幽霊部員
旧校舎一階一年三組。通称『オカルト部部室』。
「自由だー!」
満ち溢れる爽快感を味わうように思いきり叫ぶ。あぁ、なんて清々しいのかしら。この解放感。まさに羽が生えたようだわ。生えたことないけど。
今はとっくに部活終了時刻を超え、19時過ぎ。けれど部室には私と弥生がいる。今日は二人で部室に泊まることになっていて、先ほどコンビニから帰ってきたところだ。
なんで部室に泊まることになったとか、そういう経緯は以前話したので省略。それにしても本当にテンション上がっちゃう。
「二人だけだと部室も広く感じるし解放感があるわ。せっかくだし、普段は部室でできないことをやってみない?」
「宿題」
「うー……。じゃあ、普段できない、楽しいことをしましょうか」
「宿題。明日提出」
ささっと勉強道具を机上に並べ、弥生は勉強を始めてしまう。弥生は頑固なので言いだしたら聞かない。
仕方なく私も鞄から化学の教科書と問題集を取り出す。たしか一年時の復習も兼ねた簡単なものだったはず。
「…………」
「…………」
空気が重いわ。やっぱり、部屋を使えなくしたことを怒っているのかしら。
ちゃんと謝ったし許してくれたけど、心の中では丑の刻参りされているのかもしれないわね。時々、弥生の考えが全く分からない時があるし、どうにか機嫌とらないとなぁ。
あっ、今は勉強勉強。えぇと、化学式H2Oは……あれ? H2Oってなんだっけ?
「ねぇ、やよ――」
寸でのところで、踏みとどまる。弥生の手元をよくよく見ると、英語の羅列がびっしりとノートに書き込まれているのだ。おそらく英語の長文読解。これはまずいわ。
英語をやっているときに、H2Oについて聞いたら頭の中がごちゃまぜになるわよね? それで怒りが頂点に達することもあるのかな。
「どうしたの。知留夜」
遅かった。すでに声かけちゃったことになってる!
えぇと、えぇと。
「ちょっと……気分転換してくるわ!」
動揺を悟らせないように、自然と立ちあがり軽やかに部室の外へ。
旧校舎は木造三階建て。電気と水道が通っていて使用するには困らない。しいて言うなら床が抜けたり、ドアの立てつけが悪かったりする程度。現在は授業等で一切使われてないし、まさにオカルト部貸し切り状態だ。
階段を上って部室の真上、二年三組に入る。すると、どこからともなく青白い炎が現れ、私は自然と笑顔になった。
「やっほー千春」
「こんばんは。知留夜さん」
人魂は一人の女の子になって、花が咲くようにほほ笑む。オカルト部の幽霊部員、千春だ。この学園の旧制服に身を包み、白い長髪は宙を漂い、足は透けて見えない。紛うことなき幽霊。今日も可愛いわ。
「今日は弥生さんと、お泊りだと聞いております。てっきりお話できないのかと思ってました」
千春は普通の人には見えない。視認でき、会話できるのは現在のオカルト部中、私とユウとレイだけだ。
さすがに弥生がいる前で話すわけにもいかない為、二階に来てもらった。
「千春にちょっと頼みたい事があってね」
「なんでしょう?」
「私と弥生が寝る前に、ちょっと人魂を浮かせていてほしいの。私、真っ暗なところじゃ眠れないのよ」
「お安い御用です。ですが弥生さんは驚きませんか?」
「弥生は……霊視的な意味での目は、あまりよくないみたい。潜在能力は高いと思ってるけど、本人は気付いてないわ」
弥生だけじゃない。フーミンもむっちゃんも大きな何かを感じる。それが何かわからないし、今は皆とおしゃべりしている方が楽しい。もちろん千春が加わればもっと楽しいけれど。千春のような良い霊だけ視えることはないだろうし、第一、本人たちが望んでいるわけではないのだ。今はまだ、その時ではない。
千春は残念そうに目をそらした。その仕草に、表情に、心が痛む。
「そうですか。私にもっと力があれば、部員の皆さまともお話ができるのですけれど……」
「誰もが霊を視認できるわけではないし、幽霊にも色々な種類がある。だから誰も悪くないのよ」
「はい。分かっています」
でもっと言いたげな千春。私の言葉だけじゃ、足りないのかもしれない。
千春を悲しませるために会いに来たわけじゃないし、もっと楽しいことを話そう。
「ユウとレイとは仲良くしてる?」
「えぇもちろんです。二人とも明るくて元気で、仲良くしてもらっています」
「それはとてもいいことだわ。まだ未定なんだけど今度、怪談話大会をやろうと思っているから伝えておいてくれないかしら? 一番怖い話をした人に豪華賞品をプレゼントするわ」
「それは楽しそうですね。日付が決まったらぜひ教えてください」
「うん。早めに知らせるわ」
それから、いくつかの取り留めのないことを話し、自然な流れで沈黙した。
おだやかな沈黙を破ったのは千春だ。
「そろそろ弥生さんが心配しているかもしれませんよ」
「え?」
思わぬ言葉に虚を衝かれた。
「弥生さんの様子、みてきますね」
「うん。お願いするわ」
音もなく千春が床に沈んでいく。幽霊に床や壁はあってないものだ。
それにしても、こんな短時間で弥生が心配するのかしら?
そんな考えが過るのと同時に千春は戻ってきた。
「ドアの方を何度か見たりしてますね。やっぱり心配しているかもしれません」
「そっか。じゃあ戻らないといけないわ」
「はい。わざわざ会いに来てくれてありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。礼儀正しい子だ。
「こっちこそ楽しい時間をありがと。ねぇ、最後に一つだけ聞いてもいい?」
「いいですよ。なんでしょう?」
「千春が今の弥生の立場だったら、私に怒りをぶつけるかしら。部屋の換気扇詰まらせられて、急遽お泊りなんて……」
千春は申し訳なさそうに、くすくすと笑う。
「その程度で済んでよかった。なんて思っちゃうかもしれませんね」
その一言でちょっと安心した。
「ありがと千春。また明日お話しましょう」
「はい。私は少し、校内を見回ってきますね。お二人が眠る前には戻ってきますから」
千春は旧校舎にいることが多いけれど、校内を見回ることもある。昼間はオカルト部の皆も旧校舎に行くことはないから、退屈なのかもしれない。
それでも千春は、私がこの場を去ることに恨み事を一切言わないのだ。本当に清らかな子だと思う。
「じゃあ、またあとで」
私は教室を出て階段を下りる。部室である一年三組からは、明かりがもれているので廊下も薄暗い程度だ。
「弥生たっだいまー!」
勢いよくドアを開け、弥生の向かいの席に座る。
「おかえり。気分転換にはなったの?」
「そりゃあもちろんよ。夜の学校よ。それも今は使われていない旧校舎! ちょっと歩くだけでも、テンションあがっちゃうわー」
「それはなにより。リフレッシュできたなら、勉強がはかどると思う」
「まかせて!」
先程の問題集に目を落とす。化学式H2Oとは何か――うん、さっぱり分からないわ。千春に聞いてもよかったけど、あの子は純和風でアルファベットの読み方さえも分からないかもしれないし。
落ち着いて考えてみましょう。教科書を見たらその時点で敗北よ。私はこの問題の答えを知ってるはずだし、かすかな記憶を頼りに推理するわ。
まず、Hは水素を指していていて、Oは酸素よね。たぶん。
この二つに共通するのは……爆発すること。燃焼だっけ? どっちでもいいけど、爆発する物質が二つ掛け合わさったら、より大きな爆発が起きるんじゃないからしら。ということはニトログリセリンかな。
回答欄に『ニトログリセリン』と書く。
じっくりと文字を眺め、消しゴムを手に取る。
うん、さすがに違うと思うわ。
文字を消し、再び推理に取り掛かることにした。
あ、消しゴム? そういえば昔、何かのテレビ番組で、消しゴムを急速に冷やすと爆発するって言ってたわ。H2Oが消しゴムじゃないことは知ってるから、冷却に関わるものかしら。
今までの授業で、冷たいもの……。先生のギャグが滑った時? 確かに氷点下を下回る程度に寒かったけど、もっと冷やす必要があるわね。
あれこれと記憶を遡りながら、部室を見回す。時計、窓、水道、椅子、机、机の上のコンビニ袋。袋の中のおやつ。105円のマシュマロ。
マシュマロ! 液体窒素で凍らせて、クラスメイトと食べたわ! あのなんとも言えない食感と、なめらかな甘さが印象的だったわね。今度部活の時にやろうかしら。ユウとレイとむっちゃんは食べたことないから、きっと喜ぶわ。ついでに消しゴム投下もフーミンにやらせましょうか。
ということはH2Oって窒素かしら。あれ? 窒素も元素よね? 記号は確かN。あぁ、残念。液体窒素とは無縁なのね。
H2Oってなんだろ……。思いつく限りのイメージを膨らませる。
イメージカラーは青かな。でも爆発のイメージって赤か朱ね。白といえば消しゴムだし、冷やせば爆発してー……って、同じこと考えてる。ずっとくり返しているわ。リサイクルはいいことだけど、今は違うのよ。消しゴムのリサイクルなんかよりも、空気が汚染されていることのほうが、問題なのだから。
空気のリサイクルと言えば植物よね。たしか酸素を取り込んで、二酸化炭素を出すんだっけ? あ、それは呼吸! 光合成で空気をきれいにするには、その逆だったわ。不思議なのは、水の中でも植物は光合成するってこと。いまひとつ目的がわからないわね。全部、水面にのぼってしまうんじゃないかしら。
――その時、私の身体を稲妻のような衝撃が走りぬけた。
H2Oってもしかして、水? 水だった気がする!
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
水は、爆発しないわ。一々爆発していたら、水を飲む自分自身も爆発しちゃうもの。水じゃない。
これだけ考えても分からないってことは習っていない範囲なのかも。過去にやったことの発展型だとしたら色々と納得がいく。
よし、そういうことにしてマシュマロでも食べようかしら。
「お茶、いる?」
弥生に声をかけられ、顔をあげる。
「え。あぁ、うん」
「かなり悩んでるみたいだから。悩みすぎもよくない」
「ありがと」
紅茶の入ったカップを渡され、一口すする。さすが弥生、気が利くわね。
半分ほど飲み、カップを置く。それと同時に、弥生が私と同じ化学の問題集を開いていることに気付いた。
「弥生、H2Oってなんだっけ?」
「水」
即答された。やっぱり弥生は頭がいいわ。
「でも、水素も酸素も爆発するのに、水は爆発しないのはなんで?」
「普通に扱っていれば爆発することはない」
「じゃあ、どんな時に爆発するの?」
「魚雷が命中したとき」
「なるほど」
疑問も解消されたので、素直に『水』と回答する。うん、バッチリ。
会話も弾み始めたところだし、もう一度あのことを謝ろう。
「ごめんね。部室で泊まることになっちゃって……」
沈黙。やっぱり怒ってる?
「別に構わない。いまさらこの程度で怒っていられない」
千春と似たようなことを言われてしまった。でも、いまさらって?
「他にも何かしたかしら?」
「丑の刻参りごっこと称して、五寸釘で壁に穴をあけた」
「その節はどうもすみませんでした」
「化学の授業で塩酸こぼして、ノートが使えなくなった」
「まことに申し訳ありません」
「自分で紅茶を淹れると言って、茶葉を床にぶちまけた。ちなみに四回」
「三回じゃなかった?」
「四回」
「ごめんなさい」
こうして一つ一つ指摘されると、本当に迷惑かけてきたんだなーと思う。フーミンの説教も聞いてあげてもよかったかも。
「でも、私は」
そこで言葉が途切れた。フーミンのことは忘れ、弥生を真っ直ぐ見つめる。
弥生は口数が少ない分、大事なことだけを話してくれるから。
「私は、迷惑をかけられた以上に、感謝してるから……。別に構わない」
「うん。私も弥生に感謝してる。いつもありがとう」
改めて言うのは気恥ずかしいけれど本当に感謝してる。今日一日の中でも数えきれないくらい。今日を振り返り、あることを思い出した。
「そうだ! 弥生もメガネかけてみて」
メガネを渡す。弥生はおもむろに耳にかけ、中指で中央を押し上げた。
「も、萌える!!」
それが、本日一番の魂の叫びだった。




