカルト現象を研究し、オカルト現象に悩まされる人々を救うことができるの」
「っ…………。あーもー、勝手にしろ」
珍しく文月が素直に退いた。びっくり。短い沈黙には何があったのだろう? なんて考えてる場合じゃない。
「とにかく、その不思議は追加しておいてね。妖怪リモコン隠しの謎!」
了解っとしぶしぶ呟く文月。そこへすかさず待ったをかける。
「ちょっと待ってください」
「どうしたの? むっちゃん」
「その不思議は追加することができません」
文月が部長を止められないなら、私が止めなくてはならない。
なぜなら私は後輩。いずれこのファイルを受け継ぐ可能性がある人間だ。少しでもこのファイルをまともなものにしたい。
受け継いだ後に改編するのも手段だが、部長がいつこのファイルの更新を確認にくるか分からない未来があるため、部長を納得させてから消す必要があるのだ。
部長は不満気な顔というよりも、どうして? という疑問が浮かんでいる顔をする。これなら説得できそうだ。乾いた唇をなめ、まずは部長の考えを肯定することから始める。
「妖怪リモコン隠しは確かに不思議な存在です」
「そうよね。神出鬼没かつその姿を見た者はいないという摩訶不思議な存在よ」
「ですがリモコン隠しは学園内の寮に限定したことではないです」
「――――!」
そう、私の家にだって現れる。学校外にある私の家に、だ。
そして今私達が作業しているこの不思議ファイルは、この学園にまつわる不思議を集めたもの。学園内限定でなければならない。だからこの不思議は載せることができないのだ。
「盲点だったわ……。確かに私の実家にだってよく現れる」
部長ががっくりと膝をついて落ち込む。そのリアクションをいいことに、私は小さいながらもしっかりとガッツポーズを決めた。うん、部長は気付いてない。やったね。
「残念だけどこの不思議は削除するわ」
部長は文月から転載し終えたばかりのルーズリーフを受け取り、そっと胸に抱える。黙っていれば可愛い部長なだけあって、このワンカットだけを見るとまったく別のシーンに見えるから不思議だ。
窓からは茜色の光が差し込み、木造の旧校舎を暖めている。
その校舎の一室に一人の少女が憂いを帯びた表情で座っていた。胸に抱えているのは一枚のルーズリーフ。とても大切なものなのだろう。赤子を抱き抱える母のように深い想いが込められていた。
「ごめんね。37番」
そう呟くと部長は鞄の中から一冊のファイルを取り出しそこに収めた。
「…………」
「…………」
「…………」
部長を除く全員が沈黙する。
その重い空気に気付かない部長がにこやかにファイルの表をなでた。
「今日から37番は世界的都市伝説ファイルのナンバー40よ」
部長の言った通り、そのファイルのタイトルは『世界的都市伝説について』。
表紙にはスフィンクスがUFOに拉致されているイラストが描かれている。シュルレアリスムという言葉がぴったりなイラストだ。
「部長、それって……」
おそるおそる尋ねる私に部長は嬉しそうに説明した。
「タイトル通りよ! 全て私が制作したの!」
がっくりと膝をつくべきなのは私の方だった。さすがにそこまでオーバーなリアクションは取れないが、文月が私の代わりに机に突っ伏している。弥生先輩も小さくため息をついてから、部長に時計を見るよう合図を出した。そうかもうこんな時間か。
予想外の強者の登場に三人とも精神的に疲れてしまっていた。いいタイミングなのかもしれない。
部長は両手を上にあげ、ぐーっと伸びをする。一番疲れていないはずなのに、一番働いたかのような表情だ。
「さて今日もオカルトチックに頑張ったことだし、そろそろ解散にしましょうか」
言うが早いか部長はさっさと教室を飛び出し、気付けば弥生先輩の姿もない。相変わらず解散宣言後の行動が早いなぁと感心する。
そして部屋に残されたのは私と文月。
「お疲れ……文月君」
「……おぅ」
突っ伏したままの文月が弱々しく答えた。現代文の授業のように、今の文月の心情を述べよと尋ねられたら私は花マル解答ができそうだ。
「あいつにはさ、まともな先輩がいたんだよな?」
私よりも長くオカルト部にいる文月にそう訊かれても困る。それでも今日ばかりはその愚痴に付き合ってもいい気がした。
「いたみたいだよ。その人の調べた不思議ってすごくオカルトっぽいし」
「鵠を刻して鶩に類すって言うんだけどな……」
立派な先輩がいるなら、その人に及ばなくても近い人にはなれるっていう故事成語なんだけど……。
「それ中国の言葉だから当てはまらないんじゃないの」
自分の口から飛び出した言葉が妙に信じられる気がするから厄介だ。
どちらからともなくため息をつく。それからおだやかな沈黙が続いた。
秒針が半周ほど歩いたところで文月が顔をあげ、怪訝そうな顔をする。
「なに笑ってんだよ」
「え?」
指摘され、ようやく自分の頬が緩んでいることに気付く。文月にこんな顔を見られるなんておかしいな。
そこまで考えてから、すぐに納得した。
「文月君を見てたら笑えたんだよ」
「なんだそれ」
「べっつにー。いい加減、帰ろうか」
いつもよりも軽やかな足取りで部室を出る。私の後ろを文月がぶつくさ言いながらついてきた。
自分がなんで笑っていたのかを文月に伝えたらどんな顔をするだろうか。
なんかさ、入学式の日みたいだね。
そんなことを言ったら絶対に、眉間のしわが深くなるだろう。
それでも思い出せずにはいられなかった。
あの日も文月はため息ばかりついていた――。




