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少年と冬の精霊

作者: 相神 透

 遠い時代の遠い世界のお話────


 冬になると、その森にはたくさんの雪が降り、どこもかしこも真っ白に覆われます。森に棲んでいるいろんな動物たちや恐ろしい魔獣でさえも、殆どが冬眠したり身を寄せ合って暖をとりながら春の訪れを待っています。

 そんな森に住んでいる精霊のイリヤは、だから冬の間はとても寂しくとても退屈しています。彼女は寒さに凍える体とか、風がさらって行く体温も持っていないので、冬になると遊び仲間がいなくなって悲しんでいるのです。冬眠しないでいるリスや鳥たちも、冬の間は食べるだけで大変で、遊びの相手はしてくれません。

 イリヤが声を聴いたのはそんなときでした。森から少し離れたところから伝わってくるのは、人間の悲鳴のようです。冬のこの時期のこんな雪深いときでも、時折人間がこの北の森までやってきます。なんでもこの時期にしか採れない薬草が森の中に生えているらしく、欲深な町の商人たちが隊商を組んでやってくるのです。

 普段は人間には近づいたりしないイリヤですが、その時はたいへん退屈していたので、何が起きているのだろうかと興味をもって近づいて行きました。


 北の森から少しだけ外れたところで、人間の商人がよく使う幌の付いた馬車が立ち往生していました。そしてなんということでしょう、その周りを恐ろしい魔獣が群れを作って囲んでいます。大きな狼のような恰好をしたその魔獣はもう、馬車を牽いていた馬や御者は食べてしまったようです。魔獣の間に転がっている剣や鎧は商人が雇った護衛の戦士のものでしょうか。この魔獣の群れは、冬が来る前に十分な蓄えができなかったのでしょうか。人間の商人はいつもの冬なら出てこない魔獣の群れに、運悪く出くわしてしまったようです。

──ああ、かわいそうに。

 イリヤはあまり人間が好きじゃありません。けれども魔獣はもっと嫌いなので、彼らに襲われた人間に心から同情していました。

 すると────

『たすけて、たすけてよお。』

 誰かが呼びかけるような声が聞こえます。いいえ、彼女に呼びかけたものではなく、ただ助けを求めるために叫んでいるようです。それも、声が聞こえるのではなく心の声─思念が伝わってくるのです。

──馬車の中かな?

 その思念を発しているのは馬車の中の人間のようです。魔獣は馬車を取り囲んで壊そうとしていますが、馬車はほとんど雪に埋もれてしまっていて、体当たりしても壊せず、引っくり返そうとしてもびくともしません。苛立っている魔獣のそんな様子を横目に、イリヤは馬車の中に入っていきました。精霊のイリヤはほんの少しの隙間でも潜り抜けることができるのです。

──中にいるのはどんな奴かな。

 彼女は人間という生き物をたくさん知っています。みんな傲慢で横柄で、目的の物──植物や鉱石、もちろん動物の時もあります──を手に入れるためには、森を荒らすことを何とも思わない嫌な奴らです。だからちょっと顔を見たら、さっさと森に帰るつもりだったのです。ですが────。

「お姉さん、だれ?」

 馬車の中にいたのはイリヤが見たことがなかった種類の人間でした。イリヤはそれまで人間の大人は見たことが有ったのですが、子供を見たのはこれが初めてだったのです。

──この小さいのが人間?

 彼女が知ってる人間はもっと大きくて煩くて臭い連中でした。でも目の前にいる人間は小さく、寂しげで、酒や煙草の嫌なにおいがしません。

──これが人間の子供なのかな?

「ねぇお姉さんだれなの?」

 その時初めて その子に自分が見えていてそして話しかけてきてるのだと気づきました。

『私が見えるの?』

 驚いて思念で返します。そうすると少年はきょろきょろと周りを見た後、驚いた顔でイリヤのほうを見ました。

『今の、お姉さん?』

 察しのいい子です。

『そうだよ。君には私は見えるの?』

 その子は目をパリクリして答えます。

『見えるよ?』

『君、魔術師?』

 小さな子だから魔術師だという答えを期待したわけではありません、ですがその少年は答えようとしています。

『えーとね、えーと』


 ……そのときでした。

 バリッという音と一緒に馬車の天井の幌が分厚く張った氷ごと破かれて、狼が大きくなったような顔の魔獣が少年に襲いかかりました。


 普通、精霊は人間にはできるだけ関わらないようにしています。なぜかというと、精霊は人間の生活に影響を与えることを厳しく禁止されているからです。だから、イリヤも目の前で死んでしまうかもしれない少年を、そのまま見過ごしたのかもしれません。────いつもなら。


──話の途中で割り込まないで!!。


 ドンッという大きな音と一緒に魔獣は馬車の外に放り出されてしまいました。精霊のイリヤは一頭の魔獣くらいならば問題なくやっつけることができます。

 魔獣を追い出したイリヤは、少年の方を向いて話を続けようとしたのですが、目を大きく見開いて固まってしまっています。魔獣が襲ってきたことと突然それがいなくなったことでビックリしているようです。

「君、名前は?」

 破れてしまった幌に精霊の魔法で障壁を張り魔獣が入ってこれなくしながら、少年に問いかけます。

「だ……ダニエル」

 口ごもりながらも答える少年に優しく微笑んで、自分も名乗ることにしました。

「ダニエル、私はイリヤよ。安心して。魔獣から守ってあげる」

 なんでそんな気になったのか、あとで聞いても分からなかったでしょう。でもそれがイリヤとダニエルの運命を決めたのでした。


 馬車の中でイリヤとダニエルは一晩を過ごしました。イリヤは春が来たら沢山の生命にあふれる森の話をして、ダニエルは町での暮らしと自分がちょっとだけ魔法の力を持っていることを話しました。

 外にいた魔獣は、いつの間にか馬車を襲うのを諦めてどこかに行ってしまったみたいです。

 目の前に精霊がいて自分と話をしていることに興奮していたダニエルは、自分を襲った不幸のことを忘れてしまっていました。朝までは。


 朝、ダニエルが目を覚ますと馬車は雪に半分埋まっていて、その周りには魔獣に襲われた後がありました。そうでした、ダニエルは昨日魔獣に襲われてお父さんもお母さんも皆殺されてしまったのでした。そのことを思い出したダニエルは泣くしかできませんでした。彼はまだ子供なので、雪をどけて、その下に家族を埋めることもできません。

──いつまでも泣いてちゃだめよ。君が強くならないと誰も守れないんだよ。

イリヤが優しく諭すのに、ダニエルはやっと泣きやんでうなずくと、住んでいた町へ行く支度をすることにしました。

「歩いて行けるのかなぁ」

『私が馬車を牽いてあげる』

イリヤがほほ笑むと、ダニエルの目の前で雪に埋もれていた馬車が、雪の重さをものともせずに動き始めます。

「イリヤの魔法ってすごいね!」

そして馬車はダニエルとイリヤを乗せてダニエルの家がある町へと動き始めました。


 その馬車の旅はダニエルにとって楽しいものでした。イリヤは優しく、まるで本物のお母さんやお姉さんのようでしたし、彼女の魔法は、普通はつらい旅路を快適な散歩のようにしてくれました。


 町へ半分くらい来たと思った日、ダニエルの家の近くに住んでいる親戚の叔父さんが迎えに来てくれました。叔父さんは魔獣相手のハンターをしている人で、本当ならこのたびに最初から同行したのですが、奥さんが病気で取りやめていたのです。叔父さんはダニエルの家族が皆死んだことを悲しみ、それでもダニエルが生き残ったことを大いに喜びました。そしてここまでダニエルを守ってくれたイリヤにお礼を言います。

「冬の精霊よ、この子を守ってくれて本当にありがとう。何とお礼をいっても言い足りないくらいだ。何をお返しにすればいいだろう」

 イリヤはダニエル以外にもきちんとした人間がいることがうれしくて、にっこりして答えました。

「その子がきちんと大人になるまで面倒を見てくれればそれでいいわ」

 叔父さんは、

「もちろんだ」

と答えると、怪訝そうな顔で付け加えます。

「それにしても、あなたは大丈夫なのか?精霊はあまり人間にかかわってはいけないと聞いたことがあるのだが」

 イリヤはにっこりと笑いました。人間に心配されるとは思ってなかったのでまた嬉しくなったのです。この人にならダニエルを任せても大丈夫でしょう。

「解らないわ。禁じられてるって聞いたこともあるんだけど、私たちにはお互いを罰するような仕組みがあるわけじゃないもの。ただ世界がその精霊を拒絶するって言われてるけれど。でもね、これはいけない事だったのかもしれないけれど、私はダニエルを助けたかったんだからしょうがないわ」


 そして、叔父さんも一緒に旅をすることになり、今度は叔父さんが連れてきた馬に馬車を引かせることにしました。馬車の準備が出来て、さあ出発というときに、突然それは起きました。

 イリヤが動かなくなったのです。彼女は苦しそうに顔をゆがめて言いました。

「ダニエル、ごめんなさい一緒に行けそうにないわ。なんだかここから動けないの。とうとう、人に干渉した罰がきたみたい」

 イリヤに与えられた、精霊が人にかかわった罰というのは、一つの場所にくくりつけられるようにして動けなくなることのようです。これではイリヤはダニエルとはもう旅を続けられません。ダニエルは泣いて一緒に居ると駄々をこねました。

「駄目よ、いまのわたしだとあなたを守れない。叔父さんと一緒に町へ行って強い大人になって頂戴」

ダニエルは自分が弱虫だから足手まといなのだということが分っていました。でもイリヤと一緒にいたいのです。

「いやだよ、一緒にいたい。僕がイリヤを守るよ」


 そのときでした、魔獣の咆哮が聞こえてきたのです。

「まずい、魔獣がこちらに向かっている」

叔父さんがいうと、イリヤがうなずいて言います。

「ダニエルを連れて逃げて。私はここで魔獣を防ぐわ」

 そしてダニエルのほうを向いて言いました。

「私を守れるくらいに強くなってね。約束よ」


 叔父さんはダニエルを抱えると馬車に乗り込んで動かしました。イリヤが魔法の障壁で魔獣から守ってくれてるうちに遠くまで逃げないといけません。必死で馬車を走らせます。遠くで魔獣が吠えている声が聞こえていたのが、やがてひときわ大きな吠え声になった時、馬車が急に重くなりました。馬車を軽くしていたイリヤの魔法が切れたのです。

 ダニエルにも、なぜだかもうあの精霊には会えないのだと、分ってしまいました。


 叔父さんはダニエルの頭に手を乗せて優しく言います。

「ダニエル、強くなりなさい。お前が強くないと誰も守れないんだ。今度みたいにな」


 町へ戻ったダニエルは、叔父さんに育ててもらいながら叔父さんに剣を習い、魔法も一生懸命に勉強しました。そして毎年、冬になると叔父さんにイリヤと別れたところまで連れて行ってもらいました。

 でも、あの優しい精霊に出会うことは二度とありませんでした。


 大人になってダニエルは、強くなりました。魔獣ハンターのダニエルといえば誰でもが知っているほどです。でも強くなってもダニエルは全然うれしくありません。イリヤが一緒にいないからです。次はイリヤを守る、そのために強くなったのですから。


 その冬もダニエルはそこにやってきました。イリヤと別れた場所です。いつもと同じように野は雪に覆われて見渡す限り真っ白です。

──おれ、強くなったかな。いまなら君を守れるかな。

そんなこと思いながら立ち尽くします。イリヤはあの優しい精霊はもういないのだと、確かめるように何時間もそこにいました。


 やがて日が暮れて、ダニエルは宿を取っている近くの村に戻っていきました。すると村の近くまできたとき、村の門の外に一人の女の子の姿がありました。門の外で、誰かを待つようにじっと立っています。

──なにしてるんだろう?

 その少女はじっとダニエルのほうをみていました。

 ダニエルが近づいていって大変驚きました。遠い記憶にある、懐かしくずっと会いたいと思っていた女性の顔がそこにありました。そして──

「ダニエル?」

 少女が、彼の名を呼んだことで、ダニエルはその少女が誰なのかはっきりと分かったのです

「イリヤなのか?」

少女が、イリヤの顔をした人間の少女がうなずきます。

「私、ここで生まれ変わったのよ。あなたが強くなったって聞いてうれしかったわ。今日あなたの名前聞いたから、あなたがこの村に来てるって聞いたから、もしかしたらと思って……」

 そして、どちらからともなく二人は歩み寄り、距離が近づいていきました。


 そのときでした。またもや、魔獣の吼える声が響きました。何年も前二人を引き裂いたあの声です。

 でもダニエルはもうおそれません。こんどは守りきるのだと剣を抜き魔術で障壁を張ります。


 しばらくの攻防で、ダニエルは魔獣を追い払いました。

「やっと君を守れるようになったよイリヤ。一緒に来てくれるか」

 その声を聞いたイリヤの顔が赤く染まっていきました。そして恥ずかしそうに下を向き、そのままこくりと頷きました。


 やがて日が暮れて、辺りには雪が降りだしました。白い世界の中でずっと抱き合っていた二人の影は、ゆっくりと離れて、手をつなぐと仲良く歩いて村へと入っていきました。


 冬の灰色の空と、まっ白な台地に囲まれた小さな村には、小さくてでも暖かな光がともっていました。


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