入学式終了直後、HR開始直前 (亜和野 睦月)
疲れた。だるい。帰りたい。
現在、疲労困憊真っ盛りな私は、教室の机につっぷしていた。
入学式ってホント、最悪。あんなに人口密度を高める理由が分からない。メリットはなんなの。デメリットしかないと思うんだけど。
人の体温で上昇した蒸し暑くて息苦しい感じとか、皆で黙って同じ方向を向き続けることとか、ホントありえない。せめて全体の半数くらいは息を止めていてほしい。
そんな入学式から解放されたと思ったら、今度はせまい教室に押し込められる。教室も教室で息苦しく居心地が悪い。なかなか教師が来ないことをいいことに騒ぎ放題のおしゃべりタイム。動物園かここは。
そこの隅では「やーん今年も同じクラスとかまぢ運命~。ズッ友だょー」などと内部生同士が抱き合ってるし、教室中央では男子達が「お前何中? 東? まじでー?」と自己紹介も兼ねた言葉のキャッチボールを大声で始めている。正直言って迷惑。スマホのゲームに没頭している奴の方がはるかにマシだ。
私は高校デビューなどという言葉とは無縁である。今までの自分を知っている人間が少なくなるとはいえ、過去を変えることはできないし心機一転などと言って自分を偽ることに意味はない。そんな風にしないと仲良くなれない相手なんてこっちから願い下げだ。
できることなら高校生活の三年間を無言で過ごしたいくらいだ。それは無理だと分かっているが志は高く持てと校長先生もおっしゃっていたので、なるべく頑張ろうと思う。
要するに私は人間不信。人前で話したり、社交辞令も卒なくこなせるが特定の人物と親密な関係を築くということができなかった。その結果、中学時代の一番の親友は本と問題集、ときどきパソコン。そのことについては後悔はしていない。そしてまた、団体行動も苦手で、中学時代は率先して班長や生徒会長を務めることにより団体行動からの脱却に挑戦した。そのおかげで少しレベルの高い学校に入学でき、そりの合わないクラスメイトともおさらばできたのだ。もう無駄な努力はしない。ここではなるべく地味に生活していこうじゃないか。空気扱いされるレベルまで地味になるのが目標だ。それなら団体行動もなんとかなるだろう。
そんな団体行動の筆頭である教師は未だ来ず。はやめに解散してくれると本当に助かるんだけどな。
わりと本気で具合が悪くなってきた。来賓や父兄の方々の香水や化粧のにおいが原因かもしれない。いや、それだけじゃないか。慣れない場所に慣れない人たち。この白く無機質な机さえも私を攻撃しているのではないだろうか。被害妄想もここまでくれば免許皆伝かもしれない。
万物が私に人差し指を向けながら嘲笑する。そんな世界だったら逆に吹っ切れるのかな。なんて自嘲したところで、目じりも口角もピクリとしないのだから私の心は凍りついているのかもしれない。それすらもどうでもいいかな。ふふ。あ、笑えた。よかったよかった。
そんな戯言をのたまってもHRは始まる気配すらみせない。それについて私が悩んでも無意味なので、この時間を有効に使う手立てはないか考えよう。幸い私に話しかけようという酔狂な輩もいないし、じっくり腰を据えて考えることにしよ――。
「ねえねえ。はじめまして!」
クラスメイトAがBとCとDを引き連れて現れた。
自動的に私の脳内に4つの選択肢が浮かぶ。
たたかう。
無視する。
愛想笑い。
逃げる。
まあ無難なものを選んでおこう。
私はAに愛想笑いをうかべて、遠慮がちに手を振る。口パク同然の小声で一言謝罪をしてから教室の外へ。
よし作戦成功。ちょっと顔色も悪いし、色々と察してくれたのではないだろうか。
Aへ愛想笑いを浮かべ、その他を無視し、逃げる。うん無難だよね。私は充分に戦った。
あぁ、もう本当に嫌だ。あの子らはクラスメイトである私に話しかけてきた。私がクラスメイトだからなのだ。もし私が別のクラスだったら話しかけることもなかっただろう。私じゃなくてもいい。適当に時間を浪費できる人間なら誰だってよかったのだ。それが本当に嫌だった。誰でもいいなら、誰もいらないと言っているのと同じじゃないか。
だんだんと嫌な記憶が呼びおこされる。中学の時のトラウマとかそのあたり。今更気にしたところで過去が変わるわけでもない。時間の無駄だと分かっているのに心と足ばかりが重くなる。煩わしい。
教室なんて大嫌いだ。
―――――――――
騒々しい教室とは正反対で、廊下は水を打ったように静まり返っていた。他のクラスはちゃんとHRが始まっているらしい。どうしてうちのクラスだけ……。嘆いても仕方ないんだけどさ。どこかで教師に会えたら、さも心配したかのように振る舞ってやろう。一応入学式のときに紹介されたから顔は覚えているし。そう考えて教師については保留にした。
教室に戻りたくはないのでアテもなく歩きはじめる。照明がなくても明るく天井の高い校舎は、暗くて沈みがちな私の心と対称的だ。
このままHR、サボっちゃおうかな。
ふとそんな考えが浮かぶ。思いつきにしてはなかなかいいアイデアだな、と思った。
どうせ今日のHRなんて、担任の先生の挨拶とクラス全員の自己紹介だって相場が決まってる。しかも自己紹介の順番は出席番号順というのもお約束。これだから名字が『あ』だと面倒なのだ。自己紹介のトップバッターなんて公開処刑となんら変わりはない。
それにクラスメイトの自己紹介を聞いているのも辛く感じる。聞き流していると今後の学園生活に支障を来たすし、かといって授業より有意義なものでもない。ならばいっそ具合が悪いと言ってすべてを拒絶するのも悪くないかも。うん。我ながらナイスアイデア。
というか教室を出ていった時点で、私はサボる気だったのかもしれない。さすが私。自分の心と行動をちゃんと把握できている。
そんな無意味な自画自賛をしながら歩くと、分かれ道まで辿りついた。どちらへ進むべきかしばし考える。
すると右の方から二人の人間がこちらに向かって歩いているのに気付く。
小柄で白衣を着た男教師と、両手をポケットに入れたままだらしなく歩く男子生徒。教師の方は見覚えがあった。私のクラスの担任だ。
「こんにちは」
ここで逃げるのもおかしいので挨拶とお辞儀をする。向こうも当然私には気付いており、ごく自然と挨拶が返ってきた。
「こんにちは。君はたしか、ぼくの受け持つ生徒だね。迎えに来てくれたのかい?」
教師はおだやかな口調で話す。入学式で最前列にいた私は顔を覚えられていたようだ。それなら話しが早い。
外的要因、内的要因、体調最悪、満身創痍。ついでに顔面蒼白な私はにっこりと微笑む。具合が悪いのに精一杯、笑顔をつくろうとして失敗している笑顔。気が弱く生徒想いな顔をしている教師にはもってこいの武器だ。
「はい。当初は先生のおっしゃる通り、先生が来ない事が心配で様子を見に来ました。ですが途中で具合が悪くなってしまって……」
「だ、大丈夫かい?」
予想通り先生は心配そうに私を気遣う。
大丈夫なわけないから。とっさに悪態をつきそうになるのを吐き気と共に飲み込む。
「えと、今日この後の予定はHRだけだし、できれば出てもらいたいんだけど……」
無言で首をふる。それが嫌だからここまでしているんです。分かってください。
「じゃあ早退した方がいいよ。一人で帰れるかな?」
「今日は部活見学をする約束があって、母もそれを見越して迎えに来てくれるみたいなんです……。今はどちらも連絡がつかないし、少し休めば……大丈夫かと……」
演技は上手い方ではないけど、言い訳ならば得意だ。
だって私は嘘をついていない。その言い訳は自己暗示にもなり、ごく自然に振る舞うことができた。うん、嘘はついていないんです。ほんとに。
教師はすっかり私の言葉を信じ込み「そっか、友達想いなんだね。保健室で休むといいよ」と言ってくれた。
約束の相手は友達とは呼べない相手だけれど、そういうことにしておこう。もう一度頭を下げ、歩き出す。
「あ、ちょっと待って。一応名前を聞いてもいいかな?」
「亜和野です」
「亜和野さんね。分かった」
手に持っていた黒の出席簿を開くと、何かメモをされる。そこまで評価の下がることじゃないから別にいいか。
そう結論付けて歩き出すと再び呼び止められる。
「入学したてで保健室の場所がわからないだろう?」
「……えぇ、まぁ、はい」
半年以上前に行われた学校見学の時に、学園内の大体の構造は把握していた。けれどこのタイミングで道を知っていると言えば、サボる気満々と怪しまれるかもしれない。実際そうなんだけど。
教師は腕時計を確認して小さくうなった。
付き添いたいのは山々だが、他の生徒を待たせ過ぎている。
どうせそんなことを思っているのだろう。
とりあえず道順を聞けばいいと考え、口を開く。しかしそれより先に教師が後ろの男子生徒に向かって話し始めた。
「そうだ。文月君。亜和野さんを保健室まで案内してくれないかな?」
名案だと言わんばかりの晴々とした表情に内心で舌打ちを漏らす。
なんて迷惑な。人間不信な私に付き添いなんて。これじゃあ保健室に行くまでだけで病状が悪化する。
その時初めて私は、今まで空気扱いしていた男子生徒に注目した。
身長は175前後かな。だらしなく身に付けたネクタイや、はみ出したシャツ、かかとを踏みつぶした上履きはくたびれた様子で、私はすぐに彼が内部生だと分かった。一番の特徴は少し長めの前髪からのぞく目つき。気だるげながらも鋭く、相手を委縮させるには充分な威力を発揮していた。彼の周りだけ空気が冷え切っているような気さえする。
こんな人、入学式にはいなかった。これだけ近寄りがたい人がいたなら、私はすぐにマークして距離をおいているだろうし。
以上の事から考えるに、彼は内部生の問題児だ。おそらく入学式をサボった為、担任と『お話し』をしていたのだろう。
そのせいでHRが始まらなく、私は具合が悪くなった。全てこいつが元凶だったのである。
その元凶は教師の突然のお願いに対し、顎を引くように頷く。
「いいっすよ」
二つ返事で了承した。
問題児なら教師のお願いを素直に聞くな、と怒鳴りたいが、もちろんそんなことは言えない。なんなんだこの人。
教師は安堵の笑みを浮かべながら私達に簡単な謝罪を述べて、そそくさと去ってしまった。
それを見送ると、問題児は何食わぬ顔で話しかけてくる。
「歩けるか?」
「あ、うん……」
「じゃあ、保健室こっちだから」
すたすたと歩き出す文月という不良。私はとりあえず後を追うことにした。
まったくもって最悪だ。ため息をつかずにはいられない。
たまにサボろうとすればこの状況。私には愚直に生きることしかできないのだろうか。




