第三話 「虐められてるんだろ?」
虐められてるのが、バレます。
朝、見時が学校に着き、靴箱を開けると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。
――あぁ、またか。
見時は心の中で溜息をついた。
靴箱の中には沢山の紙切れ。
紙切れには、悪意に塗れた言葉の羅列。ご丁寧に全部が赤いペンを使って書いてある。小学生の虐めか、と疑いたくなる程の幼稚な言葉。これで私を困らせているつもりなのかしら、と見時は毎回の事ではあるが呆れて苦笑した。
しかし、更に紙切れを取り出していくうちに、少し紙質の違うものに手が触れる。嫌な予感がするものの、見時は躊躇わずにその紙を取り出した。
その写真を見て見時は思わず顔を顰めた。
写真に写っていたのは――…見時自身だった。
見知った通学路を歩く自分の姿が、そこにはあった。
もう一度靴箱に手を伸ばし、中を探る。只の紙切れに混じって、写真が沢山入っていることが分かる。見時はそれらを丁寧に取り出し、只の紙切れと写真とに分けた。紙切れよりは少ないものの、写真はかなりの枚数入っており、見ただけでも明らかに一桁ではないことが分かる。
そして、それらの写真全てに共通することは――……
見時が写っている、ということ。
一枚は、授業中の。一枚は、休み時間の。一枚は、昼食時の。撮られた覚えのない写真が大量にあった。
なによ、これ。呟いたはずの声は、声にならず、そのことがまた見時をイラつかせる。
今まで靴箱に嫌がらせをされることは殆ど毎日と言っていいくらいで、その内容も毎回変わらなかった。それは小学生の時も、中学生の時も同じで、違うのはやる人間が違うということくらいだった。だから靴箱に嫌がらせをされるのは見時にとっては最早日常であり、気にすべきことではない。いや、気にする必要もない、といった方が正しい。
しかし、その記憶のなかでも、写真を入れられたことは今まで一度もなかった。
見時は思わず手に持っていた写真――最初に取り出した一枚――を握りつぶした。
気味が悪かった。何処で、何時、誰が。考えても、撮られた瞬間など全く覚えがない。覚えはないが、確かに写真は存在するのだ。
見時は更に手を強く、握り締めた。
――これで、勝ったつもりか――……!! これで私が恐怖に支配されるとでも思っているのか。これで私がお前らに屈するとでも思っているのか。
良い度胸じゃないの。
見時は薄く笑った。とても、とても綺麗に。
そして写真をびりびりと破った。写真の中の見時の端正な顔が歪む。
「さて、と」
紙の束を丁寧に鞄へしまう。これは誰の目にも触れてはならない。このことは誰にも知られてはいけない。何故ならこれは見時の問題だから。見時にとってだけのことであり、他の誰にも関係はない。
だからこそ見時は全てを隠す。皆の目に映らないよう。見時の、見時の中の、見時に纏わる全ての――黒い部分だけを隠す。
見時は靴箱を閉じる。そして、鞄の中から袋を取り出し、更に袋の中からスリッパを出し、脱いだままにしていた靴を袋の中に入れる。見時の靴箱の中には何も入っていない。何もされたくないなら、何もされない状況を作る、というのが見時のモットーであり、今までの経験から言える教訓でもあった。紙切れなどのように防ぎきれない嫌がらせも多いが、靴や、スリッパに対する嫌がらせは対応次第で直ぐに防げる。只、荷物が多くなるのが難点だが、そこは仕方ないと諦めている。
そうして、見時がスリッパを履き、教室へ向かうべく向きを変えたとき――……
一人の男子生徒が、此方を見ていた。
「――……ッ!?」
いつもと違う嫌がらせで、心の何処かに隙ができていた事は認めざるを得ない。いつもは細心の注意を払っているのに何故こんな時に限って、というのは後の祭りだ。
見られたか、という疑問は、その男子生徒の顔を見て一瞬で解決した。――……見られた。
動揺。疑問。不審感。心配。混乱。後は、そう――好奇心。
それらの感情をごちゃまぜにした表情で、更にその戸惑いから、その場を離れられなくなってしまっている。
わかり易い人。そう小さく呟くことで、いつもの冷静さを取り戻した。
余裕が出来たので未だに固まっている男子生徒を観察してみる。
いかにも馬鹿……単純そうな顔。無造作で、明らかに適当にセットしたであろう黒い髪(意外と綺麗な髪質だ)。制服はシャツの一番上のボタンを外し、ズボンにも入れずだらりと垂らした明らかな服装違反スタイル。成績が悪いに違いない、と見時は勝手に推測する。
と、そこでようやく目の前の男子生徒が口を開いた。
「――……見時……さん?」
「えぇ、そうだけど何か?」
見時は表向きの笑顔を前面に押し出して答えた。
しかし、珍しくその男子生徒は見時の笑顔に反応を示さなかった。
顔を真っ赤にして、目を逸らして、動揺して、勘違いして、――そして必ず喜ぶ。
それが、当然のことであった見時にしてはこの反応は以外で、新鮮で、とても、興味深かった。
「あー、と……さっき、その、靴箱の中に……」
凄く言いづらそうに、言葉を必死で選んでいる。その後も頭を抱え、色々と悩んでいたようだが、急にガバッと顔を上げ、堂々と言い放った。
「面倒臭いから、細かいことは省略する!! ――お前虐められてるだろ!!」
一瞬思考が停止した。――この男は何を言い出すかと思えば。
「単刀直入過ぎるにも程があるわよ!!」
「ちょ、デリケートな部分省いてやった俺の配慮を労えよ!!」
「何が、『省いてやった』よ!! 思いっきり面倒臭いって言ってたじゃない!! しかも!! 一番デリケートで、省くべき部分を大声で叫びやがった分際で何を偉そうに言っているのかしらぁ?」
凄みを利かせた笑みで取り敢えず黙らせる。
あっという間にペースを奪われた。普通ならこの場面で、あの台詞はまず言えない。言わない。でもこの男は言った。それが意図的だとしても、天然だとしても、こいつは――……
「やっぱり馬鹿だ」
あら。思わず声に出ちゃった。
「えぇ――――――!! なんで俺急に馬鹿にされたんだ。っつーか、やっぱりってなんだやっぱりって!! 初対面だろ!!」
「見た目が馬鹿。話してみたら中身も馬鹿。だから、やっぱり」
「ひでぇ――――――!! 予想外に酷いなオイ!! 見た目が馬鹿って改善しようがねーよ。中身が馬鹿なのは百歩譲って、不本意ながら、認めざるを得ないけどな!!」
「認めざるを得ない、じゃないわ。認めるべきよ。貴方には一歩も譲る権利なんてないのよ」
「なんでだ!! どうして初対面の相手に此処まで馬鹿にされなきゃならないんだ!!」
「馬鹿にはしてないわ。あなたが馬鹿だっただけよ」
「容赦ねぇな!! これが初対面の人間の会話でいいのか!! まさか前会ったことあるとかないよな。いや、あったとしてもここまで馬鹿にされる覚えはねぇよ!!」
「私は貴方の前世に恨みがあるわ」
「前世には逆らえねぇ……!! いや、ちょっとまて、前世のせいで俺が馬鹿になってるとでもいうのか!!」
「前世のせいでも私のせいでも、他の誰のせいでもないわ。何度も言わせないで。貴方が馬鹿だっただけよ」
「結局前世関係ないのかよッ!!」
「面倒くさいわね、早く認めなさいよ。自覚がないのは、自覚があるより殺意が沸くわ」
「自覚があってもなくても、殺意を抱かれなくてはならないのか!!」
「認めなければ救われないわ」
「若干宗教じみてきてないか、それ。主に俺はこの暴言ループから救われたいんだけど、ちゃんと救われるんだろうな?」
「勘違いしないで、救われるのは貴方じゃない。私よ」
「なんでだ―――!!」
「貴方の馬鹿加減にうんざりして、気分が落ち込んだ私を救えるのよ? 何て慈悲深い行為なのでしょう」
「俺の救いは何処にあるんだぁ――!!」
「貴方の救いにもなるのよ。さぁ、言いなさい。自分は馬鹿な犬だと!!」
「いつから俺にドM設定がついたんだ、このドS野郎!!」
「お褒めに預かり光栄だわ」
男子生徒はがっくりと効果音がつきそうな程、項垂れた。
遠巻きに眺められ、恐れ多くて近づけない、と言われたり、
遠巻きに睨まれ、嫌いだから近寄りたくない、と言われたり、
それが普通であった見時にとって、お互い遠慮もなく、気楽に、素の状態で話せたのは殆ど初めてといってもいい。美人、という縄で縛られない普通の女子生徒になれた気がした。普通、という枠に入るには見時は些か変わっているとも言えるが。
ただ、この会話が楽しく、とても心地よかった。
「そろそろ、話を戻させてもらうぞ」
精神的にも限界だしな、と苦笑しつつ、その男はまた私に聞いた。
「虐められてるんだろ?」
「えぇ」
私も、また同じような返事を返した。
ここからは、――私の黒い部分に踏み込まなければならない。
踏み込まれるか、踏み込まれないか。
否、踏み込ませるか、踏み込ませないか。
見時はクスリと笑った。
――……先程の会話に感じた名残惜しさは、見時の心の中だけに留めておいた。
予想以上に会話で弾けてしまいました。
こんなつもりじゃなかったのに……。
見時が勝手にドSになりました。