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「いいかい、今日からまた少しの間留守にする。私がいないからと言って、日課をサボるんじゃないよ。見ればすぐに分かるんだからね。この城と、お前自身の美しさ。少しでも曇らせたら容赦しないからね!」


 私の言葉に、真っ青な顔で頷く白雪姫。

 この一ヶ月の"特訓"がよほど堪えたのか、私が城を立つ前に既に走り込みを始めた様子。


 ふん、少しはマシな顔をするようになったじゃないか。


 今回の目的も、また敵情視察である。

 魔法の鏡に訊いてみれば、私と白雪姫のランクは不動の1,2。しかし、やはりルーナの順位は着実に、いや、尋常じゃない勢いで伸びてきていた。

 

 先日は、なんとあの東国の"砂漠の舞姫"を抜いて8位に昇格したのだ。やはり、この目でその実力を確かめなくてはいけない。

 

 しかし──


 いざ隣国の古城の前に来てみて、私は改めて事態の深刻さに気づいてしまう。

 ここ最近のルーナの躍進に気が動転してしまっていたらしい。


 ここまでノコノコやっておきながらなんだが、義姉様が今更私を城の中に招き入れるとは思えなかったのだ。


 この前とは状況が違う。

 義姉様はあれほどまでに堂々と宣戦布告をしたのだ。


 いわば私たちは敵同士。敵をむざむざ懐に入れる馬鹿がどこにいるというのか。

 下手すれば、私がルーナの命を狙うと疑われたって不思議はない。

 

 冗談ではない。


 いくらなんでも、自分の美しさを保つために他人の命を犠牲にすることなんてあってはならない。

 そんな外道に落ちるくらいなら、死んだ方がマシさね。


 何故か胸がチクチクと痛むがそんなことはどうでもいい。


 古城の前で様子を伺っているしかない私に、またも背後から声をかける者がいた。


「どうかしたの?そんなところに一人で立って」


「……!?」


 戦慄と共に振り返ると、そこには銀髪の令嬢──ルーナが静かに立っていた。

 クソ……!やっぱり前よりも遙かに綺麗になってやがる。

 白雪姫といい、こいつといい、たいした努力もしないくせに見た目だけどんどん洗練されていきやがって……!


 内心歯ぎしりしている私をよそに、ルーナは色素のない透明な表情で私の手を取る。


「わざわざ来たんでしょ。せっかくだからお茶でも飲んでいけば」


 エスコートのマナーも、口のきき方もなってない小娘め。

 見てなさい。お前のような奴には絶対に負けないからね。


 しかし──


 私の手を引く、目の前の小柄で華奢な少女の背中を見ながら、私はわずかな違和感を拭えずにいた。

 この少女は、あまりにも儚すぎる。希薄と言い換えてもいい。


 前回とは違って、私は常に周囲に気を張り巡らせていた。たとえ義姉様が背後に忍び寄っていたとしても気づく自信があったほどだ。

 でも、ルーナはそんな私の警戒を難なくかいくぐって私の背後に立っていた。


 それはもう、気配を消すのがうまいとか、存在感がないとかそういう問題ではなかった。

 義姉様が、何かをしたに違いない。


「そうだ。義姉様は、どこに」


「出かけてる。街に買い出しに行くって言ってた」


「お前はついて行かないのかい?」


「この城を出るなって、母様の言いつけだから。人目につくところに、あたしはいちゃいけないんだって」


 なんと無防備な。留守を狙って誰かが襲ってくるなどと考えはしないのだろうか。

 カリス義姉様の独占欲にもあきれ果てるばかりだ。ルーナの美しさを独り占めするためとはいえ、ここまで徹底するのはどうかしている。

 手を引かれて場内に入ると、だが、私はすぐにその考えを改めることになった。


 ──結界が張られている。しかも、とてつもなく高等な代物が、幾重にも。


「忘れてたけど、母様からの伝言。この城では人に害を与える行為は一切許されないから。無駄な悪巧みはよすんだね。だって」


「そんなの、言われるまでもないわよ。こんなの、宮廷魔術師団と戦争を始めるつもりなのかい……」


 義姉様は昔から"圧縮"の魔術が得意だった。

 この城に張られた結界は、本来なら街全域を覆うような広域魔術の一種。しかし、義姉様はその結界を圧縮し、この古城の一角にだけピンポイントで張り直していた。


 しかも、一つだけじゃなく、いくつも──

 そしておそらく、今も遠見の水晶を使ってこの古城の様子を観察しているに違いなかった。

 いや、古城の様子ではない。きっとどこからでもルーナを愛でるために。



「適当に座って。あたしはお茶を煎れてくるから」


 まったく、相変わらず作法も、もてなしの心も微塵も感じさせない無礼極まりない|招待≪インビテーション≫だこと。

 私が通された部屋は、この前とは別の客間。

 客間とはいうものの、どうやらルーナとカリス義姉様の居室であるらしい。あちこちに読みかけの本や書きかけの書物が散らかっていた。

「紅茶でいいわよね。ていうか、他の飲み物なんてここにはないんだけど」


 台所でお湯を沸かす少女の背中に、私は常々疑問に思っていたことを問いかける。

 義姉様の術では音声までは聞き取れまい。義姉様に気兼ねすることもないだろう。


「ルーナ。お前は美しくなろうと思ったことはあるかい?今よりも、もっと美しくなりたいと願ったことは」


「美しい?なにそれ」


 異国の言葉を聞いたかのようにきょとんとして首を傾げるルーナを見て、私は怒りを通り越してあきれるしかなかった。

 薄々気づいてはいたが、この少女。あまりにも無頓着すぎる。

 それがなおのこと腹立たしい。私がどれだけ苦労してるのか知りもしないくせに……!


「そんなどうでもいい話はやめて。さあ、お茶よ」


 どうでもいい話だって……?

 この小娘は私を挑発しているのだろうか。

 怒りのあまり、またも意識を失いそうになるかと思った。


 しかし、


「……いい香りじゃないか」


「でしょ。あたしの自慢なの」


 カップから立ち上る紅茶の芳醇な香りが、私の怒りを緩やかに消し止めた。

 まさか毒でも入ってやしないだろうね?という疑いが首をもたげたが、ここは義姉様の結界の中。あらゆる攻撃行動は阻害される。


 でも、そんな不用意な行為をするわけには……


 などと私が逡巡していると、


「ねえ、飲むなら早くしてくれない。お茶が冷めちゃうでしょ。せっかくの香りが台無しになっちゃうんだけど」


 わずかに怒りを帯びたルーナの声。

 なんだ、何もかもに頓着してないわけじゃないんだね。


 ここまで言われて引き下がるのも癪だ。

 そしてなにより、目の前で宝石のような輝きを放つお茶を無視することなんてできるはずがなかった。


「……」


 口に含んだ紅茶から立ち上る香りに、私はしばらくの間絶句するしかなかった。

 この味を評するために口を開けば、そこから香りが逃げていく。


 私は無心で紅茶の味を堪能し続けた。


「どう、美味しいでしょ」


 無言で頷く私に、ルーナはほんの少しだけ自慢げに、誇らしげに微笑む。

 ふん、やろうと思えばそんな顔で笑えるんじゃないか。


「ただ、少しだけ味が濃くないかい。香りを持たせるために抽出の時間を長くするのはいいけど、茶葉の苦みも増えてる」


「何言ってんの。その苦みがいいんじゃない」


 見かけによらず渋いことを言うじゃないか。まあ、その辺は個人の趣味の範疇さ。ご馳走された側がとやかく言うことじゃない。

 しかし、これは参った。


 このエレノアが、ここまで見事なもてなしを受けて何もせずに帰ったとあっては女王の名折れだ。

 敵情視察のつもりだったわけで、手土産など用意しているはずもない。


 仕方ない。


 私は立ち上がると、胸元を飾っていたネックレスを取り外した。


「おいで、ルーナ。紅茶のお返しをしなくちゃね」


 そう言って、華奢な少女の首筋に金のネックレスをつけてやる。


 ……なんてか細い首だろうね。

 このまま、ネックレスを締め上げれば、あっという間に折れてしまいそうなほどに。


 いや、そんなことを考えるのはよそう。


「女って生き物は、美しさとは切っても切り離せない存在なの。あんたは、もう少し自分のことに関心を持つんだね」


 「ほら」と声をかけ、鏡の前に立たせてやる。

 お忍びの外出するための地味なこしらえだったから、この年頃の少女につけても違和感はない。


 むしろ、


「……よく似合ってるじゃないか」


「──ありがと」


 年相応の子供のような飾り気のない感謝の言葉。ただし、耳を澄まさないと聞こえないほどにか細い声で。

 受け取った言葉だけを手土産に、私は帰路についた。




 ──その日の晩。


 城に帰って、私は今日のことを死ぬほど公開することになったのだった。


 ──チクショウ。ルーナの順位がまた1ランク上がってるじゃないか。


 敵に塩を送ってどうするんだよ、私は……!





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