メガネと羽
旧校舎一階一年三組。通称『オカルト部部室』。
「じゃん!萌え☆アイテム!」
部長がメガネを手にし、ほほ笑んだ。黒の細いフレームで、度はないようだ。特に変わった様子は見受けられない。どのあたりが萌えなのだろうか。
私の疑問を代弁するように、文月が発言する。
「ただのメガネだろ?」
「そうよ。今日、クラスメイトのおーた君が、『メガネは萌え☆アイテムだ!』って熱弁してたの」
「なんなんだその『☆』は……」
「さあ? よく分かんなかったけど質問はしてないわ。とにかく、このオカルト部に足りないのは萌えとメガネなのよ!」
「いらねーよ。そんなもん」
文月は興味なさそうだけど私はちょっとほしいかも。萌えって簡単にいうと可愛い物のことでしょ? たぶん。
今日は部長の熱弁にも素直に耳を傾けることにしよう。
「そして、この足りない二つの要素を同時に解決するのがこの萌えメガネよ!」
メガネって偉大だな。そんな能力があるのか。
文月も訝しむというよりは単純な疑問を口にするように尋ねる。
「メガネ一つで、どうにかなるものなのか?」
「フーミンは『メガネ萌え』という言葉を知らないのね。女の子はもちろんのこと、イケメン男子にメガネを装備させると萌えるらしいの。ほら」
スチャッと部長がメガネを装備する。うん、微妙。
メガネをかけるだけで頭が良さそうに見えたりするんだけど、部長の中身を知っている私にとって不釣り合いに思えた。しかも部長って勉強はできるのだろうかなどと、失礼なことまで考えてしまう。
「うっわー。似合わねぇー」
やや棒読みの口調で文月が似たような感想を述べる。率直すぎていっそ清々しい。
今、部室にいるのは、部長、弥生先輩、私、文月の四人だ。ユウとレイは気まぐれに参加しているので、いないことも珍しくない。
文月の言葉に賛同するように弥生先輩と私は控えめに頷く。
「むー」
部長は機嫌を損ねたようでメガネをはずした。やはりメガネを外していた方が部長らしいと思う。
不満気に唇を尖らせそっぽを向く。
「フーミンのけち」
「けちとかいう問題じゃないだろ!」
「なによ。人がせっかく萌えという一種のオカルト現象に対して、こんなにも積極的に活動しているのに!」
「それを言うなら社会現象だ! 大体、メガネを付けて可愛いのは控えめ文学少女、強気な学級委員長、ドジッ子または完璧メイドっていう四天王がいるんだよ! お前はどれにも当てはまらないだろ!」
――世界が静止した。
「え?」
「初耳」
「……フーミン、随分詳しいわね」
一瞬で文月の顔が紅潮した。わかりやすい動揺。それから慌てて取り繕おうと一気にまくし立てる。
「た、例えばの話だ!別に俺の趣味じゃなくて、ほら! 一応太田ともまったく話さないわけじゃないから、そういう話も聞かされるわけで――」
「わかってるわよ。フーミンは昔から、小さな女の子を見守るのが趣味だもんね」
「ねつ造するな!!」
「もっと守備範囲広いの?」
「そうじゃない!」
そろそろ、止めた方がいいのかな? 文月の趣味嗜好なんてどうでもいいし、メガネの話をしていた方がまだマシだ。
とりあえずアイコンタクトを取ろうと、弥生先輩へ顔を向ける。しかし、弥生先輩は何か思案しているようだった。思慮深い弥生先輩のことだ、なにかこの状況を打開する術を思いついているのかもしれない。
私は安堵し、弥生先輩の言葉を待つ。このにぎやかなBGMがいつ変わるのか期待しながら。
「それにしても、フーミンがメイド好きとは知らなかったわー」
「だから違うって言ってるだろ!」
「メイドさんのスカートはロング派? ミニ派?」
「そりゃロ……誘導するな!」
ヒートアップしていく会話の中、ぽつりと弥生先輩の声が混ざった。
「メガネメイドと言えば……メガネ執事」
あれ……弥生先輩も壊れた?
部長がすぐさまその言葉に反応し、とびっきりの笑顔を浮かべる。
「弥生は執事萌え? かっこいいわよねー」
「服装が好ましい」
たしかにかっこいい。燕尾服っていうんだっけ? 落ち着いた雰囲気もあるし、ボタンとか襟元などのさりげない装飾もお洒落だ。
それにしても弥生先輩がそういった話題を出してくれることが嬉しい。部長と文月のノンストップ弾丸トークも、聞く分にはいいけれど、たまには弥生先輩のことも話してほしかったしね。
部長も嬉しそうに頷きながら、文月に視線を投げる。
「うん。よくわかるわ。それじゃあフーミン、すたんだっぷぷりーず」
全く英語に聞こえない発音で、文月を立たせる。
一人立たされた文月は両手をそれぞれポケットに入れ、部長を見下ろす。ガラの悪い奴だ。
「じゃあ、ネクタイをちゃんと締めて、シャツもスラックスに入れて、ジャケットのボタンも全部つけて」
「急になんだよ?」
「いいから早く」
この学園の男子の制服は、紺のブレザー。春季と秋季は、ネクタイとジャケットの着用が義務付けられている。冬季はそこに色指定のベストを着ることができ、夏季はワイシャツのみでも可、というクールビズ仕様になっている。
文月は、シャツの第二ボタンまで開け、裾をしまうことはしない。ジャケットは袖を通すが、ボタンは寒くなければ留めていないし、ネクタイもゆるめてある。一言で言うなら、教師に目を付けられない程度に着崩している状態だ。やや長めの前髪からのぞく目つきはヤンキーと大差ないから、そういうタイプの人には目を付けられそうだけど。
「ったく、暑いから嫌いなんだよ。これでいいのか?」
言われた通り模範的な格好になった文月はやはり印象が違う。もともと背筋もぴんと伸ばし健康的な肉付きのためか、キチンとした格好も様になる。しいていうなら、やっぱり目つきが悪い。少なくとも部長の前ではこの目つきの悪さが和らぐことはないだろう。
「はい、メガネつけて」
差し出されているのは、さきほど部長がつけていたメガネだ。たしかにこの格好なら、なんちゃって執事に見えなくもない。そこに萌え☆アイテムを追加すればおそらく……。
「あっはははは! ホントに似合わない! フーミンの中身を知ってると見てるだけで笑えるわ!」
部長の仕返しくらいはなるのではないだろうか。
先程部長に抱いた言葉は文月にもそっくりあてはまる。とても似合わない。たしかに文月は真面目で勉強もできるけれど、違和感が拭いきれないのだ。メガネが悪いのか、もともとメガネが似合わないタイプなのか分からないけど、とにかく変。
「ここまでさせておいて嘲笑かよ!」
「事実よ事実。ねえ、弥生もむっちゃんもそう思うでしょ?」
私は控えめに頷き、弥生先輩は眉一つ動かさず、肯定も否定もしない。ただ、とても小さな声で「焦点をずらせば、萌え」と、文月の顔を全否定した上で称賛していた。聞こえたのは私くらいだろうけど。
「いらねーよメガネなんて」
文月は気だるそうに座り、服装を元のルーズな状態に戻すとメガネを外した。
「残念ねー。せっかく演劇部から借りてきたのに……」
残念そうな口調だが、心底残念というわけでもないようだ。鼻歌を歌いながらメガネを拭き、ケースにしまう。楽しく遊んだ玩具を片づける子供のように素直で微笑ましい。
メガネを片付け終わると、ちらりと時計を確認した。つられて時計をみるけれど、まだ時間はあまっている。この後はどうするのだろう。そんなことを思っていると、部長がいつもの口調で言う。
「さて、今日は早めに解散してもいいかしら?」
「珍しいですね」
思わずそう言ってしまうほど、珍しい事である。いつもは時間を忘れて話し、部長が強引に話を終わらせるまで続けてしまうのだ。
文月も不思議そうに尋ねる。
「なんかあったのか?」
「私と弥生が、今日部室に泊まることになったのよ。だから布団や着替えの手配をする時間がほしいの。悪いわね」
部長と弥生先輩は同じ寮を利用していて隣同士らしい。ちなみに私と文月は自宅から通いで、ユウとレイは先輩方とは別の棟の寮に引き籠っている。
「寮で何かあったんですか?」
「私の部屋と弥生の部屋の換気扇が詰まってちゃってね。窓を開けておかないと、窒息とまではいかなくても危ないらしいわ。さすがにまだ窓を開けっ放しにするのは寒いし、修理もあるから避難することにしたの」
「災難だな、と言いたいところだが、お前の日頃の行いが悪いせいだな。バチが当たったんだよ」
文月の皮肉に、珍しく部長が反省した表情で俯く。
「今回は確かに私のせいね。反省してるわ」
よほど珍しい事なのか、文月が目を見開いている。最初は熱でもあるのかと言いたげだったが、あまりにも部長がしおらしいので、返事に困っているようだ。代わりに私が続きを促す。
「原因は一体……?」
私の問いに、力のない笑みを浮かべ、どこか遠くを見つめるように語りだす。
「この間、羽毛布団の中身を出したって話をしたでしょ。実はそれが原因なの」
「そんなのがどうして原因になるんだよ」
「羽毛布団の中身は思ったよりたくさんの羽が入っていて、部屋の床が羽で覆い尽くされたわ」
幻想的というかファンタジックな世界だ。羽が敷きつめられた部屋、一度入ってみたいけど片づける気にはなれないな。
「ちょっとテンション上がっちゃって、羽を集めて真上になげたり、団扇で風を起こしたりしたのよ。そしたら何故か、換気扇が詰まちゃったの」
「何故か、じゃねぇよ! 当たり前だろ!」
やはり部長の思考回路は、どこか欠陥があるようだ。不運にも巻き込まれた弥生先輩に同情する。しかし弥生先輩に激怒している様子はない。そこまでされた相手と一緒の部室で寝ようという考えに、尊敬を通りこして感動すら覚える。
「たったそれだけなのに、寮長にとても怒られたわ。やんなっちゃう」
「当然だろ!」
「あの人、いまひとつ気が利かない人なのよねー。代わりに部屋を用意してくれたのは助かったけど、豆電球が切れてて使えなかったわ。だから部室で寝ることになったし」
「豆電球くらい我慢しろよ!」
「だってあれを点けてないと眠れないんだもん」
「小学生か! 大体お前は周りに迷惑かけすぎだ。正座しやがれ!」
文月のお母さんモード、もとい、お父さんモードがオンになる。だが馬に念仏とはこのことで、部長は聞く耳をもたない。
「フーミンにまで怒られる筋合いはないわよ。はい、たった今から男子禁制!」
「反省する気はないのか!」
「したわよ! 弥生にも、寮長にもちゃんと謝ったわ。今度やるときはちゃんと掃除機をかけるって誓ったし」
「やろうとするな!」
「知的好奇心を満たすためよ」
「どこが知的なんだよ!」
一通り叫ぶと、文月は疲れた様子で肩を落とす。怒ることもつっこむことも、エネルギーを消費するものだ。しかも相手が部長なだけに手ごたえがなく、一方的に疲れるだけだしよく毎日続くなぁ。
なにかスポーツでもやって体力をつけているのかもしれない。興味ないけど。
「まったく……今日のところは大人しく帰ってやるが、部室まで使用不可能にするなよ」
「弥生がいるから大丈夫」
弥生先輩が小声ながらも、任せてと言う。どうやら弥生先輩は、部室が心配で部長と一緒に過ごすことを決めたようだ。頼もしいと思うのと同時に、部長の行末に不安を持たざるを得ない。
「じゃあ、帰るからな」
「また明日ね。フーミン」
ため息をつきながら、文月が去る。
とくに用事はないし、部長たちも色々やることがある。私も帰ろう。
忘れ物がないか確認し、立ち上がる。
「じゃあ私もこれで帰ります」
「えぇ。おつかれさま」
「おつかれさま」
ドアの前まで歩き、ふと小さな疑問が湧いた。大したことではないけれど、なんとなく気になったので尋ねることにする。
「部長」
「なぁに?」
「ここって豆電球がありませんが、大丈夫ですか?」
「問題ないわよ。ここにはちゃーんと、人魂がでてくれるわ」
…………人魂?
聞き間違いだろうか。それともツッコミを期待しているのだろうか。文月もいないし、弥生先輩は無反応だ。聞こえてなかったのかもしれない。
「……そうですか。よかったですね」
結局、曖昧に微笑んで帰ることにした。なんとなく悪寒がするし、早く帰ろう。
オカルト部は、まだまだ私の知らないことだらけです。




