メモ帳
それはただのメモ帳
その日、あたしは一冊のメモ帳を拾った。
「メモ帳ォ? なあに、あんたそれ持ち歩いてんの?」
大学以来の友人、アケミとのランチの席であたしはメモ帳のことを話した。
ピンクの表紙はザラザラとした紙質で、金色の王冠のマークが入っていた。
見た目だけで言うなら女性のものではないかと思うのだ。
あの日。交番に届けようかと思いカバンにしまったのだが……。
「で、なんで届けないわけ?」
「それがね……。部屋に戻ってカバンから荷物を取り出したときにこぼれ落ちたの」
「うん?」
「中身がめくれたのよ。偶然に」
「それで?」
「話すべきかどうか迷ったんだけど、……書かれた内容が内容で」
「え。ちょ、ちょっと待ってよ。それってなんかヤバイこと?」
「……見たほうがはやいわ」
あたしはカバンからピンクのメモ帳を取り出した。
長方形になっていて上部がリングになっているそれを、アケミはおずおずと受け取った。
ぱらり、またぱらりとページをめくる。
「―――。」
アケミの表情が固まった。
「……あんた、これ。これって」
「ストップ。そこまででいいわ。言いたいことはわかる」
ピンクグレープフルーツジュースのストローをくわえて吸い上げる。
「……。ねえ。これっていわゆる……」
「言わなくていいってば」
「ストーカー日記よね?」
言うなと言ったのにこいつは。
「観察日記と言ってあげて」
間違ってはいない。
「だってこれ、超細かいよ? ねえ、この持ち主複数の男性をストーキングしてるみたい」
「はあ。どうしようかなあ」
「―――ん? アレ?」
「え? どうした?」
「いや、男性だけでなく女性のストーキングもしてるのね、このひと」
「え。一体何が目的なんだろうね……」
「まあ、ひとの考えることなんてバラバラでわからないものよ~」
「う~ん。はあー…」
ためいきが出てしまう。
「あら、この男性最近怪我してるのね。右足骨折だって」
「うわ。痛そ。そういえばケンが骨折したって聞いた?」
「聞いた聞いた。あいつも右足でしょ? 部活中にやったんだってね。ドジね~」
「来週のハイキング行けないわよね。楽しみにしていたけど」
「―――――――あ」
「ん? なに? アケミ?」
大学時代の男友達の話になって、ふとアケミの表情が真剣になった。
「……このメモ帳の男性、部活中に右足骨折だって」
「え?」
「偶然? これ」
「ぐ、偶然じゃなければなんだというの?」
「―――ねえ。こっちのメモ、”趣味は裁縫、外見とのギャップに彼女から振られる”とか書いてあるわよ」
「それがどうかした?」
きょとん、と首を傾げるが、アケミの表情は浮かない。
「あのさ。リョウ最近彼女と別れたらしいよ。それにあいつ裁縫得意だよね……」
「―――ちょっと。なんの冗談? まさかそのメモ帳の中の人物とリョウが同一人物とか言う気?」
「だって、なんか重なりすぎじゃない?」
「冗談でしょ? やめてよ、そんなことあるわけがないわ」
「……だよねえ。考えすぎね、きっと」
「まったくもう。……あ~あ」
実に厄介なことになった。そもそもあの日おせっかい心出して交番に届けようなどと思わなければよかったのよ。
「これは確かに交番に届けられないわなあ。どこで拾ったの」
「公園のベンチ」
「それって落とし主探しに来るんじゃない?」
確かにそうかもしれない。あまりにもショッキングな内容でそこまで考えがまわらなかった。
「どうしよう。どうしたら?」
「単純にさ。戻せば? あったところに」
アケミが言うことは考えなかったわけではなかった。でも。
「いっつも腰掛けているひとがいるのよねー…」
「え? 同じひと?」
「ん? ん~。うん。たぶん」
毎日仕事の帰りに寄るものの。そこにはいつもひとりの女性が座っている。小説を片手に、集中して読んでいるみたいで声をかけられない。
あたしがメモ帳を拾ってからすでに四日。さすがにそろそろなんとかしないといけない。
「あああ~~っ、あたしはど~したらいいんだあ~~っ」
「落ち着け」
「落ち着いていられるようなことじゃないんだもん」
アケミはやれやれ、と言いながら席を立った。
「返すのが一番だと思うわよ。あたしこれから用事あるから。じゃね」
そしてあたしは今日も公園に寄る。最近の日課になったなあこれ。今日もあのひといるのかしら。
ひょい、とベンチの方をのぞく。
「―――――――あれ?」
いない。いつもいるあの女性が。
「……しかし」
これはチャンスだ。このメモ帳を戻す。
あたしは意を決してベンチへ近づいて行った。まわりにひとはいないし、ちょっと薄暗いし、今ならいけるんじゃない!?
「……」
ドキドキ。
ドキドキ。
ああ、メモ帳をベンチに置くだけなのに。なんなのこの胸の高鳴りは。
もうちょっと、あともうちょっと。
あと2メートル……!
―――――――ぽす。
や、やった……! 成功した!
「―――――――っ」
誰も見ていないわよね? 大丈夫よね!?
……ホ。
と、とりあえずは安心ね。今日ははやく帰りましょ。
『へえ~、それじゃうまくいったんだ?』
部屋に戻ってさっそくアケミに電話をする。
「うん。ちょうど誰もいなくてね。いつもならいる女性もいなくてさ」
『それはラッキーだったわねえ。いつまでも手元に置いておけないから、よかったわね』
「ほんとほんと。安心したわ~」
『あはは。まあ今日はゆっくり休みなって。明日早番でしょ?』
「あ。そういえばそうだった。ひぇ~明日は5時半起きだ~」
『でしょ。あたしも今日は寝るし。あんたも寝なよ』
「うん、そうする。ありがとうね。おやすみ!」
『おやすみ~』
―――ピ。
さてと。ここ数日あんまり眠れなかったし、寝ようっと。
あたしは電話を切り、早々にベッドへ入ったのだった。
翌日。
チャラララン チャラララン ♪
アラームが鳴り響く。一番大きい音で設定しているためかなり響き、うるさい。が、このくらいでないと朝に弱い自分は起きることができないのよね。
たとえ起きてもまた寝てしまう。
あたしは服を着替えた。ご飯は簡単に済ませて余裕をもってアパートを出た。
「―――――――そういえば。あのメモ帳……」
夕べ、ベンチに戻したあのメモ帳が気になったので、時間もあるし、と公園へ向かう。
「―――――――あれえ?」
あった。ベンチの上。あのピンクの表紙は間違いない、あのメモ帳だ。
まだ落とし主がとりに来ていないのかしら? まあそうよね。昨日の今日だし。
そう思いふと見ると、メモ帳はとあるページで開かれた状態で伏せられていた。
……確か、あたしメモ帳は閉じたままで置いたわよね。
なにか違和感を感じて、そうっと辺りを見回す。
「……誰もいないわね」
そうしてそっとメモ帳をひっくり返し―――――――目を見張った。
昨日までは何も書かれていなかったそのページにはひとこと。
”やっと わたしに気づいてくれたのね”
―――完―――
ちょっとホラー