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それから、少し月日がたちました。
自室で私の前に立つ女王様は、その美貌を真っ青に染めておられます。
いつもの問いに、いつものようにお答えしただけのことでした。
しかしながら、そのお答えがいつもとは少しばかり異なっていたことが原因なのです。
「……白雪姫が、抜かれた……」
ルーナの順位が、とうとう2位になったのです。
女王様は、まるで自分が追い抜かれたかのように動揺し、軽くよろめいてしまわれました。
ああ、なんとお労しい。
「ありえない。こんなに早く……この前会ったときだって……なぜ?」
聡明な女王様に珍しく、お口にされる言葉に覇気と脈絡がありません。
問われぬ問いに答えられぬは我が定め。
女王様の疑問は「ルーナが何故ここまで急速に美しくなっていくのか」というものでありましょう。
しかし、女王様はその問いを私に投げかけることはありませんでした。
万物を見通すことが可能である私、鏡の精であればその問いに答えることもできましょうが、女王様はあえてその問いを伏せてこられた。
持ち主たる女王様のお心だけは見通すことの叶わぬ私ではありますが、察することはできます。
(もちろん、それを口に出すことも、他のいかなる活動に反映させることも私には許されておりませんが)
「カリス義姉様……まさか、そんな……」
意味をなさない断片的な言葉を紡がれる女王様。その時、来客を告げるノックが部屋に響きます。
「女王様。急遽謁見を賜りたいという者が見えております」
「今は誰にも会うつもりはないよ。お引き取り願いな」
「それが……"ルーナが会いに来た"とだけ言えば分かるなどと言われているのですが……」
「なんだって!?」
ルーナが通されたのは、謁見の間ではなく女王様の自室。
目深に被ったフードを脱ぐと、ルーナは物珍しそうに部屋の中を見回す。
「スゴ……。メッチャ綺麗な宝石とかいっぱいあるし」
「おまえ、いくら結界があるとは言え、どうしてわざわざこんなところに」
「それより、せっかく来たんだからお茶の一杯でも出ないわけ?いつもは作法だとかもてなしの心がとか五月蠅いくせにさ」
「……」
小娘の無遠慮な物言いにも、女王様は寛容なお心で応じられます。
「アポなしで来る客に、そんな準備をする時間があるわけないだろ」と至極もっともなご意見を小声で呟かれながら、テキパキとお茶を煎れられます。
ああ、女王様自らそのようなもてなし……!なんともったいない!
出されたお茶を、妙にこなれた優雅な仕草で口に運ぶルーナ。
「……薄っす!香りが凄く良いから期待したのに、全然味がしないじゃない。もっと温めのお湯で時間をかけて煎れた方が良いんじゃないの」
「ごちゃごちゃ言うんじゃないよ。うちの国の茶葉は香りが売りなんだ。時間をかけて煮出したんじゃ、せっかくの香りが飛んでしまうのさ」
「でも、バランスってモノがあるでしょ。口に入れたとき、舌と顎に染みるような茶葉の旨味がいいんじゃないの」
「価値観の相違だね。ていうか、そんな論争をふっかけるためにわざわざここに来たのかい?」
女王様の言葉に我に返ったのか、ルーナははっとした様子で改めて部屋の中を見回す。
何かを探している様子ではあるが、おそらくそれは──
「あたしがここに来た理由は二つ。一つは、白雪姫って人に一目会ってみたくて」
「残念だけど、今日は使いに出てるよ。あんな愚図に会ってどうするつもりだったんだい」
「アンタがあれだけ気にかけてる娘がどんなのか、ただ気になっただけよ」
ルーナの素っ気ない返事に女王様は内心穏やかではありません。
「チクショウ、自分が追い落とした相手の面を見下ろしたくてやってきたんじゃないだろうね」などと呟いておいでですが、生憎とルーナには自分の美しさの順位を知る術はありません。
それを知ることが叶うのは、この世でただ一人。この私、鏡の精だけでございます。
それに、この小娘にはそもそもその美しさに対する興味も執着もないのですから。
「それで、二つ目は?」
「それは、アンタに直接伝えたかったことよ。母様にアンタのこと聞いたの。世界一の美女を目指してるんですって?」
「目指してるんじゃない。すでに一位なのさ」
「でも、その順位を脅かされるのを怖がってる」
「……」
小娘の思慮の欠片もない無遠慮な物言いに、女王様は深くため息をつかれる。
図星を突かれたからではございません。
ルーナが核心に触れたからです。
「あたしが来たのは、母様に内緒でアンタに伝えたかったから。安心してほしいって、ただそれだけを」
「……」
女王様は、先ほどと同じように歯を食いしばり、ルーナの言葉を待っておられます。
分かっております、女王様。本当は、お止めになりたいのです。ルーナの言葉を、これ以上聞いていたくないのですから。
「あたしは、その世界一の美女とやらになったら、その瞬間に死ぬ。だから、放っておいても大丈夫」
「………禁呪……”生命圧縮”」
女王様は、愕然とそのお言葉だけを絞り出されました。
──生命圧縮──
圧縮の魔術における最上位、あるいは禁呪と呼ぶ者もおります。
生命の寿命を操作し、短期間でその能力を最大化、いえ、限界以上に引き上げる呪法。
「母様は、あたしと母様自身の生命を、世界一という"収束点"に向けて圧縮するように術をかけた。収束点目がけて圧縮された生命は、そこに到達した瞬間に圧縮限界を迎えて自壊する、とか言ってたっけ。よくわかんないけど、あたしに分かったのは"世界一美しくなった瞬間に死ぬらしい"って、それだけね」
「なぜ、そこまでするの」
「母様に訊いたことがあるわ。そしたら「世界一の美しさをこの手に抱いて死ぬことが、私の最大の願いだから」だって言ってたわ」
「それこそ価値観の相違ってことかしら。あたしはわかんないけど」と、頭を傾げるルーナ。
術の完成は、すなわち術者と被術者の死を意味します。
「だから、死ぬ前に一度会ってみたかったの。アンタが言うところの、「馬鹿で愚図で浅慮で間抜けな娘」って人に、ね」
「ルーナ、お前は本当にそれでいいのかい」
女王様は、その問いを隠せずにはいられませんでした。
どんな答えが返ってくるのかも、分かっておられたはずなのに、です。
「どうしてそんな平気でいられるんだい。もうすぐ死んでしまうと言うのに……。しかも、お前自身はこれっぽっちも興味もない、"世界一の美しさ"とやらのために……!」
その問いは、ルーナにも、その母であるカリスにも向けたものだったことでしょうが、なによりもご自身に向けられたもののように感じられました。
女王様は常日頃から、その世界一の美しさのために死ぬほどの努力を積み重ねてこられた御方。
自らの願いに命を賭けるのはかまわない。しかし、他者の願いに巻き込まれて命を奪われることは間違っている。
そして、美しさとはそこまでして追い求めるものではない。女王様はそうお考えなのでしょう。
そんな女王様の問いかけに、ルーナは迷うことなくこのように返事したのです。
「親子ってそんなモンだと思ってたけど、違う?母様に訊いたけど、アンタだって似たようなこと、白雪姫にしてきたんでしょ」
「……!」
「ま、あたしほど極端な例は珍しいかもしれないけどね」と、少しはにかむルーナに、女王様は無言で立ち尽くしておられます。
「そういえば一つだけ」
何かを思い出したかのように口元に指を当てるルーナ。
「最近、良い茶葉が手に入ったの。アッサムのセカンドフラッシュよ。このあたりじゃ滅多に手に入らないものを母様が取り寄せてくれたの。味を最大限に引き出すために、いま寝かしているところなのよ」
この娘、紅茶の話になると、やたらと饒舌になる様子。
無心でその紅茶の香りの素晴らしさ、熟成させた後に待っているであろう芳醇な茶葉の渋みについて蕩々と語り続ける。
そして、最後に、こうポツリと漏らしたのです。
「あたしが死ぬまでに、熟成が間に合うと良いんだけど」
その願いに、女王様がお答えになる術は持ち合わせておりませんでした。




