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 愚図な娘を追い出して、私は再び自室で一人になった。


 本棚の魔道書を手に取る。


 古くさい、汚れた本だ。魔道の師から受け継いだ中でも、とびっきり古く、強力な術式が載っている本。


「私には苦手な分野だったから、手を出してこなかったけどね。この際選り好みしてる場合じゃないか」


 独り言を呟きながら、目当てのページを探し当てた。


「これだ……"生命停止"……」


 かつて師に"永遠の若さ"について尋ねたとき、この術を紹介されたんだ。


 "生命停止"──文字通り、被術者の生命活動を停止させる、これも禁呪の一つだ。

 聞こえは物騒だけど、その名が示すほどに危険な代物ではない。ただし、簡単でもなければ安全でもないのも確かだけど。


 対象を死滅させる術式ならいくらでもある。でも、それを停止と呼ぶことはしない。

 魔術においては、怪我や病と言った呪術は総じて"加速術"と呼ばれる。

 "死"とよばれる終着点に向けて人の生命を加速するというのがその解釈であるのだが、この術式に関しては減速、あるいは完全に停止することを目的とする。


「今考えれば、義姉様がルーナにかけた圧縮結界も呪いのようなものだったんだ。完璧な死の予定を規定することで、他者にその予定を上書きさせることを禁じる──つまり、究極の防御結界になるって訳だね」


 だから、きっとこの"生命停止"は義姉様の術式に干渉しない。

 あの結界は他者からの害意──加速術の干渉にのみ作用する。


「だから、きっとこの術なら大丈夫。ルーナの成長を、永遠に、とまでは行かないだろうが相当遅らせることができるはず」


 仮に、ルーナの寿命があと一ヶ月だとして、この術でそれを何百倍にも引き延ばしてやれば良い。

 見かけ上は全く老けることなく、ゆっくりと世界一の美女になっていくんだ。

 本人はそのことに対して興味もありがたみも感じないだろうことは容易に想像つくのが癪に障るけどね。


 しかし──


『女王……様……。その術を使うことはお止めください……』


「なんだ、おまえ。自分で喋ることなんてできたのかい」


 鏡の精が自分から声を発するなんて初めての出来事だった。

 同じ師に作られた存在だけに、あれにもこの術の副作用が分かっているのだろう。


 この魔術は、"食べること"で初めて発動する。

 生命停止なんて高等な術を使うためには、それなりの手順を踏まなければならないのだ。


 魔道書には、術を付与する食べ物まで指定されていた。

 それを見て、私は思わず口元をゆがめる。

 机の上に置いてある、娘が作ったアップルパイを横目に見る。


「生命と美しさの象徴であり、しかし罪と罰の根源でもある果実──さながら毒リンゴってことか」


 アップルパイの隣に置かれている、市場で買ってきたというリンゴを手に取った。

 こいつに術式を封じることはできる。しかし──


「問題は、義姉様の目をかいくぐってどうやってルーナにこれを食べさせるのか……だ」


 口には出してみたが、答えは既に決まっていた。


 王族の歴史は、毒殺の歴史でもある。

 その歴史の中で、最も簡単で確実に毒を防ぐ方法。


 そう、自分で食べてみせれば良い。いわば"毒味"だ。


「私も一緒に永遠の若さを堪能するってのも悪くないんだけどね」

 

 心にもないことを口にする。

 師にこの術を聞いたときに、生涯この術を使うまいと誓ったほどだったのだ。


 時が止まると言うことは、成長もしないと言うこと。

 そんなのは私はゴメンだ。


「しかし、こっち側を食べることになるとは思ってなかったけどね」


 生命停止の術は、強烈な反作用を必要とする。

 振り子が何かにぶつかって急停止させられるなら、ぶつかった何かは逆に急加速させられる。


 つまり、リンゴは二つの魔術を半身に宿す。片側には生命停止を、もう片方には生命加速を。

 リンゴにかけられた魔術は二人が口にすることでようやく発動する。


 おそらく、義姉様が気づいた頃には術式は完了しているだろう。

 きっと、自分と同じくらいに年老いた私を見て、さぞ驚くことだろうね……。


「迷ってる暇はない。術式に取りかかるよ……!」


 気合いを入れて体内の魔力を練り上げようとしたとき、再び鏡の精が話しかけてくる。


『女王様……何故です。ご自分の美しさを捨ててまで、どうしてあの娘に慈悲を……』


 私が老いるのを、まるで自分のことのように思っているのか、苦しみ嘆くような口調で問いかけてくる。

 ふん、この女王が一度決めたことをそう易々と翻すと思うのか。


 でも、いいだろう。

 最後に本心を聞かせてやるのも悪くない。


 鏡の前に立ち、何も映さぬ深い闇に語りかけた。


「私の美しさは、既に次に引き継がれている。娘は、娘なりのやり方で自分を磨いていけば良い」


『そのような理由であれば、禁呪など使わなくとも自然にその時は訪れましょうに……』


「うるさいやつだね。最後まで黙って聞きな」


 漆黒の闇を一睨みして黙らせる。

 鏡の精が怯んだ隙に、机の上に視線を移す。


 ふ──と、肩の力が抜ける。

 なんだ?どうやら私は相当間抜けな理由で世界一の座を明け渡そうとしているらしいな。


「そうさね。あの甘ったるいアップルパイなら、少し苦みの強い紅茶とぴったり合うかも──そう思っただけさ」


『……』


 リンゴを手に取る。

 くだらない雑談の合間に、体内の魔力は十分に練り上がった。

 

 いよいよ術式を起動させるときだ。

 愚かで生意気な娘達に、これが私にできる最初で最後の贈り物。


 ──と、そうだ。

 ふとした茶目っ気が脳裏をよぎった。


 きっと、この問いをかけるのも今回で最後になるだろう。

 鏡に向き直り、いつもの口調でこう問いかけた。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは──誰だい?」


 いつもの問いかけに、しかし鏡は初めての反応を返してきた。


 底知れぬ闇のような鏡面に、像が結ばれようとしているのだ。


 "鏡が何かを映そうとしている"

 ぐにゃりと歪んだ、その後に鏡に映し出された像と共に、鏡の精はこう応えた。


『それは──』







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