2話 生活と成長の日々。
十二の歳を迎えたドゥラータの朝は早い。
飲食店や食料品店などで出されたゴミを漁り、糧を得ているからだ。
大都市であるカターニアには、そういったお店が豊富であった。また、彼等は裕福というか、贅沢なのだろう。まだ充分に食べられる食材などでも、廃棄している。
ドゥラータはゴミを漁り、清潔で滋養のある食糧を選んで、寝ぐらへと持ち帰る。
ゴミ捨て場を荒らす必要などない。
ゴミは袋に小分けされ、箱に入れられている。開けた所で綺麗に片付けてさえあれば、誰からも苦情は来なかった。
水にも不自由はない。カターニアは水が良く湧き出る都市で、所に拠れば温泉すら湧いている。上下水道も整備されており、水場も多かった。無償で汲める清潔な水が豊富であった。
ドゥラータは五歳のあの日から、お婆ちゃんと別れた日の後の、それからの七年間。多少不便でこそあるが、特に不自由なく生きている。
幼き日に恐れた野良犬や野鳥も、既に脅威ではなくなっていた。
ドゥラータがお婆ちゃんから与えられたのは、愛情と庇護だけではない。
歳月の中で『術式』と呼ばれる力の行使方法を、身に付けていた。
術式とは万物に宿るとされる、術力と呼ばれるモノを操る事により、行使される現象らしい。
そして術師とは、この術力を能動的、あるいは自動的に操る存在として、定義されているそうだった。
必要なのは、意思の力だとされている。抽象的な説明であるが、術力の存在や使い方などは、感覚的に理解出来ていた。
何の干渉もしなければ、術力は無垢なる存在であって、何物にも影響しない。だが、己の内に流れる体内術力へ意思を乗せ、それを放出して外部の術力へ干渉をすれば、様々な現象が起こされた。
簡単な所では、火を灯したり、水を集めたり、土や風を動かしたり、ピリッとさせたりなどだ。
そのやり方は事象の再現を目指したものであり、特定の行動により発現する。詠唱や魔法陣の構築、祈祷などに拠ってである。
ドゥラータは言葉が喋れないので、詠唱は出来ない。魔法陣の構築も、指の不具により筆などが持てないので難しい。だが、想い、願い、祈る事ならば出来た。
お陰で、『基礎術式』と呼ばれるささやかな効果ならば、幾つかが扱える様になっている。
これらの現象には強度というものが設定されていて、強力な効果を発現させようとすると、体内術力の消費が激しくなった。
体内術力は筋肉に蓄えられるものであり、その生成は『生命力』と呼ばれる、存在を維持する力からのものであるそうだ。
総筋量に乏しい彼女には、強力な術式は扱えない。
消耗から生命力を消費してしまえば、生存にも関わるからだ。そういった様々な理論を、本を読みながら、お婆ちゃんは教えてくれた。
別れたあの日から一年程が経ち、お婆ちゃんの家に大勢の人々が集まっていた。そこで大きな箱を送り出しているのを、ドゥラータは見ている。
その箱の側には三人の子供達が居て、一緒に大勢の人達が涙を流していた。
やがて、箱の運ばれて行った方向から煙が立ち昇り、天へと還っていった。
その煙が目に染みたのか、ドゥラータも我知らずの内に涙を流していた。
七年もの時が過ぎれば、色々な出来事がある。良い事も、悪い事も。
それを切り抜けるのに術式は、とても便利な技術であった。
肉や魚は火を通せば、腹を壊す事もなく食べられた。
水に不自由はないので使い道はあまりないものの、水を集める術式があれば、何処へ行こうが水に困る事はない。安心が出来た。
僅かにでも土を動かせば、野犬などに追われていても、転ばせられる。
風の動きを詠む事で、野鳥の襲撃や、不意の事故などへも事前察知が可能となった。
組み合わせ方次第で、様々な結果が可能となっている。中でも手指の使えない彼女は、人形を作成し、意のままに操る術式をとても重宝している。
力は弱く、維持も長くは出来ないが、彼女の手指の代わりとなった。筆を操る事は出来なくとも、物を運ぶくらいは出来るので、とても便利であった。
術式はドゥラータが生き延びるのに、とても有用な技術であった。
日常と呼ぶにはいささか激し過ぎる運動量と潤沢な滋養によって、ドゥラータの肉体にも、それなりの筋肉が付いていた。
やや皮下脂肪が付いてしまっているのは体質故に仕方がない。それでも、そのお陰で体内術力量も増えていて、術式の強度や練度もそれなりに向上している。
身体も大きくなって、野良犬や野鳥などに襲われる事も殆どない。
時折、柄の悪い大人達に見つかると蹴られたり、石を投げられたりはするのだが、狭い路地裏だ。撒いて逃げるのはそう難しくもなかった。
概ねは、平和に過ごせているドゥラータである。だがそうなると、物足りないものを感じていた。
この歳となっても言葉を喋れないドゥラータであっても、知性に問題がある訳ではない。
寧ろ知的な欲求は高く、お婆ちゃんと共にに本を読んでいた頃の楽しい思い出は、忘れ難い記憶でもあった。
本の中に描かれるのは有用な技術や知識だけでなく、見知らぬ土地の生活や文化、見知らぬ誰かの生涯を費やした冒険なども描かれていて、楽しいのだ。
比べて、路地裏の生活には刺激が少ない。
本、書籍はそれなりに高価な物品で、路地裏に捨てられているという事は少ない。
読み捨てが前提である雑誌なども廃品回収としてゴミとは別に分別されている。
表通りに出されるので、路地裏住まいの彼女には読む機会もあまりなかった。
だけでなく、大人達に見つかると追われる事もあるし、道端で蹲っていれば、通りすがりの酔っ払いなどに蹴られる事もある。
生きるのに不自由はしていない。けれども。
自由は限られたものであり、充分に欲求を満たすには、あまりに足りない事の多い生活であった。
腕を掲げ、狙いをつける。狙うのは空を駆ける雀。小さく可愛らしい野鳥だが、数が多く、小麦や稲などの穀物を啄む害獣だ。駆除も奨励されている。
——檻に囚われし自由なる風よ。膨らむ自己を一点にて解放するが良い。放たれよ。空気の弾丸。
胸の中での詠唱。これは腕の周りへ力場を生成し、中から圧縮された空気を撃ち出す術式のものである。
密閉された範囲内の空気を分子運動の加速により暖める事で膨張させ、その圧力を一点にて解放し、撃ち出す。空気銃や空気砲とも呼ばれる、基礎術式だ。
不可視の弾丸は一羽の雀へ着弾し意識を奪った。衝撃波を撃ち出す空気銃は強力なものではないが、これに強くピリッとする術式を交ぜる事で、雀程度ならば容易く撃ち落とせた。
雀の落下地点を見極めて、駆ける。
重力加速度における落下速度を計算し、間に合う距離だと見極めていた。跳び上がり、落ちて来る雀をすかさず捕えた。
まだ息がある。逆さにし、爪で頸動脈を切り裂いて締めた後、流水と温度調節の術式で血抜きする。雀は体積も小さいので、時間もそうは掛からない。
同じ様にして、二羽から四羽を仕留めた後に、解体を始めている。
この狩猟の様なもの、ドゥラータにとってはお勉強であり、また仕事であった。
いつ頃からか忘れてしまったが、ドゥラータが寝ぐらとする路地裏の、その表通りには屋台が停まる様になっていた。
そこそこの広さの通りであるので、目的は商売の為なのであろう。焼き鳥の屋台であった。
この焼き鳥屋の屋台。
絶えず香ばしい香りと煙を燻らせていて、大層ドゥラータの食欲を刺激する。
だが、買い物をする金など持ってはいない。
お金の為に争う理由が垣間見えてしまい、ちょっと落ち込むドゥラータだった。
流石に、盗みは良くない事だと知っている。
なので失敬しようとは思わない。思わないのだが、美味しそうである。
甘辛い香りにそそられて、唾きをゴクリと飲み込むのだ。酷い拷問の毎日であった。
そんな日々が暫く続いた後に、彼女には幾つかの気付きがあった。
焼き鳥屋台は大抵が、路地の前に停めている。路地内の建物から水道と、術力導線を借りている為だ。
勝手にではない様で、建物の家主へ頭を下げて、お金も渡していた。許可を得ての商売らしく、路地に仕込みの食材を置く事も、珍しくはなかった。
「へい。旦那さん。おはようございます。いつも、ありがとうございます」
「君の屋台。中々評判が良いぞ。うちの酒も売れているし、お互い様よ。今日も、頑張ってくれたまえ」
ある日の朝の事だった。中年男性達が笑い合う。
屋台の前でだ。最初の頃は、てんでバラバラな位置で停まっていた屋台なのだが、ここ暫くの間、一箇所に留まっている。
酒屋の前で、そこは路地裏のドゥラータの寝ぐらへと続く、路地へと面した店舗であった。
この店舗、酒屋である。
飲食を提供するのでなく、酒瓶などを店先に大量に置いておき、小売するお店であった。
少し前までは、あまり店頭販売は奮ってはおらず、客足の多くない酒屋でもあった。
「それじゃ、私は店の中にいるから、何かあったら声を掛けてくれたまえ」
「へい。お世話になりやす」
店舗の主人が建物の中へと入ると、屋台のおっちゃんは忙しく立ち働き始める。
屋台から連結機を取り出して、水道や術力導線に繋ぐ。屋台と店舗が繋がった。
屋台には炉が置かれており、たんまりと炭が載せられて鉄網が掛けられている。
おっちゃんは屋台周りを一通り点検すると、燃焼剤へ灯火で火を点けた。
燃え上がるそれを炭の中へと放り込み、息を吹きかける。
燃焼の、助けとする為だ。
火は酸素を取り込む事で勢いを増す性質を備える。
燃える物質がある限り、際限なく拡がる恐ろしい現象であるが、人類種達は既に炎を征服しており、危険な焔を手懐けている。
明るい炎が煌めいて、ジワジワと漆黒の炭に移る。
パチパチと音が弾ければ、揺らめく橙色が闇色を照らしていった。炭火焼き。
ゆっくりと、だが確実に熱は高まっていった。
おっちゃんは炎の具合を確かめて、鉄網を少しだけ弄ると、炉からは離れた。
充分な熱量を確保するまでの空き時間。おっちゃんは仕込みを行う。
これも中々見応えがあって、保冷箱から取り出した様々な肉へ串を打つ。
数は少ないが、牛や豚の、でっぷりとして脂の乗った固まり肉や、新鮮な赤身の肉。
主役となる鶏では、股肉や頸肉などから、胸肉や、ささみといった淡白であっさりとしたお肉まで。
内臓でも、砂肝や肝臓に心臓。果ては豚の腸といった際物までもが、串へと刺されてゆく。
殆どの肉類は、食用に養殖された物が使われている様で、清潔で質も良い。
大変に見応えはあるし、美味しそうなお肉ばかりであった。
クゥクゥとお腹は鳴るし、塩胡椒などという単純な味付けだけでなく、醤油や味醂、砂糖に大蒜や生姜やら、他にも果実を擦り下ろしたものを混ぜて造られたらしき香ばしいタレも、大層食欲をそそった。
ドゥラータは、おっちゃんを名人であるのだと見ている。
甕に入れられたタレは言うまでもなく香ばしく、どの肉も新鮮で艶も良い。相当な目利きであるのだと判ぜられた。
そしておっちゃんは肉の仕込みが終わると、一息入れる。酒屋のおっちゃんから渡された瓶に口を付けて、一息に呷った。
アレはエールと呼ばれる飲み物で、フワフワなグルグルするヤツだ。
彼女は以前に地面に落ちて、割れてしまった瓶から流れたエールを舐めている。その時にはフワフワして、グルグルとしてしまっていた。
以後、警戒をしている。肉体の不調は彼女にとって恐るべき大敵であった。
やがておっちゃんは丸めた葉で作られた棒を咥え、煙を吸い吐きし始める。
表情は実に美味そうに煙を呑むのだが、ドゥラータはこの臭いが苦手である。とても臭い煙であった。
とはいえ、これは我慢も出来る。
人類種というものは、どう考えても美味しくないモノを美味しいと言って摂取するものだと、お婆ちゃんの書物にも記されていた。それが粋というものであるらしい。
この一服という時間が終わった後に、真にドゥラータのテンションが上がる時が訪れる。
おっちゃんは、一度炎と炭の様子を見た後、路地へと入った。彼女もまた、路地の生垣の影へと身を潜らせた。
そこへ広がる光景に、瞳を輝かすのがドゥラータである。
直接日の当たらない。けれど、乾いた風の吹く路地。艶やかな蒼い生地の上で寝かされる、圧巻。
それは野雀達だった。
食いでのない、小鳥達。
されど綺麗に血抜きされ、また捌かれていて、瑞々しい肉がプリンとしている。とても小さな血肉だが、冬の近付くこの時期はとても脂が乗っていた。
それを知るドゥラータだ。
食べ尽くせはしないと思える光景に、舌舐めずりするのは当然の反射であった。
広がる雀の肉。少し前までは小さく、食いでのないと侮っていたが、これが、かなり美味い。
捌いて日干ししたものを頭からバリバリ食べるとお魚の様な食感で、そしてお肉の豊かさがある。
余さず食べられ、滋養そのものの様な豊かな味わいと、食感の誘惑が強い。
午前中一杯を使って甘辛いタレに漬けられたものなど、非常にお腹満足度も高かった。
そんな雀達が、拡がっている。
店主は普通の食材として、主に鶏を出す。
しかしてこの屋台。最も名物となるのは野鳥の串焼きであった。スズメなどは小さいので丸ごとを焼く。
叩いて骨を砕いた後にタレに長く漬けておき、良く焼きとしていた。酒の摘みとして、良く合うらしい。
深皿にタレをなみなみと注いだおっちゃんが、捌かれて日干しした雀を漬けてゆく。
雀達は既に串に刺されていて、手慣れたものである。雀はタレに漬けておき、注文次第で焼かれた。
そこでおっちゃんは、一つの肉へと目を留めると、繁々と眺めた。
次いで、辺りをキョロキョロと見渡して、肉を手に取る。
その雀には串が刺さっていない。その周りにも他に四つ、串の刺さっていない肉があった。
おっちゃんは、それらを観察した後に、やがて串を刺す。どうやら、お眼鏡に適った様だった。
この串の刺さっていないお肉達。
実はドゥラータが捕え、捌いたものである。やり方は、おっちゃんの見様見真似であった。
おっちゃんが屋台を曳いてやって来るのは大体が早朝である。
停めた後に空を駆ける雀を撃ち落として捌いた。
雀は可愛らしい見た目とは裏腹に、穀物を食い荒らす害鳥指定がされていて、狩猟が推奨されている。
ところが、あまりカターニアの街では狩られない。
街中には田畑がない為だ。穀倉地帯に比べると安全である為か、雀も結構多かった。
それに目を付けたのがおっちゃんである。
彼の故郷エンナは穀倉地帯であり、雀は駆除を兼ねて常食されている。
屋台での飲食業認可と共に行政にも問い合わせ、狩猟、販売共に問題なしとされた為、こうして仕込んでいるのであった。
この辺りの下り。酒屋の店主さんとの話で出ていて、ドゥラータは聴き耳を立てていた。
何はともあれ、おっちゃんは雀を撃ち、捌くのである。その方法が、空気銃の術式や諸々の術式だった。
「檻に囚われし自由なる風よ。膨らむ自己を一点にて解放するが良い。放たれよ。空気の弾丸」
おっちゃんの詠唱だ。人差し指と親指のみを立て、頭上にある雀の群れを指している。
程なくして、一羽が堕ちた。おっちゃんはその雀を網で受け止めて、生きているうちに締める。結構なお手前だった。そして血抜きが済むと捌くのであるが、眺めているドゥラータは以前、自分にも出来るのではないかと考えた。
詠唱を行えないドゥラータであるが、試してみると空気銃は出来た。
指を立てられない為に腕全体を使って、身体全体を銃へ見立てであるが、雀を撃ち落とすのにまったく問題はなかった。
網は無いので空中で捕まえて、落下の衝撃を防ぐ。
堕ちた場所が硬い地面であった場合、損傷が激しい事もあるからだ。あまり食いでのない小鳥。大切に扱わなければならない。
そして、血抜きだ。
おっちゃんは鋭利な刃物で行うが、ドゥラータには爪がある。硬く、鋭く、伸びた爪だ。その後の解体も、鋭い爪で行った。
上手く捌けたので食してみるも、普通であった。
一応は炎で炙って加熱しているが、普通に雀のお味である。おっちゃんが焼く様な香ばしさはなかった。
なので、おっちゃんを観察した。何度も見た光景であるが、タレに漬け込んだり香辛料を振っている。
あの美味しそうな匂いの正体はこれか。
そう察したドゥラータであるが、彼女には甕に入れられたタレも、香辛料を振る箱も無い。どうしたものかと考える。
そして思い付いたのが、捌いた雀を置いておく事であった。
当然ながらおっちゃんも、串打ちをするので食材を数えているだろう。
自分で捌いた獲物の他に、紛れ込む肉があれば、どう考えるか。不審に思うのは当たり前である。異物を観察する筈だ。そこに、勝機があった。
ドゥラータの雀はおっちゃんを真似て捌いたものだ。その手際に近付ける為に沢山観察をして、実践もしている。
手前味噌ではあるものの、肉質は劣るものではないと自負していた。
おっちゃんは大人の男であるせいか、空気銃の威力が高い。雀は然程に頑健な生き物ではないので、打ち所が悪いと空中で絶命する事もあった。
対してドゥラータのモノにはそこまでの強度がない。当てる事を重視して、出力を調整している。
この弱さが、経験を補っていた。
大抵の生き物は死や苦痛に陥ると苦悶や恐怖の為に運動量が増えて、体温が急上昇する。大きな怪我などがあっても患部が熱を持ち、結果として全身の体温は一時上昇した。これらは食材の鮮度を下げる原因となる。
狩猟においては傷を最小限に留め、暴れさせずに血抜きをする事が理想であった。
そして、ドゥラータにはそれが行えた。
認識される前に肉体の自由を奪う。それを可能とするのがピリッとする術式だ。
この術式を生体に使うと、一時的な筋肉の萎縮を引き起こす。所謂、麻痺の状態へ陥った。
意識は残るが肉体の自由は効かない。暴れようにも、身体が動かない。そんな状態だ。
強度は常に一定で、有効なのは精々がドゥラータ自身と同体積、同質量までの生物であるものの、そんなに大きなモノは多くない。
雀の様な小鳥や鼠程度ならば、麻痺させるのは簡単だった。
麻痺の間に血抜きをし、頸を刎ねる。暴れないので体温は上がらず、筋肉の萎縮も一時的なものなので、鮮度が保たれた。実に便利な術式であった。
そうして捌いた肉を置いておく。
取れ高に応じて三つか五つだ。串焼きは二本一組で売られるので、違和感を抱かせる為である。そうして、数日を過ごした。
最初の日は予想通りに不思議な顔をして、観察に徹していたおっちゃんである。ドゥラータの差し入れには手を付けず、一纏めにして保冷箱へ仕舞った。
二日目になると少しポカンとして、また仕舞う。そして三日目ともなると、市場の職員さんに頼み込んで、肉を調べて貰っている。そういった職業に就くのは鑑定などの術式を得意とする者が多い。
鑑定や見診などの術式は対象の状態を把握するものだ。毒物などが仕込まれているのを警戒し、調べるだろうと予測していた。
思う壺である。美味しいお肉にそんな物を仕込む筈もないし、そもそもドゥラータは毒物など持たない。
精々が汚れた布切れくらいのものである。それだって、水場に備えられた石鹸を使って洗っていた。
お婆ちゃんによる薫陶の賜であった。
保冷箱に仕舞っていたお肉も鑑定して貰い、危険はないと判断したのだろう。
やがて十一本の雀串の内の十本を、タレへと漬け込む。そして一本には香辛料を振って、焼き始めた。
冷たい大気の中に、炭火に焼かれる雀の脂の香りが燻る。
季節は冬である。この時期の雀は寒雀とも呼ばれており、小振りながらも脂が乗っていて美味い。その脂が香辛料と混じり合い、とても食欲を刺激した。
良い感じに焼けた雀をおっちゃんは、バリバリと咀嚼する。ピクと僅かに止まり、漬け込まれてまだ浅い肉を取り出し焼き始めた。
そしてまた、焼き上がると食べ始める。
食べ終えて、もう一本を焼こうとしたのだが、思い直した様に仕舞い込む。そしてこの日の残りは、焼き鳥屋台としての働きに精出し始めた。
そして翌日も、そのまた翌日もドゥラータはお肉を用意しておく。
抵抗がなくなったのかおっちゃんは、彼女の用意した肉を串に打ち、タレへと漬け込む様になった。一つから三つを除いて。
それからもずっと、お肉奉納を行い続けたドゥラータに、とうとう念願成就の日が訪れた。
ある夜に、屋台を閉めた後のおっちゃんが、焼いてあった雀串を二本置いていった。
タレと香辛料でだ。それらはドゥラータが捌いた肉ではない。おっちゃんの肉である。懐かしい、昔暮らした檻にも似た箱に入れられて、路地裏近くへと置かれていた。
二本の串は檻の中で新聞紙に包まれて、古雑誌に乗せられていた。
おっかなびっくりしながらも、檻に似た箱を開けたドゥラータだ。罠などはなく、少々開け方は複雑なものの、無理なく開けた。流れ出る、美味しい匂い。
箱に入れていたのは、この為かと納得する。
檻の様な箱自体は獣達に奪われない為の仕掛けだろうが、中にある串の温度を維持し、虫や汚れが付かない様にとの配慮から用意されたものの様だった。
術式が、付与されている。
こういった道具。術具と呼ばれる術式の付与された道具は高価であった。
本当の所、多少なりとも魂を見る事で、読心に近い能力を持つドゥラータにも、おっちゃんの心は判らない。取り敢えずは、ヤル気と気概に満ちていて、それは悪感情ではない。という事くらいしか、読み取れていなかった。
だから、美味しさと共におっちゃんから贈られた気持ちは、とても嬉しいものだった。
それは、雑誌の下に挟まれていた手紙。という方法で表されたものである。
おっちゃんが、毎日三つから五つ。捌いた雀を置いていく『誰かさん』へ、贈った手紙であった。
内容は、他愛のないものだった。
詮索はしないがと前置いて、置いてゆく肉質への賛辞と感謝。礼が遅くなった事へのお詫び。
そして、『誰かさん』に負けない素材を用意してみせるとの向上心。そういった諸々が綴られていた。
決して上手な文章ではない。だが、心の篭ったお手紙だと、ドゥラータは思った。
安心した事もある。多少なりとも詮索される事も考慮していた。
だが、彼女には意思伝達手段が殆どない。言葉を喋れぬし、筆も持てぬからだ。
故に、お婆ちゃんと別れて以来、人と関わる事を止めていた。一人でも生きてゆけるし、意思疎通が出来なければ、危険でもあるからだ。安全の為、孤独に甘んじていた。
だからこそ、少し心は軽くなり、お手紙には返事を出したくもなる。
美味しいお肉の味に、絆されていたのかもしれない。お婆ちゃんや坊ちゃんと一緒に居た頃の様な、浮き立つ気持ちになっている。
だが、伝える為の言語を持たないドゥラータである。とても困った。
それにまだ、直接の接触は怖かった。大人の男相手ではとても、彼女が身を護る術はない。
危険に対して夢中であったお婆ちゃんの時とでは状況が異なった。
実の所ドゥラータは、とても臆病な性質である。
なので、姿を晒す気にはなれない。それでも、美味しいお肉へのお礼はしたかったし、その気概も称えたかった。
何か、良い方法はないかと考えてしまう。この幸せを伝えられる方法を。
「よぉ。大将。アレ。あるか?」
「兄さんも好きだな。一本だけだが、あるぜ」
「んじゃ、タレ二本とアレで」
夜。酒屋で酒瓶を買った男性が、おっちゃんへと問い掛ける。おっちゃんはタレに漬け込まれた雀串を出し、焼き始めた。男性は蒸留酒を丸氷で満たされたグラスへ注ぎ、炭酸水で割ると豪快に呷る。
「くぅーっ! 効くねぇ。寒い夜にゃ、冷たい酒よ」
「いつだって、酒じゃねぇですか」
「ったりめーよ。人生には美味い酒。美味いツマミ。そして冒険よ。今日も一日働いたご褒美さ」
男性は冒険者と呼ばれる、一種の自由業であるらしい。
労働などを依頼で請け負い、報酬を得るというお仕事だ。仕事の中身は依頼によった。
時に危険が伴う事もあり、幅広い知識や経験が必要なだけでなく、身体的にも精神的にも頑健である事が求められた。その印象を裏切らぬ、身体と声のデカさであった。
「お待ち。付け合わせの銀杏はサービスですぜ」
「そいつはありがてぇ」
二杯目の酒を空けた冒険者は、雀串へと喰らいついた。もしゃもしゃと咀嚼してゆく。
仕込みの際に骨は叩いて砕いているが、それでも丸焼きである。硬さを苦手とする客もいるものの、彼は平気である様だった。
「やっぱ。おっちゃんの串は一味違ぇわ」
「たりめぇよ。『師匠』仕込みの捌きだぜ」
上機嫌で三杯目を呷り、誉めそやす冒険者に、おっちゃんが返し、ガハハと笑った。
「その『師匠』つーのにも、興味があんなぁ。大将は気にならねぇのかい?」
「気にならねーって言や嘘になるが、『師匠』は俺らみてぇな破落戸が触れて良いようなお方じゃねぇよ。こんなちっぽけな縁に感謝しておくだけで充分さ」
路地裏からこの会話を聴いていて、思わず顔を赧めてしまうドゥラータだった。
何のつもりなのか。おっちゃんは捌いた肉を置いて行く『誰かさん』の事を、雀狩りの『師匠』と呼ぶ様になっていた。
ほかほかの串焼きを味わって、どうしたものかと考えるドゥラータだった。
実際、顔を出すのは上手くない。路地裏暮らしの彼女は街行く人々の様な清潔感はないし、幾つもの不具を抱えている。
これまで安穏として生きて来れたのだって、極力人を避け、社会という名の掟から距離を置いて来たからだ。
言葉が喋れず不器用で、脚の一本が悪い女。弱味ばかりの存在が、今より平和で自由な生活を送れるとは考え難かった。
なので、顔は会わさないと決めている。
それでも気持ちを届けたいという欲求は収まらないもので、悶々としていた。
そこで、串を包んでいた新聞紙にハタと気付く。手紙の重しとして置かれていた古雑誌にも。
新聞紙や雑誌は読み物で、文字が書かれている。
書けなくとも、喋れなくともドゥラータには文字を読む事は出来た。
お婆ちゃんと一緒に読んだ古い推理小説の中に、そういった媒体から文字を切り貼りして、脅迫状を作成するものがあった。
筆跡により、犯人を特定させない為の仕掛けである。それを、使ってみようと思った。
使える文字は限られて、上手く伝えられるかは判らない。だが、手段があるのなら試してみようとも考える。
その日、一睡もする事なくお手紙を完成させたドゥラータは、朝陽の登る前に空の檻の中へと初めてのお手紙を忍ばせた。
その翌朝から、彼女とおっちゃんの密やかな交流は始まった。