16話 仲直り
太陽の光が入って眩しい部屋の中で、レカは鏡に映る腫れた目を見て頭を抱えた。
昨夜の言葉が頭の中でぐるぐると離れない。
レカにとって、クレアは超えたい目標であり友人だ。
しかし昨日見たクレアは、今までの彼女ではなかった。
「コオの言う通り、クレアは酷い人だったのかしら……」
昨夜はコオの言葉を認めたくないと逃げてしまったが、一度頭を冷やして考えると、コオが正しかったように思えた。
ただし、レカの幼く未熟な心と、これまで見てきたクレアのギャップがそれを素直に認められずにいた。
「もう訳がわからない……」
混乱と現実逃避を繰り返す。
気持ちを入れ替えるためにも、身支度を始めた。
まず髪を櫛でとき、結ぶためにゴムを取り出した。
「……あれ?上手く纏まらない……もういいわ、ユランナやって!……あっ、そうだった……」
自室にいるような感覚で、メイドのユランナに声を掛けていたと気がつく。
無意識で人を頼っていたことを恥じた。そして、髪は結ぼうとするたび絡まった。
「まずいわ、くしゃくしゃすぎる。ユランナがいたらこんな事には……私一人じゃ髪も結べないのね……」
メンタルが弱っているせいか、思わず涙が浮かんだ。
「……もういいわ、先に着替え、ああもう!着方が分からない!」
用意されていた着物は、七番国にない文化だった。
当然、着方など分からない。レカは何とかしようと、着物を着る努力と、髪を纏める作業を再開したが、どちらも酷い結果に終わった。
「何で、私は何も出来ないのよ!」
自身のあまりの無力感に、堪えていた涙が溢れ、レカは膝を抱えた。
その時だった。
「レカ起きてる?朝食作ったから食べよ。……返事がないなら入るよ?」
部屋から出ないレカを気にしたのか、コオがノックしてから部屋に入ってきた。
コオは赤を基準とした上品な着物を着ており、もちろん髪は整っていた。
「なんだ、起きてるじゃん。あ、ごめん。まだ身支度出来てなかったんだ。ダイニングで待ってるから、後で来て。朝食にしよ」
「……出来ない、手伝って」
あまりに小さい声だったが、耳の良いコオには聞こえたようだ。彼は目を丸くし、気まずそうに逸らした。
「あー……そっか、王族だもんね……」
気遣うような声に、レカは羞恥心が込み上げる。
「や、やっぱりいいわ!ジンに頼む!」
「言いにくいんだけど、ジンはかなり前にどこかへ出かけたよ」
「え、嘘でしょ!今、何時……って、もう十時じゃない!」
不貞寝したせいか、時間感覚が狂っていた。
慌てて立ち上がると、床に散らかっていた着物に足を滑らせた。
「え、大丈夫!?ゴンって音したけど……」
「鼻ぶつけた……痛い……」
「鼻血出てるじゃん。待ってて、ティッシュ取ってくるから」
「うぅ……」
数分後。鼻血が止まったレカは、コオに言われるがまま、着物を着せられていた。
幸いな事に衣服に血はついていなかった。
肌着を着ているとはいえ、異性であるコオに手伝ってもらうのは羞恥が込み上げる。
だが、これ以上迷惑をかけることが忍びなく、レカは文句を言わずにコオの指示に従った。
「はい、出来たよ」
「……ありがと……凄い、慣れてるのね。たしか三番国も着物の文化はない筈でしょう?どこで覚えたの?」
コオに誘導された椅子に座りながら、レカは少し落ち着いて聞いた。
「僕は五番国と親交があるから。よく伯父さん……じゃなくて、五番様に教えてもらってるんだ」
レカは納得して黙った。
互いに表情は見えない。普段なら気にならない沈黙も、今のレカには苦痛だった。
「レカ、そのままでいいから少し聞いて」
それはコオも同じだったようだ。
突然のことに、レカはただ黙って頷いた。コオはそれを同意と受け取ったのか、言葉を紡ぐ。
「昨日の事なんだけど、ごめん。姉さんに対する鬱憤をレカにぶつけてた。本当にごめんなさい」
レカは目を丸くした。責められるのは覚悟していたが、謝られるとは思ってもいなかった。レカは謝罪を口にする。
「私こそ、ごめんなさい。コオは私の事を思ってくれていたのに」
誠意が伝わるように、出来るだけ丁寧に言った。それが良かったのか、次に聞こえた声音は優しかった。
「良かった……嫌われていたらどうしようかと思った」
コオの事を嫌いになる訳がない。
それをすぐに言えなかったのは、同じことを思っていたはずのクレアに、不信感を抱いていたからだ。レカは、二人を同じくらい信用していた。
「……コオから見たクレアってどんな人なの?」
不安が口を動かした。数秒の後、コオは答えた。
「昨日の言った通りだよ。言い方が悪かったのは悪かった。それでも、あれは間違いなく僕の本音だ」
迷いのない強い声音は、彼に迷いがない証拠に思えた。レカは気の利いた言葉を用意できず、当たり障りのないことを口にした。
「全ての兄弟が仲がいいわけじゃないのね……私、クレアの黒い顔とか知らなかったわ」
「家族ではないし、知らないのは当然だよ。……姉さんは、レカの前だと気持ち悪いくらい猫被っているし……」
「……え?なん……」
「はい、できたよ」
遮られた言葉は聞き取れなかったので、触れないことにした。
鏡を見ると、普段とは異なる髪型に変化していた。
丁寧に編み込みされた銀髪は、白の着物と合い、自分だとは思えないほど、優雅で上品な印象だった。
「すごい……さすがコオね!ありがとう!」
頬がほころぶのが分かった。コオの気遣いが伝わり、胸が熱くなった。もう一度、感謝を口にしようとして――
「やっぱりポニーテールも捨てがたい……あ、待って、ツインテールも見てみたい……」
「待って?もしかしなくてもただのあんたの趣味?」
急に熱が冷めた。それでも今だけは、不安も後悔も忘れて、レカは笑った。