その3 私の王子様
★魔闘少女ハーツ・ラバーズ!
第五話『恋せよ乙女! ロマンスラバー誕生!』
その3 私の王子様
teller:河本 詩織
別に、恋愛なんてしなくてもいいと思っていた。
そんな物は自分とは無縁だと思っていたし、特に興味もなかったし。
私が関心を向けていたのは、自分の学業成績や授業態度くらいなもので。
もうそれはほとんど自分のアイデンティティみたいなものだった。
両親共に医者の家系で育った私は、やっぱり家族に期待をかけられていて。
模範的であろうと、いつも心がけていて。
要は、私は、河本詩織という人間は、単なる堅物なのである。
でも、こんな私も本を読むことと絵を描くことだけは他人の目や評価を気にせず純粋に好きだった。
部活も、美術部に入っていたし。
本を読んでいると、自分の世界が広がっていく。
絵を描いていると、自分で世界を創れるような気がする。
それらをきっと、私は楽しいと感じていた。
でも、楽しいという感情にすら気付けず、馬鹿みたいに生真面目に生きていた中学一年生の、五月。
その日は、先生に頼まれて教材を運んでいた。
先生や、クラスメイトに頼られることに悪い気はしていなかった。
クラスでも学級委員長を務めていたし、これが私の役割なのだろうとぼんやり認識していた。
ただ、その日持っていた教材の入った箱は随分と重くて。
絶対無理、とまではいかないけどちょっと大変だなあ、と感じるくらいの重さ。
そんな時。
「……河本?」
ボリュームこそ小さかったけれど、どこか凛とした声が廊下に響いた。
私の名前を呼んだその声に振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの芹沢昴くん。
あまり話をしたことはない。
というか、芹沢くんが誰かと長く会話をしている所を私は見たことがなかった。
とても寡黙で、物静かな男の子。
そういう印象しかなかった。
私に何か用だろうか、と首を傾げていると。
芹沢くんは、それ以上特に何かを言うこともなく、私にすたすたと近付いてきて。
ひょいっ、と。
「え……」
私が苦労して運んでいた教材の箱を、それはもう軽々と取り上げてしまった。
驚いた。
芹沢くんは、あまり力があるイメージがなかったから。
特別背が大きい方ではないし、体育の時間でも目立った活躍は見せていなかったし、その時は彼がどの部活に所属しているかまでは知らなかったし。
大丈夫だよ。
このくらい平気だよ。
私一人で持って行けるよ。
そう言いたかったのに、何故か言葉が出てこなくて。
「……これ、どこまで運ぶんだ」
芹沢くんの、有無を言わせない意志の強さを宿した眼差しが、真っ直ぐに私を見据えるだけだった。
◆
「あ……ありがとう……ごめんね……」
結局、私は芹沢くんに教材を目的の教室まで運んでもらってしまった。
私は運んでいてちょっと苦しかったのに、芹沢くんはあれだけの荷物を運んでも息一つ切らしてなくて。
男の子、なんだな。
そう、思ってしまった。
何でだろう。
私らしくもなく、緊張してしまった。
お礼の言葉も、ぎこちなくなってしまう。
芹沢くんは、私から目を逸らして、黙り込んでいて。
何を考えているのかは、全く読めない。
「……河本は」
ぽつり、と芹沢くんが呟いた。
「……もっと……自由にしてても……いいと思う……」
言葉の意味がわからず、つい芹沢くんを凝視してしまう。
一瞬、芹沢くんと目が合う。
だけど、すぐに芹沢くんは気まずそうに視線を逸らした。
他人と長く見つめ合うことが、苦手な人なのかな、と思った。
「……美術室の……壁の……絵」
美術室の、壁の、絵?
首を傾げそうになる。
少し考えて、この前の美術の時間に描いたあの絵だろうか、と思う。
ピーマンの切り口をスケッチして、その中の世界を自由に表現する、というお題の絵。
クラス全員の作品が、美術室の壁に貼られている。
私の作品の仕上がりは、少しファンシーな物になってしまった。
他学年の人や部活仲間にも見られてしまうわけだから、恥ずかしかったのだけれど。
でも、美術の時間は気に入っていた。
美術部の部活も同じく。
自分で自分だけの世界を創っていると、どこか気が楽になる。
けれど、あの絵がどうしたんだろう。
「……あれを描いている時の、河本……楽しそうだった」
「……楽しそう?」
「……河本は……いつも、張り詰めてるから……もっと、楽しく生きても……いいと思う」
そこで、芹沢くんは、ようやく私の目を真っ直ぐに見て。
「……少なくとも、オレは……河本の……あの絵を、見ると……凄く……楽しい気持ちに、なる、から……」
――室内なのに、風が吹いた気がした。
芹沢くんから、目を逸らせなくなってしまった。
芹沢くんも、私をじっと見つめている。
彼がこんなに多くの言葉を喋れる人間だということにも、それはそれは驚いたけれど。
でも、それ以上に。
別に、誰の目にも留まらなくてもいいと思っていた。
自分の世界を自分だけで得られればそれでいいと思っていた。
ただ、何となく好きだったこと。
良く考えれば、私が珍しく自発的に、誰に期待されたわけでもないのに好きになったこと。
それだけのことが、芹沢くんに認められた。
それどころか、私の創った物が彼の心の何かを動かしている。
他のクラスメイトと等しく飾られているだけで、私の絵が特別高く評価されているわけでもないのに、芹沢くんはそれを見つけてくれて。
それって。
それって、どれだけ凄いことなんだろう。
何でだろう。
息ができない。
声が出ない。
まるで、金縛りに遭ったみたい。
芹沢くんが、また何かを言いかける。
その時丁度、芹沢くんの部活仲間らしき男子が彼の名前を呼ぶ声が聴こえた。
芹沢くんが、また居心地が悪そうに私から目を逸らして、それから特に何かを言うこともなく私から遠ざかっていった。
私は、その背中をずっと見つめていた。
見つめることしかできなかった。
思ったより、広い背中だった。
そして、芹沢くんの背中が完全に見えなくなった頃。
へなへな、と私はその場に崩れ落ちた。
急激に、心臓が暴れ出した。
かつてないくらいの激しい動悸に、戸惑ってしまう。
息が苦しい。
顔が熱い。
いきなり発熱したみたいに、明らかに体調がおかしい。
私、どうしたの。
どうしちゃったの。
自分で自分がわからなかった。
心臓も、脳も、全てがズタボロだった。
ズタズタにされた脳の奥を、芹沢くんの言葉が何度も何度も響いてる。
勉強や規律だけに囚われていた自分の狭苦しい世界が、一気にべたべたに絵の具のような何かで彩られて押し広げられた気さえした。
私は私なのだと、誰に強制されるでもなく私の道を選んで歩んでもいいのだと、初めて誰かに言ってもらえた気がした。
だからと言って、そう簡単に人は変われるわけもなく。
次の日からも、私は委員長として、一般的に言う模範的な優等生であろうとして、ごくごく真面目に学校生活を送り続けた。
元々嫌々やっていることではなかったし、身に沁みついたそれに文句はなかった、けど。
ただ、はっきりと変わったことが一つ。
私は、クラスメイトの芹沢昴くんの存在を目で追いかけるようになってしまった。
真面目に授業を受ける横顔、時々眠そうに目を擦る仕草、それから慌てて姿勢を正す所。
交友関係は狭いようだけど、波長の合う男子と話している時、ごくまれにとても優しく微笑む所。
無口だから声を聴ける機会は滅多にないけど、授業中に先生に当てられた時とか、数少ない友人と話している時に聴ける静かに響く綺麗な声。
彼がサッカー部に所属していると知ったその日から、美術部の活動がない日は何故かふらふらとグラウンドに足を運んでしまった。
美形の先輩目当ての女子のグループの陰に隠れてこそこそと練習風景を目にした時にだけ見れる、彼の真剣な熱い瞳はすぐに私の網膜に焼き付いた。
彼はゴールキーパーだから、試合中はあまり動くことがないけれど、その目はいつだって真っ直ぐにボールを追いかけていて、ゴールを攻められればきっちりと自分の仕事をこなす。
いつも、練習を凄く頑張っているんだろう。
グローブも、ユニフォームも、遠目から見てもボロボロだった。
芹沢くんを見ていると、胸がひどくドキドキして、ちょっとでも気を抜くとくらっと倒れそうになる。
芹沢くんのことを考えると、恥ずかしいような嬉しいような良くわからない気持ちになって顔が真っ赤になる。
芹沢くんが近くにいると、どうしたらいいかわからなくなって身を縮こまらせたくなってしまう。
つまり。
つまりは。
あの日から、私は芹沢くんのことが――。




