3話 焼き鳥屋大将の日々。
雀串と手紙を保温の付与された道具箱に入れ、屋台を曳いて宿へと帰った焼き鳥屋台の大将は、眠れずにいた。
随分と迷い、遅くなってしまったものだが、正直な気持ちを伝えられた事は、嬉しい事だった。
最初、仕込み途中の肉の数が増えていたのは不審であった。数え間違えかとも思ったが、よく見れば、自分の仕込んだものではなさそうである。
空気銃での損傷が少ないし、暴れた痕跡も見当たらない。一日に何羽も取れない様な、上質な雀肉であった。
一見では危険もなさそうだが、何とも判断が付かず、首を捻りながらも寝かせておく事にした。
そして二日目も、数が多かった。数え間違えではない。事前に勘定しておいている。やはり増えていて、またも損傷の少ない良質な雀肉だった。
この時、大将はこれがもう一日続くのならば、鑑定を依頼しようと考えた。紛れ込む、覚えのない肉。対処を誤れば死活問題である。
飲食業は参入が簡単な事業であるが、存続は難しい。薄利多売となり易ければ、様々な障害もまた多いからだ。
特に健康被害などは致命的で、食中毒などを出してしまった場合には、多額の賠償と共に廃業するしかなかった。
こういった事業としての脆弱性を突き、嫌がらせをする同業者も少なくない。この手の商売。所詮は限られた顧客の奪い合いである。
良さを売りとして売り上げを伸ばすより、同業を牽制する事の方が、結果としては利点が多くなる場合もあった。
という事で、三日目も増えていた肉を鑑定して貰う事とした。
先日の内に市場の職員へは話を通し、協力を取り付けている。屋台の食材の八割は市場からのものである。大将は市場の常連であった。
そして職員曰く。
毒物などの異物混入はなく、新鮮で上質な肉質であるという。
それというのも、野鳥の類いとしては珍しく、生きたまま、それも暴れさせずに締めたものであるかららしい。
それは大将にとっても、職員にとっても、大きな驚きであった。
蓄養された鶏などの場合は予め目隠しをしておくなどの準備をし、羽交い締めした状態から一瞬で首を刎ねる。育てている過程で徹底的に安全に育て、野生の危機意識すら失わせるからこその業であった。
だがしかし、野に生きる野生の場合はそうも行かない。
始終、天敵や天災などに晒される彼等は敏感で、危険を感じたならば滅茶苦茶に暴れるからだ。自然と鮮度は落ちるし、損傷は無視出来ないものとなる。
ところが、この幾つかの肉にはそういった死への抵抗に対する損耗がない。
まるで突然死でもした様な、無抵抗の死が与えられていた。そういった素材は生命力を損なわず、非常に上質な滋養となった。
「大した腕ですな。現役を退かれるのは早かったのでは? 釣瓶打ちのジャン殿」
「よせやい。大怪我をする前に足を洗えたんだ。それに、俺の獲物じゃねぇ」
焼き鳥屋台の大将。釣瓶打ちのジャンと呼ばれた男は元冒険者であった。
錬鉄の士。鉄位階と称された一人である。荒事、揉め事、問題事。それらを解決し、世界を拡げる開拓者。それこそが冒険者。
四十を前に、危険を伴う冒険者稼業から足を洗ったジャンは新たな飯の種として、焼き鳥屋台を始めている。
苦節二十五年を重ね、鉄位階。錬鉄の士として認められた事により、やっと踏ん切りがついた。
エンナの農家の次男であったジャンである。
土地を護り、耕す農家は長子相続が基本であるので仮成人ともなると街へ出て、冒険者登録を行なった。
生活と仕事探しの為である。エンナには冒険者組合が無かったので、州都であり、冒険者の街としても名高いカターニアにまで来ていた。
危険や問題を解決していく冒険者達に憧れた。
未知へと挑む勇気や、その為に己を鍛え上げる真摯さに尊敬の念さえ抱いた。
そして冒険者として腕を磨き、様々な仕事を覚えて行く内に、己の限界も知った。
身体は丈夫である。体格にも膂力にも、人並以上の自信はあった。
それは子供の頃からの事で、ジャンは所謂、ガキ大将でもあった。
男の子は強さに憧れるものであり、街へ出て来た彼は己が戦士として、英雄として在れるのではないか。そう夢見ていた。
格闘や武器の扱い、中でも狩猟は得意であって、強味を活かせるならばと。
だが、成人を迎える迄の三年程で、その夢は破れている。
冒険者とは、戦士とは、英雄とは。
必要に応じて暴力を扱う者達だ。暴力の、行き着く先は死であった。
その恐ろしさを知り、安易に暴力に頼る事のない生き方を専業冒険者として学んでいった。
三十も近付くと、心境の変化も訪れる様になる。
一般的に副業としてではない、専業冒険者は三十で定年なのだとされている。
これは社会構造からのものであり、その辺りの年齢で、正業、あるいは生業と呼ばれる生きる為の鎹となる仕事を見つけられないと、まともな生活を送るのが難しくなるからだ。
その辺りの年齢ともなれば結婚をしていたり、子供がいたりもする。
家族と暮らすのには危険は不必要な要素であって、傾向としての冒険者への依頼も、充分な報酬を求めるのならば危険なものが多くなる。
なので、ジャンは独身でこそあるも社会の習慣に則り、三十を区切りと考えていた。
いたのだが、中々良い勤め先が見つからなかった。
これには彼が街中での労働依頼よりも、外へ出る依頼を好んだからという自業自得の側面があった。
特に彼が好んだのは、お山での依頼だ。
低層は既に攻略されており、危険少なくも、自然豊かである。
そこで出されている依頼は、狩猟を得意とする彼にとって悪い稼ぎではない。
それに、その頃ともなると何かを掴み掛けていた。
それを掴みたくて、お山へと潜り続けた。
大異界、霊峰エトナ火山は危険ながらも恵み深い、州民の拠り所でもあった。
という経緯により、三十での定年を取りやめたジャンは専業冒険者として更なる研鑽を積んだ。
その甲斐もあって、四十となる少し前に鉄位階への昇格が認められている。
決して、早い昇格ではない。名士として認められる位階であるが、十年も弛まず勲功の高い依頼へ取り組んでいれば、認められるのが錬鉄だ。
だが、狩猟の序でとして生活の為に依頼を熟していたジャンにとっては意外に早く、嬉しいものだった。
基本的にビタロサの国法、あるいは大陸共有法は自由を尊重するものであるが、社会的な影響などを省みて、それなりの制約があった。
その一つが、起業に伴う資格である。
個人として事業を営むのは、概ね行政への届出だけで済む。
冒険者登録をしていれば、その手の諸々は冒険者組合に代行して貰えた。
冒険者。即ち個人事業主となる。
実はこの冒険者稼業、自由さと報酬や名声などに誤魔化されがちであるが、税負担が非常に重かった。
所得の他に、個人事業税なども加算される為である。それなり迄の年間所得での差はないが、一定額を超えると、それらは跳ね上がる。
なので有力な冒険者などは法人化などをして、節税に務めるものだった。
そして、法人設立には資格が必要である。
その取得基準もかつては爵位持ちである事で、爵位は国家に認められて賜われる。つまりは貴族の特権であった。
人口三億に迫るビタロサ王国であるが、毎年新たに爵位を認められるのは、二千名程度に過ぎない。
それも更新性であり、前年の取得者が大半だ。新たに爵位を得るのは現実的ではなかった。
その代替措置として、起業資格を金で買う事も出来た。だがその金額は非常に高額であり、普通に考えれば、その金で遊んで暮らした方がマシだった。
基本的に稼ぐ為に起業したいのだ。これでは本末転倒である。
しかし、現実には毎日の様に新たな企業は登記されて、また廃業してゆく。これは何故なのか。つまりは抜け道があった。
それこそが、冒険者位階における鉄位階。
錬鉄の士とも呼ばれる、人が産み出し、研磨された末の資格であった。
錬鉄の社会的信用度は高い。社会的には一人前とされている。
金融機関を兼ねる冒険者組合からも無利息での融資を結構な額まで受けられて、起業の資格を有した。
だからこそ、冒険者登録をした者は、鉄位階を志す。有用な資格であるからだった。
実際の所。ジャンの稼ぎはそう多くはないので、個人事業主としてでも、そう金銭的な問題はなかった。
だが、資格があるだけでも取引の幅は広がるし、様々な出費も必要経費として認められる。
手間さえ惜しまなければ、個人よりも法人で雇われている。とした方が、生活には都合が良い。それに彼も四十近くとなると、視力も衰え始めたし、腰もいわしている。引際として、丁度良かった。
「ふむ。ジャン殿の獲物でないから、某が呼ばれましたか。まぁ、不審な要素はありませんので、杞憂でしたな」
鑑定はジャンも扱える術式であるが、精度も強度も低い。彼に判るのは食べて危険かどうか程度である。それだって、当たり外れがあった。
山で生命に危険がないと鑑定した筈のキノコが幻覚作用を持っていて苦しまされた事もあれば、生命へ危険はない水だと鑑定したのに、飲んだら腹を下して酷い目にあう事だってあった。
鑑定などの複雑な術式は難しい。彼の様に無学な者には特に。
「お前さんからお墨付きを貰えるってんなら、安心なんだろうけどよ。どういうこったろう?」
「さぁ? 某には測り兼ねますな。奇特なお方の差し入れかもしれませぬが」
忙しいから。と引き上げる職員へは礼を言い、待って帰って皆で食ってくれと串焼きを手渡した。
彼等は賄賂に金銭こそ受け取らないが、こういった付け届けの消え物ならば、喜んで受け取った。
こういった行いも、当然の処世術である。
それからジャンは、問題が無いとされた肉を焼いてみる事にする。
見た目にも質は良い。
市場の職員に問題なしとされた以上、危険はない。肉質を測るのに味の濃いタレは邪魔だ。香辛料を振りかけて焼き、食してみた。
これが、美味かった。
野生特有の臭みやエグ味があまり出ておらず、肉の硬さもない。その癖、力強さがある。この肉質には覚えがあった。冒険者時代に会心の一撃で狩ったものとも、遜色がない。
空気銃は名の通り、空気を弾丸として打ち出す術である。精度と強度を高める事により威力を増した。
優れた術師であるならば、高威力の銃を上回る性能であった。だが、ジャンにはそこまでの強度はない。それでも使い慣れた術式だった。
山での狩猟は自然との対話に近い。
火薬の臭いのする実銃や弾丸を携行していると、臆病な獣は恐れて近付かなかった。
逆に、獰猛な獣は危険を排除しようと凶暴化する。
そういった諸々を学び、磨いて来たのが空気銃の術式である。
遠距離攻撃はそれだけでも強い。加えて実体でないので整備の必要がなく、高額な弾薬も消費しない。
彼が狩るのは小型に限るので、過剰な威力も必要がなかった。
そして慣れていけば、コツなども掴んでくる。獲物は傷が付かない方が、良質となる。
初撃で急所を打ち抜けば、傷は少なくなった。それが会心の一撃であった。
その再現が、ここにある。
彼でも感覚を研ぎ澄まし、運に委ねる偶然の産物が揃っていた。三日で十一もだ。偶然と流す気には、とてもなれない。
となれば、何故という気持ちにもなるものだ。
意図してこれだけの術式が扱えるのならば、優れた術師である。
そういった者との関わりはあまりない。術式に長けた者は強いからだ。
強者は時として恐ろしい者である。だから、必要以上に関わるつもりはなかった。
どこか悶々とした気持ちを抱え、焼き鳥屋台の大将ジャンはなるようになれ。と問題を先送りしている。
それでも、毎日の様に届く良質の肉である。そして現物というものは、ジャンの向上心を刺激する。
——どこの誰だか知らねぇが、随分と見せつけてくれるじゃねぇか。と。
その心は彼へ良い影響を与えていた。どうにかして、その謎を解きたいと。
肉をタレへと漬け込む前に考える。時たまであるが、肉には術式の僅かな残滓が残されていた。その多くは空気銃によるものであり、威力や精度はそう大したものでもない。
当てるだけ。そういう意図が残されている様だった。だが、それだけで野鳥を傷付けずに狩る事は難しい。
何かが当たれば危機感を抱くし、暴れもするだろう。ジャンの会心の一撃の様に一瞬で急所を打ち抜けば可能であろうが、獲物の全てが。とあれば、並大抵の事ではない。
そして、漸く絡繰に気が付く。
ある肉に、別の術式の残滓があった為である。
それは対象へ電気を走らす術式だ。これで、そういう事かと納得出来た。
学のないジャンでも電気や電流、電圧といった物に対しての知識は多少ならばある。
痺れるもので、様々な利用法のある力だとは知っていた。この電気という現象は不思議なもので、時として生物へ麻痺にも似た状態を引き起こす。
その現象を利用しているとするならば、この生きたまま暴れさせずに締めるという業に納得出来た。
そして、焦がれた。
この二つの術式強度は低い。それで充分効果が期待出来るからだ。
当て、筋肉を萎縮させ、動きを封じるだけでよい。
この方法ならば、生きたまま締める事も可能であろう。急所を撃ち抜いた場合は死亡して、僅かな時間であるが鮮度は落ちる。
生きたままに血抜きするのとはそれなりに差があった。ジャンはこの業を、身に付けたいと望んだ。
術式の複数展開には並列処理【マルチタスク】と呼ばれる技能が必須となる。
習得には個人差があって、彼は習得していない。しかし擬似的な解決方法があった。
術具である。人々は術式の付与された道具、術具を用いる事で、術式と同様の効果を実現している。
術式と術具を組み合わせるならば、並列処理の習得は必須ではない。
その当てはあった。昔、電気漁をしていた頃の術具がある。
電気漁とは文字通りに、水中へ電流を流す漁法だ。
川や池などの限られた範囲内へ高圧電流を流す事で魚介を浮かす。その為の術具であった。用いるのは電気ネズミと呼ばれる霊獣の霊核である。
この電気を発生させる黄金色のネズミ。常に帯電し、襲われたりすると強烈な放電をする。
ネズミの中でも小柄であるが、この放電により自然界には天敵が存在していない。つまり放っておくと、どんどん増えた。
気候が良いと増えるので、自然にも人にも、それなりに危険であった。
元はエトナから連れ出された霊獣であるが、いつしか異界外にも定着してしまっていて、当然の様に暮らしている。
なので、数が増えると定期的に駆除された。放電は大人の身体には大した影響はないが、子供や小動物が感電すれば危険であるからだ。
その為に駆除した電気ネズミの霊核は大量に出回っている。
霊核とは霊獣や怪物にとっての文字通りに核であり、存在の証明でもあった。
これに人類種が体内術力を流す事で、消失反応と呼ばれる現象が起こり、霊獣や怪物は影響力ごと存在を消失させた。
この消失反応。あまり用いられる事はない。
霊獣や怪物から取れる素材は有用な道具であり、態々消滅させる意味が薄いからである。
死後も災厄を撒き散らす様な厄介ならば別だが、生活の質の向上を求める人類種達である。有用な素材へ、そんな真似などする必要もなかった。
そして消失反応が発生する際に、特異な振る舞いを見せる霊核も存在している。
その一つこそが、この電気ネズミの霊核であった。
この霊核。消失反応が起きる前に、流し込んだ術力量に応じて術者自身を帯電させた。
術者へ有害な影響はない。単純に、帯電するだけである。それがどういう訳なのか、行使する術式にも電気の性格を帯びる事となった。
消失の段階で電流も消失するが、僅かな間でこそあるものの、電気を術式へ付与し扱える事が出来た。
電気ネズミに有用な素材はない。
流通している数も多いので、霊核は消耗品としても扱われている。原価など只同然のものであった。
なお、現在では電気漁は法的に禁止されている。
それは川や池などの漁に対してのものであり、別に野鳥への法規制はなかった。
つまり使って問題のない手段である。
気を付けるのは出力量か。
ジャンは空気銃と消失反応への出力を調整しながら、雀撃ちに励む事となった。
これが中々に難しい。威力の調整は届かせるだけ。
放電は痺れさせるだけというのに繊細な、出力調整が必要だった。
しかし、やっていると中々に面白い。
この調節というもの。料理でも大切な火の加減や塩の振り方などにも似た趣きがあって、かなり興味深いものだった。
強過ぎても、弱過ぎても。理想には届かない。
距離、気候、個体の大きさ。自身の体調や周囲の環境までを含めて考えなければ、最適とはならない。
それは冒険者として、狩人として。お山に潜っていた頃とも似た高揚で、俺にも、まだ冒険心が残っていたのかと気付かせるものだった。
そして月が明け、寒さの増してきたある日。
ジャンは彼なりの会心の一撃を放てた。その後にも何度か繰り返し、もう一匹を同様にして仕留められている。彼は何かを掴んでいた。
「やぁ。久しぶりだね。何の道具が入り用かい?」
「ここも、変わらねぇなぁ」
そしてこの日。屋台を開けるのを後にして、ジャンは冒険者時代に馴染んだ道具屋へと訪れていた。
「そうさ。変わらずに、安くて、質の良い品を扱っているよ。安心安定。商売の鉄則さ」
「代わりに店主に愛想はないがな」
「そんなもん、小銭一枚にもなりゃせんよ」
ククッと笑う口の悪い美女。彼女がこの道具屋の店主であり、腕の良い付与師でもあった。
彼女はここで自作の術具や様々な小間物を売っている。安くはないが、道具への術式付与も依頼が出来た。
恐らくは、かなり腕の良い術師でもある。付与術式は術者の力量を超える事はない。
「手頃な大きさの、箱ってか、籠みたいなもんはあるか? 道端へ置いておいて、ひっくり返されたり、簡単に開けられたりしない様な」
「なんだい。随分とおかしな物を欲しがるね。置き配でも始めるつもりかい? 流行ってないのに手を広げると、火傷すんよ」
肩を竦め、美しい店主へのお小言には苦笑いで返した。そんなつもりはない。ただ、『誰かさん』には、お礼の気持ちを伝えたい。
この歳で、成長出来るとは思っていなかった。それに肉質が上がった事により常連も増えている。稼ぎも良くなっていた。
「まぁ、なんだ。流石に悪戯はされねぇだろうが、野良とかに遊ばれても困るんでな。それなりの物が欲しい。序でで、保温の付与も依頼すんぜ」
「アタシの付与は高いよ。金はあんのかい」
鼻を鳴らす店主へ懐から取り出した札束見せつける。この一月で貯めた金である。
売り上げが伸びた事もあって、懐には余裕が出来ていた。出費は殆ど変わりがない。主に伸びているのは野鳥の串焼きである。
代わりに忙しくて、仕方がないが。
「打ってつけの一品があるさ。商売繁盛様々だね」
喜色満面の店主であった。この店主、とてもお金好きである。商売人としては当たり前の事である。
そしてこの道具屋の最も高額な商品が、彼女の付与術式であった。
しかもこの商品。彼女の技術でしかないので、仕入れが必要な道具とは異なり元手が不要である。売れれば売れる程にボロ儲けであった。
「いやー。上客ってな、嬉しいもんだねぇ。適当に店ん中でも見ておきな。探してくんよ」
ウッキウキで、奥の倉庫へ向かう店主であった。
なお、彼女とは二十五年来の付き合いがあるが、その間に、容姿は殆ど変わっていない。出会ったばかりの十五の頃には歳上のお姉さんであったのだが、今では生意気な小娘にしか見えない。
若かりしジャンが、彼女目当てでこの道具屋へ通っていたのは黒歴史であった。
「婆ちゃん! 店番はどうしたよ」
「五月蝿いね。あの仕舞っていた檻、あれを探すよ」
ジャンと同い年の孫までいる、老婆と知る前までだが。見てくれは良くとも孫のいる老婆と知って、若き日のジャン少年の恋は冷めた。
だがガメツイが面倒見の良い人で、冒険者時代には大層世話にもなっている。
とはいえ、冒険者を止すと自然足は遠のいた。
この店の品揃えは悪くはないが、癖の強い物ばかりなのである。焼き鳥屋に必要な道具としては、無用の長物であった。
そんなこんなで屋台へと帰って来たジャンは箱というか、檻を抱えていた。
ちょっと大きな鳥籠みたいな檻で、確かにこれならば野良に転ばされたり、開けられたりはしないだろうと思われた。
謎掛け鍵付きであり、問題文は『外部からの影響にどれだけ強く、長時間へ渡って、その機能や性質を維持し続ける事が出来るかを示す単語とは何か』である。
鍵を回して単語とし、開く仕掛けとなっている。それ程難しい謎ではない。答えは耐久性で、義務教育修了者ならば答えに辿り着くものだった。
『誰かさん』の行動には謎が多いが、知性に対する心配はない。術式は知性によって構築されるモノである。知識や論理的思考が不充分な者に、複雑な術式は発現しない。
逆説的に『誰かさん』は、高度な知性を有する術師だと、ジャンは考えている。
そして筆を取り、手紙を書いた。
字の上手くない男であるが、読み易い様に、丁寧に書いた。
素晴らしい肉質に出会えた喜びと感謝を。礼を伝えのが遅くなった詫びを。負けない様に練習し、良い肉を作るのだという決意を。
翌朝にもやはり、捌かれた肉が置いてある。自分の狩った獲物との肉質を見比べる。
まだ、及ばない。だがそれは、まだ先があるという事に繋がった。
今日は五本ある。三本を残しタレへと漬け込んだ。
肉質の良さから、独特な癖こそあるものの塩でも美味い。この味に魅了されてしまった常連もいて、そういった客の為に塩用を残している。
余る事はなかった。大将であるジャンこそが、最も塩雀串を好んでいる。
そして店仕舞いを終える前にタレと塩。二本の雀串を焼く。
酒類の販売許可を得ていない屋台であるので、夜間に開いている事は出来ない。とはいえ、焼き鳥は酒のツマミにも良く合うものだ。
だからこそ、抜け目なくジャンは酒店の前で屋台を出していた。
酒を出すバールは良いものだ。だが、酒とツマミを買って帰る宅飲みも乙なものである。
それを知る彼はこの商法に商機を見出していた。良くあるやり口なのではあるが、それでもだ。
ジャンの屋台の焼き鳥は古新聞紙に包まって提供されている。
経費削減の為である。彼はとある新聞を定期購入している。この新聞社は有名格闘団体の後援を務めており、定期的に観戦券が貰えた。
彼が新聞を取るのはこの為である。
格闘技観戦は男達の楽しみであり、彼もまた愛好家であるのだ。
また、この新聞というモノ。
雑巾にもなるし、靴の脱臭や梱包の際の緩衝材、燃焼剤の代用ともなるという、中々の優れ物である。
使い方一つで、中々便利な道具であった。
読む以外の事には、大変役に立つ代物である。
中身を読む必要はない。偏見と法螺話に満ちた、謎の読み物ばかりであるからだ。
儲かる企業となった出版社。近頃の記者達の質の低下は深刻であった。
串焼きを新聞紙に包み、手紙を置く。
風に揺れてパタパタしていた。これは、あまり良くない。
新聞紙は優れ物であるが、時間を置くと脂やタレが滲み出しかねないし、手紙が汚れていては、読むのに抵抗もあるだろう。
そう考えれば、丁度良い物に目を付けた。
雑誌である。ジャンの屋台には、彼の読み終えた雑誌だけでなく、客が忘れていった物や置いていった物がある。
これを、重し兼汚れ避けとしようかと思い付く。
新聞を読まないジャンであるが、雑誌は良く読む。
雑誌にはグラビアが載るからだ。グラビアとは写真ページの事である。そう。写真である。
あられもない姿を晒した女性の写真が、雑誌には数多く載っている。
写真は時の一瞬を切り取って残す、まさしく秘蹟である。独身である彼だが、このグラビアというモノに大変息子がお世話になっている。とても雑誌社の皆様を尊敬していた。
現在、写真を撮れる術者はビタロサ国内においては数名しかいないのだ。
非常に高等な術式であるからである。彼等はその数名の内の一人を口説き落とし、グラビア写真を撮らせる事に成功していた。
彼は五十年程以前の終戦時、ビタロサ王国では諜報機関の長官を務めていた貴顕であり、優れた術師でもあった。終戦後には若くして隠居している。
その彼を口説き落として写真撮影させたのが、当時のビタロサのシュペー社などの出版関係者達だった。
終戦後に即位した現ビタロサ国王とは竹馬の友である彼は、その波に乗った。
乗ってからは現在に至るまで、美人の写真を撮りまくっている。老いてなお、お盛んな愉快なお爺ちゃんであった。
そういう訳で、ジャンは成人向け絵物語作家にして小説家でもある王と、美人専門の写真家と、放送事業の創始者である、かつての魔王と呼ばれた男を大変尊敬している。
彼等はエロ文化への多大な貢献者であり、世の男性達からは、かなりの敬意を集めている。
という事情があるので、雑誌は豊富である。
彼は常日頃から保存用、使用用、布教用に雑誌を三冊購入するので、喪失への不安はない。
贈り物としても彼の中では一級品である。迷いなく、雑誌を重しとした。
そして翌朝。
ジャンは回収された雀串と雑誌。そして返事の手紙を目にする事となる。
奇妙な手紙であった。
筆で書かれたものではない。新聞や雑誌の活字を切り貼りし、造られた手紙であった。
雑誌を台紙に一文字ずつが圧着されていた。器用なモノだ。術者としての技量には驚かされたモノだが、それよりも、その内容が衝撃的なものだった。
美味しかったと言う雀串へのお礼と、ジャンの雀の狩り方を見て、試してみた方法である事を伝えてくれていた。
読書好きな様でもあり、一緒に置いてあった雑誌も、楽しく拝見しましたの報告などの内容。これらはまだ良い。
研鑽への激励と、詮索はしないと伝えた事への感謝も、悪くはなかった。
だが、どうやら恐らくは彼女である『誰かさん』が言葉を喋る事が出来なくて、手足も不自由な為にこの様な形式で手紙を認めた。という事への謝罪の言葉は彼には苦い味わいだった。
言葉選びや言い回しが古臭く、抱えているという幾つかの不具から、高齢の御婦人ではないかと予測した。祖母を思い出してしまう。彼には祖母への、悔いの残る思い出があった。
まだ若い頃の事だ。
祖母は都会に出て行った孫を心配し、度々市場へ立つ序でとして、ジャンの前へと顔を出していた。
エンナとカターニア間では農産物の輸送の為に三日に一度、輸送隊が編成されている。
それに乗りカターニアへと来ていたのだが、若い彼には口煩い祖母のお節介が鬱陶しく、つい邪険に扱ってしまっていた。
そしてある日。何の切っ掛けかの覚えはないが喧嘩別れをしてしまう。
それからは、顔を合わせていない。
度々手紙を貰っていたが、無視をしていた。そして祖母は流行り病でポックリと逝ってしまう。
遺された手紙には、ちゃんと生活出来ているのか、寂しくはないのかという、心配事ばかりが記されていた。愛されていたのだ。
取り合わず、向き合わなかった事への後悔だけが残った。そしてこの事は、彼のシコりとなった。
それがさもしい代償行為だとしても。只の自己満足だったとしても。
寂しそうな老人を、放っておく事など出来なかった。悲しい想いなど、させたくはなかった。
物心付く前に祖父を亡くしたジャンを、農作業で忙しい両親に代わって育ててくれたのが祖母だった。
田舎ならではの様々な遊びや狩猟のやり方などを仕込んでくれたのも祖母だ。
貴女に育てられて、なんとかだけども、今でもやれている。ありがとう。
そう伝えられなかった後悔を繰り返したくはない。
返事の手紙を書き、すぐさま道具屋へと走った。
まさか手紙を返した翌日に、すぐさま返事が来るとは思ってなかったドゥラータだ。思わず驚きに目を丸くする。
二本の串焼きの他に、一冊の書籍。これは小説の様だった。
それと書籍の版よりも少し大きい謎の玩具がある。
意味が判らないなりに、贈り物なのだと直感していて、嬉しかった。
術人形を巧みに操って、寒いのにポカポカしながら寝ぐらへと帰った。
そして手紙を読めば、玩具の使い道も知る。
この玩具。文字を打ち込む為にあるらしい。二つ折りとなっていて、開くとツルツルとした鏡の様な頁と、鍵盤に振られた文字が所狭しと満ちた頁があった。
手紙に書かれていた通り、鍵盤を打つと鏡には文字が出る。
繰り返すと言葉が溢れて、ドゥラータは益々瞳を輝かせた。何これ。すっごいと。夢中でお手紙を打ち込んでしまった。
しかし、置いてあった書籍をまだ読んでいない事に気付いた。
これはいけない。実に勿体無い事だ。おっちゃんに勧められた小説を、読み始める。同じ物語を読んで、気持ちを共有するのは、とても楽しい事である。それを含めたお礼をしなくては。
あと、食べられない食材はないかとも、尋ねられている。
ネギ類だけは無理だと、伝えなければならない。何せ、お肉を届けてくれるなら、報酬を支払わないといけないそうである。
この玩具は今までの報酬の一括払いであるそうだ。
これからの報酬としては、串焼きと書籍を用意してくれるらしい。希望があれば、叶えるが。とも記されている。
何とドゥラータのお肉を、お仕事だと認めてくれているのだ。
浮かれない筈もない。坊ちゃんや、お婆ちゃん、それに、おっちゃん。危険を避ける為に人と関わる事を諦めていたドゥラータであるが、人が大好きで、愛おしいのである。
気持ちを伝えたいし、伝えられたい。それだけで、幸せだ。
こうしてドゥラータは、日々の楽しみを手に入れる事となった。