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 それからというもの、女王様の容赦のない特訓が始まりました。


「いつまで寝てるんだい。さっさと起きるんだよ!」


 起床は4時30分。太陽が昇る前、城の中に静謐な闇が横たわったままの刻。

 ベッドで丸くなっておられる姫様を、強引にたたき起こされます。



「これくらいで根を上げるんじゃないよ!あと20週走りきるまで、歩くことは許さないからね!」


 起きるとすぐに中庭に連れ出され、そこでひたすら走り込み。

 運動は美容の基本。体力はすべての礎。その哲学に従い、女王様御自ら姫様の前を走っておられます。


 時々振り返っては姫様に厳しい言葉を投げかけ、それでもペースが落ちると後ろから杖でお尻を殴り飛ばされておいでだ。

 素晴らしい肺活量、そして運動量でございます。


「早くしないと日が昇っちまうだろう!日光はお肌の天敵。なんのためにこんな早起きしてると思ってるのさ。もしも日の出に間に合わなかったら、明日は今日の倍のメニューにするからね!」


「は……はいいぃっ!」


 背筋を燃やさんばかりの女王様の叱咤に、姫様も必死に食らいつかれておられます。 





「あの、お母様。あれだけ走った後にこれだけの量を食べろというのは──」


 食卓に並んだ朝食の皿の多さに目を丸くする姫様に、


「お前、食事を舐めてるね。運動の後だからこそ食べるんだろうが。走り込みで失った体力は、補充しないと中から私たちの美しさを奪っていくんだ。それに、これくらい栄養をとらずして、今日一日の予定をこなせるとおもってるのかい?」


 女王様は腰に巻いたエプロンを外しながら(なんということでしょう。栄養バランスを完璧に整えるため、女王様自ら朝食を手がけられたのです!)テキパキとナイフとフォークで食事を口に運んで行かれます。

 あれだけの運動をしたにも関わらず、息一つ乱すことなく、背筋をシャンと伸ばしていらっしゃる。


 そして時折、


「視線を泳がせるんじゃない。それに、ナイフは指先を引っかけるように扱いな。私たちにとって、食事の場は戦場なんだ。一瞬でも気を抜こうものなら、無様な姿をさらす羽目になるんだからね」


 と、姫様の指導を欠かすことも忘れません。油断すると、どこから取り出したのか、魔法の杖で容赦なく打ち据えてしまわれます。





 それから、歌にダンスのお稽古。教養を身につけるため、学問の時間も設けられました。

 そして、あろうことか稽古の合間にお城のお掃除までなさっておいでです。


「美しさってのは、なにも私たちの容姿だけで決まるもんじゃないんだよ。自らの美しさを完璧に引き立たせるための空間を整えることだって、美を極めるには重要な仕事なのさ」


 普段の姫様を遙かに上回る速度で、見る間の城中を磨き上げられていきます。

 もちろん、その間も、


「その花の水は昨日替えてなかっただろうが。忘れるんじゃないよ!」


「タイルの端にたまった埃を諦めるんじゃない!串を使ってほじくり出しな!」


「部屋の汚れは自分の汚れと一緒だと思いな。誠心誠意込めて磨き上げるんだよ」


 と、姫様へのご指導の言葉もお忘れになりません。





 嵐のような一日はあっという間に過ぎていきました。

 姫様のお尻を蹴飛ばすように、二人分の指導に時を重ねられている女王様を見て、不承の身ながら、思わず胸にこみ上げるものがあります。


 お懐かしゅうございますなあ。


 昔も、女王様はこのような特訓の日々に明け暮れておられた。そうして、今の美しさ、地位を手に入れられたのです。

 そんな女王様のシゴキ──もとい、鍛錬を終えられた姫様は、すっかりお疲れのご様子。

 まあ、無理もありますまい。


 ベッドに倒れ込むと、そこから夜空の月をぼうっと見上げられています。

 すると、窓際で休んでいた小鳥たちが細々とした声で姫様にさえずります。


「ああ、小鳥さん達。心配してくれてるの?ありがとう」


 疲れ切っているにも関わらず、白雪姫様は気丈に小鳥たちに返事をされます。

 眠気を振り払うようにあくびをし、寝支度を整えながら、小鳥たちに声をかけられました。


「でも、今日は本当に疲れてしまったわ。いつも厳しい人だったけど、今日のお母様はいつにも増して激しかったの」


 姫様の言葉に、鳥たちはますます不安そうな音色で鳴くと、姫様の肩にそっと止まる。


「ごめんなさい。不安にさせちゃった?大丈夫よ、これでも私、そんなに辛くないの。だって──」


 小鳥の頭をそっとなでると、窓の側に立ち、冷えた夜気を大きく吸うと、誰にも見えないように口元をゆがめられます。

 それは、鏡の精である私にしか見ることが叶わなかった、ほんの一瞬の、些細な微笑みでした。


「だって、私──」





 一日の鍛錬を終えられた女王様が自室に戻ってこられました。


 なんということでしょうか。今日一日で、女王様の美しさにますます磨きがかかっておいでだ。

 

「──ふう」


 ドアを閉め、私の前に立つと短いため息を漏らす。

 ああ、なんという感動。


 人前で弱音一つ吐くことのない女王様が、私の前だけで見せるこの表情。

 一日の激務を終えられた最後に一息つかれたこのご様子。なんとお美しいことか!


 そして、女王様はご自身の髪を結い上げている櫛に手をかける。

 ゆっくりと、ためらうように櫛を抜き取ると、女王様の漆黒の長髪がゆるやかに解けていく。

 そこにだけ重力が存在しないかのようにゆっくりと、いえ、あるいはそれに見とれている私の時が止まっているのでしょうか──いずれにしても理不尽なまでの優雅さで女王様の背筋のラインを覆い隠していきます。


 人前では決して髪を下ろすことのない女王様。

 世界で最も美しい女王様でありますが、今のこの髪を下ろしたお姿こそが最も美しいと思うのです。


 しかし、女王様はそれをなさらない。

 すでに世界一の美しさを備えられているのですからそれも不要というお考えなのか、それを慮るような不敬は私には許されない。

 

 私は鏡の精。

 

 私にできることは数知れないが、できないこともまた多い。


 持ち主たる女王様のお考えを知ることも、持ち主たる女王様の問われぬことを口にすることも許されない。

 ああ、なんと歯がゆいことか……!



 私が人知れず小野が無力に震えていると、櫛を枕元にそっと置いた女王様は、私に向かってこう問いかけられました。

 それは、幾度となく繰り返された、私と女王様との間だけの秘め事。



 世界でたった一人。この問いかけを許されるのは、たった一人だけ。



「鏡よ鏡。答えておくれ。世界で一番美しいのは、誰か?」



 そして、この問いに答えられるのもまた、世界でたった一人。



『それはもちろん、女王様。貴女です』














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