無数の未来、唯一の過去
こんな力は欲しくなかった。
自身の能力を恨んでいた彼女は誰よりも強く、その能力を熟知していた。そして彼女は思い付いてしまう。時代を遡り能力の根源を断てば、自分も幸せになれるはずだと。歴史を変えてしまえば。
生まれながらにして人はそれぞれ差はあれど超能力を持っていた。10歳を超えたとき、能力は二者に分かれ、強くなるか消滅する。前者の者は強制的に軍に入れられるが、家族を含めて裕福に暮らせる特権がもらえた。また、後者は一般人として政治に関わり、普通の暮らししか望めなかった。それが当たり前の世界だった。
いつの頃からか、10歳前後の子供たちがさらわれる事件が多発していた。能力の強弱関係なく子供は他国に奴隷として売られるのである。
彼女もその一人だ。女性の場合は軍に入れられても家族と暮らすことを許されているが、適性検査を終えたその日に彼女はさらわれ。何も知らない子供だった。大人に捨てられたと言われた言葉を信じるしかなかった。故に彼女は恨んだのだ、自身を。力を。
成長するにつれて気づく。彼女には覆すことのできる力があった。能力の根源、それは一人の科学者の悲願の結果だった。科学者は与師と呼ばれ、国に仕える医者の中でも人を安楽死させる「死を与える医師」だった。
彼女が知っているのはその科学者が始まりであることだけ。
彼女は時を越えてまだ何も起きていない時代の科学者を[消した]。
そして彼女は思考した(終わった)と
しかし、なぜ自分は思考しているのか。根源はいなくなったのだから[自分]という存在は消えるはずなのに。
彼女は呆然と赤く染まった手のひらを見つめた。頭のなかは(何故)という言葉が無限にループしていた。手のひらの赤がぼやけて見えた。彼女は声無く悲鳴をあげていた。
世界には幾つもの平衡した世界、いわゆるパラレルワールドが存在すると言われている。
確かに、科学者の存在する世界は彼女の過去だ。しかし科学者の存在はひとつの分岐点にすぎず、その存在や行動によって世界に影響を及ぼすとしても、彼女は科学者がいた未来から来たという現実は変わらない。
新たな未来を造り出すことはできても、既に存在する現実を消すことは不可能だ。
歴史の改変は新たな未来を創りだし、彼女を元の世界から切り離し独立した存在にした。
彼女の世界では彼女がそのままいる未来と、消えた未来に分岐する。記憶は砂嵐のように掴めなくなっていた。そのため元の世界に戻ることは出来ない。
得たものは、絶望以外にあったのだろうか。
自分の望んだ未来を創りだすことは出来なかった。
彼女とて神ではない、所詮は人の子なのだ。
ふと、見つめていた手のひらから視線を外し顔を上げた。微かに幼子の泣き声が聞こえる。[彼女]の下からだった。
すぐそばまで近づき、幼子を見下ろした。
純粋すぎる存在にドロドロとした感情が溢れ出し、泣き止まない幼子に手を向ける。
(何も知らないで…)
一瞬で終わるはずの時間はなかなか訪れない。
幼子の泣く顔が、手をさ迷わせる姿が昔の自分を見た気がした。親を求める愚かな自分を。
優しく抱き上げて、彼女は思う。
記憶はなくなり、元の世界にも戻れないのなら生きていても仕方ない。自分は既に[終わって]いるのだ。
幼子に命を捧げよう。しかし、これは懺悔でも償いでもない。
行動は新たな未来を開く、気まぐれでしかなくてもここも分岐点になりえるから。
ただの気まぐれで救ってあげる。
彼女は語りかける、言葉に呪いを乗せて。
「あなたが本当の母の名を口にしたとき、私の記憶を遡りあなたは全てを知ることができる。その後での未来はあなたにすべて任せるわ。」
彼女は幼子と共に消えた。そこには何も残されてはいなかった。
人知れず、[彼]は憤る。
―次のニュースです。昨日の真夜中に最高与師総括官、アリエラ・ミューラス氏が行方不明となり捜索が続いております。未だ手がかりは見つかっておらず、また婚約者のハイデン氏の証言では甥も共に行方がわからなくなっているとのことです。この事件に関しまして…―
[彼]は嘆く、音もなく
故に彼に声は届かない
彼女の勘違いはこの先の未来に大きく関わることを誰も知らない。
幼子の母は自分が殺した彼女ではないということ。
お読みくださりありがとうございました。