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「……これは参ったね」
鏡の精の報告を聞いて、私は頭を抱えるしかなかった。
ルーナの順位が、ついに3位にまで昇格したのだ。
先週に5位になったと思ったら、あっという間の出来事だった。
クソ……一体どうやったらこんな勢いでランクアップできるって言うのだ。
何かカラクリがあるのか。私がやったように、パレードでも開いたのだろうか。
いや、カリス義姉様の性格からしてそれはない。義姉様は、あくまで一人でルーナの美しさを愛でたいのだ。
「あるいは、それを私に見せつけたいんだ。私を屈服させるために……」
だとしたら、他にどんな方法が……
頭の中で堂々巡りする思考。
出た結論は、結局代わり映えしないものだった。
「ひっひっひ。よく来てくれたね、エレノア。それとも、いよいよ私たちの美しさに降参しに来たのかい」
「それとも、あたしのお茶が恋しくなったの?」
「……どっちも外れ。今日も敵情視察さ」
ルーナが煎れたお茶を運んでくるカリス義姉様に軽く会釈をする。
気のせいか、この前に会った時からさらに皺が深くなったような気がするわ。
「最近はあちこちでパレードを繰り返してるね。随分と張り切って"売り込み"をやってるじゃないか」
義姉様の挑発を受け流し、出されたお茶を口にする。
……悔しいが、相変わらず絶品である。少し苦みが強いことを除けば非の打ち所がない。
そして、それはお茶を煎れたルーナ自身にも言えることだった。
「どうだい、うちの自慢の娘は。また一段と美しくなっただろう?」
ヒビの入ったガラス細工に触れるような繊細な手つきで娘の髪をなでる。
肌は陶器のように透き通り、シミ一つない。湖底のような深い青い目は、虚空を静かに映し取っている。
スラリと伸びた首筋としなやかな腰つきは、ゾクリとするような妖艶さを身につけ始めていた。
「悔しいですが、義姉様。末恐ろしい、と言う言葉は既にふさわしくなくなりつつあります。ルーナ、また一段と美しくなったね。相変わらずそれについてはどうでも良さそうな様子だけど」
私の言葉に、カリス義姉様はにたりと頬をゆがめ、ルーナはさして感慨もなくお茶をすすっている。
二人の様子を見るに、何も変わった様子はなかった。ただ、順当に──いや、非常識なほどに少女が美しく成長しているだけだったのだ。
なんの小細工もなく、なんの努力もせず、無意識のままに己を磨き上げていく。そんなことができるのか。
ここに来る前に抱いていた疑問は氷解し、代わりに新しい謎が生まれただけ。
やるせなさを抱えて静かにため息をつく。すると──
「どれ、せっかくだからお前の娘の様子でも一緒に眺めてみようじゃないか。エレノア、お前も自分の留守中に娘がどんな様子か気になるだろう?」
そう言って、懐から水晶玉を取り出し念を込める。
これも義姉様の得意な魔術だ。"遠見"とも言うが、やっていることは彼我の距離を"圧縮"して近くに見せているにすぎない。
でも、簡単に真似できる芸当でもないのも確かで、だからこそは私は毎回こうやって足を運んでいる。
とにかく、水晶玉の中には私の娘──白雪姫の像が映し出されていた。
「おやおや、なにやら歌を歌いながら呑気な顔して料理をしてるね。エレノア、留守の間に娘にホームパーティでも開かせようとしたのかい?」
「……いいえ、そのようなことはあり……ないはずですが……」
あ、の、馬、鹿、娘、が!
言いつけををやぶって、料理なんか始めやがってええ。
帰ったら覚えておきなさいよ!
腑煮えくりかえっている内心を表情に出すまいと必死に心を静めようとしていると、義姉様がこんなことを口にする。
「相変わらずみっともない姿をしてるねえ。エレノア、お前に似た黒い髪。海の底にこびりついた海藻のように真っ黒で汚らしい色をしてるじゃないか。私の術じゃ映像しか見えないけど、腐った磯の匂いがこっちまで届きそうだよ」
水晶玉をペチペチと叩きながら、背中をのけぞらせて嘲笑する。
まったく、義姉様は天才だ。
これほどの嫌味、悪口、皮肉をここまで次々とまくし立てることができるのだから。
憎たらしい白雪姫の悪口だ。本来なら手を叩いてそれに同意して陰口談義に花が咲くと思っていたのだが、代わりに私の口をついて出たのは別の言葉だった。
「いえいえ、黒髪もそれほど捨てたものではありません。磯の香りというのも、生物が生きていた証ですから。むしろ、銀髪にも困ったことはありませんか?無機的で、まるで鉄錆のように荒れ果てた印象を持たれることも多いでしょう?」
「……」
「……」
私の"反撃"に、義姉様はしばし沈黙と共にものすごい形相でこちらをにらみ返してくる。
もちろん、それに一歩も引くつもりはない。こう言うのは、引いた方が負けなのだ。
「言ってくれるじゃないか。見てごらんよ、虫に刺されたように無様に膨れ上がったあの赤い唇を──」
「ナイフで切り裂いたような薄い唇も、いかがなものかと思いますがね──」
不毛な舌戦は、しばらくの間続くのだった。
……すっかり遅くなってしまった。
いつまでも終わることのない口げんかは、ルーナの「もういい加減にしたら?お腹すいたでしょ」という味気のない仲裁の言葉でお開きとなった。
よほどヒートアップしたのか、カリス義姉様は疲労困憊といった様子で「もう、横になる。とっとと帰りな」と、にべもない言葉でお別れした。
今は、夜の森の中をルーナに連れられて家路についている。
「ねえ、あんたって、あたしのことそんなに嫌いだったの?」
出し抜けにそんなことを訊いてくる。気のせいか、少しだけ肩がしょげているように見えた。
「どうしてそんなことを言うんだい?」
「だって、滅茶苦茶あたしの悪口言ってたでしょ。髪の毛の色とか、口のきき方がなってないとか、そもそも作法が身についてないだとか……」
「いや、あれは売り言葉に買い言葉ってやつで……」
言い訳がいくつも脳裏をよぎったが、それらをすべて押し込める。
言い訳は、結局は言い訳でしかない。
代わりに、私はこう答えることにした。
「すまなかったね。別に、私はルーナのこと嫌ってるわけじゃない。でも、あの時は何故かあんな言葉が口をついて出てしまったんだ」
「じゃあ……白雪姫って娘のこと、よっぽど好きなんだ」
「……は?」
ルーナの言葉に、私はしばし呆気にとられるしかなかった。
この私が、あの年中お花畑娘のことを……?
ルーナのあまりに的外れな言葉にしばし絶句していると、
「だって、母様がその娘の悪口言ってたとき、あんたハチャメチャに怒ってた。あたしのことが嫌いじゃないんなら、大好きな人をけなされたからあんな悪口が出てきたんじゃないの?」
「私が、怒ってた?」
私の返事に、ルーナは黙ってうなずき返し、夜の森の空を見上げた。
「あんたがそんなに執着するんだ。よほど綺麗な娘なんでしょうね。一度、見てみたいわ」
ルーナが妙なことを口走る。
あの時、義姉様の水晶はルーナの目の前にあったはずなのに。
私の表情を読み取ったのか、「ああ、そうか」と一人呟いた後、ルーナは少し寂しそうに笑った。
「母様の術は、私には見えないことが多いの。術同士が相殺し合うことがあるって、母様が言ってた」
「"術同士"が……?」
言われた言葉の意味が咀嚼できず、私はしばらくその場に立ち尽くした。
そういえば、前回はあれだけルーナの外出に厳しかった義姉様が、今日に限って何も言わずに私たちを送り出したのは何故か。
かわいい娘が誰かに傷つけられないように何重にも張り巡らせた結界。
その途方もない圧力は、今でもひしひしと──
そこまで思考を巡らせて、唐突な違和感が私を襲った。
結界の圧力が、"今もなお"……?
頭の中に浮かび上がった、とてつもなくおぞましい予感に身がすくみかけたその時、何者かが木々の暗がりから身を躍らせた。
動揺していたとはいえ、この私に気配を悟らせずにここまで接近するなど相当の腕前だ。
「女王陛下……お命頂戴!」
「!?」
森の隙間を縫って現れたのは、いつか見知った顔だった。
王室お抱えの狩人──と言えば聞こえはいいが、要するに暗殺を請け負う殺し屋である。
特訓に邪魔だから暇を出したのだが、どうやら逆恨みをされたようだ。
見たことのない殺気を纏い、弓を限界まで引き絞り、狙いを定めている。
……もちろん、その狙いは私の心臓だ。
「お覚悟!」
こいつの腕はよく知っている。何かを狙ってし損じるなど訊いたことがない。
非情で冷徹な狩人。情にほだされて狙いを違えるなどあり得ない話だ。
つまり、私の命はまもなくあの矢に打ち抜かれる。
果てしない鍛錬と殺意によって磨き上げられた絶対の死の射線。
生と死の彼我を一瞬で縮める必中の矢は、しかし何者かに唐突に遮られた。
「……!?」
矢を放った狩人が最初にその異変に気づいた。
必中の矢の前に立ちはだかったのは、まだ幼い銀髪の少女。
「ルーナ!」
あの狩人が限界まで引き絞った矢の威力は知っている。以前、易々と鉄板を打ち抜いたのを見たことがある。
ルーナの薄っぺらい胸板など易々と貫通して、その後ろにいる私もろとも射貫くに違いない。
しかし──
「なっ……!」
ルーナに吸い寄せられた矢は、見えない壁に激突したかのようにみるみるひしゃげて丸まっていった。
そしてポト──と、可愛げのある音を立てて地面に落っこちた。
「……不覚」
矢を放った直後の違和感の正体に気づいたのだろう。矢がどのように防がれたのかを見るまでもなく、狩人は再び夜の森の中に消えていった。
あまりの見切りの早さ。追いかけて仕置きをくれてやろうかとも思ったが、それよりも大事なことがあった。
「おまえ。怪我は……ないようだね」
ルーナの様子を観察してみるが、やはり私の見間違いではなかったらしい。
矢は、ルーナに当たることなく、その直前で勝手に押し縮められて自壊したんだ。
完膚なきまでに"圧縮"されたその矢を見て、ようやく先ほどの疑問が氷解していった。
カリス義姉様……貴女はどれほどルーナに執着しておられるのですか。
義姉様が一人でルーナを外に出した理由が、そして、ルーナに白雪姫の姿が見えなかった理由が分かった。
ルーナには、"圧縮"の結界が張られているのだ。
かつて、あの古城に張り巡らせてあった分厚い結界が、さらに圧縮されてルーナ個人に。
山を縮めて小石にするような芸当だ。
道理で義姉様が衰弱されていたわけだ。このような大魔術を施行されたのであれば無理もないだろう。
「そういうわけだから、帰りは私一人でも安心だから気にしないで。それじゃ」
気づけば森の出口はすぐだった。
いつものように素っ気ない別れの挨拶と共に、ルーナは虫の鳴き声すらない静寂の中に帰って行くのだった。




