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4話 最期までの日々。


 ありがとうございます。お読み頂き、とても嬉しいです。

 このお話の投稿を以って完結となります。最後までお付き合い願えれば。


 おっちゃんとの文通を始めて、三年ばかりの月日が経った。

 十五歳。大陸では仮成人と呼ばれる歳となったドゥラータである。

 彼とは毎日手紙のやりとりをするものの、姿を晒した事はない。

 会って幻滅されるのも怖かったし、やはり社会というものに組み込まれる事は怖かった。

 そこそこに満ち足りてしまっていて、これ以上を求める事さえもが怖い。

 臆病なドゥラータは『今』の微睡みの中にいる。



 

 それでもドゥラータにはお仕事が増えた。

 報酬が用意される訳ではないので、正確にはお仕事ではないのだが。

 それでも、その働きをすると「助かるわ」という安堵の言葉や「儲けー」などといった賞賛や喜びの声を聴く事が出来るのだ。

 後者の喜ぶ男の子達。彼等には、それで良いのであろうかと首を傾げる事もあるのだが、嬉しそうなので気にしない事にしている。

 彼等は坊ちゃんとも同年代に見えた。勿論、今のではない。

 今は坊ちゃんもきっと、素敵な大人になっている。もう二十歳を超えたのだろうか。

 ドゥラータの知る坊ちゃんと変わらぬ歳の男の子達は、お昼の路地裏へ入り込み、隠れん坊や鬼ごっこ、宝探しや狩りなどに興じていた。

 ドゥラータは離れた場所から見守っている。危ない事がない様に。

 彼等は少し鈍臭い。脚一本が不自由なドゥラータよりも足は遅いし、跳べもしない。力は強そうだが身体のバランスも良くはなかった。彼等は弱い。

 そう直感出来てしまうドゥラータだ。

 街の大人達が彼等を守ろうと、必死になる事も頷けた。

 ネズミに噛まれればワンワン泣いて、カラスに啄まれればやはりワンワン泣いた。子供達は、とてもか弱い生き物なのだ。十五にもなったドゥラータは、守護らねばならないと誓っている。

 だって、心配だった。坊ちゃんが泣いてるみたいで怖かった。

 彼等が泣いていると、おばあちゃんみたいな女の人や、おっちゃんみたいな男の人が来て、怖い奴らを追い払う。そうすると、彼等も安心して笑うのだ。

 ポカポカとした気持ちになる。

 坊ちゃんみたいな男の子達は泣きべそを掻いて、格好悪いのに。

 おばあちゃんみたいな女の人達はプンプン怒って、叱っているのに。

 おっちゃんみたいな男の人達はガハハと笑って、実は何もしていないのに。

 そんな光景が大好きで、胸の奥が疼く。

 でも怖くて、入ってはいけなかった。

 追い払われてしまったら。

 無視されてしまったら。

 怖がられてしまったら。

 路地裏の毎日は、きっと色褪せたものになる。

 だから彼女は遠巻きに見守っている。

 もしも、何かがあれば勇気を振り絞れる様に。


 とは言いつつも、それだけでは暇なのである。

 だから普段は視察に勤しむ。雀は当然の獲物だが、何もそれだけではない。路地裏には少ないけどもリスやサルもいるし、犬だっている。

 リスは臆病で、サルは狡猾だ。そして犬は獰猛だった。

 リスはよく逃げるので、あまり気にしなくてもよい。ちょっと音を立てたり寄ってやれば、一目散に逃げ出した。

 問題はサルと犬である。サルは狡猾で、子供達に手を出さない。

 何かあれば大人達がやって来て、多大な不利益を運ばれると知るからだ。

 大人達の用いる、銃は恐ろしい武器だった。今更ながらおばあちゃんの長男へ、撃ってこいと思っていた事に背筋が震えた。

 ドゥラータの空気銃など比較にならない。路地裏の生垣には穴が空き、サルの身体など弾けて飛んで原型も留めない。恐ろしい武器だった。

 だから狡猾なサル達は子供達へは近寄らない。見つかっても威嚇して、一目散に逃げ出した。結果的に危険はないので、見逃していてもよかった。

 だが、犬だ。犬がいるとヤツらの理性が吹き飛ぶ。

 それは獰猛な犬も同じであった。

 犬も子供達には従順だ。あの気位の高い犬達が、撫でられて尻尾を振る光景なぞ、珍しくもなかった。

 アイツらもアイツらで賢い。

 子供達が大人になる事を知っている。今のうちに媚びを売り、大人となった彼等に守護られようとしているのだ。なんという浅ましい態度か。野生の誇りはどうしたワンコ。

 そうグヌヌと唸るドゥラータであるが、やはり犬だけならば、捨て置いた。危険はないのだ。

 態々お節介を焼くまでもないのである。

 だが、犬とサル。奴らが出会うと少々話は異なる。

 大人しく撫でられていた筈の犬達は毛を逆立てて子供達の前に立ち、狡猾なサル達が狂乱した。

 犬が子供達を守護る為にあるならば、問題はない。

 最初はそう静観していたが、アイツらは事もあろうか子供達の事など忘れ、サルへと襲いかかった。

 始まる乱闘。殺し合い。

 醜い生存競争がそこにはあった。

 子供達は怯えるし、サルは投石なども行う。流れ弾が子供達へ当たってしまえば怪我をするだろう。

 犬は気付かずサルを襲い、子供達はその凶猛さを恐れた。はっきりと言えば、収集がつかない。

 おばあちゃんと読んだ本にも載っていた。

 犬猿の仲。奴らは滅茶苦茶仲が悪かった。

 なので、暫くして状況を悟ったドゥラータは、鎮圧に動く事となる。

 犬やサルの牙や爪? 問題にならない。

 術式も扱えぬ野良共なんざ、余裕だと彼女は思っている。そして、それは純然たる現実だった。

 空気銃の着弾により意識を向けさせ、共に火を燃やしてやれば奴らは慄く。所詮は炎も克服していない臆病者達だ。尻尾を巻いて逃げ出す事となる。

 様々な術式だけでなく、生涯の殆どを生き残る為に危機を脱する為に生きてきた十五のドゥラータの経験は、若く気力体力充実した獣を圧倒する。

 十歳程度のサルや三歳程度の犬など、まさに小童であった。知恵と経験が違うのだ。

 そして、彼女は路地裏の女王を自称している。女王は圧倒的な力で統治を行うものなのだ。

 エリスとかいう名をした女の伝記にも、そう書いてあった。

 誰が何と言おうが、ドゥラータは路地裏内では最強なのである。なので、君臨せねばならない。

 牙には牙を、爪には爪を。反目には無慈悲な裁きを。

 それが、野生と支配者の理だ。

 彼女は自分に酔っていた。グルグルするエールなんかよりも、余程に心地よく。

 犬やサル達には怪我などさせなかった。それだけの力の差があった。

 それに、奴らはドゥラータの路地裏王国の国民なのである。ちょっと柄は悪くとも、権威へ敬意を表する連中は、臣民であった。

 彼等は彼女の寝ぐらへは近付かない。その敬意が大変にドゥラータを満足させている。それに、怪我とかさせたら可哀想だし。

 ドゥラータはとても理想的な女王であると、己を信じている。


 だが、そういった臣民以外の侵略者達がいた。

 子供達はヤバイ帝国の臣民である。だから丁重に扱うのだ。

 賢いドゥラータには、力関係というモノが理解出来ていた。強大な表通り帝国の前では、路地裏王国なぞ儚いものだった。

 なので、それは子供達ではない。彼等は客人だ。

 そうでない外来種がいる。

 外来種とは言っても、土着の歴史はドゥラータよりも長い。それでも異物であり、この場所に存在するべからずと、本能的にも悟っていた。

 とても厄介な侵略者達はどんどん増える。

 質で言えば雑魚だ。ネズミ程度である。ネズミも臣民だし、大抵は服従を誓っているので、見逃してやっていた。ドゥラータは寛大なのだ。

 だが、侵略者達もまたネズミであった。黄色いネズミである。

 路地裏王国のネズミ達と、外来の黄色いネズミ達。彼女はこの両者に線引きを行った。

 当然だった。王国のネズミ達には可愛い所があるものの、黄色い奴らは傲岸不遜であった。

 数が少ない内は見逃してやってもよかった。

 おばあちゃんと読んだ本の中には、移民の皆は困っているのだから、助けてあげなきゃいけない。という教訓があったからでる。

 黄色ネズミ達も移民であった。奴らは山からやってきた。ドゥラータは路地裏の女王だ。慈悲を乞われたならば、寛大な処置もやぶさかではなかった。

 だが移民が分を弁えず、国民へ被害を出したのならば慈悲などかけられない。

 愛情には優先順位があるのだ。

 それが事故や些細な行き違いであったのならば、ドゥラータも見逃しただろう。

 奴らはドゥラータも扱うピリッとする術式の使い手である。これが良くなかった。

 ドゥラータの権威を保障するものが術式で、その力があるからこそ、女王として君臨している。

 黄色ネズミ達の扱う力の威力はそれ程でもないが、確かにドゥラータの得意のものと同系統の術式だ。

 ドゥラータの力を識る臣民達は怯えた。同じ力の持ち主を恐れた。それが黄色ネズミ達を増長させる、

 野良達との小競り合いをする。ピリッとさせられた野良達は尻尾を巻いて逃げる事となる。

 安全の確保された彼等はどんどん増える。そしてまた、小競り合いの機会が増えた。幸いなのはあまり大きな被害はなかった事だ。

 寛大な女王であるドゥラータは我慢をしていた。傍迷惑な奴らだが、駆逐するまではないと。

 怪我などさせたら処罰の必要があったが、そこまでの被害はない。

 緊張関係にこそあるものの、権威の侵害も気にならなかった。

 ピリッとする術式がなくとも、彼女自身が強大だったからだ。所謂大人の余裕であった。


 だが、どんどんと増えた黄色ネズミ達はついに一線を超える。

 数が増えた奴らはピリッとする術式を用いて、臣民たる路地裏の住民達を威圧している。我が物顔で路地裏の生活を謳歌していた。

 そこへ表通り帝国の民達、子供達がやって来る。

 子供達は黄色ネズミを捕らえようとする。

 成程。ネズミ達はキラキラと黄金に輝くので、一見すると宝石の様にも見えた。

 子供達は「お宝だ」と言い、手袋を嵌めた手で黄色ネズミ達を攫っていった。

 だが、子供達は少々鈍臭い。俊敏な黄色ネズミ達をそう簡単に捕らえられないし、転んだり、ぶつけたりして怪我をする。

 そこで黄色達は逃げるべきだった。だが逃げず、敵対者達へ襲いかかった。

 ドゥラータが観察により知った様に、彼等も知っていたのだろう。手袋はピリッとする術式を防ぐものであり、他の素肌を晒す部位、顔とか首へ放てば麻痺を与えられると。

 そしてこれまでは天敵など存在しなかった黄色ネズミ達は、天敵となり得る相手へ衆を恃み、反撃を行った。放たれる無数の術式。焼け爛れる子供の顔。

 ドゥラータは激怒した。この邪智暴虐なるネズミもどき共を除かねばならんと。

 彼女は腕の一振りで黄色ネズミの群れを鏖殺した。

 力も体躯も大きな差がある。当然の結果である。

 黄色ネズミ達のピリッとする術式なぞ、気にならない。その扱いにおいて、ドゥラータの方が遥かに上手であるのだから。

 一通りの虐殺が済んだ頃、子供達はいなくなっていた。負傷した子の治療の為に撤退をしたのかもしれなかった。

 ピリッとする術式はそれ程強いものではないが、僅かに熱を持ち、細胞にも作用するものだ。

 数が集まれば危険なものとなる。そして現在の黄色ネズミ達は非常に数を増やしている。

 咄嗟に抱いた思いは何かの物語と同じ一節であるが、この時から彼女は黄色ネズミ達を敵、害ある存在として扱う事となった。

 路地裏の安全を担保するからこその女王だった。

 そして、彼女は苛烈であった。

 見つけ次第に黄色ネズミ達を屠っている。見つけるのは簡単だった。奴らは遠慮や謙虚さなどを知らず、どこにでも蔓延っていた。

 次々に駆逐する。空気銃を放てば呆気なく絶命し、腕を振るえば死んだ。

 簡単な駆除だった。

 黄色ネズミにピリッとする以外の能はない。それを無効化するドゥラータは、彼等の天敵であった。

 そうして幾許かの時が過ぎれば、少々困った事態となる。遺骸の処理についてであった。

 黄色ネズミは増えすぎていて、その数も膨大となっていた。

 その遺骸を未処理のままで放置しておく事は出来ない。遺骸からは屍毒は発生するし、不潔でもある。

 生物であるからして、食せば問題ないのだろうが、ドゥラータは嫌だった。野良達だって嫌がった。

 黄色ネズミの肉はマズイ。臭くて舌がピリピリするし、腹も痛んだ。火を通してもだ。

 糧の豊富な路地裏である。好んで食そうとする変わり者などなかった。

 かといって、炎を放って焼くのも不味い。火葬は結構合理的な処理手段だが、この場所は路地裏だ。

 不用意に火を使っていては火事となる。埋める土葬は石床である路地裏では難しい。大量の遺骸を埋めるには大穴を掘らねばならず、そんなモノを掘ってしまえば狭い路地裏。往来にも支障があった。

 ドゥラータに妙案はない。仕方なく、後で何か思い付くだろうと黄色ネズミ達の遺骸は一箇所へ集めておいた。

 どの様な処理をしようが、纏めてやれば楽だと思ったからである。往来に遺骸を残したままにするのも風が悪かった。妙案が浮かぶではないのだが。


 しかして、初めての粛清、大量虐殺の翌日に思わぬ解決策が訪れた。

 どう処分すれば良いのかと、頭を悩ませていたドゥラータだ。その光景に目を瞠る。

 包帯を顔に巻いた子供が遺骸の山へ指を差し、興奮している。周りでは他の子供達も興奮しており、身振り手振りで以て、ポカンとする大人の男女達へ何事かを伝えている様だった。

 そして一人の男性が路地裏を出て、やがて荷車を引いてやって来る。皆して黄色ネズミ達の遺骸を荷車へと乗せて、運び出した。

 ドゥラータの悩みは何も思い付かない内に解決してしまった。どうやら集めて置いておけば、表通りの連中が処理してくれるらしい。

 それからも、暫くの間黄色ネズミを粛清している。

 遺骸は纏めて所定の場所へ置いておく。人が来て、喜んで持っていった。

 これが、お仕事となった。いや、報酬が約束されていないので、あるいは社会奉仕か。

 黄色ネズミは数多い。狩り放題であるし、ドゥラータの独占事業である。独りでもやるしかなかった。

 大量虐殺であるのに、彼女は結構楽しんでしまっていた。黄色ネズミ達は傲慢でイケすかない。数が少なかった頃はまだ可愛げもあったのに、増えれば増長するのだから、粛清に躊躇いなどある筈もない。

 ドゥラータは路地裏の無慈悲な女王で、統治者なのである。治安を維持し、民を統制する責任があった。

 そういった知識はおっちゃんからの報酬である、書籍や雑誌で知っている。

 それに、密やかな楽しみだってある。

 黄色ネズミを屠ると、表通りの彼等には喜ばれているのだ。その遺骸を積み上げれて置いておけば、お褒めの言葉と共に美味しい糧を置いていかれている、

 魚の干物や、燻した肉などである。色々とあって盛り沢山で、ドゥラータは路地裏へと持って行き、臣民へと振る舞った。慈悲深い女王として。

 彼女自身は肉や魚にどには手を付けない。臣民へ施した。量が限られる為に、分け合うのなら仕方のない選択であった。

 だが、その中にはドゥラータにとってのネギ類の様に、野良達には食べられない物もある。

 そしてその中に、牛乳があった。

 これまで飲んだ事のなかったドゥラータは、牛乳に夢中となった。

 甘く、コクがあり、されどサッパリとした切れ味のある濃厚なもの。

 こんな甘露があったものかと、はしたなくも口周りまで汚して夢中で舐めた。

 好きだから、良いのである。とてもとても美味しくて、牛乳の母である牛達を祭り上げる事とした。

 路地裏の守護神として素晴らしき牛と牛乳へ祈りを捧げるのは、とても心満たされる時間であった。

 

 そうやって、路地裏の中で楽しみながらも社会に僅かに関わって、ドゥラータは日々を過ごしている。

 とても充実した毎日だった。

 




 焼き鳥屋台を営むジャンは、『誰かさん』と何度か手紙の遣り取りをする内に、その相手は成熟した大人でないのではないか。と、思い始めていた。


 確かに、言葉選びや語り口は古臭いものだ。だが、その割には世間知らずで少々夢見がちだった。

 そこで腹を括り、お幾つですかと尋ねてみれば、十二歳であるという。前に一緒に暮らしていたお婆ちゃんとは別れ、七年が経つそうである。どうにも、やりきれない話であった。

 それに彼女は、人が怖いらしい。言葉を喋れず、指も自由に動かない女の子。

 お婆ちゃんと暮らしていた少女は五歳の頃に、脚も一本、駄目になってしまったそうだった。それでは、あまりにも哀れでないか。

 手紙を書きながらも、つい、涙が零れる。年端もいかない子供が、不自由な身体で生きている。

 四十を超えても独身で、子などいないジャンにとっても処理しきれない感情だった。

 衝動的に、養子となってはどうかと書き殴りかけたが、留まる。そんな事をこの子は望んでいないと理解していた為だ。

 独りでも生きていけるの。それが彼女の口癖だと、彼女自身は気付いているのだろうか。

 子供にそう言わせる事が忍びなく、また何をする事も出来ない己の弱さがもどかしい。

 想像でしかないが、取り潰しとなった貴族の子女なのかもしれないと考えた。

 やや偏りがちだが、知識や知性はそれに恥じないものだし、優れた術師は貴族に多い。

 それに七年前といえば、とある貴族派閥が大逆を企て、連座として幾つかの家が取り潰しとなっている。

 もしもその縁者であれば、公共の福祉へ頼る事さえ恥辱となるのだろう。

 一人で生きられる。そう言い張る事も不思議ではなかった。

 同情か、哀れみか。何とか、ならないのかと思う。

 だが、踏み込めはしない。平凡なジャンに人一人を救う術はなかった。

 だから自分自身さえ誤魔化して、現状維持に務めていく。手紙を書いて、焼き鳥を焼いて。

 何かが変わる事は恐ろしく、その場において己を貫ける程の強さはない。彼には平凡の自覚があった。




 ドゥラータは焼き鳥屋台の大将。

 取引相手でありながら、師匠にして弟子でもあるという難解な関係であるジャンとの文通を楽しんでいたのだが、この関係も終わりが近いかもしれないとも感じていた。

 狩りの腕は追いつかれ、そろそろお役御免かとも考えている。

 彼の目的は店を開く事であり、屋台はそれまでの準備であった。

 近頃は売り上げも昇り調子であり、そろそろ開店資金も貯まっている筈だ。

 どこに店を構えるか。それは判らない。条件の良い物件があれば、それを選ぶだろう。

 だが、どこにした所でこの路地裏へと繋がる表通りではないとも踏んでいた。

 この辺りの地価は高く、薄利多売の焼き鳥などの飲食業では足が出る。

 通り沿いで店を構える飲食店は少なく、またあったとしても多くは高級店ばかりであった。

 そうなると近場で開店するにせよ、少し離れた三番街。飲食店が鎬を削り合う区域となるだろう。

 遠いという訳ではないが、脚の悪いドゥラータがおいそれと足を伸ばせる場所ではない。

 また、そこまで行って今までと同じ様にやっていけるという保障もなかった。

 手紙の遣り取りが続かなければ終わる。そんな関係なのだ。

 それに、近頃は路地裏にも同類達が増えている。

 二番街や三番街を縄張りとする輩がだ。

 あまり彼等との関係も良くはない。敵対している。という訳ではないが、ちょっかいを掛けられていて鬱陶しい。

 発情しているのだ。それはかなり以前からだった。

 それ自体は、仕方がないとの理解はある。

 路地裏に隠れ潜む者に女は少ない。

 この一帯の区域。古都カターニアの路地裏勢では偶々この時期、ドゥラータだけしかいなかった。

 それでも十五という年齢を省みれば、そういった視線に晒されるのは色々とキツいものである。

 彼女はそう、固く考えている。


 そういった事情もあって、近頃のドゥラータは手紙の遣り取りの中で、一線を引く態度を醸している。

 それというのも、文通を始めてからはかなり気に掛けらているからだ。具体的には年齢と生い立ちを伝えた辺りからであった。

 お人好しなのだろう。ドゥラータを不幸な境遇にあるのだと思っている節がある。

 書き損じの痕に、養子とならないかという嬉しい誘いもあったが、流石に自重したのだろう。消されている。

 流石にそれは無理な話だが、気遣われていて、嬉しくない筈もなかった。

 だからこそ、お別れの準備をしておく事にした。

 自分はおっちゃんのこれからの人生の、足枷にしかならないからだ。

 手紙の中で、近々カターニアを離れる事を伝えている。遠くへ。目的は療養と勉学の為だとしてだ。

 なので、手紙は偶にしか出せなくなるだろう。もしも、おっちゃんが店を構えてくれるなら、そこへ手紙を出すよ。とも伝えて。

 これは、思い付きではない。

 賢いドゥラータは己の死期を悟っている。脆弱な肉体だ。恐らくは、二十年と生きられない。その前に、どうしても行ってみたい場所があった。


 手紙の返事は大層元気の良いもので、そろそろ店を構える準備が出来たという。

 手紙には消したつもりの心配をする言葉が残っていて、ちょっとだけ笑ってしまった。

 それは随分と長々としたもので、必死に消した痕跡すらもが愛おしい。

 おっちゃんは門出の祝いと、構える予定の住所をその手紙に遺してくれた。

 お前さんの幸福を祈るという、温かな言葉と共に。


 なんという優しさか。なんとも不思議な縁か。


 その想いを抱え、ドゥラータは旅立った。収納の術式に、初めて物品として持つ宝物達を入れて。


 目的地は決めている。

 大異界、霊峰エトナ火山。シシリア島、最古最大の大異界にして、象徴たる魔境であった。

 カターニアからはそこそこの距離があり、脚の悪いドゥラータにはかなり遠い。

 乗合馬車や往復車両は出ているが、それらに頼るつもりはなかった。

 これは巡礼の旅路だ。

 例え辿り着けなくとも、愛おしいカターニアの人々が畏れ、そして愛した山へと向かいたい。

 そう望むのは、どういう訳だか根源的な欲求であって、最期への希望でもあった。

 路地裏の寝ぐらを片付けて、仲間達に別れを告げたドゥラータは、お山へと向かった。


 ドゥラータは往く。オリーブの川を意味する街道を悠々と。

 決して、速い歩みではない。暫く歩いては補給をし、また歩む。

 その間。行き交う人々や車両を眺めて楽しんだ。のんびりと、一歩ずつ歩む。

 急ぎの旅ではないのだ。愛おしい。そう思える風景を胸に焼き付けて進んだ。

 

 日が暮れて、また日が昇り、それが四度繰り返された朝。ドゥラータはお山の麓へと辿り着いた。

 お社があり、整えられた登山道が見える。だが、彼女が山へと入るには、ここではいけない。

 この登山道。攻略の為の道であり、資格有りと認められた人類種にしか通行を許されない。

 おっかない顔をした門番達が立っている。

 入ろうと試みれば捕らえられ、反省とお灸を強いられる事は明白だった。

 なので、そこへはいかない。広いお山なのだ。入口は探せば見つかるものである。


 人気のない場所へと出た。

 この異界という現象。結界という存在に覆われていて、普通に通る事が出来ない。

 定められた法則による祈祷や、祝詞を捧げる事で異界内部へと踏み入れた。

 では、何故に門番なぞがいるのか。

 それは力不足の者を危険な異界へ向かわせない為であり、また異界による世界への侵食という災厄を察知する為だった。

 侵食は災厄とも呼ばれ、人々に非常に恐れられている。


 そうして山へ降り立ったドゥラータだ。

 山には路地裏とは異なる自然が溢れていて、瞳を輝かせた。

 それは物語でも見た光景で、語られていたものである。高揚せぬ筈もない。

 雪の残る山道を進む。

 冬空の下でも緑は生き生きとしていて春を待つ。それが感じられて楽しい。

 恐れはない。山中の大抵の獣達は彼女よりもなお臆病で、手出しをしてこない。

 獰猛な者の気配に敏感なのはドゥラータとて変わらない。遭遇せぬよう、出会わぬ様にとやり過ごす。

 広範囲への探知を使い熟す彼女には容易い事だった。悠々と、山を登るのだ。

 糧に問題はない。山中には生物が溢れている。

 疲労も問題はない。そう頑健でないドゥラータであるが、山中では力が溢れる。不思議な感覚であった。

 存分に山中を駆けた。美味い糧と水にもありつけて恐怖もない。自由があった。

 思うが儘に花畑へと転がれば、芳しい香りが登る。

 まるで、物語の中で遊ぶ様な夢心地。

 そしてここが、お婆ちゃんと共に読んだ書物に書かれていた通り、『楽園』であると実感する。

 もう、先のあまり長くない自分には過分な場所だ。

 多分このままここに居て、最期を迎えられるならば幸福な事だろう。喉が鳴る。

 ドゥラータは喉を鳴らして笑う。幸福感に浸りながらも、それでも足りないと。

 広さも快適さも、お山の中は路地裏とは比べ物にならない。

 花の香りだって、せせらぎだって。生ゴミの臭いや機械の唸る音と比べ物にならないくらいに心地よい。

 糧に困る事もないだろう。敵もない。自然の営みの中での理だけがここにある。

 だから、無性に寂しいのだ。だって、ここには人がいない。

 坊ちゃんも、お婆ちゃんも、おっちゃんも。だけではない。

 冷たい最初の主人達だって。間違えかけたお婆ちゃんの子供達だって。石を持って追い立ててくる悪餓鬼達だって。

 居るのは山ではない。街なのだ。

 ここには彼等がいないのだ。

 薄暗い路地裏に時折り響く喧騒でも。あの気持ち悪い生活の痕の饐えた臭いでも。貧しい糧でさえも。

 大好きな人達が、同じ空の下。同じ月明かりの下にいるからこそ愛おしい。

 もうダメなのだ。知ってしまったから。大好きだと想ってしまったから。

 もう野生には還れない。どんなに素晴らしい景色であろうが、満たされない。

 醜くて、浅ましい人達が。

 優しくて、逞しい人達が。

 大好きなのだ。


 そう想ってしまったドゥラータは魂の故郷へと惜別の意味を込めて「なーご」と鳴いた。


 還ろう街へ。尻尾を振って悠々と。三つの脚でひょこひょこと。

 老いた雌猫であるドゥラータは、最期を迎える場所に生まれ育った街を選んだ。


 そしてその後。ちょっとだけ、嬉しい出会いがあった。

 それはもう、ドゥラータの物語ではない。

 ほんのちょっとだけ長生きしたおかげでしかない、ほんのちょっとした楽しみだ。

 本当はなかった運命。さよならと思ったあの日。

 だけど、だけれども。

 ドゥラータは己に献上された牛乳に、舌鼓を打つのである。

 偶然により出会った子供は、なかなか可愛げのある臣民だった。こうやって、美味しい貢ぎ物を献上してくれている。


 大好きだよ。愛しているよ。


 そんな気持ちを受け取って。ドゥラータはナーゴと鳴いた。



 お読み頂き、ありがとうございます。

 解説です。当初の予定より一話短くし、四話完結となったのは主人公の正体に気が付かれたためであります。気付いて頂けて、感想まで貰えて嬉しかったです。

 本来のこの四話は、黄色いならず者軍団へ主人公が無双する虐殺描写ばかりのお話の予定でした。どちらも人に見立ててです。

 ただ、書いてみて読み直してもあまり面白くならなそうで、投稿には迷いがありました。なので感想を頂けたのを好機として本来四話と五話に入れていた内容を統合し、完結としました。

 筆者の力量が拙すぎ、彼女が猫である事を隠しながら描写するのは難しかったのです。

 叙述トリックものに挑戦したいという無謀からの執筆でした。

 物語内の情報の出し方や、理解しやすく面倒でない説明は、少しは向上しているでしょうか。小説が上手くなりたいです。

 また、拙すぎる作品ですが、主人公は筆者の別作品である揺籠の島で揺蕩う少女達の48話にて登場しています。この子の背景を書きたくて、始めた物語を改稿して書きました。軽い感じで読める物語になつていればと。

 ありがとうございました。

 

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