その5 自己紹介
★魔闘少女ハーツ・ラバーズ!
第三話『ドキドキ! こずえの新学期!』
その5 自己紹介
「えー、はい! 今日から君達2年1組の担任を務めます! 小野寺です! みんな、よろしくな!」
小野寺と名乗った、眼鏡をかけた優しそうな壮年の男の先生が、2年1組の教壇に立っていた。
私の席は、窓際だ。
鈴原くんの席は、廊下側。
河本さんは、教室の後ろの方の席。
席の並びは、出席番号順ではないらしい。
知っている人が、近くにいない。
それだけで、心がざわついてざわついて落ち着かない。
教壇をちらりと見やって、小野寺先生の姿を確認して、俯く。
さっきから、ずっとその繰り返し。
怖くて、恥ずかしくて、泣き出してしまいそう。
どこか、手が震えている気さえした。
小野寺先生の話が、あまり頭に入って来ない。
「じゃあ、一人ずつみんなに自己紹介してもらおうかな! まずは、鈴原から!」
「はーいっ!」
小野寺先生の声で、鈴原くんがガタンと大きな音を立てて席を立つ。
声も大きい。
凄い、な。
あれ、ちょっと待って。
みんなの前で、一人で話す。
授業中に差された時なら、決まっている答えを言えばいいのだからまだ頑張れる、けど。
最初から最後まで自分で考えた文章を喋るのは、その、私には、とても。
「はい、どーもっ! 鈴原一希でっす! 鈴に原っぱの原に一番の希望って書いて鈴原一希や! 大阪から来ましたー! よろしゅう!」
私の頭がパンクしそうになっている間に、鈴原くんは自己紹介を始めていた。
にこにこ笑って、はきはきと喋って。
やがて鈴原くんは椅子の上に勢い良く飛び乗り、片足を机に置いてび、と片手の人差し指を天井に向かって突き付けた。
「部活は野球部入るつもりやねん! 目指すは4番でサード! そんでもって、ド派手にてっぺんとったるわ! 応援したってやー! ……っと!? うあ!? ちょ!?」
不安定な態勢で立っていたからか、鈴原くんの椅子がガタガタと揺れて。
あ、と私が声を上げそうになった頃には、鈴原くんはその場にひっくり返って、大きな音を立てて転んでしまっていた。
どっ、と教室のあちこちから笑い声が上がる。
鈴原くんは、頭を少し擦ってから照れ臭そうに笑った。
「こらー、鈴原ー、椅子と机を足蹴にするなー!」
「すんませーん!」
小野寺先生に注意されて、それでも鈴原くんは明るく笑って、そんな姿がますます周りの人を笑顔にさせた。
やっぱり、鈴原くんは凄い。
こんなに素敵な人が、どうして私なんかと友達でいてくれるんだろう。
ううん、素敵な人だからこそ、優しい鈴原くんだから、私とも友達になってくれたんだ。
ぎゅ、とスカートの上で手を握る。
一人一人の自己紹介を聞きながら、自分の番を待つ。
勇気。
勇気、出さなきゃ。
そんな時、印象に残る自己紹介があった。
河本さんの、前の席の男の子。
黒髪で、目つきが鋭いその人は、席を立って少ししてから、ぼそりと呟いた。
「…… 芹沢昴」
小さな声でそれだけ言うと、その人は、芹沢さんは、また席に座ってしまった。
小野寺先生が、目を丸くする。
「……えーと、芹沢、それだけか?」
小野寺先生の言葉に、芹沢さんが僅かに首を傾げる。
それから、またぼそりと。
「……元……1年2組……」
それだけ呟いて、芹沢さんが黙り込む。
「あー……芹沢、他に、何か伝えたいこととかは……?」
芹沢さんが、少し考え込むように俯く。
それから、またぼそりと。
「……サッカー部……」
サッカー部。
私にとって印象に残ったのは、その点だった。
たっくんが、サッカー部に入りたいと言っていたから。
ということは、芹沢さんはたっくんにとっては部活の先輩だ。
たっくん、部活に入るなんて凄いな。
上下関係とか、大丈夫なのかな。
「えっと……芹沢、他には?」
小野寺先生の声に、芹沢さんがきょとん、とした顔になる。
「……ゴールキーパー……」
それきり、今度こそ芹沢さんは黙り込んでしまった。
「も、もういいのか?」
小野寺先生に問いかけられて、芹沢さんはこくりと小さく頷く。
小野寺先生はそれに苦く笑った。
「そ、そうか。じゃあ、次、河本!」
河本さん。
私と鈴原くんに、親切にしてくれた女の子。
やっぱり、はきはきと自己紹介するのかなあ。
ちら、とどこか緊張しながら河本さんの様子を窺って、少し首を傾げそうになった。
河本さん、何だかぼんやりしている。
ぼうっと前を見つめている。
その頬は、どこか桜色に染まっている気がした。
まるで、熱でもあるみたい。
「……河本? どうした?」
「……え。あ、え、は、はいっ!」
そこで初めて、河本さんは自分が先生に呼ばれていたことに気付いたらしい。
慌てて席を立って、彼女は小さく咳払いする。
河本さんみたいなしっかりした女の子でも、緊張することってあるのかな。
「河本詩織です。クラスは1年2組でした。部活は美術部。趣味はスケッチ、読書。一応本はジャンル問わず読んでいるので、何か読みたいけどどういうのが良いのかわからない、という人は私に聞いてくださると嬉しいです。皆さん、これからよろしくお願いします」
良く通る声でそう述べてから、河本さんは深く頭を下げる。
凄くしっかりした自己紹介だ。
ほう、と溜息が洩れそうになった。
私じゃあんな風にちゃんと話せないから、河本さんにはついつい憧れてしまう。
それは、他の皆さんもそうだった。
何で、あんな風に笑ったり、声をはっきりと出せたり、多くの人の前で喋れるんだろう。
緊張しながら、また自分の番を待つ。
そして、その時は訪れてしまった。
「じゃあ、次、小枝!」
名前を呼ばれて、反射的に席を立つ。
椅子が動いた音が思ったより大きくて、心臓が跳ねた。
恥ずかしくなって俯きそうになった所で、教室中の視線が自分に向けられていることに気付く。
心臓が、ぎゅうと掴まれた気分だった。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
何を話せばいいんだろう。
名前、名前言わなきゃ。
北海道から来て、部活とかは良くわかんなくて、ええと、あと、あと、私の好きなこと。
一応は、料理が好きだけど。
それから、もっと、何か、こう。
考えてるだけじゃだめで、ちゃんと言葉にしなくちゃで。
勇気出さなきゃ、鈴原くんから勇気もらったのに、飴の包み紙、生徒手帳の中に忍ばせてきたのに。
頑張らなきゃいけないのに。
どうして、こんなにも泣きそうになってしまうんだろう。
「……小枝? どうした?」
小野寺先生の心配そうな声で、我に返る。
どれくらいの時間が経っていたんだろう。
早く、早く何か言わなきゃ、皆さんに迷惑かけちゃう。
「……っ、小枝……こずえ、です……えと……よろしく……お願い、します……」
消え入りそうな、蚊の鳴くような声でそれだけ言って、私は席に座る。
どうしよう、終わらせちゃった。
つまらない自己紹介になってしまった。
教室が、何とも言えない空気になったのがわかる。
私って、ほんとだめだ。
小野寺先生が、口を開いて何かを言おうとする。
その時だった。
「すっみませーん! おっくれましたー!」
やけに、可愛らしい声が教室に響いた。
女の子の声だった。
ぱたぱたと上履きの音を響かせて、一人の女の子が教室に駆け込んできた。
その姿を見て、私は固まってしまった。
眩しい金髪のショートカット。
私よりずっとずっと高い身長。
芸能人も霞む程に愛くるしい顔立ち。
その人は、一瞬にして私の意識の全てを奪ったんだ。
「ねえねえっ! 先生っ! あたしセーフかな!? セーフだよね!」
「こーら! アウトだぞー。遅刻するなってあれだけ言っただろー!」
「えへへっ、ごめんねー! 目覚ましセットし忘れちゃったんだ! あれ? もしかして今自己紹介中?」
小野寺先生の答えを聞く前に、その女の子は黒板の前に立って、にっこりと教室中に、花が咲いたような笑顔を向けた。
「はいはーいっ! 星野愛歌だよっ! クラスは元1年2組! でっかくてびっくりするでしょー、180cmあるんだよっ! えへへー、あたし、ハーフだもん! あ、でもねでもね、あたし外国語全然わっかんない! っていうか英語ぜんぶわかんない! そもそも勉強何もできないっ! だから勉強できる人はあたしにわかりやすく教えて! でも勉強できなくても毎日ごはん美味しいし楽しいよっ! 将来の夢はねー、じゃかじゃーん! アイドルになること! 見た目も中身もでっかいアイドル目指して頑張っちゃうよっ! みんな、よろしくねー!」
その人の、星野さんの自己紹介を聞いて、私は息を呑んでしまった。
私とは、何もかも違う。
笑顔も、声の大きさも、雰囲気も、存在も、全部が違う。
星野さんは、鈴原くんと同じだ。
場の空気を明るくできる素敵な人だ。
見渡せば、教室中が楽しそうな笑顔に満ちている。
星野さんは、可愛い人だ。
こんな人と友達になれたら、この人の笑顔を間近で見られたら、きっと楽しいんだろうけど。
眩しすぎて、近付けない。
「こら、星野ー! 勝手に自己紹介始めるな! まずは席に着けー」
「はーいっ! ……あ! しぃちゃんしぃちゃん! また同じクラスだね! 春休みの宿題あとで写させてー!」
「写さないから。星野さんちょっと静かにして」
「えーっ!」
星野さんが口に出した『しぃちゃん』、と言うのは河本さんの愛称らしかった。
下の名前が『詩織』だから、しぃちゃん、なのかな。
愛称で呼ぶのって、何だか、いいな。
憧れちゃうなあ。
星野さんと河本さん、仲がいいのかな。
羨ましいな。
もし。
もし、そこに入れたら、なんて、考えてしまう。
ここまで内気な私じゃ、そんなことできっこないのに。
憧れと、緊張と寂しさが綯い交ぜになった良くわからない感情。
ただ、とくん、とくん、と心臓がやや速い速度で高鳴っていた。




