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「君とよりを戻せると言われたんだ」
取調室でカーターはペトラに向かって言った。
その眼差しはあまりにも真剣で。
私たち、そんなに仲の睦まじい婚約者じゃなかったと思うけど。
特にあなたの方が。はて。不思議。
他人の機微に鈍感なペトラであっても、隣でキエルが怒っているのがわかった。
どうしてキエルがそんなに怒るんだろう。ああ、自分から婚約を解消しておいて、今になってヨリを戻そうとする姿が不誠実だからかな?
キエルは誠実な人だから、もしかしたら許せないのかもしれない。
それとも今は恋人という立ち位置だからか、怒りを表現してくれてるのかもしれない。
「誰に言われたんだい?」
ハイモアが尋ねる。
本来なら騎士であるキエルが尋問するのが良いのだが、カーターを目にした段階でキエルは相当に怒っていた。
竜の獣人というのは普段は人と変わらない見た目をしているが、感情が昂ると瞳が金色に変わり、瞳孔が縦になる。ペトラは驚いて興味津々で見ているし、キエルは怒り沸騰で放っておけば殴りかかりそうだったし、カーターは震えているしで、収集がつかないためハイモアが代わりに尋問しているのだった。
「わかりません、ですがペトラと婚約がなくなってまもなくして酒場で出会い、仲良くなりました。お互い名前は知らないですけど」
「相手の素性は?」
「わかりません」
「なんと言われて、彼女の研究室をあさるに至ったか順を追って説明してもらえる?」
ハイモアはにっこりと笑って手を組む。
あまり笑うことがないだけに気味が悪い。
「もともと、あの事件の時も私はペトラと婚約を解消する気はなかったんです。しかし家の方針には逆らえず、解消することになりました。
裁判が終わり、ペトラが勝った時、私は父上に再度婚約したいと申し出ました。が、それは受け入れられませんでした。
その旨を私は酒場で出会った男にしてしまいました。彼は家の方針でダメならペトラに直接近づくべきだと言いました。ペトラと恋愛関係になれば、家も認めざるをえないだろうと。そうして俺は研究所に入職することを決めました」
ぎりり、と音がしてペトラが隣のキエルを見ると、拳を握りしめていた。
瞳は黄金に輝いて見える。顔には怒りが滲み、口元からは少しだけ牙が見えた。もしこの場に獣人がいたならば気絶していたかもしれないなと思う。宥める様に腕をなでると少しだけ力が抜けてキエルが私を見るので、大丈夫と笑ってみた。
そう、大丈夫だ。
ペトラはこの婚約者に対してもう何も思っていない。ペトラが絶望の淵に立たされそうになった時、真っ先に離れたのがこの婚約者だ。
仮に本当にペトラとの婚約解消に反対だったとしよう。だったらなぜ、密かにでも手紙の一つだしてくれなかったんだ。それがあれば、気持ちは幾分か軽くなったことだろう。
でも目の前のこの元婚約者は、そんなことはせず、ただ婚約解消を突きつけ、その後なにもしてこなかった。
その時点でペトラは見切りをつけたのだ。ああ、こいつは私を捨てた人間だ。そういう人間なんだと。
だから今更復縁を迫る言動をされたところで、ペトラの中ではもう最低の人間のカテゴリに入れられているから。だから何を言ったって響きはしない。
お前の言葉は聞くに値しない。
「ペトラに未練があったの?」
「ないと言えば嘘になります」
「そこは「あります」でいいよ。それで、どうして書類をあさるに至ったんだい?」
「彼がいうんです。ペトラとキエル団長がお付き合いしているのは、ペトラが脅されているに違いないと。ペトラは用心深いから、脅されているとしても何かしらその証拠を残しているはずだって。だから研究室に入って証拠を探そうと思いました。つかんで、それからペトラを解放しようと思いました」
ペトラはそう言って語るカーターを見て、正直気持ち悪いなと思った。
カーターが婚約解消を申し出てきたのは兄の婚約者よりも早かったし、なんなら社交界で噂を広める様なこともしていた気がする。
もう何年も前の話なので、彼の中で美化されているのだろうか。人間不信の原因の一端なのにたまったものではない。
その後2時間以上尋問は続いた。あまり有益な情報は得られなかった。
「背後が気になりますね」
「尻尾は出さないだろうな」
「ええ、でも私が持つ何かが狙われているということはわかったので、一層警戒に努めようと思います」
キエルが「そこでなんだが」と切り出す。
「よければ、朝と帰りの送迎をさせてくれ」
ありがたい話ではあるが、団長職というのはそんなに暇ではないはずなのだが大丈夫なのかしら。
ということが顔に出ていたらしい。
キエルは慌てた様に「もちろん日によっては待たせてしまったり、送迎が難しい日もあるだろう。その場合は代わりに信頼できる騎士を送る」と言った。
願ったり叶ったりではあるけど、団長を送迎に使ったやっていいのかな。チラリとキエルを見れば「お願いします」と言わんばかりの真剣な眼差し。
待遇を受けるのは自分なので、こっちがお願いする立場だと思うんだけど。ハイモア様を見れば暗に「受けろ」と言っている。
二人とも圧力がすごい。そして負ける。
「キエルが無理しない範囲でよければ、私からもお願い、します」
そう言うしかなかった。
キエルとハイモアは安心した表情をした。
どうやら思っていたよりも心配されているらしい。ハイモア様は昔から面倒見てくれているからまだわかるけど、キエルも過保護だなあ。
とはいえ正直送迎はありがたい話。負担が増えないか申し訳ないけれど。
魔道具でガチガチに自衛しているとは言え限度がある。
例えば、相手がより優秀な魔法使いだった場合、自分が持っている魔道具では長期戦に持ち込まれれば勝てないだろうし、優秀な暗殺者や戦士、騎士だった場合には魔道具が作動する前にやられる可能性もある。
だから、キエルが隣にいるというのは安心感があった。
出会って間もない割には自分の中ではかなり上位の信頼できる人物に含まれているな、と思った。